ぼちぼち スウェーデン

スウェーデンで見たこと、聞いたこと、考えたことを、同時代に生きるみなさまとシェアーを!

バスの乗客

2013-07-21 | 人々のくらし

ある昼過ぎ、街方面行きのバスに乗った。

朝夕のラッシュ以外の時間帯は、たいてい空いている。ラッシュ時でもほとんど座れるので、座れない東京などの大都市に行くと最初ちょっととまどう。

とにかく、前の方の席に決め、どっこいしょと座ったら、なんと自分の右側に毛色の変わった先客がふたり(?)座っていた。4人掛けの席で、向かい側は犬の飼い主らしい若いカップル。どうもこの4つ足の乗客、座席に座るのは初めてはないようで、慣れた様子だ。しばらくすると2匹とも居眠りを始めた。

ストックホルムのように小さい都市の郊外バスは、贅沢なサービスを提供できるのだ。

 


スウェーデン人が一番幸せな日

2013-06-22 | 人々のくらし

毎年、夏至に一番近い金曜日が、ミッドサマーの日となる。今年は6月21日であり、夏至の日でもあった。

この日はスウェーデン人が一年で一番幸せな日であると、ラジオでいっていた。

クリスマスとならんで、この日はスウェーデンの二大祭日なのである。

事実、この日が近づいてくると、人々は期待感でそわそわと落ち着かなくなる。

天気予報がこれほど関心をもたれるのは他に例をみない。

この日は統計的にはお天気が悪い日が多いそうである。

 

なんで、お天気がそんなに気になるのか?

この日は、長い冬、短い春をへてやっと待ち焦がれた夏の到来を象徴しているからだと思う。伝統的にヴァカンスの月である7月はもうすぐだし(多くの企業は4週間休業してしまう)、学校はすでに8月初旬までの長い夏休みに入っている。そんな状況下で、日が長い素敵な一日を、家族や親戚、友人たちと過ごすのである。

 一日中、外で過ごすのが理想的なので、天気が非常に気になる。この日、ゼッタイにないと困るのは、inlagd sill (ニシンのマリネ)数種、新じゃが、それにアクアヴィット(焼酎)。しめくくりはBBQで、庭で肉や魚、野菜などを炭火で焼いていただく。こんな日、雨など降ろうものならどうしようもなく、悲観主義になってしまう。今年は運がよいことに最高の一日となった。青い空の下で何百万人の人たちがミッドサマーの一日を過ごしたことだろう。

 村社会の伝統では、村の広場にメイ・ポールをたてて周りでダンスをして楽しむ。わたしは一昨年、イギリスからの訪問客と一緒にそのようなイベントを楽しんだ。その時の様子をブログに書いた(2011-07-22 ダーラナの夏至祭 http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=fc331a376e1399365dbd416d9bd1e8ce).

その日は、村の広場で一晩中踊り続けるが、隣村から若者がやってきて新しいカップルが生まれたりした。まあ、今は隣村だけではなく、外国からもやってくるようになっているが・・。日本にも盆踊りという似たような風習があったなあ。 

またその昔、未婚の女性がミッドサマーに夏の七草を枕の下において寝ると、夫になる人の夢を見るといわれた。

下の写真は庭で摘んだちょっとインチキな七草。

 

 

 


「となりのおやじ」エピローグ

2013-02-25 | 人々のくらし

                                                              おやじの記事の最終版 2013-01-15

                                                       となりのおやじは本当に引っ越していった!

 

となりのおやじの家を売った周旋屋さんと話す機会を得た。

それで、いままで分からなかった事柄がかなり明白となり、大いに好奇心を満足させることができた。まず、かなり高い売値となり、おやじは大金を手にした。しかし、その金をどこに使ったか?おどろくなかれ、円に換算5千万以上の大金を、なんと新築のアパート(日本ではマンションという)につぎ込んだという。周旋屋さんはうす笑いしながら教えてくれた。かなりアホだと思っていることを隠さずに。

そのアパートは我々の住むテービィ市の中心地にある。そこにはスウェーデン最大とか、北欧一とかのインドア・ショッピングセンターに隣接している。買い物には便利だが、それにしても売り金全部をつぎ込む価値があるかはうたがわしい。というのも周りに中古のアパートがいっぱいあり、それらはうんと格安だし、そんなに悪くないからだ。

いったいに新築の価格は高めで、しかも月々の管理費もまた高い。なにを好んでアホをしたのか、おやじ!こんなことわざが南欧にあると誰かが教えてくれたのを思い出した。

 「家を建てて1年目は敵に住まわせなさい。2年目は親友に住んでもらいなさい。3年目に自分が住みなさい」

意味は建ててすぐは、庭は整っていないし、建材からは有毒ガスなども発生する。その時期が過ぎると、親友が気をつけてきれいに住んでくれ、住まいを快適なものに整えてくれるということらしい。

もちろん、新品はきれいなので、好きな人はいっぱいいる。となりのおやじも同類だったらしい。わたしはアホだと思うけど・・。

ケチなおやじたちは、新築された1974~5年から全然改装をしていないので、買い手はさらに改装費に1千万円は必要だろうと周旋屋は言った。30~40年も改装しないなんて考えられない。さすが「となりのおやじさん」! 

 

 居住面積が283平方で、部屋が8つ必要な理由

次に、新しい隣人について。前に郵便受けにファーストネームが4つあるだけだったと書いたが、その理由がわかったのだ。移り住んできたカップルはおのおの再婚(再々婚?)で、新しいパートナーと生活をしている親子4人である。しかし、過去につくった子どもがいっぱいいて、その子たちは例のごとく別れた両親の間を1週間ごとに行き来するので、たくさんの部屋を必要とするのだ。

どうりで家中、こうこうと電気がつくはずだ。苗字も多分たくさんあるのだと思う。だから小さな郵便受けに書ききれないのではないだろうか。前に4つの苗字をもつ複合家族のことを書いたことがあるが(拙書『女たちのスウェーデン』2006年)、多分、この隣人家族もそうなのであろう。

寒い冬の間は隣人ともあまり顔を合わさないが、暖かくなると毎日のごとくその機会がふえる。どんな隣人かいまから楽しみにしている。

 

 

 

 


お墓のはなし

2013-02-08 | 人々のくらし

 毎年、冬至が過ぎると、お日様が顔を出す日が増えてきてありがたい。日光なしの生活が続くと、モグラになったような気がしてゆううつになる。

ある日、さんさんと日が照ってきて、ちょっとびっくりした。そのような日には、お気に入りコースの散歩をするにかぎる。それで、いつもの墓地公園へ向かった。 

お墓にはなぜか惹かれる。その様相は所在地や年代によって、スウェーデン国内でもかなりヴァリーエションがある。たとえば海に近いと、墓石に船長や航海士というふうな職名が刻まれている。

 また、こちらでは「先祖代々の墓」というのはあまり見かけないが、この間、「家族の墓」というのを見た。「家族の墓」と刻まれた墓石には、5~7くらいのファースト・ネームだけが気ままにちらばっている。性別は分かるがそれ以外の記録、いつ生まれ、いつ亡くなったかなどは、なにも分からない。その家族の苗字も一つなのか、それとも複数なのかも分からない。

しかし、その墓石からは何人かの人々が合意のうえ一緒に仲良く眠っているようにみえて、ほほえましく思った。最後にファースト・ネームだけをもつ個人として、好きな人たちと一緒に眠るなんて悪くない。 個人の意思がより尊重される現代社会にふさわしいのだろう。

ようするに墓場にはその社会を知る材料がいっぱい転がっているのである。墓場でりっぱに「社会学」ができるのだ。

 

  土葬の場に出くわす

 話をお天気のよかった日に戻す。

散策道を車道に向かって歩いていたら、むこうから黒塗りのクルマを先頭にし、次に聖書をもった牧師さんが続き、そのまた後ろに人がぞろぞろと歩いてくるではないか。めずらしい光景なので、何じゃらほいと目をこらす。それは土葬用の墓場に向かう人の群れであった。ちょっと前、教会の鐘がカランカランとなっていたのは、お葬式がすんだという合図だったのかと思い当たった。 

黒塗りの車が前を通りすぎるとき、中にお棺が納められており、上に花輪が飾られてあるのが見えた。そういえば通り過ぎていく人たちの多くが、それぞれ一輪の花を手にしていた。お棺が土に埋まる前に、最後のお別れをするためであろう。

最近は火葬がほとんでであるようだが、土葬も可能である。少し広めの面積がとられている一角が用意されてある。

 

 

 

 

参列者は20人に足りないようだ。亡くなられたのは、高齢の方であろうと思った。若ければ職場関係の方や、その他、友人が多く来るので、もっと人数は多かっただろう。それにお葬式は平日であった。ふつうは出来るだけ多くが参列できるように、週末に行われることが多い。だから葬式は亡くなってから何週間もたってから行われる。 

ところでわたしの数年来の悩みは、土葬にするか、それとも火葬が希望なのか決められないことだ。考えてもご覧、棺桶の中で突然、意識をとり戻したとする。その時、ごうごうと燃える灼熱の地獄なのか、それとも、みみずが横に這っていてまわりは土だらけ、呼吸も思うままにならない状態なのか・・。どちらがより“まし“か、なかなか、決められない。あなたならどちらを選ぶ?

 

 


となりのおやじは本当に引っ越していった!

2013-01-15 | 人々のくらし

                           これまでの「おやじ」の記事

                          となりのおやじ ― ストックホルム郊外の近所付き合い                

                                       となりのおやじが引っ越す

                          秋が来たけど、となりのおやじは?

 

去年の暮、わたしがまだ東京にいるとき、Cヤンからメールが入った。例のとなりのおやじが引っ越した、と書いてあたった。ウッソ!そんなはずはないだろう?いつまでも居残って隣人をいらいらさせるのではなかったの?

ところがそれは本当であった。お隣の郵便受けには、住所の他に4人のファーストネームが書いてある。苗字はなしだ。なんだかいい感じが伝わってくる。

わたしはまだ新しい隣人に会っていないが、Cヤンの話では、小さい子どもがいる若いカップルだ。ある夜、外へ出て驚いた。お隣の家のあらゆる窓から、こうこうと光があふれているではないか。我が家より部屋数が多いので、窓も多い。その窓全部に電灯がついていることなんて、おやじたちが住んでいた頃にはなかった。

おやじは自分でも言うようにケチだから、電気だって無駄に使わない(モチ、環境のためにはよい)。それで暗くなると、電灯がともっている部屋は、いつも一つか二つ。それも9時頃になると全部消えてしまう。就寝のためだろう。とにかく、年中薄暗かった。あまり暗いので、留守だろうと早合点した空き巣泥棒に二回も入られている。二回とも夫婦は地下の暗いテレビ室にいたらしい。ところがいまは毎晩こうこうとしていて存在感がある。

ああ~、よかった。おやじよ、新しいところで幸せにやってね。絶対に帰ってこないでよ!

 

まだ他にも引っ越しの人が・・

一両日まえ、だれかがドアをノックした。開けてみたら花が好きな隣人、Aさんであった。

なんと彼女たちも家を引き払って、アパートに引っ越しするのだという。それで小さいアパートには置くところがない、直径1メートルもある巨大サボテンを貰ってくれというのが用件であった。われわれもいずれ引っ越しするし、そんな巨大なサボテンと同居となると、多分、そばを通りかかるたびにひっかかれるだろう。

とにかく彼女はそのまま小一時間ほど話し込んでいった。このあたりは1970年頃から急速に開発された住宅地だ。それまでは、主に造園家が住み、売り物の樹木を育てていた。

しかし、ストックホルムの人口増加につれ、どんどんと家が建つようになった。街から20キロの距離だから、東京感覚だとかなり近い。

そうするうちに月日がたち、子どもが巣立ってしまうと、部屋数の多い一建家は大きすぎるようになる。冬は雪かき、秋は落ち葉かき、春夏は芝生と庭園の世話などなど、戸建ち住宅には仕事が多い。だから70年代から住んでいて年金生活者になった人たちが、庭仕事がなく部屋数の少ないアパートにどんどんと引っ越していく。

Aさん夫婦も例外ではない。とくにお連れ合いが病気がちで入院と退院を繰り返し、家の修理や庭仕事ができなくなったので、家や庭は荒れ放題だという。こちらは人件費が高いので、たいてい家のことは全部自分たちでやってしまう。台所や風呂場のリフォーム、屋根のふき替え、部屋の増築など、なんでもお茶の子の人が多い。

まだ元気なAさんは、さびしそうだった。お連れ合いは毎日15時間ほど寝る、生きる気力をなくしてしまって、死を待っているだけとと彼女は嘆いた。

やっと年金生活者になって、「毎日が日曜日」になったら、別の問題が待ち受けていたのだ。

あちこち旅行に行くつもりだったが、夫は一緒に行けない・・・。聞いていてなんだか悲しくなった。楽しいことは最後までとっておかないで、出来るときにさっさとやっとおくべきか。

子どもの頃、気に入りのおかずを先にたべるか、それとも残しておいて最後の楽しみにするかを議論したのを思い出した。

 


スウェーデンのお墓

2012-11-04 | 人々のくらし

今週末はスウェーデンのお盆にあたる。

親族の墓石を掃除し、針葉樹が主材料の花輪を飾り、長時間持続のローソクをともす。

暗くなってから墓地に行くと無数のローソクの灯がきれいだ。

ついでだが、こちらには「たましい」は墓場にいない。空気が乾燥しているためであろうか。

日本式の先祖代々の墓は、昔はあったと思うが、人の移動が激しくなるとともに、核家族が家族体系の主流となった。家族の墓というと、たいてい夫婦と未婚の子どもが入っている場合が多い。

ついでにいうと、こちらでは苗字に関係なく同じお墓に一緒に入れる。いつか街中のある教会墓地であった女性は自分の一人娘のお墓に花を供えに来ていた。そのお墓には娘さんのイギリス人の夫、それに一番最後に亡くなった女性のおつれあいが入っておられた。小さな墓石には4名の名前が彫られるようになっていて、最後の空白が私の場所よ、とその彼女は言って涙した。一人きりになってさびしいのでよくお墓を訪れるのだそうだ。人の絆には苗字は全然関係ないようだ。

もう少し付け加えると、埋葬の仕方には3種類ある。一番、一般的なのは火葬、つまり故人の骨のつぼを墓石のしたに埋める方法であり、次が遺体をそのまま葬る土葬がある。Wさんはこの第二の方法を選ばれた。3つ目は無名の墓に葬られることである。これについては前に書いているので参考にされたい。(ブログ2011-08-18, 近所のWさんが亡くなった)、(ブログ2011-08-23, ミンネス・ルンドで泣いた人)。

 

 

 近所にある公園墓地の一般的なお墓

  

  左 寿命5ヶ月にしかならなかった赤ちゃんのお墓 この辺りには幼児の墓が集中的にある

 

 墓地権

日刊紙DN(11月2日)によると、国籍や宗教に関係なくスウェーデンに登録されている人は全員、墓場をもつ権利があるそうだ。経費は税金で賄わるれ、葬られてから25年無料で墓場を維持できる。複数の人が入る場合は最後の人が入ったときから25年間の墓地権と計算されるそうだ。その期間が過ぎると、地方によって異なるが、有料あるいは無料で15~25年間の墓地権が更新される。

時期が過ぎても遺族による更新の申し出でがない場合は、場所は新しい人の手にわたる。取り払われた墓石は粉砕機にかけられ再使用される。

更新率はこれも地方によって差がある。ストックホルムの場合は66%が更新される。3分の1の墓石の寿命が一世代25年で終わるのだ。しかし、ずっと北にある地方都市ルレオ(Luleå)での更新率は90%である。

 


痴漢よけに輸入したら?

2012-11-01 | 人々のくらし

新刊書の入稿が終わりやっと一息。

スウェーデン在住の日本人が書いたエッセー集、

「スウェーデンのニッポン人―人がその地に求めたもの」

個人史、同時代史、比較文化論、スウェーデン論、日本人論など、色々な読み方ができる。

発売は12月。詳細は追って連絡します。乞うご期待!

 

ところですごいブーツを近所のバス停でみかけた。

 

日本にまだ痴漢とかがいるのなら、これは必殺の武器になるでしょう!

触ってみたけど、本当に痛いですよ。高校生なら制服とセットにして「制靴」としたらよいと思うけど・・。

 

 


秋が来たけど、となりのおやじは?

2012-09-15 | 人々のくらし

ここ2,3日、ぽかぽかと暖かく夏の名残りを楽しんだ。でも今日は一日中雨で、温度は13度。季節のページがめくられて完全に秋となったようだ。

 この季節になるといつもヴェルレーヌの詩が頭の隅に登場する。むかしはこれを原語で覚えていて、秋になるとそのうつくしい響きを楽しんでいたのだが、いまは日本語でも心もとない。 

   秋の日のヴィオロンの
  ためいきの
  身にしみて うら悲し

  鐘のおとに 胸ふたぎ
  色かへて 涙ぐむ
  過ぎし日の おもひでや

  げにわれは うらぶれて
  ここかしこ さだめなく
  とび散らふ 落葉かな

    「秋の歌(落葉)」上田敏訳

 

夏が過ぎ去ったのはたしかに惜しい。とはいえ、秋の到来はやるせないけど、何となく落ち着きも感じる。その感覚が何となく居心地よいのは不思議だ。

週に数回、クルマでジムに通う。自分の足を使って周りを散歩なりジョギングなりだけをする方が環境にもよいと思うけど、そうはいかないのがつらいところ。

これもあまり大きい声で言いたくないが、クルマをひとりで使うのはかなり楽しい。好きな音楽を好きなボリュームで楽しめるので、すごくリラックスできる。

ジムの帰り、たまたまラジオから流れてきたのはThe Amimals の House of the Rising Sun. エリック・バードンのちょっとハスキーなボイスと電気オルガンの掛け合いがなんともいえない。家に着いてしまったけど曲を最後まで聴いた。秋の気分にひたり、ちょっとセンチになっていたといえる。

 ところがクルマから出ると、となりのおやじが庭でごそごそしている音が聞こえるではないか。一瞬にして現実の世界に引き戻された。どこまでも癪の種になるおやじだ、まったくもぅ~。

この(クソ)おやじ、引っ越してくれると喜んでいたが(ブログ8月25日)、どうやら居残るつもりらしい。

彼の家は8月末に競売にかけられ、売値額429万クローナから始まった。しかし、始まってみると大した盛り上がりをみせず、少し高い437万クローナ(4千9百万円弱)で落ち着いた。こちとらはそれをちゃんとインターネットでフォローしている。

競売時、場合によってはどんどんと売値がつりあがっていき、途方もない金額になる場合もある。気に入った不動産を見つけると、どうしても自分のものにしたくて、みんな必死になってしまう。これは一種のヒステリーだろう。今住んでいる家は、偶然と幸運が重なり、すんなりと買えてしまった。家がけっこう気に入っていたので、アダム・スミスには関係ないけど「神の見えざる手」に導かれて、などと喜んだものだ。それまでは見つけた家が価格競争になり、どれも負けるという全敗状態が続いていたのだ。

この夏、素敵なセカンドハウスが手頃な価格で売り出されていたので興味をもったが、なんとこの家、元値の1・5倍近くにまでつりあがった。最後の最後まで8人の人たちが争ったのだ。まあ、こんな例は少ないほうだけど。

ついでにいっておくと、こちらでは中古の家の価格はあまり下がらない。都市部では逆に価値があがっていく。へたに銀行に貯金するより、不動産を買った方が効果的である。

となりの家に話を戻すと、どうやらおやじは売るつもりはなさそうだ。この強欲おやじ、最終金額に不満で機会をあらため、また春にでも競売にかけるつもりらしい。 インフレ率は知らないが、40年間延々と住み続けた家の額面価格は、1974年に建てたときの少なくとも4倍にはなっているはず。多分もっとだろうから、税金を払っても財布には厚みのある金額が残るでしょう、おやじさん!

こうして時々、となりのおやじの悪口を書いてきたが、おやじが日本語を勉強してわたしのブログを読みはじめたら、彼はこれは起訴ものだと思うかもしれない。訴えるのが好きそうだから・・(ブログ2010-08-06)。

考えてみると、別に日本語が読めなくてもGoogle translationで読めてしまう(時々、へんてこになるけど)。パキスタン人のFさんはそうして私のブログを読んでくれていて、トルコ旅行のこともちゃんと知っていた。訴えるなら、今回は市役所ではなくて名誉棄損だから裁判所かな。

 

  

 


となりのおやじが引っ越す

2012-08-25 | 人々のくらし

 

快挙!となりの(クソ)おやじが引っ越すのを知った!

ある日、おやじの家にこんなものが付いているのを見つけた。

 

 

 

この看板は、家の売却を担当する不動産会社のサインだ。日を決めて、家が一般公開されるという意味もある。興味のある者は、だれでもそのときには家の内外を見ることができる。

おやじの家は、明日の日曜日の午後に公開される。翌日の月曜日の夕方にもう一度見る機会がある。そして、購入希望者による入札がはじまり、最高価格を付けたものが入手するシステムだ。

家を探している人は、ネットで全国を検索できる(たとえばhttp://www.hemnet.se/)。一軒建てだけではなく、アパート(マンション)、別荘、農場、住まいならなんでもありだ。ネットでかなり詳しい情報を得ることができる。興味のある方はおやじの家をご覧ください。写真では、なんだか実物よりきれいに写っているが・・

http://www.jagholm.se/objekt/alla.aspx?crumb_item=3

上をクリックして出てくる画像の一番上の欄の真ん中がそれ。さらに家の写真をクリックすると内部もみられる。他に間どりその他、細部情報の記載がある。

明日と明後日は家を見来る人たちの車がずらっと道路に並ぶだろう。おやじがいなくなるのは嬉しいが、どんな人が替わりに入ってくるのか、ちょっと気になる。まあ、おやじより「怪物度」がたかい人間はあまりいないだろうから、その点は安心していいかも。

 

参考: 以前の記事2010-08-06 「となりのおやじ ― ストックホルム郊外の近所付き合い」

http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=db5320b3b72c0ec4fece5340f348ca86

 

 


他人の森に入る権利

2012-08-01 | 人々のくらし

 アッレマンスレッテン (allemansrätten)

昨日書いたように、なぜ外国からたくさんの人がスウェーデンにやってきて森でベリーを採集できるのか、ちょっと説明が必要であろう。

アッレマンスレッテンは、スウェーデンに古くからある慣習法で、誰でも他人の所有する土地に自由に出入りでき、そこでテントを張ったり、キノコやベリーなどを採集できる権利を保証している。それを日本語では「自然享受権」というらしい(Wiki.)。

もちろん、常識・良識をはたらかせ、住まいがあればその邪魔をしないように心がけるべきだし、森を荒らしたり、ゴミをすてたりもしないのは当然のこととされている。

詳しくは自然保護庁のホームページに出ているので下をクリックされたい。http://www.naturvardsverket.se/sv/Start/Friluftsliv/Allemansratten/

 

この法の骨子は、自然の素晴らしさを享受できる権利を誰にでも、旅行者にまで提供していることだ。我々にとって素晴らしくありがたい法である。

しかし、この習慣法ができてから月日が経ち、社会は大きく変貌した。自宅用に必要なベリーなどの採集に近所の森に入るのがこの法ができた頃の常識であった。しかし、現状はもっと複雑だ。昨日書いたように集団で長期間テントで寝泊りをすると、ゴミがでるし、森が荒れる。たとえばベリー摘みに来た人たちが引き揚げたあとは、地元のコミューン(自治体)が掃除をしなければならず、かなりの費用がかかる。それに、ときには村で盗難事件なども発生する。

また、旅行会社が渓流をゴムボートでくだるグループ・ツアーなどを計画し、他人の森に入り込んであたりを荒らすので少し前に大問題となった。

このすばらしい個人を対象とする習慣法を、ビジネスに利用(悪用というべきか)する傾向がでているのである。法は環境法の一環として多少修正されているが、市民の権利を制約することなく、どの程度まで具体的に明文化できるかは、これから取り組むべかなり微妙で難しい課題であると思う。