ぼちぼち スウェーデン

スウェーデンで見たこと、聞いたこと、考えたことを、同時代に生きるみなさまとシェアーを!

「スウェーデンのニッポン人」の紹介始まる!

2013-05-15 | メディア情報
出版に関する朗報が続く。
 
去年の暮に出版したエッセイ集、「スウェーデンのニッポン人」を本格的に紹介くださることとなったので、大喜びでここにも添付しておく。
 
記載先はJISS(社会法人スウエーデン社会研究所)所報のネット版である。シリーズとして月1回掲載されるので、続きをお楽しみに!
 
JISS社団法人スウェーデン社会研究所Bulletin of The Japan Institute of Scandinavian Studies

JISS所報

2013年3月31日発行 ・・・ 所報No.359

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新シリーズ
「スウェーデンのニッポン人」(1)

スウェーデン社会研究所編集部から

最近、ノルディック出版から発刊された「スウェーデンのニッポン人」に登場する著者を所報で紹介することになりました。このシリーズのスタートに当たっては、同出版の発行人、レグランド塚口淑子さんと寄稿された方々の全面的なご協力があります。同書は、22歳から92歳までの22 人のスウェーデン移住者が、生のスウェーデンをそれぞれの立場から切り取った自分史。市井のサイドから書いた「虫の目スウェーデン論」としても読める。著者は、初の日本食品店経営者、ウエイタ―から折り紙の一人者、画家、彫刻家、教師、コック、博物館勤務、主夫、学生、ジャーナリスト、年金生活者など様々。高度の社会福祉国家で生活者としての多様な考え方や生活体験をふまえて、仕事、恋愛、結婚、離婚、子育て、教育問題、老後など、日本の常識が通じない異国で、どんな風に考え奮闘してきたかを披歴している。日本とスウェーデンの相互理解を深めるためにも必読の一書(案内文からの抜き書き).

 


田中 久

「スウェーデン人の横顔」 

 

(敬称略)田中 久(たなか ひさし)
プロフィール:1920年、東京生まれ。1956年に渡瑞。建築家。スウェーデンにて外国諸国の開発計画や日本市場対象に住宅建築開発の日瑞共同事業に従事。元大学講師。

 

 「スウェーデンの冬は、長く暗くて憂鬱な環境だが、春と夏が一度に訪れて来る初夏には、まるで別の国のように美しくて輝かしい大自然が展開する。ストックホルムの多島海や、ダ―ラナ地方(注(1))の緑の野山に拡げられた処女のごとく新鮮で魅力的な大自然の造型には、この国の住民でさえ、生きる喜びに息をのむ。人々は職場から、また建て込んだ街の住宅地から、太古以来のオリジナルな北欧の世界に帰り始める」――こんな書き出しから始まる田中さんのエッセイ。約5千3百字にわたる文中では、「休暇が仕事に先行する国として、1956年(注(2))に体験した建築設計図の取り扱いをめぐる、日本人の価値観との食い違いの逸話としてこんな一節を綴っている。

1956年の初夏、私が日本からストックホルムの工科大学の教授、二ルス・アルボムのアトリエを訪れたのは、彼が基本計画を終了した在東京スウェーデン大使館(注(3))の建築設計図を、日本の建築環境に順応するような正式な基本設計図として仕上げるために、彼の助手として一ヵ年の契約の下に來瑞したのである。また、その図面は、日本の名建築家前川国男氏(注(4))に一年後には渡され、実施設計図の制作が開始されるプロセスは、日瑞両国間ですでに決められていた。ところが、六月末に、前川先生がパリに用事が出来て来欧することになったが、そのついでに当地を訪れ、スウェーデン大使館のプロジェクトについて打ち合わせができないだろうか、という問い合わせが届いた。丁度事務所の連中も休暇の計画に、仕事の熱が薄れてきた頃だった。

しかし、これに対するアルボム教授の返信のコピーを見せられるまではあまり前川先生の都合は気にしなかった。「御來瑞の件を承りましたが、私はすでに休暇の計画を決めてしまいましたので、この次の機会にお目にかかりたいと思います・・・」と言う断り状のコピーを見せられて、事の意外な成り行きに驚いたのである。ビジネスファーストを行動原理としている日本社会で育てられた私には理解し難い教授の心理である。

前川先生は世界的な建築家で、教授より名声を博している存在である。その先生が遥々日本から教授の制作に協力する為に時間をかけて打ち合わせに来られるのに、その好意を無視して休暇の為に会議を断るとは、なんという失礼な、しかも冷淡なに仕打ちであろう・・・、と私は厳しく教授を批判し、「休暇を先に延ばすくらい、なんら重要な障がいではないではないか・・・、なんという思いやりのない人格であろうと教授の理性に関してさえ、私はその健全性を疑いだした。

しかしながら、ストックホルムに住みついて、土地の人間の心理が次第に理解できるようになってきた頃、私の教授に関する判断が完全に間違っていた事に気が付いたのである。そして私の思慮の浅さ加減、あまりにも単純な人格批判に深く恥じ入ったのである。

日本の社会における価値観はまさにビジネスファースト一辺倒であり、仕事のためにプライバシーを犠牲にするのは、議論の余地の全くない、当然の動機であると信じていたのだ。プライバシーの世界で゛自然との対話゛に過ごす時間が本当の人生を生きる時であり、仕事に費やす時間とは比較にならない程貴重な時間であるという真理に気が付く迄、数ヶ月の日時を要したのである。休暇中の自然との対話のプロセスに必要な海辺の別荘、ヨットやモーターボート等は、男女の区別なくスウェーデン人が必要とする生活必需品として、バイキングの頃から所有しているものである、という真理を悟る事が出来た。

また、スウェーデンの日常生活としては、戸惑いの事例を交えて紹介している。

スウェーデン人が現在確立しているデモクラティックな社会に基本的に存在するのは、他でもない赤の他人に対する人間的な配慮が動機になっている事は明白である。

男女平等をはじめ、すべての平等の精神は、スウェーデンが世界に文化国家に先駆けて最も早く開発した国であると信じられている。

その具体的な例として、ストックホルムの市バス構造は日本風のそれと比較して対照的なデザインである。老人、子どもまたは身体障がい者に対する配慮として、車椅子、乳母車、歩行補助車等の使用のため、車体の中ほどにある乗車口の床高は、停車時には歩道から十センチ位まで機械的に下げられる。これらの乗車賃は無料である。

男女平等が正に一般化され、サラリーマンも年間最低五週間の休暇または男性にも育児休暇が与えられるので、隣同士のパパが仲良く乳母車を押してバスに乗っている光景も日本人には珍しい見ものである。また、鉄道、地下鉄の駅におけるエレベーター、エスカレーターの設備は既に数十年前から設置されている点、日本とは比較にならない実績である。

しかし社会福祉の問題は未解決の政治課題として残されているのは、スウェーデンも日本と同様である。例えば、高齢者介護の状況は、日本ではスウェーデンのそれは典型的な理想郷として紹介されているようであるが、現実の高齢者介護の環境は種々ネガティブな問題に当面していて、度々、新聞種になっているのが真相である。現在の高齢者介護施設で働いている看護師の平均年齢は高く、それらの残り少ない労働力が消えてしまえば、そのあとを継ぐ若いジュネレーションはこの分野には期待できないという将来の見通しが常識になっている。魅力的でない労働条件や、低い給料等が若い人達に嫌われる原因である。ある民間企業が経営する複数の施設では、夜間にはドアに鍵がかけられ、当直の職員もいない状況や、オシメ等消耗品の極端な節約対策とともに、スキャンダルとしてメディアで報道されている。

しかし一般の自宅の孤独な環境に生きながらえている高齢者にとって真にありがたいのは、電話による介護システムが機能している事である。勿論、この組織は高齢者だけを対象としているわけでなく、全ての市民の健康管理のため福祉政策の一環として確立しているのである。

高齢者に良くある症状だが、夜中や明けがたに急に胃が痛くなったりして目が覚める事がある。ネガティブな連想に愈々眼が冴えてくる。この様な心細い瞬間に電話で320100を呼び出す。二分から十分位で看護師が受け、まずこちらの国民番号(注(5))を聞いてくる。国民番号がスウェーデン人としての背番号である。その番号をインターネットに打ち込めば、私の既往症は全部どこの病院で診られたものであるかもすべて看護師の手元に表示されるので、それを基準に私の現在の症状を聞いて理想的な対応処置を指示してくれる。万一、重症と判断すれば救急車の手配も出来てしまう訳である。勿論すべての情報提供の費用は電話料金だけですむ。

国民番号を一般化するのは、個人のプライバシーの侵害であると考える向きもあるが、その効用、すなわちこの番号で身分証明書不要のまま、各種の事務が銀行・病院等公共の機関で可能となるので、種々の手続きに必要な身分証明書作成に手間を要する現在の日本の制度と比較すれば、その利用価値の大きい事は理解出来る。

このように男女平等をめぐる諸問題や高齢者ケア、そして日本でも導入をめぐって論議されている国民番号制の先進国としての利便性を指摘しているほか、建築家として日瑞間の住宅・環境問題にも専門家ならではの提言をしている。

 

編集部補筆 注(1) 南北350キロメートル、東西160キロメートル。約6200の湖、森に囲まれた古くからの伝統を守っている地域。ダ―ナラ木彫り馬、高品質の銅産地で知られる。その色はスウェーデンの伝統カラ―のひとつ、ファ―ルンレッド。ストックホルム市議会のカーテン、絨毯にも使われており、日本ではベンガラ色と呼ばれている。

また、文中の自然環境に関するものにアレマンスレッテンAllemansrättenと言われる 自然享受権がある。これは古くからある慣習法。憲法で保障されている。但し、鳥獣の狩猟は含まれておらず、また、今は個人の権利とされ、団体には認められたものではないという新たなガイドラインが付け加えられている。

(2)1956年。スウェーデン現代政治史(ステイーグ・ハデニウス著、木下淑恵、秋朝礼恵訳、早稲田出版部)によれば、この前後の1946年から1959年代は「冷戦の陰の繁栄」とされる。戦後史年表によると、1945年は世界大戦が終了し、P.A、ハンソン首相はこれまでの救国挙国・一致連合政権を解消し、首相が属する社民党が単独政権となる。46年にはT.エランゲルが後任首相。47年には初の女性閣僚が誕生。社会関係では55年に自動車の右側通行への切り替えで国民投票実施、67年には自動車交通は右側通行として実施。この間の63年には年間4週間の有給休暇が実施。

(3)現在の大使館は1991年に竣工。東京・城山ガ―デンの一角にある。

(4)1905-86年。新潟県生まれ。2005年にはモダニズムの生誕100年とする展示会が催しされた。代表作に1961年竣工の東京・上野駅前にある東京文化会館をはじめ、都美術館、紀伊國屋書店、神奈川県立図書館・音楽堂などを手掛けている。

(5)10桁の数字からなる背番号を記入したIDカード。1947年に背番号PINが導入され、氏名、住所、管理教区、本籍地、出生地、国籍、婚姻関係、家族関係、所得税賦課税、本人・家族の所得税、本人・家族の課税対象資金、保有する居住用不動産、評価額など記載。

 

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「スウェーデン・モデルは有効か」の韓国語訳なる!

2013-05-14 | わたしの仕事

丁度一年前、「スウェーデン・モデルは有効か―持続可能な社会へむけて」を出版した。

それがいま、韓国語訳がソウルで出版された。ISBN978-89-93985-93-1 出版社はImagine社。タイトルはじめ、384ページ全文、ハングルがならんでいるのは見事だけど、各論文の末尾にある文献欄以外は解読できないのはしかたがないというところか。

翻訳へのイニシアティヴをとってくださった宋先生によると、韓国はこれまで経済面で「追いつけ、追い越せ」で懸命だったけれど、これからは社会福祉充実の時代である。それで「福祉先輩国」のスウェーデンをとりあげた日本語版を訳してくださったのだ。

 

下に表紙裏表と本文の一部を貼り付ける。

 表紙

 

  

表紙 裏 残念ながら折角のハングルが読みにくい

 

 

本文 

 

 

原書はこちら

 

 

 表紙 裏