霊仙山から下りてきました。
今日はこれから、滋賀県の南東部に花を訪ね、日が暮れた場所で一夜を過ごすつもりです。
最初に目指したのは御池岳でした。
もう既に13時を過ぎましたから、山には登らず、山容を見ておこうとだけ考えていました。
御池岳のピークへ近づく道が東近江市君ヶ畑町にあるので、ナビに住所を入力して走りだします。
しかし、この方法で上手くいったためしは、めったにありません。
山容を確認するのであれば、近づき過ぎると山が見えなくなるからです。
でも、「何となく山に近づきたい」と思うのが何故なのか、自分でもよく分かりません。
滋賀県南東部は三年前の9月にヒガンバナを訪ねていますが、それ以外は私にとって馴染みの薄い場所です。
ナビのままに走っていると、多賀町の犬上ダム湖の畔に出ました。

緑に包まれた静かな湖で、特別保護区域に指定されているようです。
カワセミ、ヤマセミなどが見られ、3月上旬にはオシドリが200羽ほどやって来ると掲示されていました。

山の道を走っていると、突然「惟喬親王御陵」(これたかしんのうごりょう)の看板が目に入りました。
惟喬親王って誰なの?
すいません、私は本当に日本史に弱いのです。

帰宅後に調べてみますと、
惟喬親王は844年(承和11年)に文徳天皇の第一皇子として生まれました。しかし、惟喬親王の母方の紀氏より権力のある、太政大臣・藤原良房の娘、明子に第四皇子が生まれると、都を追われ、872年(貞観14年)には出家し、近江国の小野などに隠棲したのだそうです。
惟喬親王は在原業平と深い交わりがありました。
親王が、今の枚方市にあった渚の院で遊んだ時に、同行した在原業平が
「世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」と詠み、
それに応えて誰かが
「散ればこそ いとど桜はめでたけれ 憂き世になにか久しかるべき」と返した、
という話が伊勢物語にあるそうです。
私はこの後、御池川に沿った道を君ヶ畑町最奥の「この先通行止め」まで走りましたが、案の定、御池岳を見ることはできないままに終わりました。
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