ぼちぼち スウェーデン

スウェーデンで見たこと、聞いたこと、考えたことを、同時代に生きるみなさまとシェアーを!

バスの乗客

2013-07-21 | 人々のくらし

ある昼過ぎ、街方面行きのバスに乗った。

朝夕のラッシュ以外の時間帯は、たいてい空いている。ラッシュ時でもほとんど座れるので、座れない東京などの大都市に行くと最初ちょっととまどう。

とにかく、前の方の席に決め、どっこいしょと座ったら、なんと自分の右側に毛色の変わった先客がふたり(?)座っていた。4人掛けの席で、向かい側は犬の飼い主らしい若いカップル。どうもこの4つ足の乗客、座席に座るのは初めてはないようで、慣れた様子だ。しばらくすると2匹とも居眠りを始めた。

ストックホルムのように小さい都市の郊外バスは、贅沢なサービスを提供できるのだ。

 


スウェーデン人が一番幸せな日

2013-06-22 | 人々のくらし

毎年、夏至に一番近い金曜日が、ミッドサマーの日となる。今年は6月21日であり、夏至の日でもあった。

この日はスウェーデン人が一年で一番幸せな日であると、ラジオでいっていた。

クリスマスとならんで、この日はスウェーデンの二大祭日なのである。

事実、この日が近づいてくると、人々は期待感でそわそわと落ち着かなくなる。

天気予報がこれほど関心をもたれるのは他に例をみない。

この日は統計的にはお天気が悪い日が多いそうである。

 

なんで、お天気がそんなに気になるのか?

この日は、長い冬、短い春をへてやっと待ち焦がれた夏の到来を象徴しているからだと思う。伝統的にヴァカンスの月である7月はもうすぐだし(多くの企業は4週間休業してしまう)、学校はすでに8月初旬までの長い夏休みに入っている。そんな状況下で、日が長い素敵な一日を、家族や親戚、友人たちと過ごすのである。

 一日中、外で過ごすのが理想的なので、天気が非常に気になる。この日、ゼッタイにないと困るのは、inlagd sill (ニシンのマリネ)数種、新じゃが、それにアクアヴィット(焼酎)。しめくくりはBBQで、庭で肉や魚、野菜などを炭火で焼いていただく。こんな日、雨など降ろうものならどうしようもなく、悲観主義になってしまう。今年は運がよいことに最高の一日となった。青い空の下で何百万人の人たちがミッドサマーの一日を過ごしたことだろう。

 村社会の伝統では、村の広場にメイ・ポールをたてて周りでダンスをして楽しむ。わたしは一昨年、イギリスからの訪問客と一緒にそのようなイベントを楽しんだ。その時の様子をブログに書いた(2011-07-22 ダーラナの夏至祭 http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=fc331a376e1399365dbd416d9bd1e8ce).

その日は、村の広場で一晩中踊り続けるが、隣村から若者がやってきて新しいカップルが生まれたりした。まあ、今は隣村だけではなく、外国からもやってくるようになっているが・・。日本にも盆踊りという似たような風習があったなあ。 

またその昔、未婚の女性がミッドサマーに夏の七草を枕の下において寝ると、夫になる人の夢を見るといわれた。

下の写真は庭で摘んだちょっとインチキな七草。

 

 

 


「スウェーデンのニッポン人」の紹介始まる!

2013-05-15 | メディア情報
出版に関する朗報が続く。
 
去年の暮に出版したエッセイ集、「スウェーデンのニッポン人」を本格的に紹介くださることとなったので、大喜びでここにも添付しておく。
 
記載先はJISS(社会法人スウエーデン社会研究所)所報のネット版である。シリーズとして月1回掲載されるので、続きをお楽しみに!
 
JISS社団法人スウェーデン社会研究所Bulletin of The Japan Institute of Scandinavian Studies

JISS所報

2013年3月31日発行 ・・・ 所報No.359

line

新シリーズ
「スウェーデンのニッポン人」(1)

スウェーデン社会研究所編集部から

最近、ノルディック出版から発刊された「スウェーデンのニッポン人」に登場する著者を所報で紹介することになりました。このシリーズのスタートに当たっては、同出版の発行人、レグランド塚口淑子さんと寄稿された方々の全面的なご協力があります。同書は、22歳から92歳までの22 人のスウェーデン移住者が、生のスウェーデンをそれぞれの立場から切り取った自分史。市井のサイドから書いた「虫の目スウェーデン論」としても読める。著者は、初の日本食品店経営者、ウエイタ―から折り紙の一人者、画家、彫刻家、教師、コック、博物館勤務、主夫、学生、ジャーナリスト、年金生活者など様々。高度の社会福祉国家で生活者としての多様な考え方や生活体験をふまえて、仕事、恋愛、結婚、離婚、子育て、教育問題、老後など、日本の常識が通じない異国で、どんな風に考え奮闘してきたかを披歴している。日本とスウェーデンの相互理解を深めるためにも必読の一書(案内文からの抜き書き).

 


田中 久

「スウェーデン人の横顔」 

 

(敬称略)田中 久(たなか ひさし)
プロフィール:1920年、東京生まれ。1956年に渡瑞。建築家。スウェーデンにて外国諸国の開発計画や日本市場対象に住宅建築開発の日瑞共同事業に従事。元大学講師。

 

 「スウェーデンの冬は、長く暗くて憂鬱な環境だが、春と夏が一度に訪れて来る初夏には、まるで別の国のように美しくて輝かしい大自然が展開する。ストックホルムの多島海や、ダ―ラナ地方(注(1))の緑の野山に拡げられた処女のごとく新鮮で魅力的な大自然の造型には、この国の住民でさえ、生きる喜びに息をのむ。人々は職場から、また建て込んだ街の住宅地から、太古以来のオリジナルな北欧の世界に帰り始める」――こんな書き出しから始まる田中さんのエッセイ。約5千3百字にわたる文中では、「休暇が仕事に先行する国として、1956年(注(2))に体験した建築設計図の取り扱いをめぐる、日本人の価値観との食い違いの逸話としてこんな一節を綴っている。

1956年の初夏、私が日本からストックホルムの工科大学の教授、二ルス・アルボムのアトリエを訪れたのは、彼が基本計画を終了した在東京スウェーデン大使館(注(3))の建築設計図を、日本の建築環境に順応するような正式な基本設計図として仕上げるために、彼の助手として一ヵ年の契約の下に來瑞したのである。また、その図面は、日本の名建築家前川国男氏(注(4))に一年後には渡され、実施設計図の制作が開始されるプロセスは、日瑞両国間ですでに決められていた。ところが、六月末に、前川先生がパリに用事が出来て来欧することになったが、そのついでに当地を訪れ、スウェーデン大使館のプロジェクトについて打ち合わせができないだろうか、という問い合わせが届いた。丁度事務所の連中も休暇の計画に、仕事の熱が薄れてきた頃だった。

しかし、これに対するアルボム教授の返信のコピーを見せられるまではあまり前川先生の都合は気にしなかった。「御來瑞の件を承りましたが、私はすでに休暇の計画を決めてしまいましたので、この次の機会にお目にかかりたいと思います・・・」と言う断り状のコピーを見せられて、事の意外な成り行きに驚いたのである。ビジネスファーストを行動原理としている日本社会で育てられた私には理解し難い教授の心理である。

前川先生は世界的な建築家で、教授より名声を博している存在である。その先生が遥々日本から教授の制作に協力する為に時間をかけて打ち合わせに来られるのに、その好意を無視して休暇の為に会議を断るとは、なんという失礼な、しかも冷淡なに仕打ちであろう・・・、と私は厳しく教授を批判し、「休暇を先に延ばすくらい、なんら重要な障がいではないではないか・・・、なんという思いやりのない人格であろうと教授の理性に関してさえ、私はその健全性を疑いだした。

しかしながら、ストックホルムに住みついて、土地の人間の心理が次第に理解できるようになってきた頃、私の教授に関する判断が完全に間違っていた事に気が付いたのである。そして私の思慮の浅さ加減、あまりにも単純な人格批判に深く恥じ入ったのである。

日本の社会における価値観はまさにビジネスファースト一辺倒であり、仕事のためにプライバシーを犠牲にするのは、議論の余地の全くない、当然の動機であると信じていたのだ。プライバシーの世界で゛自然との対話゛に過ごす時間が本当の人生を生きる時であり、仕事に費やす時間とは比較にならない程貴重な時間であるという真理に気が付く迄、数ヶ月の日時を要したのである。休暇中の自然との対話のプロセスに必要な海辺の別荘、ヨットやモーターボート等は、男女の区別なくスウェーデン人が必要とする生活必需品として、バイキングの頃から所有しているものである、という真理を悟る事が出来た。

また、スウェーデンの日常生活としては、戸惑いの事例を交えて紹介している。

スウェーデン人が現在確立しているデモクラティックな社会に基本的に存在するのは、他でもない赤の他人に対する人間的な配慮が動機になっている事は明白である。

男女平等をはじめ、すべての平等の精神は、スウェーデンが世界に文化国家に先駆けて最も早く開発した国であると信じられている。

その具体的な例として、ストックホルムの市バス構造は日本風のそれと比較して対照的なデザインである。老人、子どもまたは身体障がい者に対する配慮として、車椅子、乳母車、歩行補助車等の使用のため、車体の中ほどにある乗車口の床高は、停車時には歩道から十センチ位まで機械的に下げられる。これらの乗車賃は無料である。

男女平等が正に一般化され、サラリーマンも年間最低五週間の休暇または男性にも育児休暇が与えられるので、隣同士のパパが仲良く乳母車を押してバスに乗っている光景も日本人には珍しい見ものである。また、鉄道、地下鉄の駅におけるエレベーター、エスカレーターの設備は既に数十年前から設置されている点、日本とは比較にならない実績である。

しかし社会福祉の問題は未解決の政治課題として残されているのは、スウェーデンも日本と同様である。例えば、高齢者介護の状況は、日本ではスウェーデンのそれは典型的な理想郷として紹介されているようであるが、現実の高齢者介護の環境は種々ネガティブな問題に当面していて、度々、新聞種になっているのが真相である。現在の高齢者介護施設で働いている看護師の平均年齢は高く、それらの残り少ない労働力が消えてしまえば、そのあとを継ぐ若いジュネレーションはこの分野には期待できないという将来の見通しが常識になっている。魅力的でない労働条件や、低い給料等が若い人達に嫌われる原因である。ある民間企業が経営する複数の施設では、夜間にはドアに鍵がかけられ、当直の職員もいない状況や、オシメ等消耗品の極端な節約対策とともに、スキャンダルとしてメディアで報道されている。

しかし一般の自宅の孤独な環境に生きながらえている高齢者にとって真にありがたいのは、電話による介護システムが機能している事である。勿論、この組織は高齢者だけを対象としているわけでなく、全ての市民の健康管理のため福祉政策の一環として確立しているのである。

高齢者に良くある症状だが、夜中や明けがたに急に胃が痛くなったりして目が覚める事がある。ネガティブな連想に愈々眼が冴えてくる。この様な心細い瞬間に電話で320100を呼び出す。二分から十分位で看護師が受け、まずこちらの国民番号(注(5))を聞いてくる。国民番号がスウェーデン人としての背番号である。その番号をインターネットに打ち込めば、私の既往症は全部どこの病院で診られたものであるかもすべて看護師の手元に表示されるので、それを基準に私の現在の症状を聞いて理想的な対応処置を指示してくれる。万一、重症と判断すれば救急車の手配も出来てしまう訳である。勿論すべての情報提供の費用は電話料金だけですむ。

国民番号を一般化するのは、個人のプライバシーの侵害であると考える向きもあるが、その効用、すなわちこの番号で身分証明書不要のまま、各種の事務が銀行・病院等公共の機関で可能となるので、種々の手続きに必要な身分証明書作成に手間を要する現在の日本の制度と比較すれば、その利用価値の大きい事は理解出来る。

このように男女平等をめぐる諸問題や高齢者ケア、そして日本でも導入をめぐって論議されている国民番号制の先進国としての利便性を指摘しているほか、建築家として日瑞間の住宅・環境問題にも専門家ならではの提言をしている。

 

編集部補筆 注(1) 南北350キロメートル、東西160キロメートル。約6200の湖、森に囲まれた古くからの伝統を守っている地域。ダ―ナラ木彫り馬、高品質の銅産地で知られる。その色はスウェーデンの伝統カラ―のひとつ、ファ―ルンレッド。ストックホルム市議会のカーテン、絨毯にも使われており、日本ではベンガラ色と呼ばれている。

また、文中の自然環境に関するものにアレマンスレッテンAllemansrättenと言われる 自然享受権がある。これは古くからある慣習法。憲法で保障されている。但し、鳥獣の狩猟は含まれておらず、また、今は個人の権利とされ、団体には認められたものではないという新たなガイドラインが付け加えられている。

(2)1956年。スウェーデン現代政治史(ステイーグ・ハデニウス著、木下淑恵、秋朝礼恵訳、早稲田出版部)によれば、この前後の1946年から1959年代は「冷戦の陰の繁栄」とされる。戦後史年表によると、1945年は世界大戦が終了し、P.A、ハンソン首相はこれまでの救国挙国・一致連合政権を解消し、首相が属する社民党が単独政権となる。46年にはT.エランゲルが後任首相。47年には初の女性閣僚が誕生。社会関係では55年に自動車の右側通行への切り替えで国民投票実施、67年には自動車交通は右側通行として実施。この間の63年には年間4週間の有給休暇が実施。

(3)現在の大使館は1991年に竣工。東京・城山ガ―デンの一角にある。

(4)1905-86年。新潟県生まれ。2005年にはモダニズムの生誕100年とする展示会が催しされた。代表作に1961年竣工の東京・上野駅前にある東京文化会館をはじめ、都美術館、紀伊國屋書店、神奈川県立図書館・音楽堂などを手掛けている。

(5)10桁の数字からなる背番号を記入したIDカード。1947年に背番号PINが導入され、氏名、住所、管理教区、本籍地、出生地、国籍、婚姻関係、家族関係、所得税賦課税、本人・家族の所得税、本人・家族の課税対象資金、保有する居住用不動産、評価額など記載。

 

Copyright (C) Bulletin of The Japan Institute of Scandinavian Studies All Rights Reserved.
 
 

「スウェーデン・モデルは有効か」の韓国語訳なる!

2013-05-14 | わたしの仕事

丁度一年前、「スウェーデン・モデルは有効か―持続可能な社会へむけて」を出版した。

それがいま、韓国語訳がソウルで出版された。ISBN978-89-93985-93-1 出版社はImagine社。タイトルはじめ、384ページ全文、ハングルがならんでいるのは見事だけど、各論文の末尾にある文献欄以外は解読できないのはしかたがないというところか。

翻訳へのイニシアティヴをとってくださった宋先生によると、韓国はこれまで経済面で「追いつけ、追い越せ」で懸命だったけれど、これからは社会福祉充実の時代である。それで「福祉先輩国」のスウェーデンをとりあげた日本語版を訳してくださったのだ。

 

下に表紙裏表と本文の一部を貼り付ける。

 表紙

 

  

表紙 裏 残念ながら折角のハングルが読みにくい

 

 

本文 

 

 

原書はこちら

 

 

 表紙 裏

  

 


大陽の島からごあいさつ

2013-03-06 | 旅行・食べある記

くたくたで気が滅入る毎日。必要なのは環境を変えること。

ストックホルムからはるばる6時間飛行機にのってやってきたのはカナリー諸島の一つテネリッフェ島。月曜日は風が吹荒れ大雨という天候でびっくりしたが、今日水曜日は暑いくらいの天候に回復した。

なんという植物天国!

バナナ農園。ここのバナナは小ぶりだが数が多い。

碧い海とさんさんと輝く太陽。スウェーデン人の夢見るこの世の天国。今週はわたしの天国でもある。

スペインで一番高いというのテイデ゛山。それが大西洋に浮かぶ島にあるというのはご愛嬌。噴火山なので富士山に似ている。標高3,718メートル。

 


「となりのおやじ」エピローグ

2013-02-25 | 人々のくらし

                                                              おやじの記事の最終版 2013-01-15

                                                       となりのおやじは本当に引っ越していった!

 

となりのおやじの家を売った周旋屋さんと話す機会を得た。

それで、いままで分からなかった事柄がかなり明白となり、大いに好奇心を満足させることができた。まず、かなり高い売値となり、おやじは大金を手にした。しかし、その金をどこに使ったか?おどろくなかれ、円に換算5千万以上の大金を、なんと新築のアパート(日本ではマンションという)につぎ込んだという。周旋屋さんはうす笑いしながら教えてくれた。かなりアホだと思っていることを隠さずに。

そのアパートは我々の住むテービィ市の中心地にある。そこにはスウェーデン最大とか、北欧一とかのインドア・ショッピングセンターに隣接している。買い物には便利だが、それにしても売り金全部をつぎ込む価値があるかはうたがわしい。というのも周りに中古のアパートがいっぱいあり、それらはうんと格安だし、そんなに悪くないからだ。

いったいに新築の価格は高めで、しかも月々の管理費もまた高い。なにを好んでアホをしたのか、おやじ!こんなことわざが南欧にあると誰かが教えてくれたのを思い出した。

 「家を建てて1年目は敵に住まわせなさい。2年目は親友に住んでもらいなさい。3年目に自分が住みなさい」

意味は建ててすぐは、庭は整っていないし、建材からは有毒ガスなども発生する。その時期が過ぎると、親友が気をつけてきれいに住んでくれ、住まいを快適なものに整えてくれるということらしい。

もちろん、新品はきれいなので、好きな人はいっぱいいる。となりのおやじも同類だったらしい。わたしはアホだと思うけど・・。

ケチなおやじたちは、新築された1974~5年から全然改装をしていないので、買い手はさらに改装費に1千万円は必要だろうと周旋屋は言った。30~40年も改装しないなんて考えられない。さすが「となりのおやじさん」! 

 

 居住面積が283平方で、部屋が8つ必要な理由

次に、新しい隣人について。前に郵便受けにファーストネームが4つあるだけだったと書いたが、その理由がわかったのだ。移り住んできたカップルはおのおの再婚(再々婚?)で、新しいパートナーと生活をしている親子4人である。しかし、過去につくった子どもがいっぱいいて、その子たちは例のごとく別れた両親の間を1週間ごとに行き来するので、たくさんの部屋を必要とするのだ。

どうりで家中、こうこうと電気がつくはずだ。苗字も多分たくさんあるのだと思う。だから小さな郵便受けに書ききれないのではないだろうか。前に4つの苗字をもつ複合家族のことを書いたことがあるが(拙書『女たちのスウェーデン』2006年)、多分、この隣人家族もそうなのであろう。

寒い冬の間は隣人ともあまり顔を合わさないが、暖かくなると毎日のごとくその機会がふえる。どんな隣人かいまから楽しみにしている。

 

 

 

 


「コールガール」はどこにいる?

2013-02-08 | 書きとめておきたい事など

 この世の中には、とてつもないおっちょこちょい、ドジ、偏見と思いこみが強い、KY(空気が読めない)人がいる。幸か不幸か、わたしもそういう人間の種類にはいる。そのおかげでしょっちゅう、遭わないでもよい出来事に遭遇する。

その中でも自分ながらも傑作すぎるというケースを書きとめておきたい。とは言え、これを読む人全部が学習して同じような失敗はしないとは思わない。ドジな人はドジであり、自分で経験して始めてわかるのだから・・。

もう大分前のことである。70年~80年代だったと思う。

その頃わたしは、ストックホルムでガイドや通訳をしていた。当時、ガイド仲間でとり沙汰されていたのは、一流のSホテルのバーに夜な夜な出没するというコールガールのことであった。ある日、仕事が終わってから、やはりガイド仲間のMさんを誘って、くだんのSホテルに出かけて行った。

どのような女性たちなのか、一目見てみたい一心であった。すてきなインテリアのバーをゆっくりぐるっと一周する。女性は誰もいない。

あっ、ひょっとしたら2階ではなく、1階の方なのかもと、わたしたちは時間をかけならが1階と2階にあるバーを順繰りに偵察して回った。

バーには背広にネクタイのビジネスマンらしい男性がかなりの数で、静かにお酒を飲んでいるが、女性はひとりもいない。段々と焦りを感じた。

「噂はウソだったのか?」。時間だけがどんどんと経ち、焦りがはげしくなっていく。

何度も何度もあたりをウロウロしていたので、バーに腰かけている男性たちは、遠慮のない目でわたしたちを見だした。それ以前はそっと目立たない目でちらりと見ていたのであるが、それがいつの間にか意味あり目つきに変わっていた。その頃になった始めて、わたしたちこそが、探している「コールガール」ではないのかと気がついた。

考えてみれが、同行のMさんは小柄で一重まぶたの目じりがすっと上向きで、ちょっとした「東洋の美女」系だ。私もまだ若く、そんなふたりが飲み物をとるわけでもなく、男性のまわりをウロウロ、ウロウロしているのだから、誤解を招くのは当然だろう。それに気付いてから、ほうほうのていで逃げ出した。

あとから考えると、きっと時間が早すぎたのだ。まだ、夕方だった。多分、彼女たちが出没するのはもっと遅い時間だったのだろうと思う。とにかく、自分はそうでないと思いこんで、とん馬な行いをするなんて信じられない。それから何十年もたっているいまなら、もっと早く分かっただろうか。疑問である。

 

 


お墓のはなし

2013-02-08 | 人々のくらし

 毎年、冬至が過ぎると、お日様が顔を出す日が増えてきてありがたい。日光なしの生活が続くと、モグラになったような気がしてゆううつになる。

ある日、さんさんと日が照ってきて、ちょっとびっくりした。そのような日には、お気に入りコースの散歩をするにかぎる。それで、いつもの墓地公園へ向かった。 

お墓にはなぜか惹かれる。その様相は所在地や年代によって、スウェーデン国内でもかなりヴァリーエションがある。たとえば海に近いと、墓石に船長や航海士というふうな職名が刻まれている。

 また、こちらでは「先祖代々の墓」というのはあまり見かけないが、この間、「家族の墓」というのを見た。「家族の墓」と刻まれた墓石には、5~7くらいのファースト・ネームだけが気ままにちらばっている。性別は分かるがそれ以外の記録、いつ生まれ、いつ亡くなったかなどは、なにも分からない。その家族の苗字も一つなのか、それとも複数なのかも分からない。

しかし、その墓石からは何人かの人々が合意のうえ一緒に仲良く眠っているようにみえて、ほほえましく思った。最後にファースト・ネームだけをもつ個人として、好きな人たちと一緒に眠るなんて悪くない。 個人の意思がより尊重される現代社会にふさわしいのだろう。

ようするに墓場にはその社会を知る材料がいっぱい転がっているのである。墓場でりっぱに「社会学」ができるのだ。

 

  土葬の場に出くわす

 話をお天気のよかった日に戻す。

散策道を車道に向かって歩いていたら、むこうから黒塗りのクルマを先頭にし、次に聖書をもった牧師さんが続き、そのまた後ろに人がぞろぞろと歩いてくるではないか。めずらしい光景なので、何じゃらほいと目をこらす。それは土葬用の墓場に向かう人の群れであった。ちょっと前、教会の鐘がカランカランとなっていたのは、お葬式がすんだという合図だったのかと思い当たった。 

黒塗りの車が前を通りすぎるとき、中にお棺が納められており、上に花輪が飾られてあるのが見えた。そういえば通り過ぎていく人たちの多くが、それぞれ一輪の花を手にしていた。お棺が土に埋まる前に、最後のお別れをするためであろう。

最近は火葬がほとんでであるようだが、土葬も可能である。少し広めの面積がとられている一角が用意されてある。

 

 

 

 

参列者は20人に足りないようだ。亡くなられたのは、高齢の方であろうと思った。若ければ職場関係の方や、その他、友人が多く来るので、もっと人数は多かっただろう。それにお葬式は平日であった。ふつうは出来るだけ多くが参列できるように、週末に行われることが多い。だから葬式は亡くなってから何週間もたってから行われる。 

ところでわたしの数年来の悩みは、土葬にするか、それとも火葬が希望なのか決められないことだ。考えてもご覧、棺桶の中で突然、意識をとり戻したとする。その時、ごうごうと燃える灼熱の地獄なのか、それとも、みみずが横に這っていてまわりは土だらけ、呼吸も思うままにならない状態なのか・・。どちらがより“まし“か、なかなか、決められない。あなたならどちらを選ぶ?

 

 


出版記念会

2013-01-21 | イベント

   

「スウェーデンのニッポン人」の出版を記念して、1月12日の土曜日、ちょっとした集まりをもった。

 

  

 

主意は22名の執筆者の労をねぎらうことにあった。結果としては11名の執筆者の他に、家族や友人・知人たちがかけつけてくれ、総数30名強となった。

司会の林壮行さん

  

 出席の執筆者は自己紹介をする。

 田中久さんは執筆者中、最高年齢の92歳で我々の希望の星!長生きしてくださいね。

   

 日本語よりスウエーデン語の方がしゃべりやすい中原幸夫さん。

  

 巧みな話術で笑いを誘う藤川陽子ムールさん。

  

 熱心に聞き入る。まだ食事前です。

  

 

 

 用意された軽食は寿司など日本食。

 

   

渡邊芳樹・直子駐瑞大使ご夫妻も休日なのに出席くださった。びっくりしたのはその徹底したプロ意識。なんと前もって会場(ストックホルム日本人高齢者組織、シルバー会の会場をお借りした)の確認に来られていた。

初めての分かりにくい場所だと思われたから。ふつうなら(わたしなら)ちょっと迷って遅くなっても「すみませ~ん」で済ませていただろう。見習わなければ・・。

 

 最後まで残っていた人たちだけで、記念撮影。ピンボケだけど記念写真としての値打ちはあるでしょう?

 

 和やかでうちとけた集まりとなった思っているのは、主催者のひとりよがりか?

 

 


となりのおやじは本当に引っ越していった!

2013-01-15 | 人々のくらし

                           これまでの「おやじ」の記事

                          となりのおやじ ― ストックホルム郊外の近所付き合い                

                                       となりのおやじが引っ越す

                          秋が来たけど、となりのおやじは?

 

去年の暮、わたしがまだ東京にいるとき、Cヤンからメールが入った。例のとなりのおやじが引っ越した、と書いてあたった。ウッソ!そんなはずはないだろう?いつまでも居残って隣人をいらいらさせるのではなかったの?

ところがそれは本当であった。お隣の郵便受けには、住所の他に4人のファーストネームが書いてある。苗字はなしだ。なんだかいい感じが伝わってくる。

わたしはまだ新しい隣人に会っていないが、Cヤンの話では、小さい子どもがいる若いカップルだ。ある夜、外へ出て驚いた。お隣の家のあらゆる窓から、こうこうと光があふれているではないか。我が家より部屋数が多いので、窓も多い。その窓全部に電灯がついていることなんて、おやじたちが住んでいた頃にはなかった。

おやじは自分でも言うようにケチだから、電気だって無駄に使わない(モチ、環境のためにはよい)。それで暗くなると、電灯がともっている部屋は、いつも一つか二つ。それも9時頃になると全部消えてしまう。就寝のためだろう。とにかく、年中薄暗かった。あまり暗いので、留守だろうと早合点した空き巣泥棒に二回も入られている。二回とも夫婦は地下の暗いテレビ室にいたらしい。ところがいまは毎晩こうこうとしていて存在感がある。

ああ~、よかった。おやじよ、新しいところで幸せにやってね。絶対に帰ってこないでよ!

 

まだ他にも引っ越しの人が・・

一両日まえ、だれかがドアをノックした。開けてみたら花が好きな隣人、Aさんであった。

なんと彼女たちも家を引き払って、アパートに引っ越しするのだという。それで小さいアパートには置くところがない、直径1メートルもある巨大サボテンを貰ってくれというのが用件であった。われわれもいずれ引っ越しするし、そんな巨大なサボテンと同居となると、多分、そばを通りかかるたびにひっかかれるだろう。

とにかく彼女はそのまま小一時間ほど話し込んでいった。このあたりは1970年頃から急速に開発された住宅地だ。それまでは、主に造園家が住み、売り物の樹木を育てていた。

しかし、ストックホルムの人口増加につれ、どんどんと家が建つようになった。街から20キロの距離だから、東京感覚だとかなり近い。

そうするうちに月日がたち、子どもが巣立ってしまうと、部屋数の多い一建家は大きすぎるようになる。冬は雪かき、秋は落ち葉かき、春夏は芝生と庭園の世話などなど、戸建ち住宅には仕事が多い。だから70年代から住んでいて年金生活者になった人たちが、庭仕事がなく部屋数の少ないアパートにどんどんと引っ越していく。

Aさん夫婦も例外ではない。とくにお連れ合いが病気がちで入院と退院を繰り返し、家の修理や庭仕事ができなくなったので、家や庭は荒れ放題だという。こちらは人件費が高いので、たいてい家のことは全部自分たちでやってしまう。台所や風呂場のリフォーム、屋根のふき替え、部屋の増築など、なんでもお茶の子の人が多い。

まだ元気なAさんは、さびしそうだった。お連れ合いは毎日15時間ほど寝る、生きる気力をなくしてしまって、死を待っているだけとと彼女は嘆いた。

やっと年金生活者になって、「毎日が日曜日」になったら、別の問題が待ち受けていたのだ。

あちこち旅行に行くつもりだったが、夫は一緒に行けない・・・。聞いていてなんだか悲しくなった。楽しいことは最後までとっておかないで、出来るときにさっさとやっとおくべきか。

子どもの頃、気に入りのおかずを先にたべるか、それとも残しておいて最後の楽しみにするかを議論したのを思い出した。