福井県若狭町から敦賀を経て滋賀県に入りました。
国道を走っていると、道の脇にケヤキの大木が聳えていました。
琵琶湖に接した、長浜市高月町柏原の八幡神社の御神木で、樹高約20m、幹回8.5m、推定樹齢300年以上というケヤキです。
惚れ惚れするような風格を見せていました。
このケヤキの脇に、次のような説明がありました。
『槻(ケヤキの古名)の巨木があることから「高槻」と名付けられたこの地は、大江匡房(平安後期の歌人)が月見の名所として次の歌を詠んだことから「槻」の字を「月」に改めたといいます。
近江なる高月川の底清し のどけき御代のかげぞ移れり ・・・』
筆者は十年以上も全国各地に花を訪ねていますが、定年退職後は樹木にも興味が広がり、気の向くままに、眺め暮らしております。
旅の途中で出会った大樹の、数百年に亘って風雪を凌ぎ、根を張り枝を伸ばし続けてきた生命力に、言葉に尽くせぬ感慨が去来します。
若狭の博物館を出る時には、更に日本海を北上し、富山方面へ足を伸ばそうかとも思ったのですが、明日は一日雨の予報だったので、滋賀へ下り、夜に東名を走って帰京することにしたのでした。
しかし、琵琶湖の北の小谷山がイワウチワの群落のある花の百名山なので、その姿を眺めておこうと、敦賀から国道をのんびりと走って来たところです。
八幡神社の御神木の先で、国道の左手に小谷山の姿が見えてきました。
いつものように、ナビの地図を頼りに山へ近づいて行きます。
標高495mの小谷山には、1500年代初頭に戦国大名の浅井氏によって居城が築かれ、日本五大山城の一つに数えらましたが、織田信長に攻められ1575年に落城しています。
この季節にイワウチワの姿は期待できませんが、南の尾根筋に道を見付けたので、行ける所まで車で登ってみました。
よく、こんなところに城を築いたものだ、と思わせるような山の頂へ石垣が続いていました。
頂上までは歩きませんでしたが、こんな場所に城を築いて、日々の暮らしに必要な物資はどうやって賄っていたのでしょうか。
信長の妹の、お市の方もこの山道を登って行ったのでしょうか。
そんな不便を凌ぐ、生命の恐怖を伴う時代だったのだと、険しい峰道が教えてくれているようでした。
花を眺めて暮らせる、何ものにも代えがたい、贅沢な時代に生きていることを改めて意識させられました。
花を楽しむ生活の中にも、世界への目配りを決して忘れてはいけないと、一人頷きながら、戦国の砦を背に、帰宅の途に付いたことでした。
2013年 晩秋の花旅にお付き合い頂きまして有難うございました。
お伝えした内容が、花を愛でる暮しのご参考となれば幸せに存じます。
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