うん、旦那の気持ちは痛い程判る。只、自らの手でもって本当に『死をもって償わせる』積もりならば、今後、不用意な発言は慎んだ方がいい。
『23日午前8時頃、京都府亀岡市篠町の府道で、集団登校中の小学生ら10人の列に軽乗用車が後ろから突っ込み、安詳小学校2年・小谷真緒さん(7)と登校に最後尾で付き添っていた京都府亀岡市の松村幸姫(ゆきひ)さん(26)が死亡した事故。松村さんは妊娠7ヶ月だったが、お腹の中にいた3人目の子供も助からなかった。中卒で無職の伊津和真(18)による無免許居眠り運転の車に命を奪われた。死亡した小谷真緒さんの祖父は「何をおいても犯人が憎い」と唇を噛んだ。心待ちにしていた新しい家族をお腹に宿したまま、帰らぬ人となった松村さんは、今夏に出産予定だった。「又女の子や。健康やったらいいな」夫の晶史さん(28)と喜び合い、名前を考えていた日々。長女に付き添った通学路で命を絶たれた。「頑張って行ってきいや」。23日朝、晶史さんは4月に小学校に入学した長女、蒼愛(そあら)さんと幸姫さんを見送った。慣れない登校にぐずってしまう蒼愛さん。正式な付き添いではなかったが、幸姫さんが途中まで見送る。それが新しい朝の風景だった。少し経つと、幸姫さんが家に置いていった携帯電話が何度も鳴った。近所の人から「車が突っ込んだ」という連絡だった。慌てて駆け付けた現場で、まだ意識が有る幸姫さんは「足が痛い」と何度も訴えた。「頑張れ!!」 晶史さんは、救急車で名前を呼びながら励まし続け、近隣の広場で待機していたドクター・ヘリを見送ったが、搬送先の病院で息を引き取った。白い布に包まれた遺体は23日23時半過ぎ、車で自宅に運ばれた。幸姫さんは、3月末迄同府南丹市の歯科医院で働いていた。「マイペースで優しい妹だった」と兄の中江龍生さん(28)。最後に食事をした先週、生まれて来る3人目の子に付いて話が弾んだ。父の中江美則さん(48)も3人目を楽しみにする姿を覚えている。「悔しいやろな」と娘を思い、突然の別れに「残念です」と声を震わせた。「優しくて、良くやってくれた」とはにかむ様な表情で幸姫さんを語った晶史さん。「加害者には死んで償って貰うしかない」。突然逝った妻が着ていた服を腕に抱え、声を振り絞った。』
個人的には、死刑にしても飽き足らないと思うんだが、非常に残念な事に、現行の法制度で適用されるのは、自動車運転過失致死傷で、『7年以下の懲役・禁錮又は¥100万円以下の罰金』。
罰金刑は有り得ないだろうし、禁錮もまず無い。懲役を喰らったとしても、最長で7年。2人轢き殺しておいてこれじゃどう考えたって軽過ぎる。被害者の遺族・家族は納得は出来ないと思うぞ。
運転していたガキは、伊津和真(18)。定時制高校に入学したものの、1年で中退した中卒の無職。助手席に座っていたガキは、今西寿希也(18)、南丹高校出身の京都美容専修学校生。後部座席に座っていたガキは、山下連(18)、やはり南丹高校出身の大学性で、嫌がる友人から無理矢理車を借りた裏主犯とも言うべき野郎だ。
同乗していたこの2人は、伊津和真が無免許で有る事を知りながら車の運転をさせていた。だから無免許運転幇助の罪で逮捕された。これも単なる無免許運転幇助じゃ無くって人が2人も死んでいるしなぁ。流石に通っているガッコもお咎め無しって訳にもいかんだろ。恐らくは、ガッコの生徒として相応しくないってんで、退学処分になる筈だ。
事故を起こした車の所有者は、山下連と同じ中学校の出身で、執拗に半ば強引に、仲間6~7人を連れて訪問し頼まれ、『1日だけ』との約束で貸したんだそうだ。しかし、3日経っても車は戻らず、今月23日になって事故が起きた。所有者の少年は『車は貸したくなかった』と話していると言うが、『レンタカーを借りろ』と言い放って、貸さなきゃ良かったのにね。まぁ、貸してしまったものは仕方が無いんで、約束の期日を超過した時点で、直ぐ様本人に『返せ』と迫ったり、それで駄目なら親を通じて返却を迫っていれば、事故は起きなかったんじゃないの?
車を借りた山下連も、勿論無免許。脅迫されて貸した見たいなモンだが、こんなんで貸した側が責任を問われた日にゃ溜まったモンじゃ無いな。ブッ壊れた車にゃ保険は適用されないだろうし、踏んだり蹴ったりだ。
この定時制高校を1年で中退した中卒無職の伊津和真に、3人目の子供と妻の命を奪われた旦那。本気で『死をもって償わせる』積もりなら、今後この事は口チャックで二度と口にしない方がいい。
年月が経ち、この事件が風化し、人々の記憶から消え掛けた頃に出所する事になるんだろうが、それ迄は虎視眈々と蛇の様な執念で、復讐する事だけを考えていればいい。
念願が叶い、本介を遂げた所で、世間の同情が集まるんじゃないかな? 勿論、法的には何の効力も無く、多少の情状酌量が有るかも知れないが。
1873年(明治6年)2月7日、日本の近代化に伴い、明治政府が発布した『敵討禁止令』によって禁止された『仇討ち』。
日本文化の一つとして、復活されてもいいのでは?