百歳に向かってもう一度歩いて世界一周

平成7年1月1日より歩いて世界一周に挑戦して居ますので引き続き続けますのでご照覧あれ!

国定忠治処刑された日

2013年12月21日 18時16分41秒 | 随想

      百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 12月 21日(土) 雪

 今日、嘉永3年12月21日(1851年1月22日)は侠客国定忠治が上州吾妻村の大戸の関所で磔にされて処刑された日だ。

 私たちの子供の頃は、ラジオ屋は夜が開けさえすれば、スピーカーで広沢寅三の清水次郎長か国定忠治の浪花節をやって居たもんだ。子供は覚えが早いから、森の石松の「旅ゆけば~駿河の国は茶の香り~」とか国定忠治の「赤城の山も今夜限り、生まれ故郷の国定の村や、縄張りを捨て国を捨て、可愛い子分の手前たちとも、別れ別れになる首途だ。」だなんて文句を学校の自習時間なんかでやったもんだ。

清水次郎長の本名が山本長五郎で、国定忠治が長岡忠次郎、そんな事は覚えているが、国定忠治が中風になったとか、捕まって磔になって死んた。その時未だ41歳だなんてことは知らなかった。

 国定忠治は任侠の大親分で、博打打の子分になりたいとやって来る金持ちの息子や商人の子倅などにはキツイ仕事をさせて、やくざの道を思い留めさしたり、賭場で挙がったカネを飢饉で苦しんでいる農民に与えたりと義侠に富んだ施しもしていたので、関八州に名を挙げた名親分ぐらいしか覚えて居ない。

 私の同級生で、海軍の軍令部に勤務していた台君が群馬県の玉村町出身だったので、戦後訪ねたことがある。丁度お盆の頃で、夕涼みで盆踊りを観に行ったときに、八木節で国定忠治をやっていた。飯山なら「からす踊り」か【佐渡おけさ】だが・・・。

あァァアー ここは名高き 国定忠治 国は上州 アノ 佐波郡音に聞こえた 国定村の親の名前を 忠兵衛というて 二番息子が忠治でござる 生まれついての任侠肌で 音に聞こえた国定村の 人の為なら 喧嘩もなさる

あァァアー 人もうらやむ 大貸元で 頃は弘化の 三月九月 今日も明日も 明日も今日も 今日も明日も 明日も今日も 勝負勝負で その日を送る

あァァアー もっとこの先読みたいけれど 上手で長いは未だよけれども 下手で長いは おん座の邪魔よ やめろ止めろの声なきうちに ここら辺りで 段切りするが オォイサメ

       百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 12月 21日(土) 

 

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今  年

316

5,409,087

3,786,361

17,117

2005年から

3,247

46,727,811

32,709,468

14,391

70歳の誕生から

6,779

128,677,942

90,074,559

18,982

北大西洋グリーンランド島コィアネホープからカナダ「 ヘブロン」に向かって後88,716