百歳に向かってもう一度歩いて世界一周

平成7年1月1日より歩いて世界一周に挑戦して居ますので引き続き続けますのでご照覧あれ!

西郷隆盛と歴史の真相

2013年09月24日 19時13分15秒 | 随想

 明治10年の今日(9月24日)西郷隆盛は城山洞窟を出てわずか300M、650歩の所で、2発の銃弾で腰の大腿部を打ち抜かれ、「晋どん、もうここらでよか』東を向いて皇居を伏し拝む西郷に、別府晋介の介錯の太刀が振り下ろされた・・・、と。この後、桐野や村田などの幹部は自刃、或いは討死にし、自らの命を閉じた、と記されている。

 しかし、私は西郷さんは城山で切腹、別府晋介が介錯した、と思って居るのだが【別府晋介は当時、歩けない状態で介錯は無理。実は降伏しようとしていた西郷を桐野利明が背後から射殺した」という説もある・・・と。

また、従僕の後日談によると、「洞窟を出た桐野や別府は従僕と共に西郷に付いて歩いて居たが、2・3町も来たところで桐野は、西郷が官軍に降る意思があることを察知したから、西郷を敵に渡してなるものかと、桐野も今はこれまでと覚悟を決め、西郷の後ろ姿に黙礼し、涙を呑んで西郷を撃った。首は従僕に持ち去らせたという説もある。

また西郷は征韓論に敗れて野に下り、鹿児島で私学校を開いて後進の指導に専念して居て、新政府に不満の徒に担ぎ出されて已む無く蹶起したというが、西郷は征韓論を制して、自ら外交の使節を買って出て平穏裡に解決しようとしたが、大久保利通に反対されて訪韓できなかったのだという説もある。

 明治維新という最近の情報でも、取材によっては表が逆の裏になって、さも正当のように伝えられるのだという証左だ。これじゃ歴史なんて全く信用できない。

 韓国は【日本は正しい歴史認識に立って反省せよ!】なんて言ってるが、何が正しいのか?自分達の都合のよい説を組み合わせて作った歴史だけが正しいというのか?

 世界の正論というのは力のある者・勝者の論理で決められるという事がこれで良く判る。

百歳に向かってもう一度歩いて世界一周 9月24日(火) 晴れ

 

日 数「日」

総歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩)

今  日

        1 

18,622

13,035

 

今  月

24

395,989

277,192

16,500

今  年

228

3,766,031

2,636,222

16,518

2005年から

3,159

45,084,755

31,559,329

14,272

70歳の誕生日から

6,691

127,034,886

88,924,420

18,986

北大西洋グリーンランド島コィアネホープからカナダヘブロンに向かって後 1,238,856m