百歳に向かってもう一度歩いて世界一周

平成7年1月1日より歩いて世界一周に挑戦して居ますので引き続き続けますのでご照覧あれ!

湯の入り荘で

2013年10月31日 17時53分53秒 | 随想

  今日の湯の入りバスはかなり遅れてやって来た。大入り満員だ。後で判ったことだが、この所、バスに2~3人の時もあって配車を圧縮重合した爲であった。加えて湯の改造と秋揚げが一段落で入湯者が急増しようだ。こんな事は初めての経験だ。大広間も大入り満員。神明町も初顔のHさんが増えた。彼は私に酒を執拗に勧めたが私はIphoneで相手にならなかった。

  彼に【玉音放送】を聞かせようとしたが、生憎彼は極端な難聴で耳を貸さなかったので、私は「終戦か、玉砕か、その為に玉音放送阻止か、放送の強行かで揺れた9日の御前会議から近衛の師団長を惨殺して偽の師団長命令を出して宮城を占拠して立ち上がった畑中少佐。反乱軍と陸軍の上層部の説得に失敗、玉音盤の奪取も不成功、NHKの協力も得られず、戦争継続の計画は挫折、遂に自決に追いやられるまでの暗闘に、はらはらどこどき、昼寝も忘れてiphoneにはまり込んで行く。

 玉音放送を死守した男・柳澤恭雄NHK報道副部長 対 玉音放送を奪取。、阻止を目指す近衛聯隊歩兵中隊長小田敏生の対決。目と拳銃の睨み合い。柳沢副部長曰く、陸軍は上官の命令には無抵抗で従った。【上官の命令は朕が命令である】と。Ⅰ上官が配下の部隊を動かすことが出来ただけだ、と。

14日から15日に掛けての宮城事件の顛末。青年将校は荒れ狂った。日本のいちばん長い日。

 私は13日の夜、松本部隊の真っ暗な営庭で独り夕涼みをしていた所、無線の兵士から「日本は負けました」と告げられた。連合国のラジオ放送を傍受したというのだ。松本の部隊は原爆回避のため「部隊はこれより展開する」との部隊長命令で、山手の小学校に移動してしてしまった後のことだった。

10日の御前会議でポツダム宣言受諾が決定されたのを受けてNHKは海外短波放送で受諾を放送したという記事もあった。

また玉音放送がニューギニアの前線で聞くことが出来たのかはNOだったという記事もあった。

 後から後から裏話が出て来たが、昼寝から起きた婆さん連中が【からす踊り】を始めた。それでも私はiphoneにしがみ付いて居た。

  に向かってもう一度歩いて世界一周 10月31日(木) 晴れ

 

日数「日」

総歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩)

今  日

    1        

21,086

14,756

 

今  月

31

580,013

406,003

18,710

今  年

265

4,457,931

3,120,552

16,822

2005年から

3,196

45,776,655

32,043,659

14,323

70歳の誕生日から

6,728

127,726,786

89,408,750

 

 

18,984

北大西洋グリーンランド島コィアネホープからカナダ ヘブロンに向かって後 754,526m