百歳に向かってもう一度歩いて世界一周

平成7年1月1日より歩いて世界一周に挑戦して居ますので引き続き続けますのでご照覧あれ!

年賀状発送

2013年12月26日 13時22分05秒 | パソコン

        百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 12月 26日(木) 晴れ

 昨夜解決されなかった年賀はがきの赤みを帯びた色が気になって、朝食後、直ぐにパソコンに取り組んだ。写真に原因があるのではないかと思い、iphoneで撮ったのと変えてみた。しかし幾らやっても赤みは消えない。いっそこのままプリントしようかとも考えたがそれでもと思い直して今まで正常に印刷れていた写真をプリントして見ると、これも赤味を帯びて出て来た。

 ここで原因はプリンターにあることが判った。そこで、プリンターのマニュアルを引っ張り出して、「困った時は」を見た。エプソンに電話をすることにした。それにはいくつか調べて置かなければ電話できないことが判った。その中に「故障かと思った時に」「電話する前に」試みて欲しいという注意書きが目に入った。

 【プリンターの手入れ」で「プリンターヘッドのノズルチェック】が求められた。ここで【ライトシアン】がかすれていることが判った。これで、ライトシアンのインクの出ないのが原因で写真が赤味を帯びて仕舞うことが判ったので、ヘッドのクリーニングをした。一回目には半分ほど線が出たので、2回繰り返した。3回目にはほぼ完璧になったのでプリントして見た。成功した。今まで苦しんで来たことから解放されて心が晴れた。昼食は美味かった。

 午後、年賀状の印刷は一瀉千里で行われたが、2枚を残してインク切れとなってしまった。イエローと出たのでイエローを交換したが、いくらやっても認識してくれない。不思議に思ってパソコンを立ち上げると、イエローは満杯になっていてブラックが0になっていた。仕方なくヤマダ電器まで買いに行ってきたが、2枚印刷して予定の年賀状は終わった。それにしても今までは中野まで足を伸ばさなければならなかったが、飯山で間に合うようになってよかった。

◎ 午後4時、川崎から真ちゃん一家が来た。

          百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 12月 26日(木) 

 

日数「日」

歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩)

今  日

    1        

18,437

12、906

 

今  月

26

484,894

339,426

18,650

今  年

321

5,500,311

3,850,218

17,135

2005年から

3,252

46,819,035

32,773,325

14,397

70歳の誕生から

6,784

128,769,166

90,138,416

18,981

北大西洋グリーンランド島コィアネホープからカナダ「 ヘブロン」に向かって後24,860 


年賀状に悪戦苦闘

2013年12月25日 11時34分19秒 | 随想

 

    百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 12月 25日(水) 晴れ  

     
                     完成間近 新幹線飯山駅

          百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 12月 25日(水) 晴

 昨日の雪が嘘のように晴れて快晴。ー3°となって溶けた雪で滑る。それにしても、綱切橋の新町交差点で学童の交通安全を指導なさっている老女の方はホントにご苦労さんだ、私も休まず歩いているが、このお年寄りも一日も休んだことはない。立派!表彰物だ。

 今日は晴れたので、年賀状に挿入する飯山駅の写真をママに頼んで撮ってもらった。それをプリントしたところが思っても見なかった色合いの写真になってしまった。それを直そうと掛かったが深夜までかかってなんとか見られる程度までなったが、まいった!

        百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 12月 25日(水) 

 

日数「日」

歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩)

今  日

    1        

16,470

115294

 

今  月

25

466,457

326,520

18,658

今  年

320

5,481,874

3,837,123

17,131

2005年から

3,251

46,800,598

32,760,419

14,396

70歳の誕生から

6,783

128,750,729

90,125,510

18,981

北大西洋グリーンランド島コィアネホープからカナダ「 ヘブロン」に向かって後37,765 

 


救世軍と慈善鍋

2013年12月24日 14時18分20秒 | 随想

         百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 12月 24日(火) 雪

クリスマス・イヴの思い出

 子供の頃、もうかれこれ80年近くにもなるが、未だ西神田小学校へ通っていた頃のこと。浅草の小島町から神保町に引っ越してきて、夜店があちこちにあって、一人歩きが出来た頃の暮。

 木枯らしがふいて寒さが身に沁みる季節。スズラン通りには救世軍の慈善鍋がおかれ、4~5人の小さなプラスバンドが聖歌を歌いながら、毎晩、慈善鍋への協力を呼び掛けている。

 私はこの成果の上がらない運動に義憤を感じては居たが、貧乏のどん底生活。こっちこそ助けて貰いたい方だった。そんなある日、その楽隊は救世軍本部でのクリスマス・イヴへの参加を呼び掛けた。するとその晩に限り、集まった一団がプラスバンドに乗って動き出した。私もつられて列の加わった。

 救世軍の本部の中は明るく、暖かくて広くて大勢の人が居る割には静かだった。私たちが空いて居る席に付くとイヴのお勤めが始まった。聖歌の合唱があり、お祈りがあった。映画も映されたように思うが赤い葡萄酒が出て呑んだように思う、そのほかはあまりよくは覚えて居ない。覚えているのは妹がお祈りの後「アーメン」と言った後を受けて「そーめん」と言ったことだ。私は鳥肌の立つ思いをした。

 すっかり感動して家に帰り、父親に報告して大目玉をくらった。「2度とそんなとこへ行くんじゃないぞ」何故怒られたのか判らなかったが、それっきり救世軍に行ったことは無い。

 その後、山室軍平という偉い人が中将の位で、神保町の他に、全国に支部(小隊)、その下に分隊もあって、信徒を兵士、伝道者を士官、牧師を小隊長と言って組織されているんだと聞いたことがある。いまは慈善鍋と言わず、社会鍋と呼び名は変わったとか。

  百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 12月 24日(火) 

 

日数「日」

歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩)

今  日

    1        

19,734

13,814

 

今  月

24

449,987

314,991

18,749

今  年

319

5,465,404

3,825,783

17,133

2005年から

3,250

46,784,128

32,748,890

14,395

70歳の誕生から

6,782

128,73,259

90,113,981

18,982

 

北大西洋グリーンランド島コィアネホープからカナダ「 ヘブロン」に向かって後49,294 

 

 


天皇誕生日

2013年12月23日 15時44分24秒 | 随想

 

          百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 12月 23日(月) 晴れ 

 今上天皇は私が8歳の今日、昭和8年12月23日に生まれた。その朝早く、未来の天皇のお誕生を祝って日本中のサイレンが鳴り渡った。天皇家には4人の皇女がお生まれになったが未だ男児の出生がなく、今度こそ男児をと全国民が期待し祈ってきた。男児であったらサイレンを二声、女子であったら一声と決められていた。当時としてはサイレンが最も早い情報伝達の方法だったのだ。

 まだ薄暗い冬の朝、その静けさを突き破って鳴ったサイレンにどこの家からも「わあー「と歓声が上がった。

「皇太子さまお生まれになった」  作詞  北原白秋   作曲  中山晋平

  日の出だ日の出に 鳴つた鳴つた ポーオポー
    サイレンサイレン ランランチンゴン 夜明けの鐘まで
    天皇陛下喜び みんなみんなかしは手
    うれしいな母さん 皇太子さまお生まれなつた

  日の出だ日の出に 鳴つた鳴つた ポーオポー
    サイレンサイレン ランランチンゴン 夜明けの鐘まで
    皇后陛下お大事に みんなみんな涙で
    ありがとお日さま 皇太子さまお生まれなつた

  日の出だ日の出に 鳴つた鳴つた ポーオポー
    サイレンサイレン ランランチンゴン 夜明けの鐘まで
    日本中が大喜び みんなみんな子供が
    うれしいなありがと 皇太子さまお生まれなつた

白衣の産着に包まれた皇太子さまが今年で八〇歳になられ、名実ともに「国民の象徴」として輝かれて居られるが、私には赤ちゃん姿の皇太子継宮明仁親王が今もなお瞼に焼きついて離れない。

 私も宮城の中へ入ったことがある。それは戦後まもなくだった。陛下に年賀を申し上げ、万歳を唱えてお祝いをしてきたのだが、坂下門から入って大手門からの退出であったが。今回の陛下の傘寿を祝っての参内は二重橋から入ることができるということだ。

 昔、ヒゲを生やした将軍や勲章下げて大礼服で正装した大官が自動車で次々と二重橋を亘ってゆくのを見たことがあるので、行けるのなら私も来年の天皇誕生日には二重橋を渡って陛下の長寿を祝って来たいものだ。

 天皇誕生日は、昭和23年までは天長節と呼ばれていた。昭和天皇は4月29日、大正天皇は8月31日、明治天皇は11月3日が天長節だったなぁ・・・。懐かしいなぁ!       

        百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 12月 23日(月) 

 

日数「日」

歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩)

今  日

    1        

18,321

12,825

 

今  月

23

430,253

301,177

18,707

今  年

318

5,445,670

3,811,969

17,125

2005年から

3,249

46,764,394

32,735,076

14,393

70歳の誕生から

6,781

128,714,525

90,100,168

18,982

北大西洋グリーンランド島コィアネホープからカナダ「 ヘブロン」に向かって後63,108

  

 

           

 

 

 


冬至

2013年12月22日 17時38分34秒 | 随想

    百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 12月 22日(日) 雪のち曇り

 大雪注意報が出て、昨夜から雪が降り出したので覚悟はしていたが、早朝で千曲の堤防は除雪されていなかったので、難渋した。88歳を実感した。体力の低下を意識した。この冬を歩き通せるか、すっかり自信を無くした。

 冬至は一年中で一番陽の短い日だという日だという。しかし朝の日の出が遅くて夕日の沈むのは一番早いからだと教えられても居たし、そうも信じていた。でも、そうではないという説明も聞いた。今日の長野の日の出は6:56で、日の入りは16:35で、その間9:39と14:21で夜の方が4:42も長い。ある人は北緯35度付近での日の出のもっとも遅いのは1月8日頃、というから冬至の12月22日には日は出ているし、日の入りのもっとも早いのは12月5日頃というから、冬至の22日にはもう日が出ているということになるのか?その原因は地球が太陽の周りを楕円軌道で運行しているからだ、ということになっているのだと言っているが・・・  この説明はどうも 良く分からない。

 今年の冬至には南瓜と小豆の甘い煮物が夕飯に出た。これからのお風呂は柚子湯になるだろう。夕飯に出た南瓜とあずきの甘い食べ物のことを「いとこ煮」というんだそうだ、いわれは煮えにくいものからいれたからというが、それより「カボチャ善哉」の方が似つかわしい名前だ。おしるこのお餅の代わりをカボチャに下、このほうがぴったしだ。

    百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 12月 22日(日) 

 

日数「日」

歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩)

今  日

    1        

18,262

12,783

 

今  月

22

411,932

288,352

18,724

今  年

317

5,427,349

3,799,144

17,121

2005年から

3,248

46,746,073

32,722,251

14,392

70歳の誕生から

6,780

128,696,204

90,087,343

18,982

北大西洋グリーンランド島コィアネホープからカナダ「 ヘブロン」に向かって後75,933