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鉄道ファンの皆さ~ん、早くしないと見逃しますよ!

2023-10-12 00:04:24 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 森駅に9時40分に到着した列車は、ここで22分停車します。

 

 私はETさんに誘われ、駅前の弁当屋さんで「いかめし」を買い求めることにしました。


 駅舎を出たすぐ左側の柴田商店の看板に「いかめし」の文字が見えます。


 しかし、ETさんは製造元の阿部商店で「いかめし」を買いたいようです。


 彼のスマホで検索すると、駅から4~500m先らしいのですが、列車の発車時刻までに戻らなければ旅は破綻します。


 二人は顔を見合わせ、頷きつつ柴田商店に入りました。


 店内には既に、同じ列車の乗客らしい人が「いかめし」を買い求める姿がありました。
 

 

 赤い包装紙に包まれた「いかめし」は840円だったと記憶しますが、間違っていたら御免なさいです。


 店のおばさんに、「昔は駅のホームで売っていましたよね」と問いかけると、「列車の窓が開く頃は、ホームで売っていたんですよ」とのお話でした。

 

 
 駅に戻って、列車への跨線橋を渡っていると、その下の1番線に札幌行きの特急が入ってきました。


 普通列車の長い停車時間は、この特急をやり過ごす為だったようです。

 


 ホームに戻ると、駅に接する堤防の上でウミネコがのんびり羽を休めていました。

 


 ETさんは、長万部行きの列車が動き出すと「いかめし」を幸せそうに食べ始めました。

 

 私は朝食べたおにぎりがまだ胃にある気がして、「いかめし」をザックに収めました。

 

 私の普段の生活は一日2食で、10時半頃に起きて、11時頃にブランチを食べる習慣ですから、二個入りの「いかめし」を今開ける気にはなりません。


 列車が森駅を出ても、私はETさんと旅の会話を続けました。


 私の旅は花や木を眺めることが主目的で、鉄道も好きですが、メインではないこと、十年以上前に定年を迎えた年金生活者で、青春18きっぷの旅は今回が二回目であることなどを、景色を眺めながらお話した記憶があります。


 ところが会話中は、つい手が疎かとなって、駅名などを写しそこねました。


 なので、これから先は長万部まで、2018年9月に撮影した写真を流用します。


 と記してから、PCを確認すると石谷駅の写真が出てきました。


 今回乗車した普通列車は石谷駅には停まりません。


 不思議に思って調べると、この石谷駅は2022年3月12日に廃止となっていました。


 あらまあと思い、改めて下の写真を見ると、ホームに生えるぺんぺん草が利用者の少なさを告げていました。

 

 
 そして2018年の旅で、列車は本石倉駅にも停車しましたが、この駅も今は存在しません。

 

 石谷駅と同時に廃止されたそうです。

 

 
 全国の鉄道ファンの皆さ~ん、早くしないと見逃しますよ!


 それにしても、列車内から写した石谷駅と本石倉駅の写真は、今ではかなりのレア品かもしれませんね。

 

 

 

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車窓に駒ヶ岳の姿が見えてきました

2023-10-11 00:28:06 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 普通列車は8時44分に新函館北斗に着いて、6分間停車しました。

 


 駅のホームは想像以上に狭く、そのホーム幅が凡その利用客数を教えていました。

 


 
 このとき普通列車から5~6人の乗客がホームに降りて乗車中の列車の写真などを撮影していました。

 

 多分その全員が青春18きっぷ利用で旅する趣味人の筈です。

 

 私もETさんもその中に含まれていたのは申すまでもありません。

 


 
 新函館北斗を出た列車は仁山駅へと少しずつ標高を高めてゆきます。


 仁山駅は、函館本線が20‰の急勾配で山岳丘陵地帯へ上る途中で、列車交換の為に設けられた信号所でした。


 仁山駅付近から函館方向を撮影すると、その中に函館山が写り込んでいました。

 


 仁山を出た列車は、国定公園に指定された大沼駅へと向かってエンジン音を響かせます。


 そしてほどなく、車窓左手に大沼が見えてきました。


 私はETさんや周囲の方達に聞こえる程の声で「あ、大沼」と声を発しました。

 


 旅行者らしき乗客が、カメラやスマホを持つ手を車窓にかざしました。

 


 
 長万部行きの普通列車は、日本新三景の一つに選ばれた景勝地を車窓に映しながら、次第に観光列車の雰囲気を漂わせ始めました。


 そして、列車は大沼駅に停車し、

 


 大沼公園駅へと進んで行きます。


 しかし私は、この辺りから車窓の景色を同行の旅人達に譲ることにしました。


 何故かと言えば、私がこの辺りを普通列車で旅するのは今回が三度目なのです。


 初回は、2018年9月に東北のヒガンバナを訪ねる旅の途中、北海道でスズカケノキを見たくて、青森埠頭に車を置いて、フリー切符で道南を訪ねた時、そして二回目が2019年の青春18キップの旅で、この辺りの景色を堪能しています。


 人間欲張ったら碌なことはありません。初めてこの地を旅する人に窓の景色を譲らなければ、私はきっと地獄に落ちます。

 そして列車は赤井川駅に停まり発車しました。


 ちょっと蛇足ですが、北海道の小樽市に南接する赤井川村という村がありますが、この駅と赤井川村は一切無関係だそうです。

 


 赤井川駅を過ぎた頃から、私が座る進行方向右手車窓に駒ヶ岳の姿が見えてきました。(この先の駒ヶ岳の写真は2018年9月に撮影したものです)

 


 列車は牧草地や馬鈴薯畑を見下ろす駒ヶ岳を眺めながら、緩やかな山麓を走り下り、

 


 やがて噴火湾の岸辺に佇む森駅に到着しました。


 ホームに降りて函館方向を振り返ると、鈍色に光る鉄路の先で駒ヶ岳が微笑んでいました。

 

 

 

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函館本線 長万部行き気動車の旅

2023-10-10 00:17:48 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 想定通りの時間に函館駅に戻り、駅のコンビニでおにぎりを買って、プラットホームに待つ気動車に乗り込みました。

 


 長万部(おしゃまんべ)行きの列車は一両編成の気動車です。
 
 車両の前後に、3人程が座れるベンチシートを備え、それ以外は全てボックス席です。


 車外の景色を撮りたいので、窓際の席を探しましたが、進行方向に背を向けた一席しか空きはありませんでした。


 それにしても、このそっけない紺色のシートとむき出しの蛍光灯。


 動き出せば、床の下からゴウゴウとした低いエンジン音が響きます。


 乗客の殆どが普段着や作業着のままで、化粧品や週刊誌の吊りポスターなんて全く見かけません。


 そんな雰囲気に包まれた列車の旅が始まりました。

 

 
 函館駅を発車した列車は五稜郭の次に「桔梗」という駅に停まりました。


 桔梗はキキョウと読みますが、花の名前そのものが駅名です。


 昔から気になっていたので、今回その由来を調べると、地名そのものが桔梗なのです。

 

 駅のある辺りにキキョウが群生し、住民から桔梗野と呼ばれていたのが由来だそうです。


 植物名が付く駅名は珍しくありませんが、植物名そのものの駅名は全国で此処だけかもしれません。

 


  桔梗の次の大中山駅を過ぎた頃、車窓にアカマツの木が見えてきました。

 


  このアカマツは函館市桔梗町から七飯町までの14.3kmに続く松並木で、赤松街道と呼ばれています。


 2015年の秋に自転車で北海道を縦断した時、日高の静内町でアカマツを見て、北海道にも松が育つことを知り、松が育つ北限の地が知りたくなったのです。

 

 なので、今回の旅のテーマの一つが「松生育の北限地探し」です。


 という訳で、七飯駅付近まで、車窓から松並木の撮影を続けました。

 

 

 そんな風に、列車の外にカメラを向けて撮影を続けていると、向かいの席に座る男性に何か一言、主旨を説明しておきたいと思いました。


 騒がしくした訳ではありませんが、静かな時間を過ごしたい方であれば、少し迷惑だろうかと感じたからです。


 多分「どちらまでですか?」とか「お仕事ですか?」とか、そんな問いかけをした気がします。


 どんな会話だったか忘れましたが、このETさんは神奈川県の川崎市在住で、青春18きっぷを使って北海道を往復する旅の途中であることが分かりました。


 電車が函館駅を出た頃、膝の上にパソコンを置いて、リモートの打ち合わせらしい会話が聞こえたので、仕事の旅かもしれないと思ったのですが、


 そうですか! 私と同じように鉄道を楽しむ旅ですか、ちょっとほっとしました。

 

 

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美しい船体曲線「ナッチャンWorld」

2023-10-09 00:25:16 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 千歳坂を下り始めた右手に、鯨の模型を掲げた「鯨類供養塔」が見えました。

 

  
 この供養塔は、1957(昭和32)年に、遠洋捕鯨会社で船長・砲手を務めた天野太輔さんが自費に加えて、漁業会社や捕鯨会社からの賛助を受けて建立したものだそうです。


 碑文に26年間に捕鯨した頭数は二千数百頭に達する・・・」と記されていました。


 私が子供の頃は、かなりの頻度で鯨肉が食卓に上った記憶があります。


 そして1980年以前、独身貴族だった20代後半に寿司屋で食べた、鯨の尾の身の味は忘れられません。


 市電が走る通りに出た後、そのまま真っすぐ港へ向かう道を歩き続けました。


 100m程も進むと、はこだてマリーナの横に出ました。


 多数の白いボートが係留され、その奥に函館どつくのクレーンが見えます。


 函館市街で港らしい風景をみるのは久しぶりな気がします。


 青函連絡船を利用していた頃は、函館が港町であることを常に意識しましたが、それ以降は異人館や函館山の印象が強く、函館市街で港を感じることが少なくなった気がします。

 


 更に進んで行くと、目の前に、美しい船体曲線を見せる船が現れました。


 船腹に楽し気なイラストが描かれ、船首に「ナッチャンWorld」の船名が記されています。


 岸壁で釣りをしていた男性に、この船は何ですか? と聞いてみると、


 「昔、函館から青森に行ってたフェリーで、最近は動かないね」


 とのお話でした。


 「それは勿体ないな~ 」と答えましたが、係留費用も馬鹿にならない筈で、かなりお金に余裕がある会社が所有しているの?と思いましたが、頭の中に沢山の???が浮かびました。

 


  更に船体に近寄ってみると双胴船で、かなりのスピードが出る筈です。

 

 そして、函館で一番インスタ映えすると思います。


 記事を書くに当たってググってみると、「ナッチャンWorld」は


 「2011年の東日本大震災の時に、自衛隊の緊急災害援助部隊派遣に活用され、その後防衛省が大災害に備える目的で借り上げ、自衛隊の演習や装甲車、戦車などの輸送に使われました。

 

 2019年の台風19号襲来時に自衛隊の派遣部隊を乗せて仙台港へ向かい、2018年には、青森ねぶた祭ツアーに運用されています。」

 

 とのことです。

 

 
 なるほど、頭の中の???が全て消えました。


 ウィキペディアには、防衛省の賃料は約3憶5千万と記されます。


 自衛隊が災害時に対応する船を新たに作れば、大きな費用と維持費が必要です。誰が考えたのか、素晴らしいアイデアだと思いました。

 

 そして私は、満ち足りた思いで散策を終え、函館どつく前から市電に乗って、函館駅へ戻りました。

 

 

 

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「箱舘」が函館の語源と言われる

2023-10-08 00:18:07 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 函館山の裾をロープウェイの方向へ進むと、称名寺(しょうみょうじ)の前に出ます。


 門の前に、寺を紹介する掲示物が掲げられていました。


 「箱館開港当初はイギリスとフランスの領事館として利用され、境内に函館の語源と言われる「箱舘」の館主・河野政通の供養碑、墓地には日露漁業㈱創立者の堤清六など、著明な人の墓や記念碑がある」

 

と記されていました。


 函館の語源と言われる「箱舘」って何なの?と思いググってみると、

 

 「室町時代の1454(享徳3)年、津軽の豪族 河野政通が宇須岸(アイヌ語で湾の端を意味するウスケシ)とよばれた漁村に館を築き、その館が箱に似ていることから「箱舘」と呼ばれるようになった」だそうです。

 

 知らなかったな~


 そして日露漁業㈱創立者の堤清六ですが、


 「1906(明治39)年に、新潟出身の堤清六と函館出身の平塚常次郎が創業した堤商会が日露漁業の始まりで、その翌年にロシア領のカムチャッカ半島へ行きサケ・マス漁で成功します。

 

 日露漁業は昭和になって北洋母線式サケ・マス・カニ漁業を開始し社業を発展させた」そうです。


 かっての函館は、北洋漁業の出漁基地として栄えましたが、その基盤を作ったのが堤清六だったようです。
 

 

 称名寺の隣に実行寺

 


 
 その隣に東本願寺船見支院が丘の上から海を見下ろしていました。
 

 

 東本願寺船見支院の門の脇に「近代彫刻の先駆者 中原悌次郎の墓」と題する解説文が掲げられていました。

 


 中原悌次郎の名は耳にしたことはありますが、詳細を知りません。


 足りない教養を補う為にググってみると、


 「1888年に北海道釧路市に生まれ、1897年に旭川に移り叔父の養子となります。札幌中学時代3年生の時に落第したのを機に上京して彫刻を始め、1910年の文展で初入選。

 

 その後「石井氏の像」「行乞老人像」「若きカフカス人」などの作品を残しますが、貧窮生活の中で結核を患い、1921(大正10)年に34歳の若さで亡くなりました。

 

 中原悌次郎は、荻原守衛、高村光太郎とともに、日本近代彫塑の柱となる人物と評されます。遺骨は実父に抱かれ、函館の中原家の墓に葬られた」

 

 とのことです。


 そうだったんですか、私は20代の後半を旭川で暮らしましたが、旭川駅から北に続く買物公園に数多くの彫刻が展示されていた訳を、この歳になってやっと理解しました。

 

 
 列車の発車時間を計算しながら、東本願寺船見支院の前から、市電通りに通じる千歳坂を下りました。

 

 

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北海道は空の青さが魅力です

2023-10-07 00:03:50 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 電車が函館どつく前に到着すると、一目でそれと分かる服装の人達が、市電から降りて函館どつくの中に入ってゆきました。


 私は電停前の公園に掲げられた掲示板を撮影すると、函館山の山裾へ上る道へ歩を進めました。


 いつの旅でもそうですが、旅の途中は時間がもったいないので、掲示板の表題を見て、内容は読みません。


 そしてブログを書くときに内容を確認します。


 この辺りが「弁天岬台場跡」だそうです。


 江戸幕府は、現在の函館どつくの一角に1864(元治元)年に台場を作り、箱館戦争の時、旧幕府脱走軍が占領しましたが新政府軍に降伏、その後は明治政府陸軍の砲隊が守備し、1896(明治29)年に港湾改良のために取り壊された、そうです。

 


 同じ公園に「新選組最後の地」の石柱が建てられていました。


 新選組は、江戸時代の終わり頃、幕府を倒そうとする人達を取り締まった組織で、農民出身の近藤勇や土方歳三等が活躍しました。

 

 しかし幕府軍は1868年1月の鳥羽伏見の戦いで新政府軍に敗れ、近藤勇は4月25日に処刑され、1869年5月18日に土方歳三が箱館戦争で戦死し、新選組は解散しました。

 


 私は気ままに、函館山の麓の魚見坂を上ってゆきました。

 

 

 坂の途中で、空き地から眼下を望むと、民家の屋根と函館湾越しに渡島半島南端部の丘陵地帯が見えていました。


 それにしても、北海道は空の青さが魅力です。


 北海道に入ると私はいつも、澄み渡る空の青さに、身も心も解放される安堵感を覚えます。

 

 湿度が低いせいでしょうか、それとも視野に人造物の比率が少ない為でしょうか・・・? 多分私の先入観や心理が視覚に影響するのかもしれません。

 


 
 魚見坂を上る途中、時間配分を考えつつ左へ折れると、函館山散策コース案内図が掲げられていました。


 この場所は、函館山観音コースの入口のようです。


 距離/約1,120m 所要時間/約35分 と記されています。


 数年前にNHKの「にっぽん百低山」という番組で函館山が紹介されました。


 その番組のサブタイトルは「山高きが故に尊からず」で、私の脳神経細胞は、その発想に強く共鳴します。


 酒場詩人の吉田類が全国の低山を訪ねる番組構成も秀逸です。


 吉田類は番組で立待岬からのコースを登りますが、函館山には日露戦争前に作られた軍事要塞があったので、民間人の立ち入りが制限されて自然が残り、今は600種もの花が咲き誇ることが紹介されました。

 

 こんなことを知ったら、一度は函館山を散策したいと思うのですが、でもね~ 私にはやりたいことが多すぎます。

 

 

余談ですが、今回の記事が当ブログの1000題目となります。

2010年の11月20日にスタートしてから5268日

読んで頂けてることが唯一の励みとなっています。

本当に有難うございます。

 

 

 

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函館も美味しいものに溢れています

2023-10-06 00:05:50 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 五稜郭駅に5時40分ごろ到着しました。

 


 2019年の青春18きっぷの旅のブログでも書きましたが、五稜郭駅は午前0時から5時30分まで待合室が閉鎖されます。


 青春18きっぷを使って12~1月や3~4月に北海道の旅を計画する方は注意が必要です。


 フェリーターミナルから歩いて来て、12月や3月に駅舎が閉まっていたら悲惨ですよ。

 

 

 待合室の壁に令和5年度の全国高校総合体育大会(インターハイ)のポスターが張られていました。期間は7月21日~8月21日と記されています。


 そうだったんですね、今回の旅の前に旭川や帯広でホテルを探すと何処も満室で、たまに空室があっても2万円近い部屋しかないのです。


 ということで今回私は、一人用のテントを持参しました。


 まあそれはそれとして、そんな状況下でも旅を諦めない私のガッツを誉めてやって下さい。


 しかしま~ 見方を変えれば、72歳になっても・・・ ん~ ちっとも懲りてないかもしれません。

 


 高校総体のポスターの横に花咲線のポスターが張られていました。


 釧路と根室を結ぶ135.4㎞の花咲線を、8月1日から9月30日までの期間、特別列車が運行されることを告げています。


 「地球の息づかいを感じさせてくれるかのごとく、大自然の中をゆっくりと進みます」と記されていました。


 そうなんです、私はこの列車に乗る予定なのです。


 待ってろよ、花咲線!

 


  そしてその横のポスターは函館グルメを紹介していました。


  函館も美味しいものに溢れています。

 

 

 私のパソコンの中に、10年以上前に函館に来たとき、ふらり入った居酒屋で飲んだひれ酒と、

 


 アジの刺身の写真が出てきました。


 このアジが抜群に美味しかった記憶があります。しかも安かったな~


 車に寝袋を積んで走り、地方都市の夜間割引のコインパーキングに車を停めて、街の居酒屋で酒と地魚を楽しむ。そんな旅のスタイルも楽しいですよ。

 


 五稜郭駅のホームに、いさりび鉄道からの、函館行き普通列車が入ってきました。

 


 動き出した列車の窓から函館山が見えてきました。


 今朝はあの山の麓の右端辺りを散策するつもりです。

 

 
 列車は5分程で函館駅に到着しました。


 そして私は、7時前に函館駅の駅舎を出て、

 

 
 駅前の市電の電停から、函館どつく前行きの電車に乗ります。


 数えきれぬ程、函館に来ていますが、函館どつくの周辺に行ったことがないので、今日は待ち時間を利用して、港町の雰囲気を味わうつもりです。


 事前のネット調査で、駅前から終点までは12分、運賃200円を確認しています。


 今日は、函館本線を乗り継いで旭川を目指しますが。そのスタートとなる函館本線、長万部行き普通電車の発車時刻は8時18分です。


 8時5分頃までには函館駅に戻りたいと思います。

 

 

 

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函館フェリーターミナルから五稜郭駅への徒歩ルート

2023-10-05 00:04:25 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 「当船は間もなく函館港に入港します」のアナウンスで目を覚ましました。


 周囲に2~3人いた筈の乗客の姿は既になく、他の人達は下船準備を整え、ロビーに移動したようです。

 

 

 フェリーは予定時刻通りの3時20分に函館埠頭に着岸しました。

 


 フェリー前方の下船口からフェリーターミナル(FT)の待合室へ向かいました。


 待合室に10数人の客が集い、各々がソファーに座って朝を待ちます。


 私のこれからの予定は、5時半頃に五稜郭駅まで歩き、6時48分の始発列車で函館に行って市内を散策、その後、函館8時18分発の普通列車で長万部へ向かうつもりです。


 待合室に座っていると、外がだんだんと明るくなってきました。


 北海道は東京よりもかなり緯度が高いので、8月の函館は4時半頃から明るくなり始めます。

 


 外が明るくなり始めたので、私はフェリー埠頭の岸壁まで歩き、函館湾越しに見える函館山を撮影し始めました。

 


  東の水平線に雲がかかり、期待通り朝陽に染まる函館山を見ることはできませんでしたが、30分程の間に、函館山が目覚めてゆく様子を堪能することができました。

 


 フェリーターミナル(FT)の待合室に戻ると、時間が少し早いのですが、五稜郭駅へ向かうことにしました。

 

 前ページで青森駅から青森FTへのルートを紹介したので、今度は函館FTから五稜郭駅までのルート図を示します。

 

 
 最初はフェリーターミナル前の道を真っすぐ北東方向に進みます。


 500m程歩くと、Aの場所で片側2車線の広い市道を横断します。

 


 そのまま100m程進み、Bの地点で国道227号を横断します。


 信号を渡って振り返ると、駐車場を備えたローソンが朝日を浴びていました。

 


 国道を渡った後も真っすぐ進むと、道はCの場所で民家に突き当りますので、そこを左に曲がります。

 


 左へ曲がった100mほど先で道はクランク状態【右に折れてすぐ左へ折れる】となりますので、道なりに進めば、Dの地点で国道に出て、右手にはローソンがあります。

 

 
 ローソンの駐車場を右に曲がって、真っすぐ進むと、150m程で大きな交差点がありますので、信号を2度渡って、歩いて来た国道の反対側の歩道に移ります。

 

 ここで歩道を反対側に移動しておかないと、その先の跨線橋上に横断歩道がありません。


 反対側の歩道を200m程も進むと、函館本線と国道5号を同時に跨ぐ跨線橋があります。

 


 ここで跨線橋内に入らず、その横の脇道を真直ぐ進んだ、Eの地点に、跨線橋上への階段があります。

 


 跨線橋に上ると、眼下の線路の左手先に五稜郭駅が見えます。

 


 JRの線路と国道5号を超えた場所で、左側から国道への階段を降り、国道に沿って北へ300m程も進めば、五稜郭駅に到着します。


 函館FTから五稜郭駅までは約1.6km、徒歩で20数分程の道のりです。

 

 

 

 

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徒歩で青森フェリーターミナルへ

2023-10-04 00:47:41 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 前回の記事にも記しましたが、青春18きっぷを使って東京から青森まで2410円で来たのに、青森駅からフェリーターミナルまでの約2kmをタクシーに乗って、1000円程の費用を浪費するのは主旨に反します。

 

 なので、青春18きっぷで北海道を目指す、志を同じくする人であるならば(なんとまぁ大袈裟な!)青森駅からフェリーターミナルまでは歩くべきです。


 と言うことで、まず最初に、青森駅西口からフェリーターミナルまでの徒歩経路の概略図を示します。

 

 

 


 この図は、2019年青春18きっぷの旅のブログで使ったものを改変しました。


 今回は、青森駅西口から海沿いの県道に出るルートが異なります。


 前回のルートより分かり易く、距離が少し短くなった気がします。

 

 
 青森駅西口広場のロータリーを北西の角から出ました。



 目の前の三階建てのビルに、JRの制服を着た人が入ってゆきました。

 

 
 門に掲げられた施設名を確認すると「東日本旅客鉄道株式会社 盛岡支社 総合事務所」と記されていました。

 


 ビルの前の道を西へ2~300mほど進むと、大きな駐車場を設えたパチンコ屋がありますので、その駐車場の縁を回り込むと、

 


 青森湾に沿ってはしる広い県道に出ます。

 


 県道の東方向に、青森マリーナを跨ぐ青森ベイブリッジの橋柱が見えます。

 


 県道に出た後は、ひたすら西に向かって30分程も歩き続けると、目の前にフェリーターミナルの灯りが見えてきます。

 


 このルートを、ネットで確認すると「2.2km 徒歩34分」と表示されました。

 

 

 青森と函館を青函フェリーと津軽海峡フェリーの2社が結びますが、青春18きっぷを利用する場合、函館FTに着いてからJR五稜郭駅まで歩くつもりならば、青函フェリーを利用する方が便利です。


 函館の津軽海峡FTと五稜郭駅間の距離が約2.5kmなのに対し、青函FTと五稜郭駅間の距離は1.6kmですから、青函フェリーを利用すれば、歩く距離が900m程短くなります。 車で旅する場合は無視できますけどね。


 ということで私は、今回も23時30分発の青函フェリーを利用しました。


 青森-函館間の運賃は片道2700円です。復路のキップを一緒に買うと、復路運賃が1割引になります。


 ところで私は、青函フェリーと津軽海峡フェリーの運賃は同じはずと勝手に思い込んでいました。

 

 しかし、運賃には数百円~千円の差があり、青函フェリーの方が安価です。

 

 ただし、津軽海峡フェリーの方が、客室が綺麗との情報を耳にしましたが、私は確認できていません。

 

青函フェリー 2019年以降運賃

 

 

 津軽海峡フェリー 2023年4月1日以降 運賃

 

 

 ということで、私は青函フェリー「はやぶさ」の雑魚寝スペースに横になると、そのまま深い眠りに落ちたようです。

 

 いつ出航したかも知りません。

 

 

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青森駅は4年前の記憶とのキャップが大きすぎる

2023-10-03 01:07:23 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 青森駅の改札口を出て、その光景に驚きました。

 


 下の写真は4年前の2019年8月24日に、ほぼ同じ場所で撮影したものです。


 柱に黄色と黒の縞模様のテープが巻かれ、通路の壁にベニヤ板が張られていました。


 通路は狭く 「この通路は本当に西口に通じるのか?」と心配した程です。

 


 同じ駅とは思えないピカピカの通路を進んで行くと、ガラス窓に包まれた、明るい吹き抜けのホールで、エスカレーターのステップが音もたてずに私を運んでくれます。


 周囲は暗闇に包まれ、人影は見えず、全てが私の為にあるような、なんだか、とっても贅沢な雰囲気です。

 


 駅舎の外へ出て、すぐに振り返って外観を確認しました。


 え~! 以外に言葉が見つかりません。


 何しろ、私の4年前の記憶とはあまりにも違いすぎるのです。

 


 論より証拠、2019年8月24の同時刻に同じ場所を撮影した写真をご覧ください。


 駅前に、客待ちタクシーが一、二台停まるばかりで、周囲にコンビニの灯もありません。ほの暗い街灯を灯した道が闇の中へと消えてゆきます。

 

 
 しかし今は、ゆったりしたスペースを確保した駅前広場は、足元を照らす灯りが、四つ星ホテルのエントランスのようなシックな雰囲気を醸していました。


 ん~ ちょっと言い過ぎですが、何しろ4年前の記憶とのキャップが大きすぎます。

 


 西口の変化に驚いたので、東口はどうだろう?と思いました。


 そこでもう一度、駅の連絡通路を戻り、改札口の前を通って、東口に出てみました。


 一見したところ、東口に大きな変化はなさそうです。

 


 
 しかし東口への通路は工事中で、その通路に、東口旧駅舎跡地に10階建ての駅ビルを建てる計画が掲げられていました。


 完成は2024年度だそうです。

 

  
 今度来る時迄に、青森駅の外観は大きく変化している筈です。


 それにしても半世紀間に生じた変化は驚くばかりです。


 50年前には、夜明け前に青函連絡船を降り、大きな荷物を持った大勢の旅人が長い通路を歩き、上野行きの特急列車に乗り換える姿を私は今も覚えています。

 


 もう一度西口に戻り、フェリー埠頭を目指して歩き始めました。


 4年前の18きっぷの旅の記事にも書きましたが、青森駅からフェリー乗り場までのタクシー代は僅か1000円程です。

 

 しかし、東京から青森までの数百キロを、青春18きっぷを使って2410円で来たのに、僅か2㎞程の移動に1000円も使うのは馬鹿げています。

 

 100円だって使いたくないのは、当然の感情です。


 それでもまあ、冷静に考えると、歩く途中で目にした赤ちょうちんの誘惑に負けたとして、地酒を飲んで、新鮮な地魚を食べて、3000円程度で済めば、安いな~と思いますので、そこが男の愚かさです。

 

 

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今だからこその青春18きっぷ

2023-10-02 00:33:57 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 秋田駅で青森行きの快速電車に乗り換えました。


 11分の乗り継ぎ時間に改札を出て、駅ビル内のコンビニで、二個セットのおにぎりとペットボトルの日本茶を購いました。


 今日の夕食は梅干しと昆布のおにぎり二つのみです。


 飛び乗った快速電車は19時23分に秋田駅を発車しまし。

 


  乗客は少なく、ベンチシートに座る人達は皆、寛いだ姿勢でスマホの画面を覗いていました。


 私は今も、スマホを持たぬ絶滅危惧種種ですが、こんな光景を目の当たりにすると、浦島太郎になったような気分を味わいます。


 そんなスマホ所持が当たり前の時代ですが、私も持ちたいとは思いません。


 多分あと何年かすれば、スマホがないと、バスや電車の利用時に不便を感じる予感はありますが、それはそれで、その時に対応できますので、急ぐ必要は全くありません。

 「皆が持っている」という状況は、私がスマホを持つ為の理由とはならないのです。

 


 夜のとばりに包まれて、快速電車が走り続ける間、幾度か、停車駅の光景などを撮影しようと試みましたが、全て徒労におわりました。

 

 
 そして電車は、約3時間後の22時18分に青森駅に到着しました。


 秋田からの電車を、改札口へ向かいながら振り返ると、電車の行先表示が既に「弘前」の文字に代わっていました。


 このことに限らず、JRは車両の運用や労務管理に、無駄を出さない努力を図っているように見えます。


 今回の旅でも、ローカル線の多くでワンマンカーが運行されていました。


 普通列車が停まる多くの駅で無人化が進んでいます。


 私が50年程前に学生だった頃、全国の県庁所在地では、鉄道駅が都市の玄関口でしたが、今は高速道路のICがその機能を担い始めています。


 全国の地方都市やその近郊に於いて、鉄道は中長距離を繋ぐ特急列車などを除き、普通列車は住民の足としての機能を車に譲り、既に後戻りできない状況になっています。


 私は鉄道が好きで、一日中電車に乗っていても飽きることはありません。


 しかし、それほど好きな鉄道であっても、利用する人が居なくなれば、経済的合理性に従わざるを得ません。


 なので私は、今という時代の節目に際して、普通列車で全国の旅が楽しめるタイミングを見逃したくないと思うのです。

 


 
 そして4年ぶりに降り立った青森駅は、4年前の記憶と大きく変わっていました。

 

 

 

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大曲花火大会の夜を回想

2023-10-01 00:20:58 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 横手駅での乗り換え時間は4分でした。


 北上線の一番ホームから連絡橋を渡り、隣プラットホームに停車中の、湯沢発秋田行きに乗車しました。


 電車は18時7分に横手駅を発車しました。


 隣の2番線の電車を写した写真に、ガラス窓に反射する西陽が重なりました。


 そう言えば、横手の街はいつも素通りばかりです。

 
 横手にはバラ園があるので、バラが咲く頃に訪ねたいと思いますが、人生の持ち時間の中で実現するでしょうか?

 

 兎にも角にも、私は欲張りで、やりたいことが多すぎるのです。

 

 
 横手駅を出た電車は程なく後三年駅に停車しました。


 後三年という駅名は、前回の18きっぷの旅の途上で目にしてから気になっていました。


 後三年の名は、この辺りが後三年の役の古戦場だったことに因ります。


 後三年の役は、11世紀の平安時代後期に奥羽を実質支配していた清原氏が消滅し、欧州藤原氏登場のきっかけとなった戦です。

 

 
 実は私は、高校時代は日本史が嫌いでした。


 あの頃、何の為にこんなことを覚えるのか? と思いましたが、受験の為に仕方なく勉強した記憶があります。


 しかし今は、その土地毎の山川などの自然環境、稲作や海運街道などが密接に関わる暮らし、統治と戦が複雑に交錯し関連する現象としての日本史を楽しんでいます。


 後三年駅を出た電車の窓に、横手盆地を縁取る峰に沈み始めた夕陽が見えました。

 

 
 いつもであれば、植物園で撮影した写真の整理を終え、ようやく床に就く時間の、朝4時過ぎに家を出て始発電車に乗り、その後も延々と電車に揺られ続けましたが、日没を迎えると、後の旅は単なる移動時間に変わります。


 電車が停まった駅のホームに飯詰の駅名を認めました。


 地図で確認すると、この付近は仙北郡美郷町に属しますが、私は幾度も車で、この辺りの角館街道を走り抜けた経験があります。


 緑豊かな農村地帯に平穏な雰囲気の集落が点在する光景を思い出しました。

 

 
 そして夕陽は輝きを増し、

 


  出羽山地の裏に沈んでゆきます。

 

 今日も本当に素敵な一日でした。

 

 
 そして電車は大曲に停車し、陽が沈んだ後のガラスが、分刻みのスピードで鏡に変化し始めます。


 夜のとばりが車外の景色を覆い、乗客を追憶と回想の世界へ導きます。


 そういえば、大曲で想い出すのが花火大会です。


 何年前のことかは覚えていませんが、雄物川の堤防に車を停め、運転席に座ったまま、川面に上がる花火を見上げた夜を思い出しました。

 


 

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北上線の車窓風景

2023-09-30 00:27:18 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 ゼロ番ホームで横手行き気動車のドアボタンを押し、前方のベンチシートに腰を落としました。

 

 

 この列車もワンマンカーなので、前方に運賃表があります。


 北上駅を出た列車は、14の駅を経て横手駅に到着するようです。


 運賃表に一ノ関から気仙沼までの駅名も記されていました。


 この車両は北上線と大船渡線で共有されているようです。

 


  車内の掲示物が、北上駅、ほっとゆだ駅、横手駅以外は全て無人と告げています。

 

 ほっとゆだ駅も、駅員の居ない時間帯があるようです。

 


 気動車は定刻通りに北上駅を出発しました。

 

 
 列車は緑の多い市街地を走り、柳原駅に停車しました。

 

 
 この駅で、数多くの学生が乗車してきました。


 ベンチシートに座った私は、気ままに振り返って外を眺めることができなくなりました。


 運賃表の駅名も確認できません。


 次の江釣子(えづりこ)駅では、カメラのシャッターを押すこともできませんでした。


 しかし江釣子の駅名が気になったのでネット検索すると、


 アィヌ語の「カムィ・ヘチリコ(神々の・遊び場の意)」が語源で、「ヘチリコ」が「えづりこ」になったようです。


 次の藤根駅を過ぎても、車内の混雑は収まりませんでした。

 


 列車は藤根駅に続き、立川目(たてかわめ)駅、その次に横川目(よこかわめ)駅に停車しました。


 この名も大いに気になります。


 しかし、その名の由来は単純でした。


 立川目は川が縦に流れ、横川目は川が横に流れる場所を意味します。


 この場合の「目」ですが、東北地方には「~目」という地名が多く、本来は「ベ」であったものが「メ」に転化したそうです。

 

 つまり、立川目は立川辺と同義で「縦に川が流れる辺り」を意味します。 


 列車は横川目駅を出て岩沢駅、和賀仙人(わかせんにん)駅へと進んで行きました。

 

 

 和賀仙人駅の住所は、北上市和賀町仙人で、仙人山(883m)が背後にひかえます。


 アイヌ語で綺麗な水を「ワッカ」と呼ぶことが和賀の由来だそうです。


 気動車が、ゆだ錦秋湖駅に停まると、錦秋湖が見えてきました。

 

 
 錦秋湖は昭和39年(1964)に完成した湯田ダムが和賀川をせきとめた人造湖で、その名の通り、秋には紅葉が湖面を彩るそうです。

 

 
 次に列車が停まった、ほっとゆだ駅は全国でも珍しい温泉付きの駅舎で有名ですが、残念なことに写真を撮りそこねました。


 列車が岩手県内最後の、ゆだ高原駅を過ぎると、白いソバの花が車窓を飾り、

 


 県境を越えて秋田に入った最初の黒沢駅では、尾花が西陽に揺れていました。

 


 その後、気動車は標高を落としながら黒沢、小松川、相野々の駅を経て、定刻の18時03分に横手駅に終着しました。

 

 

 

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北上川、滔々と流れる

2023-09-29 00:11:28 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 初めて北上駅に降りました。


 電車が到着した1番線ホームの西口から駅の外へ出ました。
 

 

 最初に、駅前広場の広域観光マップを確認し、88分間の乗り換え時間内で何ができるかを考えました。


 私が見たいのは北上川です。


 北上川を見るのは、北上市が一番ふさわしいと、この時は考えました。

 


 そして、北上市で夕食を手に入れなければなりません。


 この先、青森までの駅に十分な待ち時間はなく、青森の到着予定時刻は22時18分なのです。


 広場の反対側に観光協会の看板を見つけて中に入りました。


 しかし土産品があるのみで、期待した駅弁は見つかりません。


 駅の東口にあるかもしれないと思い、駅の東西を繋ぐ地下歩道へ向か途中で若山牧水の


「幾山川 寂しさの はてなむ国ぞ けふも旅ゆく」の歌碑を目にしました。

 

 
 そうか、この歌は北上で詠まれたのか、と思って横を見ると、


 「牧水は大正15年(1926)、門下の北上市の福地房志宅に宿泊した際、福地宅に残された筆跡を刻む」と記されていました。 


 調べてみると、この歌は、牧水が明治40年(1907)に岡山、広島を旅した際に詠まれたそうです。

 

 
 駅の東口にも、お弁当は見当たりませんでした。


 しかし、東口へ来た私の主な目的は北上川です。


 そのまま駅前通りを進んで、市道を横切り、川へ向かいました。

 

 
 堤防の上に立つと、水量豊かな川が滔々と流れていました。


 川下に目を向けると、立花頭首工と男山が見えます。


 男山の後ろには、真紅のガンバナに染まる如意輪寺が隠れています。

 


 上流を見ると、クリーム色に塗られた珊瑚橋が見えました。


 この橋が最初に架けられたのは1908年(明治41年)のことです。


 立花村の高館徳次郎が私財を投じ、木製の橋が建設されました。橋の名は、立花村の背後にある珊瑚岳に由来するそうです。

 

 
 ところで北上川と言えば、最初に思い浮かぶのが北上夜曲です。


 この曲は昭和15年(1940)に、当時18歳で水沢農学校の生徒だった「菊地 規(きくち のりみ)」が作詞、翌年に、当時17歳で旧制八戸中学校の生徒だった「安藤 睦夫(あんどう むつお)」が作曲しました。

 

 菊池は江刺郡田原村の実家から、北上川に架かる小谷木橋(こやぎはし)を渡って通学していました。

 

 ですから、北上夜曲の歌詞のモチーフは、奥州市江刺や水沢にかけての流域一帯です。

 

 現在の北上市は1991年(平成3年)に市町村が合併したので、北上夜曲が作られた頃には存在しなかったのです。


 しかしそれでも、北上川を十分に堪能した私は、満足感とともに北上駅に戻り、人影のない駅の地下通路を通って、

 

 

 北上駅のゼロ番ホームに上り、ホームに待つ横手行きワンマンカーに席を得また。

 

 

 

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定年後は花を眺めて暮らそうと

2023-09-28 00:46:26 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 一ノ関で盛岡行きの電車に乗り換えます。


 盛岡行きの電車が隣のホームで待っていました。

 


  この電車もワンマンカーです。


 運転席の後部に運賃表が掲げられていました。


 その運賃表に停車中の駅が表示されるので、私は今回も先頭車両に席を得ました。

 

 
 今回は、終点の盛岡までは行かず、途中の北上駅で北上線の横手行きに乗り換えます。


 盛岡の先、新幹線が開通するまで東北本線だった「いわて銀河鉄道」は、青春18きっぷでは乗れないのです。


 そして私は、北上線に乗ったことがありません。

 

 初めての体験に胸が躍ります。


 盛岡行きの電車は、一ノ関を14時42分に発車しました。


 駅を出た電車は、直ぐに磐井川を渡りました。


 磐井川の上流には、伊達政宗が松島と並ぶ景勝地と評した厳美渓がありますが、私はまだ一度も訪ねることができていません。

 


  4分後に電車は、山ノ目駅に停車しました。


 そろそろ北上川が見える頃と思い、右手前方の堤防らしきものを撮影しましたが、今ブログを書きながら地図を確認すると、盛り土された農道だったかもしれません。


 その奥に見えているのは、観音山でしょうか。

 


  松尾芭蕉が『奥の細道』で、「夏草や兵(つはもの)どもが夢の跡」と詠んだ平泉を過ぎたあたりで、右手に北上川が見えてきました。


 堤に並ぶ桜らしき木々の間に、白い水面が覗き見えます。

 

 
 電車が前沢牛で有名な前沢駅で停発車し、次の陸中折居駅に到着した頃、窓にポツリポツリと水滴を認めました。

 

 
 今日は、東北地方に俄雨の天気予報を聞いていたので心配はしませんでした。


 それにしても、最近の天気予報は良く当たります。

 

 数十年程前は、「今日は、天気予報で晴れると言ってるから雨が降るぞ」のジョークをよく耳にしたものです。


 などと書く間に、電車は早くも水沢駅に停車しました。

 

 
 水沢駅は奥州市の玄関口です。

 

 奥州市は、2006年に水沢市、江刺市、前沢町、胆沢町、衣川村の5市町村が合併して誕生しました。


 水沢駅を出ると電車は、2~3分ほど市街地をはしり、再び田園風景の中に戻りました。

 

 
 そして電車は、6分後に金ケ崎駅に停車しました。

 


  金ケ崎町には、岩手県の花き振興の拠点となる、岩手県立花きセンターがあります。

 

 私は20年程前の50歳の頃、定年退職後は花を眺めて暮らそうと考え、全国の植物園や花公園などを調べ始めました。


 そして、その頃から車に寝袋を積み、連休や夏休みなどを利用して、調査した植物園や花公園を訪ね歩きました


 過去の記録を確認すると、2009年に岩手県立花きセンターを訪ね、ブラジル原産の花キクなどを撮影しています。

 

 


 電車は金ケ崎駅を出て、4分後に六原駅に停車した後、

 

 
 15時20分に北上駅に到着しました。


 私は北上駅で下車して、16時48分発の北上線 横手行きを待ちます。

 

 

 

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