ぼちぼち スウェーデン

スウェーデンで見たこと、聞いたこと、考えたことを、同時代に生きるみなさまとシェアーを!

170歳の誕生日パーティー

2010-06-15 | イベント
 

 先日、170歳を祝うT家のパーティーに招待された。
Qさんが90歳、N子さんが80歳で、合計170歳となる。

Qさん、N子さん夫妻は、1950年代から当地に在住だ。いってみれば、日本人移住者のパイオニア的存在である。渡瑞の理由は、建築家のQさんが在日スウェーデン大使館の設計を依頼されたからだ(現在ある大使館の建て替え前の建物)。

スウェーデンに来られて、Qさんは建築についての考え方の違いに大いに驚かれた。こちらでは一つの建物を美しく作るだけではなく、周囲との調和を考えるのも建築家の仕事なのだ。道理で、ヨーロッパのどこへいっても、街の建物が整然と美しく並んでいるはずだ

自然を含め、まわりと調和のとれた街並は、そこに住む住民や社会全体のことを考えて計画されているからだと私も思う。それが市民社会なのだと、結論つけてしまうのは、ちょっと飛躍しすぎかな?

ここでQさんに話を戻そう。彼はそこで、「目からうろこ」を経験し、そこでマクロの視点で社会の中に位置付けられている建築学を学ぼうと決心した。こちらの建築科で学び直し、仕事を得、月日がたった。
  

 プレゼントは一切お断り 
 
パーティーには、プレゼントは一切お断りで、よかったら「国境なき医師団」に寄付金を送ってくれと招待状に書いてあった。モノがあふれている昨今、なかなか賢明なお金の使い方だ。

それで、これなら違反にならないだろうと、ちょうど庭で花をつけているすずらんを束ねて持っていった。

街はずれの緑地地帯にある素敵なレストランで、海に続く庭に面した別室が会場だ。
まず食前酒としてドリンクを、緑がいっぱいのお庭で、海を見ながら楽しんだ

ご夫妻の息子さんやお孫さんたち、昔の仕事仲間、個人的な友人など、沢山の招待客でいっぱいだった。このために、日本から駆け付けた人もいた。

じつに色々な人が集まっていて、服装もさまざまだ。背広にネクタイや、瀟洒な絹の装い、あるいは訪問着なども見られたが、二ール・ヤング並みのチェックのシャツを着た人もいた。それぞれが自分の好きな格好をして、一堂に会し、またとないパーテイーを楽しんだ。

この種の集まりの良い点は、色々な人と知り合いになれることだ。
また、旧交を温めるにも絶好の機会ともなる。私も、何人もの素敵な人と知り合いになれたし、東京の知人(日本人)の知人(スウーデン人)にも久しぶりに会えて、話がはずんだ。 

食事は最高、おしゃべりに忙しくしている間に、時間がたってしまった。あっという間だ ご夫妻はそのまま、レストランに併設されているホテルにお泊りとのこと。

われわれはライラックの匂いでいっぱいの、海沿いの散歩道を街まで歩いた。
こころとお腹が、目いっぱいあたたまった楽しい集まりであった。

大散財してくださったT さんご夫妻、ありがとう  好天気を用意してくれた神サマ、ありがとう




ラーシュ・ヴィルクス (Lars Vilks 彫刻家、作家)

2010-06-07 | 時の人

目下のところ、ヨーロッパではアラブ系住民やムスリムの排斥気運が高いが、ラーシュ・ヴィルクスは、スウェーデンでそれの一環として注目を浴びている人物。 

ことの起こりは、2005年に隣国のデンマークの一地方日刊紙が、イスラム教預言者ムハンマドの一連の風刺画を掲載したことにある。風刺画は、イスラム教とテロ行為の関連性を暗示するものもあり、イスラム諸国を刺激した。 

その後、スウェーデンを含む他の多くの国が、風刺画を自国で転載した。それにつれ、イスラム諸国での抗議はエスカレートしていった。デンマーク商品の不買運動ボイコットならびに外交問題に発展していき、大使館などに放火があり、抗議デモで死者がでたりした。  

(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%89%E9%A2%A8%E5%88%BA%E6%BC%AB%E7%94%BB%E6%8E%B2%E8%BC%89%E5%95%8F%E9%A1%8C) 
 

  スウェーデン人も時流に乗る 

スウェーデンの一地方紙にラーシュ・ヴィルクスの描いた風刺画が掲載されたのも、この2007年頃だ。イスラム教の預言者聖なる予言者ムハンマドを犬にたとえた風刺画もあり、それが特に抗議の対象となった。イスラム社会では犬は忌み嫌われる動物であり、信奉者の多いムハンマドをそれになぞらえる作品に悪意を見出したのだ。

アラブ諸国からの抗議の声はますます高くなったが、ヴィルクスの風刺画を掲載した新聞社ならびにメディアは、表現の自由を理由にヴィルクスを擁護した。

(スウェーデン語) http://sv.wikipedia.org/wiki/Muhammedbilden_i_Nerikes_Allehanda
(
英語)http://en.wikipedia.org/wiki/Lars_Vilks_Muhammad_drawings_controversy 


  
 ヴィルクスの過去 

ここで興味深いのは、ヴィルクスの過去である。彼は事前にもメディアの注目を浴びたことがある。1980年に、彼は自然保護地の海岸に流木を使った足場のようなものを作り始めた。ヴィルクスによると、それは芸術作品であるが、当局は不法行為とし撤回を要求し、裁判となった。 

騒ぎは数年間続いたが、その間メデイアは裁判の成り行きや、ヴィルクスの言動を詳しく報道したので、人々の関心も高まり、当時、年間数万人が足場の悪い道をたどって現場を見に訪れた。ヴィルクスは長い間、メディアの寵児であったのだ。

 ヴィルクスは本まで書いて自分の行為を擁護した。ちなみにそれは日本語にまで翻訳されている(「ニミスとアルクス」瀬口巴訳 プリミティヴ プレン プレス 1999年)。 

 
 また脚光を浴びたい?

 騒ぎから多くの月日が流れ、世間は「変わり者」のことを忘れ去った。

筆者の勘ぐりであるが、ヴィルクスはメディアの寵児であった時代が忘れられなく、ムハンマド風刺画騒ぎを利用し、再度、脚光を浴びようとしたのではないか。 目立ちたい人は、どこにでもいるものだ。 

風刺画のおかげで、思惑通り(?)ヴィルクスは再び脚光を浴び始めた。脅迫状などだけではなく、彼の住まいも襲われた。「家と命をこれで守る」と斧をもってポーズをとるヴィルクスの表情は、怖がってはいず、むしろ得意万満面であった。 

今年の5月、ヴィルクスはウプサラ大学で「芸術と表現の自由」について講演をおこなった。その時、ムハンマドと彼の娘婿の面をつけた男性二人の性行為の映像をみせた。それを見て激昂した聴衆の一人がヴィルクスに頭突きを食らわせ、またまた、メディアはにぎわった。

この時も、メディアやオピニオンリーダーたちは、ヴィルクス擁護・「暴力行為」批判という姿勢をとったのである。  

 
  言論の自由か、差別か

 ここでヴィルクスに関するWikipedia のスウェーデン語版と英語版を見比べてほしい。 

(スウェーデン語) http://sv.wikipedia.org/wiki/Lars_Vilks
(英語)  http://en.wikipedia.org/wiki/Lars_Vilks 

英語版では、ヴィルクスが有名になるきっかけをつくった流木の作品のことを、大きく写真入りで取り上げているが、スウェーデン語版ではごく小さい扱いで、しかも芸術論にリンクされている。スウェーデン語版をみる限り、ヴィルクスの過去は分からない。

不思議なことに、新聞もラジオなどのメディアはそのことについて一言も触れないのである。 メディアの一貫した姿勢は、あくまでも「言論に自由」を守ることであり、恐るべきテログループ、アルカイダなどを「内包」するイスラム諸国からの暴力に毅然と立ち向かうというものだ。

もしメディアがヴィルクスの過去の行為を少しでも報道していたら、世論に与える影響力は違っていたと思う。

若い人はともかくも、世間を長い間騒がせたヴィルクスの「彫刻騒ぎ」を覚えている人は多いはずだが、沈黙を守っているのは何故か。 「言論の自由」という旗印をかかげ、西欧社会は正しく、イスラム社会は悪という隠れた世界観がメディアにあり、それを暗に世論が支えているようにしか思えない。かなり気になる傾向である。

 

 


目に入れても痛くない花

2010-06-05 | 花便り



このボタンは10年くらい前に、近くの庭園から拾ってきた種から育てました。
種を植えてから45年目で花をつけはじめ、大した手入れもしないのに、毎年、機嫌よく咲いて楽しませてくれます。もう、大自慢で、可愛くてしようがありません。

芽が出て10センチくらいに育った夏のある日、Cヤンが芝刈り機で刈り取ってしまいました。その時は、「あれほど気をつけるように言ったのに、無神経なヤツ・・」と本気で離婚を考えたいわくつきの花です。

信じられないことに、次の年にはちゃんと芽を出したので、私は大喜び。Cヤンは首がつながって喜んだのだろうか

 

ちょっとクローズアップ!すごいでしょう
 

「究極の美」ですね~。直径15センチはあります。なにしろお皿より大きいのだから。
それに匂いがすごい。ヘタな香水は全然お呼びでないです。  

もう、姿といい、匂いといい、至福の1週間です。「花の命は短い」のが何よりも残念! 

「成人」すると2メーター位になります。その大きさで、花を満杯につけているのを想像してみてください。
多分、天国にだってこんな素晴らしい花はないと思うよ。