ぼちぼち スウェーデン

スウェーデンで見たこと、聞いたこと、考えたことを、同時代に生きるみなさまとシェアーを!

社会民主党党首の選出なる

2011-03-27 | メディア情報

 

昨年11月に社会民主党の党首モーナ・サリーンが辞意を表明してから、後継者選びに時間がかかり、候補者の決定があったのは、今週末25~27日に予定されていた同党の臨時総会の一週間前であった。

それまで、候補者として色々な名前が挙がり、消えていったが、ホーカン・ユーホルトHåkan Juholt)の名前は最後の最後まで現れなかった。社民党は、人選は準備委員会という密室で、伝統的に1名の候補者を選び、総会では満場一致でそれを承認するシステムをとっている。 

 

    (社民党のHPより)

 

3月25日の臨時総会で満場一致で党首に選ばれたのは写真のホーカン・ユーホルトである。

南スウェーデンにあるスモーランド地方出身で、1962年生まれ。1994年より国会議員。一時は防衛問題を担当し、20042009年は、社民党の副幹事長を務めた。現在は役職なしのふつうの国会議員で、党の外部ではかなり無名な存在であった。

 

326日に、一時間にわたる就任演説を行ったが、社民党が元来、党の基本姿勢としていた連帯、平等、完全雇用にもとずく社会づくりを目指し、市民の信頼を取り戻すことをあつく語った。理想の社会を語る彼にパトスが十分に感じられる。なかなかの弁舌家でアドリブもうまい。真面目そうであるが、機転の回転度は劣る穏健党の現首相ラインフェルトの強敵ディベーターとなるかもしれない。

 

柔らかいスモーランド方言で話し(イケアの創業者、カンプラードと同郷)、特徴のある表情は、なんだかゲームのスーパーマリオに似ている。イケメンで瀟洒な都会型男性のイメージからは程遠いが、相手に親近感をもたせるだろう。

  

かなり興味深かったのは、彼のスピーチの途中で、サリーンの前に、10年間(1996–2006年)首相を務めた元党首ヨーラン・パーションが中座しようとした時の出来事だ。パーションは、経理畑出身で実務型の政治家なので、ユーホルトの語る「連帯や平等」などの理想に関心は薄い。だから、じっと聞いているのがあほらしくなったのだろう。それに、ある記事によると、パーションはユーホルトに投票しないよう、準備委員会の一部に裏から手を回したらしい。

 

とにかく、会場の前の方に座っていたパーションが席を立ちかけたのを見て、ユーホルトは素早く「ヨーラン、話はまだ途中だよ」、と公衆の面前で彼を制した。自分の候補に反対工作をしたパーションに仕返しと同時に、誰が現在実権をもつかを明確な形で示したのだ。パーションは支配欲が人一倍強いことで知られているが、ユーホルムユはその彼に自分の時代は終わっていることを躊躇なしに示した。就任演説という儀式の最中に、礼を欠く行為をしたパーションは背負い投げをくって完敗した。

  

党首としての指導力がありそうなこのスーパーマリオ氏、2006年、2010年度と総選挙二連敗の社民を再び政権の場に戻すことができるだろうか。いままでほとんど無名だったユーホルトの今後がなんだが楽しみになりそうだ。 

 

  

 幹事長は女性 

    (社民党のHPより)

 

同時に新しく幹事長が選ばれた。カーリン・イェムティーン(Carin Jämtin)は、1964年にストックホルムで生まれた。2003~2006 年は開発援助大臣であった。2007年、ヨーラン・パーションが党首の座を降りた時、後継者の一人として候補に挙がった。2006年以来、現在までストックホルム・コミューンで野党側議員として活躍。支持者の多いベテランの政治家。彼女の就任演説はここ

 


国民は国に愛されているか、大事にされているか

2011-03-19 | 日々雑感

昨日のブログで、国の」「愛国民心」のことに触れた。今日はそれを続ける。

日本の歴史を、わたし自身の人生の長さに限るタイムスパンで話をしよう。わたし自身が生き証人となれるからだ。

わたしの記憶にある限り、日本人はずっとお国に奉公してきた。例えば、わたしの父親は、1938年生まれの私の誕生直前、赤紙により召集されて、旗を振られて出征していった。以来、3回の短期一時帰宅はあったが、終戦後、1945年に最終的に帰宅するまで10年以上の間、お国のためにアジア全域で闘った。終戦時には満州でロシア軍の捕虜になり、無事に帰宅した後も、「早く、早く」など、片言のロシア語が話せたのを覚えている。時々、自分の失われた10年を返してほしい、とぼやいていた。国民が「愛国心」をもち、国のために命を投げ出すのは当然とされた時代であった。

今回の東北震災に続く一連の出来事をフォローしながら考えるのは、日本の国民は国に愛されているか、大事にされているかと、ということである。もし、国が住民を大切に思っているのなら、天災国日本で、非常時には水や食料品などを、迅速に支給するなどはじめ、住民の生活と安全を守るシナリオが当然、前もって用意されているはずだ。

東京都の一部が、非常時にそなえ、毛布や暖房具等などを常備しているのをインターネットで見たが、どうもそれは例外的な措置のように見受けられた。国の規模でそれがみられないというのは、大きな驚きである。隣の人たち同志が助け合うしか手段がないというのは論外。国はなんのためにあるのか。「国民あっての国・国あっての国民」の関係ではないのか。

今回の災害が大きいのは、地震、津波、原発事故と予想外の出来事が重なったと言えるかも知れない。しかし、予想外の出来事に備え、あらかじめ住民を守る配慮をするのが国の当然の役目であろう。国民は「愛国心」を期待され、それに応えるのは当然とされているが、国が国民を守る「愛国民心」は問題視されていないようだ。

民主主義の国では、国とその住民の関係は、持ちつ持たれつの平等な互恵関係にあり、専制国体制では、国民の忠誠心のみが問題にされると、前にどこかの社会学者が書いていたのを思い出した。

誤解のないよう付け加えるが、なにも管政権を批判しているのではない。ここで問題にしたいのは、いままでの日本国家の在り方である。戦場を駆けめぐり、空襲に苦しんだあとは、「経済大国」つくりに尽力をつくした国民も、このあたりで大切にされる時が来てもよいと思う。今回の災害を契機に、国家、自治体、全政党レベルで一体となり、災害対策のインフラを構築すべきであろう。民主主義の国らしく、住民を愛し、市民生活を守ることを真剣に考える期は熟している。

「天災」は避けることは難しいが、「人災」により被害が倍増することもあることに留意すべき。ふだんから、きちんとした災害対策がたてられており、原発所の安全管理が行われていたら、これほどの被害にならなかったはず。民主主義国家で、経済大国でもあるこの国のあり方を、日本人の一人として、心ひそかに恥ずかしいと思っている。

 

 


使用済核燃料を10万年間保存する

2011-03-18 | メディア情報

 3月16日、スウェーデン核燃料マネージメント株式会社(SKB=Svensk kärnbränselhantering AB) は、使用済核燃料の長時期保管所建設の許可を政府に申請した。長期間保管方法の開発には、1970年代から30年を費やしている。なお、申請書には、使用済核燃料の保管は国の責任において行う、と明記されている。

方法としては、まず、原子炉で使用された後、冷却するために原子力発電所内にある貯蔵プールで6年ほど保管された後、地下500メートルの岩盤の中に、50ミリの厚さの銅の容器に閉じ込め、10万年間保存するという構想である。銅の筒の高さは4メートル、一個の重量は廃棄物を含め、一個あたり25~27トンだという。

50ミリの銅製の容器がはたして10万年間もの間、破損を受けることなしに使用に耐えられるか否かについての疑問を呈する声も高い。建築許可の申請についても、SKBの役員会でただ一人、外部から参加の役員は、建築にはさらなる検討が必要と抗議したが、効果はなかった。

10万年間って、どれほどの期間なのか、ちょっと考えられない。氷河期も含まれるらしい。

そんな長い期間、容器は耐えるという計算をしたわけだ。すごく「科学」を信じているのだな。

 

                                                     

 

ところでスウェーデン政府は、フクシマ原発の所在地から80キロ以内の地域からの退去をスウェーデン人に勧告している。では、日本人はどうして20キロなの?メディアによると答えは簡単。冗談にもならないけどスウェーデン人の数はわずかだからだ。人の生活は地域に密着している。そう簡単に動けるものではない。政府からの正確な情報が大切だ。

いくら考えても、天災国日本に十分な対策案が準備されているように思えない。国にとって、自国の国民が一番大切な財産ではないのかな~。国民の「愛国心」はとり沙汰にされるけど、国の国民を思う「愛国民心」を、このあたりで取り上げてはと、ひとりでラジカルに考えているこの頃である。

 


ヨーロッパの原発政策に変化が

2011-03-15 | メディア情報

ヨーロッパの政治家が危機を感じると、直ちに、それまでの決定を覆す。

その典型が今回の原発の方針変更だ。

 

すでに、昨日314日の段階で、スイスやドイツがそれまで決めていた原子発電所の新規建設や旧設備の使用延長にストップをかけた。さすがプロの政治家がいる国だ。世論を敏感に感じ取り、すばやく手をうつ。ぐずぐずしていると、原発反対の動きが大きくなり、自党に不利になるのでので、そうならないうちに、すばやく動く。とくに選挙が近いともう超特急だ。

スウェーデンでも、日本の福島の一連の出来事から、原発の是非を連日メディアが取り上げている。しかし、今のところ熱心に原発に反対しているのは環境党だけで、保守陣営はじめ社民党なども「原発はクリーンなエネルギー」という解釈がすきなようで、いまのところ、政治的には大きな動きは見られない。

だが、原発に関するありとあらゆる専門家がひっきりなしにメディァに登場して、かなり専門的な話をしているので、世論は素早く変わる可能性はある。当然だが、日本の4機の原発所の今後の動向が大きく影響しよう。

それにしても、命に不可欠な水が十分に被災地に届いていないってのは、どういうことだろう。スウェーデンのジャーナリストが、車で東京から被災地まで北上したそうだが、その間、一台の給水車も路上で見かけなかったそうだ。食べ物は?暖かい毛布は?避難場所は足りているのか?危機管理のインフラはどうなっているのだろうか。非常時に、人の命と生活を守るマニュアルは国にきちんとあるのだろうか。かなり心配である。

 


災害お見舞い申し上げます

2011-03-13 | 日々雑感

 まさかこのような被害になるなんて、パソコンでUpstreamのライブ放映を見て、もう呆然としている。自然の力は恐ろしい。地震があるおかげで、温泉もあるのかもしれないけど、なんだか割に合わないように思える。この際、当分は温泉はいらないから、地震もなしにしてもらう交渉を神サマと出来たらどんなによいだろう。

今回、二つのことが気になった。

まずは、スウェーデンのメディアでは、「日本は救済対策が万全に整えられている国」と紹介されていた。しかし、二日たった今日、ライブ放映で、どこかの施設に水が6本とパンが数個配られた、なんてのをみると、はたして万全な対策なのだろうかと首をかしげたくなった。そんな規模であってはならないはず。

つぎに考えたのは、原発の是非で、やはり、恐ろしい武器なのだと、改めて感じた。原子力を「平和利用」するといっても、凶器性を内蔵している事実は変わらない。東京のP教授の話だと、日本では原発には共産党が反対しているので、この党の支持が伸びるだろうということであった。

原発を疑問視するのは共産党だけ?日本には環境党のような党はないのだろうか?

こちらでも使用済核燃料を長期保管するための法案を作成中である。専門家の意見を聞いたが、安全性の計算は「xxがxxなら」という前提(希望的観測?)の上に立っており、素人のわたしでも率直に「大丈夫かいな」、と思った。だれにも何千年も先のことなど分からない。「大丈夫」ということにしておいて、ずっとあとからこの地球に住む人にツケをまわしてもよいのだろうか。そのころ地球が残っていればの話だが・・。別に共産党でなくとも、今を生きる地球人の一員として、それくらいのことは考えてもよいと思うけど。

 

 


人は色々なんだ

2011-03-10 | 日々雑感

この間、Tさんから電話で、かなりラジカルな意見を聞いた。 

なんでそんな話になったのかは覚えていないけど、この世の中、自然淘汰の原則で生きるのがよいという意見であった。

だから弱い人間は早く死ねばよいという意見だ。そうそう、思いだした。民主党の菅さんなんか大嫌いで、「弱いものを助ける」と言っているが、そんな人は早く死んでしまえばよいという話であった。もし、Tさんが酔っ払って言ったのではなければ(からかわれているのかもしれないが)かなり思い切った意見だと思う。ヒューマニズムなんてクソくらえらしい。

でも考えてみれば、わたしは自分の考えがまっとうだと信じて、このブログも含めてあれこれ書いているが、Tさんなどが読めば、狂気のさたではないかと思えるようなことが多いだろう。電話を切った後で色々考えさせられた。

人はじつに色々なのだ。現に2月3日にこの欄で書いた「天才首相の頭の中」では、現首相を非難するつもりで書いたが、読まれる方の中には、地球の温暖化など信じず、余った二酸化炭素などの廃棄権を他国に売ればよいし、武器をどこへ輸出しようと儲かるから勝手だし、この人(私のこと)はなにを言いたいのだろうと首をかしげる人がいるのだな、と思いあたった。ちょっとニブイのだろうな、わたくしは・・。

でもわたし個人、近代医学の発達していない社会でなら2度ほど死んでいた経験をしている。やはりモロの自然淘汰の社会は困るのだ。