これまでの「おやじ」の記事
去年の暮、わたしがまだ東京にいるとき、Cヤンからメールが入った。例のとなりのおやじが引っ越した、と書いてあたった。ウッソ!そんなはずはないだろう?いつまでも居残って隣人をいらいらさせるのではなかったの?
ところがそれは本当であった。お隣の郵便受けには、住所の他に4人のファーストネームが書いてある。苗字はなしだ。なんだかいい感じが伝わってくる。
わたしはまだ新しい隣人に会っていないが、Cヤンの話では、小さい子どもがいる若いカップルだ。ある夜、外へ出て驚いた。お隣の家のあらゆる窓から、こうこうと光があふれているではないか。我が家より部屋数が多いので、窓も多い。その窓全部に電灯がついていることなんて、おやじたちが住んでいた頃にはなかった。
おやじは自分でも言うようにケチだから、電気だって無駄に使わない(モチ、環境のためにはよい)。それで暗くなると、電灯がともっている部屋は、いつも一つか二つ。それも9時頃になると全部消えてしまう。就寝のためだろう。とにかく、年中薄暗かった。あまり暗いので、留守だろうと早合点した空き巣泥棒に二回も入られている。二回とも夫婦は地下の暗いテレビ室にいたらしい。ところがいまは毎晩こうこうとしていて存在感がある。
ああ~、よかった。おやじよ、新しいところで幸せにやってね。絶対に帰ってこないでよ!
まだ他にも引っ越しの人が・・
一両日まえ、だれかがドアをノックした。開けてみたら花が好きな隣人、Aさんであった。
なんと彼女たちも家を引き払って、アパートに引っ越しするのだという。それで小さいアパートには置くところがない、直径1メートルもある巨大サボテンを貰ってくれというのが用件であった。われわれもいずれ引っ越しするし、そんな巨大なサボテンと同居となると、多分、そばを通りかかるたびにひっかかれるだろう。
とにかく彼女はそのまま小一時間ほど話し込んでいった。このあたりは1970年頃から急速に開発された住宅地だ。それまでは、主に造園家が住み、売り物の樹木を育てていた。
しかし、ストックホルムの人口増加につれ、どんどんと家が建つようになった。街から20キロの距離だから、東京感覚だとかなり近い。
そうするうちに月日がたち、子どもが巣立ってしまうと、部屋数の多い一建家は大きすぎるようになる。冬は雪かき、秋は落ち葉かき、春夏は芝生と庭園の世話などなど、戸建ち住宅には仕事が多い。だから70年代から住んでいて年金生活者になった人たちが、庭仕事がなく部屋数の少ないアパートにどんどんと引っ越していく。
Aさん夫婦も例外ではない。とくにお連れ合いが病気がちで入院と退院を繰り返し、家の修理や庭仕事ができなくなったので、家や庭は荒れ放題だという。こちらは人件費が高いので、たいてい家のことは全部自分たちでやってしまう。台所や風呂場のリフォーム、屋根のふき替え、部屋の増築など、なんでもお茶の子の人が多い。
まだ元気なAさんは、さびしそうだった。お連れ合いは毎日15時間ほど寝る、生きる気力をなくしてしまって、死を待っているだけとと彼女は嘆いた。
やっと年金生活者になって、「毎日が日曜日」になったら、別の問題が待ち受けていたのだ。
あちこち旅行に行くつもりだったが、夫は一緒に行けない・・・。聞いていてなんだか悲しくなった。楽しいことは最後までとっておかないで、出来るときにさっさとやっとおくべきか。
子どもの頃、気に入りのおかずを先にたべるか、それとも残しておいて最後の楽しみにするかを議論したのを思い出した。
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