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中央党の100年

2010-12-04 | メディア情報

 

ちょうど100年前の12月1日、24名の農民が「兄弟よ、手を結ぼう!」との呼びかけを、地方新聞を通じて行った。当初は、農民同盟(Bondförbundet)と名乗っていたが、1957年に、現在の中央党(Centerpatiet)に改名している。

1930年代から、おもに社会民主労働党(社民党)と、連立、あるいは、閣外から協力を行っていた。しかし、2006年からは、穏健党を中心とする保守4党連立による政権党となっている。

得票率は1970年代の最高期には、25パーセントを超えたが、今秋の選挙では6.6パーセントに落ちている。選挙以降も、支持率は下降気味であり、次回の選挙戦が危ぶまれている。

メディアによると、今回の選挙でも絶対的に有利な立場にあった穏健党支持者の多くが中央党に投票し、最低得票率の4パーセントをクリアさせ、国会からの脱落を救ったという。中央党が脱落すれば、穏健、国民、キリスト教民主党の3党だけで政権を維持するのは難しいからだ。

ついでながら、この現象は保守グループに限ったことではなく、社民党支持者が同じように、長く左翼党を支えてきた。これまで左翼党は、閣外からずっと社民党を支持してきている。今回の選挙で、社民と左翼党は環境党と共に、初めて革新3党連立で政権獲得を目指したが至らなかった。

現在の中央党は、元来の支持層であった農民層の減少により都市指向となり、中小企業経営者層、自営業者層を主なターゲットにしている。それら党の動向により、地方の支持層の信頼を失うことになり、昨今、脱党した人たちが地方で新しい党作りをする現象が目立っている。

また、一部のストックホルム中央党のメンバーが「Streplan中央党」と称する組織を結成している。Streplanは、高級住宅地にある瀟洒な店舗や、レストラン等が集中するストックホルムの一角である。他の都市、マルメやヨテボリにも類似のグループが結成されている。

このような都市型中央党一派は、党内では最右翼の位置にあるようで、原発推進派だし、規制緩和を主張する。自分たちは近代的なリベラルで、自由を好むとかで、なんだか保守の穏健党のさらに右側に自らを位置付けているようだ。

党がもっていた元々のイメージ、乳牛が牧草を食んでいる田園風景などからは程遠く、100年という歴史の流れを感じさせる。

 

 原発反対の旗印を降ろす

中央党にとって大きな痛手となったのは、党一番の「目玉商品」であった、原発廃止の方針を、今回の保守連立内閣の方針に沿い、古くなった原発所の代わりを新築する案に同意せざるを得なくなったことだ。それにより、党のアイデンティティがますます不鮮明になり、支持層を失ったのは否めないだろう。新しく支持を得えてはいるだろうが、全体的には支持率は減少している。

目下のところ、来年3月に党首に就任満10年となるモード・オ-ロフソン(Maud Olofsson)の党内での位置は、揺らいではいないが、どうやら多くの党員が、彼女が自主的に引退してくれるのを心待ちにしているようだ。若手層が自信満々で出番を待っている(DN2010-12-01)。

中央党だけではなく、政党の人気がかげりだすと、党首の進退が話題となる。今回の選挙結果が思わしくなかった諸政党(社民、キリスト教同盟、左翼党)内でも、程度の差こそあれ、党首の進退が話題にあがっている。

さて、これから100歳になった中央党はどこへいくのであろうか。70年台に新進の気風で原発反対の旗印を高く掲げ、1976-78、1979-82年間は連立政権ではあるが、中央党から首相をだしていた。いまは穏健党の背後で、新原発所の建築にそっと賛成の挙手をする存在になっている。

理念を失わずに現実にうまく対処し、有権者の信頼をどう取り戻すかは、べつに中央党だけの問題ではないのだが、前途はかなり難しそうだ。

 


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