ぼちぼち スウェーデン

スウェーデンで見たこと、聞いたこと、考えたことを、同時代に生きるみなさまとシェアーを!

その昔、洗濯は手でしていた

2012-08-02 | 日々雑感

いつものように、洗濯物を目いっぱい放り込んで機械を回した。

しばらくして洗濯室を覗いてみると、機械から遠慮なくお湯がじゃあじゃあと床に流れ出ているではないか。洗濯機は酷使されるのに飽きて自死を決めこんだらしい。新しいのを買うしかないようだ。

それは仕方ないとしても、いっぱい放り込んである洗濯物はどうなる?どうなりもしない。お前が始末するのだろう?ということで、手で洗ってゆすいだ。

大量の洗濯物と取り組んでいる間中、なんだか気持がよかった。そして昔むかし、子どものころ、洗濯物はぜ~んぶ、手でやっていたことを思い出した。

一番最初に生まれた子どもは、家事をたくさん手伝う運命にある。それが女の子であればまず間違いはない。

その女の子であったわたしは、毎日、コンロにかかったお釜でご飯を炊いた。スイッチを入れるのではありませんゾ。細かく割った薪をくべて炊いたのだ。毎日、コンロのそばで火の番をしながら、本を読んでいた記憶がある。べつに苦痛ではなかった。同様に、たらいにはいった洗濯板を手で洗った記憶もある。毎日洗ったかどうかは分からないが、木でできた洗濯板というものを使って、文字通りごしごしと洗った。

今日は洗濯物を手で洗ったおかげで、昔の思い出とつながって、こころ懐かしいものとなった。わたしも、父も母も、そしてきょうだいも、とてつもなく若かった。その父母はいまはもう亡い。

これからも時々、手で洗濯してタイムマシーンに乗り、昔に戻ってみたい。


国民は国に愛されているか、大事にされているか

2011-03-19 | 日々雑感

昨日のブログで、国の」「愛国民心」のことに触れた。今日はそれを続ける。

日本の歴史を、わたし自身の人生の長さに限るタイムスパンで話をしよう。わたし自身が生き証人となれるからだ。

わたしの記憶にある限り、日本人はずっとお国に奉公してきた。例えば、わたしの父親は、1938年生まれの私の誕生直前、赤紙により召集されて、旗を振られて出征していった。以来、3回の短期一時帰宅はあったが、終戦後、1945年に最終的に帰宅するまで10年以上の間、お国のためにアジア全域で闘った。終戦時には満州でロシア軍の捕虜になり、無事に帰宅した後も、「早く、早く」など、片言のロシア語が話せたのを覚えている。時々、自分の失われた10年を返してほしい、とぼやいていた。国民が「愛国心」をもち、国のために命を投げ出すのは当然とされた時代であった。

今回の東北震災に続く一連の出来事をフォローしながら考えるのは、日本の国民は国に愛されているか、大事にされているかと、ということである。もし、国が住民を大切に思っているのなら、天災国日本で、非常時には水や食料品などを、迅速に支給するなどはじめ、住民の生活と安全を守るシナリオが当然、前もって用意されているはずだ。

東京都の一部が、非常時にそなえ、毛布や暖房具等などを常備しているのをインターネットで見たが、どうもそれは例外的な措置のように見受けられた。国の規模でそれがみられないというのは、大きな驚きである。隣の人たち同志が助け合うしか手段がないというのは論外。国はなんのためにあるのか。「国民あっての国・国あっての国民」の関係ではないのか。

今回の災害が大きいのは、地震、津波、原発事故と予想外の出来事が重なったと言えるかも知れない。しかし、予想外の出来事に備え、あらかじめ住民を守る配慮をするのが国の当然の役目であろう。国民は「愛国心」を期待され、それに応えるのは当然とされているが、国が国民を守る「愛国民心」は問題視されていないようだ。

民主主義の国では、国とその住民の関係は、持ちつ持たれつの平等な互恵関係にあり、専制国体制では、国民の忠誠心のみが問題にされると、前にどこかの社会学者が書いていたのを思い出した。

誤解のないよう付け加えるが、なにも管政権を批判しているのではない。ここで問題にしたいのは、いままでの日本国家の在り方である。戦場を駆けめぐり、空襲に苦しんだあとは、「経済大国」つくりに尽力をつくした国民も、このあたりで大切にされる時が来てもよいと思う。今回の災害を契機に、国家、自治体、全政党レベルで一体となり、災害対策のインフラを構築すべきであろう。民主主義の国らしく、住民を愛し、市民生活を守ることを真剣に考える期は熟している。

「天災」は避けることは難しいが、「人災」により被害が倍増することもあることに留意すべき。ふだんから、きちんとした災害対策がたてられており、原発所の安全管理が行われていたら、これほどの被害にならなかったはず。民主主義国家で、経済大国でもあるこの国のあり方を、日本人の一人として、心ひそかに恥ずかしいと思っている。

 

 


災害お見舞い申し上げます

2011-03-13 | 日々雑感

 まさかこのような被害になるなんて、パソコンでUpstreamのライブ放映を見て、もう呆然としている。自然の力は恐ろしい。地震があるおかげで、温泉もあるのかもしれないけど、なんだか割に合わないように思える。この際、当分は温泉はいらないから、地震もなしにしてもらう交渉を神サマと出来たらどんなによいだろう。

今回、二つのことが気になった。

まずは、スウェーデンのメディアでは、「日本は救済対策が万全に整えられている国」と紹介されていた。しかし、二日たった今日、ライブ放映で、どこかの施設に水が6本とパンが数個配られた、なんてのをみると、はたして万全な対策なのだろうかと首をかしげたくなった。そんな規模であってはならないはず。

つぎに考えたのは、原発の是非で、やはり、恐ろしい武器なのだと、改めて感じた。原子力を「平和利用」するといっても、凶器性を内蔵している事実は変わらない。東京のP教授の話だと、日本では原発には共産党が反対しているので、この党の支持が伸びるだろうということであった。

原発を疑問視するのは共産党だけ?日本には環境党のような党はないのだろうか?

こちらでも使用済核燃料を長期保管するための法案を作成中である。専門家の意見を聞いたが、安全性の計算は「xxがxxなら」という前提(希望的観測?)の上に立っており、素人のわたしでも率直に「大丈夫かいな」、と思った。だれにも何千年も先のことなど分からない。「大丈夫」ということにしておいて、ずっとあとからこの地球に住む人にツケをまわしてもよいのだろうか。そのころ地球が残っていればの話だが・・。別に共産党でなくとも、今を生きる地球人の一員として、それくらいのことは考えてもよいと思うけど。

 

 


人は色々なんだ

2011-03-10 | 日々雑感

この間、Tさんから電話で、かなりラジカルな意見を聞いた。 

なんでそんな話になったのかは覚えていないけど、この世の中、自然淘汰の原則で生きるのがよいという意見であった。

だから弱い人間は早く死ねばよいという意見だ。そうそう、思いだした。民主党の菅さんなんか大嫌いで、「弱いものを助ける」と言っているが、そんな人は早く死んでしまえばよいという話であった。もし、Tさんが酔っ払って言ったのではなければ(からかわれているのかもしれないが)かなり思い切った意見だと思う。ヒューマニズムなんてクソくらえらしい。

でも考えてみれば、わたしは自分の考えがまっとうだと信じて、このブログも含めてあれこれ書いているが、Tさんなどが読めば、狂気のさたではないかと思えるようなことが多いだろう。電話を切った後で色々考えさせられた。

人はじつに色々なのだ。現に2月3日にこの欄で書いた「天才首相の頭の中」では、現首相を非難するつもりで書いたが、読まれる方の中には、地球の温暖化など信じず、余った二酸化炭素などの廃棄権を他国に売ればよいし、武器をどこへ輸出しようと儲かるから勝手だし、この人(私のこと)はなにを言いたいのだろうと首をかしげる人がいるのだな、と思いあたった。ちょっとニブイのだろうな、わたくしは・・。

でもわたし個人、近代医学の発達していない社会でなら2度ほど死んでいた経験をしている。やはりモロの自然淘汰の社会は困るのだ。 


冬の風物詩と並行する世界矛盾

2010-12-14 | 日々雑感

 

12月半ばからは行事が多くなり、24日がクライマックスとなる。スウェーデンはクリスマスでもイヴを祝うので、23日は日本式に言えば大晦日となる。

12日は第3アドベントの日。クリスマスまであと、2週間足らずとなる。

第2~3アドベントの2週間は、人々は樅(もみ)の木の下に置くプレゼントを買い求めるので、街中、人出でにぎやかになる。

翌13日は、ルシア祭。一年の内、一番暗い時期にはうってつけの行事だ。この日の朝、病院や、学校・保育所、高齢者施設などをルシアの行列が訪問する。コーヒーとサフランパンをふるまってもらい、彼らの歌うクリスマスの歌を楽しむ。

ルシアの一行は白い長いパジャマのようなものを身につけ、頭にローソクを飾りつけ、手にも持っている。そんなことは知らない外国からの旅行者が、真っ暗な路上でルシアの行列に出くわすと、あの世から幽霊が出てきたと驚くことがよくあるらしい。

 

   

クリスマスとお正月の間の数日間、休みをとる人が多い。すると、24日~1月1日(今年は2日が日曜日だから1日プラス)まで、かなり長い連続休暇となる。

一年の最終日である31日は、12時の鐘を待ってシャンペンなどで新しい年の到来を祝う。元旦は祭日だから二日酔いをさまし、2日からは平常通りに働く。

11日の金曜日は、恒例のノーベル賞の祭典がノルウェーとスウェーデンで行われた。平和賞の授賞式は伝統的にノルウェーで行われるが、この賞の受賞者に関しては、「どうしてこの人が??」と疑問詞が付く年が多々あるが、今年はマトモな選択であったと思う。

受賞者の椅子が空席なのが印象的だった。ノーベル賞委員会委員長の演説はかなり直接的で、劉氏のもつ基本的人権を指摘した。そして、この北欧の小国が、強い言葉で大国中国を説教した。冗談半分として言うが、ノルウェーはいま石油があるから強く、国として自信のある行動がとれるのかもしれない。

むかしまだ、オロフ・パルメが生きていた頃は、スウェーデンも「世界の良心」の役を担っていた。この小国の首相が、アメリカのベトナム北爆を真っ向から批判し、抗議デモ行進の先頭に立った。70年代は、もうそんな昔のことになってしまったのだろうか・・。

現在は、アメリカの先棒を担ぐ一小国と見られているようだ。スウェーデンがウィキリークスの代表者アサンジュをセクハラで訴えたのは、かなり懐疑的に受け取られている。むしろ、本当の目的は、彼を国賊と仕立てたいアメリカに身柄を引き渡すためと、みる向きは多い。アサンジュ自体、それを恐れているのが何よりの証拠だ。

「世界の良心」国から、アメリカの「岡っ引き」国になってしまっているかに見える現状を、ここに暮らす一員として残念に思うこの頃である。              

ところで、土曜日の11日には予想外の出来事が起きた。アラブ系の男性が街の中心地で自爆したのだ。路上ではなく、どこかデパートとか、中央駅とか、人の沢山集まる所で自爆するつもりだったのだが、誤って早く爆発させてしまったのではないかと推測されている。直前に、車も一台爆発させている。死者は本人だけで、他の人を巻き込まないですんだ。

現在、スウエーデンにおける、初めてのテロ行為だと国中大騒ぎだ。

自爆した男性は、ラーシュ・ヴィルクス(ブログ「時の人:ラーシュ・ヴィルクス」をお読みください)と、スウエーデンのアフガニスタン派兵などを批判し、アラブ人よ、立ち上がれと呼びかけている。

これにより、かねてから問題視されているアフガン派兵が真剣に討論されるだろう(PS:されないどころか、国会は多数決で派兵期間を延長した)。そしてまた、イスラム系移民に対する風当たりも強くなるかもしれない。それに、外国人排斥を主眼とする政党、スウェーデン民主党が喜び、さらに支持者が増えるかもしれない。

今年は憂鬱なニュースで終わりそうだ。

 


晩秋のある日

2010-11-09 | 日々雑感

 

太極拳の体験教室のあと、何人かですしを食べに行った。太極拳はストックホルムの街はずれにある Sveaplanという所であったが、そこから日本料理店「清香園」まで歩くことにした。距離は3キロ足らずだが、それだけで街はずれから買い物客でにぎわう街の中心地を通って、メーラレン湖がバルト海に流れ込んでいる水際に着いてしまう。対岸は旧市街だ。 

歩いてみて、ストックホルムという街は小さいなとあらためて思った。40分くらいで端から端まで歩けてしまうのだ。こういうと、旧市街や南の島(Södermalm)があるではないかと抗議がでるだろうが、官庁や銀行の本店、デパート、おもなショピングモールは街の北半分に集中している。

 

舗道には秋らしく枯れ葉が舞い、かさかさと音をたてていた。そこでMさんが興味深い話をした。われわれが日本に住んでいた時に使っていた言葉についてである。  

彼女にいわせれば、わたしたちは「鉄かぶとにチョッキ、バンド」世代だそうだ。今様には、「ヘルメット、ベスト、ベルト」というので、われわれになじみのある言葉をつかうと、いまの日本ではひんしゅくをかうのだそうだ。 

考えてみると、私たちがここに住みついてから、かなりの月日が経っている。Mさんと私は1960年代から、N子さんにいたっては50年代からだ。日本を離れて40~50年たつから、軽度の浦島太郎症候群なのかも知れない。もっとも、本人たちはあまり気にしていないが・・。 

レストランに着くとランチ客でいっぱい。3人座れる席は空いていないので、随分と待たされた。入口のすぐ横に、食前酒などを楽しむバーの席があるのだが、そこにかけてお待ちくださいなどとは、絶対に思いつかないようだ。多分、客がたくさんくるので、そんな心配をする必要はないからだろう。 

それにしても、ストックホルムの老舗の日本料理店は、この「清香園」と「将軍」であるが、両方とも経営は日本人ではなく、「清香園」は確か韓国人の経営で、「将軍」は中国人である。日本人が経営するのは、もっと小型の飯屋だ。この住み分けには、なにか特別な理由があるのだろうか。

 

 中華材の宝庫

帰りに中華食糧品店に立ち寄った。看板に漢字で「夏華」と出ている。文化館(Kulturhuset)の南側にある小さいが掘り出し物が山ほどある食べ物の宝庫だ。それに安い。近所に住む中国人のジェニーが教えてくれた店だ。 

信州漬物のような古漬け菜は逸品だし、生の冷凍カニは鍋ものに欠かせない。鶏の足など飲茶用の食材もある。

まだ、試していないがウナギかアナゴらしき冷凍袋もある。いろいろとわけのわからないものを買って帰って試食してみるのは楽しい。そのおかげで、おしいしい古漬けにめぐりあったのだから・・。 

散々考えて、たまに買うのは中国から空輸されている菜っ葉。農薬がこってりかかっているということで、ゼッタイに食べてはいけないはずなのだが、冬になり普通のスーパーに野菜が少なくなる時、つい買ってしまう。 

いずれはみんな死ぬのだけど、中国采を食べると、死期が早くなるのだろうか、それとも大病に罹るのか?そんなことをぐずぐず考えはするが、たいてい最後に勝つのは、とりあえずの食欲である。 


ブログについて

2010-07-17 | 日々雑感

人の勧めもあって、前から考えていたブログを始めたのは2か月前。このメディアの利用法にも少しずつ慣れてきて、新しいおもちゃを貰った子どものように楽しんでいる。

伝えたいことを電波で流すと、それがたちどころに地球上を駆け巡る。また、コメントや返信を書きたい人もそれが即可能で交流ができ、めまぐるしく動く現代にぴったりのメディアだ。

始めた時、ブログは匿名というか、ブログ名で行うのだと思っていた。なんだか、仮装舞踏会に出席するようで、新鮮味があった。

でも、書き手が誰だか分からないというのに疑問をもちはじめ、ちょっとネットを見てみたら、結構実名で書かれている人もいる。そのほうが自分もすっきりするので、これからは自分の名前を使うことにした。

♪~自分の名前ででています~♪ なんて唄がカラオケにあったなァー。それとも、「昔の名前で」だったでしょうか・・。



お日様は嬉しくて、ありがたい!

2010-07-16 | 日々雑感

毎日、毎日、暑い日が続く。雨も一月の間、ストックホルムでは1~2滴、降ったくらいだろうか。 

ストックホルムでは、大体、毎日30度前後で、日向では40度にもなる。日本とあまり変わらないのではないか。まあ、湿気は少ないという違いはあるが・・・。

こんな暑い毎日だが、スウエーデン人はそれが大好き。「わたしは神は信じないけど、太陽は信じるわ」、という人がいるくらいだ。

というわけで、街のど真中に、日光浴用のデッキチェアが出現した。写真の下半分がそれ。このチェアのおかげで、街に残っていても、少し時間があれば肌をこんがりと茶色に焼くことが 
できる。 




スウェーデン人にとっては、太陽光線はありがたく、大好きな存在だ。秋になると、10月あたりからだんだんと暗くなり、3月まで暗くて寒い毎日がずっーと続く。

北の方では、太陽が地上線から数週間も上がらなくなる。ストックホルムでも
5月に雪が降ることだってたまにある。

こんな状態が続くと、やがて春が来て、夏にもなるなんて絶対に信じられなくなる。

 




色素の少ない白い肌は、皮膚がんに罹りやすいことが話題になっているが、それでも、持続時間の長い日焼け止めクリームをたっぷりぬって日光浴にはげむ。

こんがりと焼けた肌は美しいという信仰は根強い。大体に、金髪で色白の人が多い社会では、濃い色の肌と髪が美しいとされる。

日本で金髪の西洋人形がもてるように、こちらでは真っ黒い髪で目の細い市松人形に惹かれる。

それに、夏に青白い顔をしていると、病気か、あるいは経済的に休暇に出かける余裕がない証しのようにとられる。「ないものねだり」か、「所変われば、品変わる」、あるいはその両方であろう。

もう一つ付け加えておきたいのは、日光が不足のため、一昔前にはクル病が国民病の一つであったことだ。そんな事情も、彼らの「太陽信仰」に関係しているのであろう。