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22歳から92歳までの22人の移住者が、生のスウェーデンをそれぞれの立場から切り取った自分史。市井のサイドから書いた「虫の目スウェーデン論」としても読める。
著者は、初の日本食品店経営者、ウエイターから折り紙の一人者、画家、彫刻家、教師、コック、博物館勤務、主夫、学生、教師、ジャーナリスト、年金生活者などさまざま。
高度の社会福祉国家で、生活者としての多様な考え方や生活体験をふまえて、仕事、恋愛、結婚、離婚、子育て、教育問題、老後など、日本の常識が通じない異国で、どんなふうに考え奮闘してきたかを披歴している。
目次
二〇〇〇年代に渡瑞
スウェーデンとの「出会い」と「これから」 岡 こずえ
「森の幼稚園」 木村 仁美
新しい時間 荒瀬 響
まさかのスウェーデン 牧原 大二
一九九〇年代に渡瑞
幸せな社会なのだろうか フス 恵美子
人は人、私は私シンドローム たいこ
母と祖母の眠る場所 小牧 游
一九七〇年代に渡瑞
花の命 清原 澄子
異文化びっくり社会inわさびマヨネーズ 鳥本 範
私の息子、太陽 野平 伊佐男
スウェーデンと私―これまでとこれから 林 壮行
私のスウェーデン つれづれ 犬馬場 国晃
北欧との出会い 上條 寿文
スウェーデンで生活して考えた事柄 勝田オーロフソン豊
深層の方向探知機が作動し、我が道を往く 中林 ヘルグレン 富紀子
「さくらコーラス」 ムール 陽子
私の人生 中村 衛
一九六〇年代に渡瑞
私の毎日は日本語なしです 中原 幸夫
地の果てスウェーデンに「住み着く」の記 延岡 繁
その昔、「パンパン」と言われた 天葉 和歌子
二つの祖国、一つの人生 ビヤネール 多美子
一九五〇年代に渡瑞
スウェーデン人の横顔 田中 久
文中より
「小学校に入学のために準備するものは、ランドセルではなくて雨がっぱと長靴。さらに驚いたのは、通信簿がないこと」(牧原大二)
「大人が全員働く社会は日本人に受け入れられるだろうか」(フス恵美子)
「ママとおばあちゃんの遺骨は、日本から引っ越してきて、今はこちらの教会墓地で眠っています」(小牧游)
「父親とスウェ-デンで生まれた息子たちは、日本人を捨ててヨーロッパ人を選んだ女性を置き去りにして日本に帰ってしまった」(清原澄子)
「私は娘たちとの間に二つの課題を抱えていた。ひとつは娘が女であり、私が男であること。二つ目は、娘はスウェーデンに育ち、私は日本で育ったということである」(犬馬場国晃)
「市内にいい墓地を探してきたよ。あそこの共同墓地にダブルルームを頼んでおくから、急がないで残る人生を楽しんでから来てくれれば、ぼくもうれしい」(ビヤネール多美子)
「環境教育・野外教育にひかれてスウェーデンを留学先に選びました」(岡こずえ)
「両親の近くにいたいというたまらない思いをいつも抱えながら、それでもスウェーデンで自分をつくり続けていきたい」(荒瀬響)