ここ2,3日、ぽかぽかと暖かく夏の名残りを楽しんだ。でも今日は一日中雨で、温度は13度。季節のページがめくられて完全に秋となったようだ。
この季節になるといつもヴェルレーヌの詩が頭の隅に登場する。むかしはこれを原語で覚えていて、秋になるとそのうつくしい響きを楽しんでいたのだが、いまは日本語でも心もとない。
秋の日のヴィオロンの
ためいきの
身にしみて うら悲し
鐘のおとに 胸ふたぎ
色かへて 涙ぐむ
過ぎし日の おもひでや
げにわれは うらぶれて
ここかしこ さだめなく
とび散らふ 落葉かな
「秋の歌(落葉)」上田敏訳
夏が過ぎ去ったのはたしかに惜しい。とはいえ、秋の到来はやるせないけど、何となく落ち着きも感じる。その感覚が何となく居心地よいのは不思議だ。
週に数回、クルマでジムに通う。自分の足を使って周りを散歩なりジョギングなりだけをする方が環境にもよいと思うけど、そうはいかないのがつらいところ。
これもあまり大きい声で言いたくないが、クルマをひとりで使うのはかなり楽しい。好きな音楽を好きなボリュームで楽しめるので、すごくリラックスできる。
ジムの帰り、たまたまラジオから流れてきたのはThe Amimals の House of the Rising Sun. エリック・バードンのちょっとハスキーなボイスと電気オルガンの掛け合いがなんともいえない。家に着いてしまったけど曲を最後まで聴いた。秋の気分にひたり、ちょっとセンチになっていたといえる。
ところがクルマから出ると、となりのおやじが庭でごそごそしている音が聞こえるではないか。一瞬にして現実の世界に引き戻された。どこまでも癪の種になるおやじだ、まったくもぅ~。
この(クソ)おやじ、引っ越してくれると喜んでいたが(ブログ8月25日)、どうやら居残るつもりらしい。
彼の家は8月末に競売にかけられ、売値額429万クローナから始まった。しかし、始まってみると大した盛り上がりをみせず、少し高い437万クローナ(4千9百万円弱)で落ち着いた。こちとらはそれをちゃんとインターネットでフォローしている。
競売時、場合によってはどんどんと売値がつりあがっていき、途方もない金額になる場合もある。気に入った不動産を見つけると、どうしても自分のものにしたくて、みんな必死になってしまう。これは一種のヒステリーだろう。今住んでいる家は、偶然と幸運が重なり、すんなりと買えてしまった。家がけっこう気に入っていたので、アダム・スミスには関係ないけど「神の見えざる手」に導かれて、などと喜んだものだ。それまでは見つけた家が価格競争になり、どれも負けるという全敗状態が続いていたのだ。
この夏、素敵なセカンドハウスが手頃な価格で売り出されていたので興味をもったが、なんとこの家、元値の1・5倍近くにまでつりあがった。最後の最後まで8人の人たちが争ったのだ。まあ、こんな例は少ないほうだけど。
ついでにいっておくと、こちらでは中古の家の価格はあまり下がらない。都市部では逆に価値があがっていく。へたに銀行に貯金するより、不動産を買った方が効果的である。
となりの家に話を戻すと、どうやらおやじは売るつもりはなさそうだ。この強欲おやじ、最終金額に不満で機会をあらため、また春にでも競売にかけるつもりらしい。 インフレ率は知らないが、40年間延々と住み続けた家の額面価格は、1974年に建てたときの少なくとも4倍にはなっているはず。多分もっとだろうから、税金を払っても財布には厚みのある金額が残るでしょう、おやじさん!
こうして時々、となりのおやじの悪口を書いてきたが、おやじが日本語を勉強してわたしのブログを読みはじめたら、彼はこれは起訴ものだと思うかもしれない。訴えるのが好きそうだから・・(ブログ2010-08-06)。
考えてみると、別に日本語が読めなくてもGoogle translationで読めてしまう(時々、へんてこになるけど)。パキスタン人のFさんはそうして私のブログを読んでくれていて、トルコ旅行のこともちゃんと知っていた。訴えるなら、今回は市役所ではなくて名誉棄損だから裁判所かな。