種から育てた草木は、特別に可愛い。このボタンがその好例。
このあでやかな姿は中国の楊貴妃と、たとえられているのでは?
もしそうなら、「トンビが鷹を生んだ」とも言えますな~
種から育てた草木は、特別に可愛い。このボタンがその好例。
このあでやかな姿は中国の楊貴妃と、たとえられているのでは?
もしそうなら、「トンビが鷹を生んだ」とも言えますな~
ある日、庭で電話していて何気なく池の方を見ると、なんと、ヘビ様なものがくねくねと泳いでいるではないか!
そうか、あれが例の”Vattensnok”だと、すぐに思い当たった。日本名はヨーロッパヤマカガシというらしい。動物界脊索動物門爬虫綱有鱗目ナミヘビ科ユウダ属に分類されているヘビで、かなり一般的に生息し、成長すると全長2メートルにもなるとWikiに書いてある。
「繁殖形態は卵生で、1回に8-40個の卵を産む。繁殖に適した場所に複数のメスが卵を産むこともある」ともある。冗談じゃないよ、まったく~。
家の中にも遠慮なく出没
じつは、先週、Cヤンが一匹台所に入りこんでいるのを見つけたばかりだ。本人いわく「先祖代々、人類に備わっている強敵に対する防御本能が突然目覚め」、カナヅチを持ち出して、「ヒステリックにメッタ打ち」をしたそうだ。ヨーロッパにおけるヘビと人間の関係は、アダムとエヴァ以来、あまり良くない。あの長いのが出没すると、多くの人は恐怖と嫌悪感でおののく。
メッタ打ちにしているうちに、尻尾に当たったらしい。そうしたらヘビは身動きができなくなったとCヤンは新しい発見をした。そんなことは、テレビの自然番組でよくやっているけどナ~。
とにかく、Cヤンの死闘は続き、ヘビは頭をメッタ打ちにされて一応死んだ。とはいっても、その後いつまでも動いているらしい。死ぬ前は強敵に出合うと、「仰向けになって口を開け舌を出し、総排泄腔から臭い匂いを出す擬死行動を行う」のも、Cヤンは学習した。
とにかく、Cヤンにいわせれば、台所の半分は血の海で、悪臭で満ち満ちていた(大きな声ではいえないが、たまたま外出していて運がよかったわたし!)。
お隣のカリーナはもの知りで、マムシではなく、ヨーロッパヤマカガシだと判断した。彼女はその前に成長した1.5メートルくらいのを自宅の玄関先で見たという。やつらはどうやらこのあたりに棲みついていて、卵を産み繁殖しているようだ。そういえば、去年庭のオープン・コンポストの中ヘビらしきものの尻尾が消えていくのをわたしは見ている。コンポストはヘビが好む棲家であると、いま知った。困ったな~。コンポストは不可欠だから、細か目の網で包むしかないのか・・。
二匹目のヘビ
そして今週、二匹目が出現したわけだ。しかも、鯉がいる池の中で。鯉はかなり大きいけどサイズの大きい親ヘビにはかなわないかもしれない。
とにもかくにも、その時わたしは話し中の受話器を放り出して、網を取りに走った。それからヘビを探して水際をつつき始めたら、蛙がのんびり浮かんでいるのが見えた。それが突然、手足を四方八方にピンと広げたまま泳ぎ出したのだ。ヘンテコな泳ぎ方なので目を凝らして見ると、なんと、くだんのヘビは自分が追われていることを知らずにか、蛙のお尻の部分をしっかりと口にくわえ、泳いでいるではないか!
それをなんとか網ですくい上げた。地上に放り出されたヘビは、自分の危機がやっとわかったらしく蛙を離した。命拾いした蛙は大急ぎで草むらに消えていく。まえにも書いたが、蛙は庭のカタツムリをたべてくれる大切なお客さまだから、貴重な存在なのだ。
つぎにまた、Cヤンの活躍の場となった。例の「防御本能がまたまた目覚め」、手ごろな石を手にメッタ打ちがはじまった。臭いにおいを放つのは本当で、生存本能は人間だけに限らずじつにすさまじい。
しばらくして、まだ動いているヘビの死を確実にするために、Cヤンは台所用のハサミを持ちだして、なんと首をちょん切ったのだ。首を切るのはなにもサムライだけではないらしい。
脅威がひとを変える?
ふだんはかなり温厚なCヤンの狂気ぶりはなんだろうと考えた。やはり、ひとは脅威を感じた時には思い切った行動をとるからだろうか。人や動物を殺すのも脅威感からと説明できるのかも。自分が先に相手を殺らなければ、自分が殺られる。戦争がそうだし、森に住むオオカミが自分の子どもを襲ったら、と考えただけでぞっとし、先手をうって相手を殺してしまう。事実、オオカミは法律で守られているのだけど、よく殺されている。
ふだんは何も悪いことをしないオオカミを恐れ、惨殺する地方人間を、われわれ都会人間は嘲笑うけど、今回のヘビ事件で地方人間の行動がよく分かった気がした。つまり、究極的にはだれだって同じ人間なのだ。
ひとつ悩みの種ができた。それはカエルのような両生類や、トカゲなどの爬虫類同様、スウェーデンではヘビは法律で守られていて、捕獲は禁止、殺すことなど当然ご法度であることを、今回、Wikiで知ってしまったことだ。 池の鯉を心配し、家の中を這いまわっているのを想像するだけで、憎さが倍増するけど、法律では殺すことはできないのです。 ますます、オオカミが気になる地方人間に似てきたな~。
我が家のヘビ。チョン切られた頭はいつの間にかなくなっていた。
Wikipediaのヘビ。ちょっと違うような気がするけど。
浮草の上で休む蛙。
一月半も雨が降らなかったあと、かなり定期的に降りだした。すると、やはり出てきたのは庭の大敵ナメクジ。
姿かたちも気味悪いが、もっと悪いのは庭園中を食い荒らすことだ。とくにサラダや大根系の野菜がお好みだ。ルコラやホウレン草、中国菜はあまりお好きではない。野菜がないと他の花類をおあがりになる。
食べ方は、葉っぱのやわらかい所から始める。最初、葉にあちこち穴が開き始め、その穴がだんだんと大きくなり、最後には茎しか残らなくなり、その植物は一貫の終わりとなる。あちこち穴があき始めた段階では我々人間様もその野菜を食べる。その段階までは収穫を共有できるということだ。
あっ、かぼちゃの苗がない!
今年の恨みつらみNO.1は、まだ外が寒い時に、家の中で種をまいて大切に育てたかぼちゃの苗を食われたことだ。
葉が3枚になったので菜園に外植えした。何日か後、かぼちゃの葉っぱが全部なくなっていて、茎だけが残っているではないか。これで、今年のかぼちゃの収穫はなしとなる。それから種をまいていたのでは、間に合わないのだ。北欧の夏は短い。
憤懣やるかたないってのは、このようなことだろう。日本では、「外に出ると7人のテキがいる」というが、こちらでは、自宅の庭にごまんとテキがいる。
敵は、雨上がりか、夕方暗くなりだしてから姿を現す。のそりのそりと、何処からか這い出してきて、食事に向かうのを見つけると、ヨシッとばかり、ハサミをとりだし木靴を履いて戦闘準備を整える。
一番相手に苦しみを与えない退治の仕方(つまり殺すこと)は、ハサミで、頭部を切ること。こんな時は、ほんとうに生き物を殺しているのだという実感がある。仏教の教えに背く行為なのだ。
しかし、自分の野菜を限りなく提供するのも御免なので、ちょきんとハサミを使う。木靴で踏む時もある。いずれも残酷な行為で、庭仕事の中で一番いやなことでもある。
写真を見せます
下の写真にあるのは、俗にいう「殺し屋ナメクジ」で、スウェーデン語の名前、Spansk skogssnigelを、スペインヤマナメクジと訳しておこう(ラテン語ではArion vulgaris)。
まず、サイズがすごい。身長はゆうに10センチはある。それに、これが究極のすごさであるが、雑食で肉食もする。同類も含め、死骸を食べるのだ。生きているのも襲って食べるらしい。
これは何もこの種に限らず、殻のついたカタツムリも同じであるが、死んだ同胞に何匹もが食らいついている様子は、もう、表現の仕様がないほどおぞましい。おかげで、好物だったエスカルゴが食べられなくなった。
今年は雨が少なかったから、ナメクジは全滅しているだろうと淡い期待を抱いていたが、がっかりに終わった。
ゴキブリを根治する発明があったらノーベル賞ものだと、よく言われるが、誰かナメクジがこの世の中からいなくなる方法を考えてくれないかな~。
色はこのように薄い茶系から黒に近いものもある。デンマークで
見たのは、もっとでかくて派手なオレンジ色をしていた。
庭付きの家に住むまで、スウェーデンにいっぱいいるシカやウサギなどの野生の動物はかわいくて素敵だと思っていた。
ウサギは車の前をしょっちゅう走るし、シカにいたっては人間慣れしてしまって、よく家の前の道をとことこ歩いている。ちょっと見では、飼い主のいない犬と間違ってしまうほどだ
ところが、ところがである。かわいいはずの野生動物が、庭に花を植えるようになってからは、住まいの最大の敵となった。野ウサギの好きなのは、クロカスやチューリップ、シカの好物は菜園の野菜である。
春一番に咲くクロカスのつぼみが膨らむ頃、または開花直後、テキは早朝にやってきてきれいな部分を全部たいらげる。多分、毎日見回っていて、食べごろを狙っているのだろう。水をやり、肥料をやり、成長を楽しみにしている人間にとってはたまらない。
シカも負けずに、1メートルくらいの垣根などはひょいとのり越えて、庭から庭へとうまいものをのんびりと食べ歩く。大抵、2頭くらいで連なってグルメ日課をこなしているのを、窓から見る身はかなり悲しい。
だから今はかわいいバンビも、ぴょこぴょことひょうきんに跳ぶ野ウサギもだーい嫌い!
昨日は、とても良いお天気で、お隣のインゲラがタネを蒔いていた。「何をまいたの」ときくと、「シカの餌」だって!彼女くらい「自然の摂理」を理解していれば、シカもウサギもかわいいかも
ところで、勢いで「自然の摂理」と書いてしまった。「摂理」はgoo辞書によると「万象を支配している理法」である。「自然の摂理」は自然がそれを支配していることになる。
しかし、その自然を人間が支配しているのである。近郊の自然だけをみても、人間は森を切り開きどんどんと住宅地にし、道路を張りめぐらせている。
食べ物の採集地を失った動物たちは、森を出て住宅地にあさりにやってくる。すると、意外にもおいしいものを沢山育ててくれているのを発見する。それに、それまでこわいと思って用心していた人間たちは何も言わないし、脅しもしない。
野生動物が郊外でうろうろする理由はわかるが、それにしても悔しいので、ひそかにぱちんこ(チンジャラの機械ではなく、小石を飛ばすおもちゃ)を練習して、脅してやろうかと考えている。まさか、ここで空気銃を撃つわけにはいかないので。
それにしても気の毒なのは動物たち。まずは森を追われ、新しいえさ場を発見すれば、そこからも石もて追われる身なのである。