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空知川の源流は上ホロカメトック山

2023-10-27 00:13:49 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 金山駅を出た列車は進路を東に変えて登り勾配を進み、空知川を渡りました。
 

 

 車窓右手に一瞬、金山ダムの姿を捉えましたが、シャッターが間に合いませんでした。


 そして列車はトンネルの中へ入りました。

 


 トンネルをぬけると突然、かなやま湖の上に出ました。


 湖面に青い空と白い雲が映ります。

 


 かなやま湖は6年の歳月をかけて1967(昭和42)年に完成した金山ダムによって空知川を堰き止めた人造湖です。


 空知川は富良野線の車窓から見た、十勝連峰の上ホロカメトック山を源とします。

 


 私は幾度も上ホロカメトック山に登りましたが、そこから見下ろす空知川の源流域は原生林が広がるばかりです。


 かなやま湖は滝川市に水道水を供給しますが、原生林が濾過した水は、美味しいだろうなと思います。


 かなやま湖の最狭窄部を鉄橋で越えた根室本線の列車は、湖の東側の岸辺を走り、8時1分に東鹿越駅に終着しました。


 滝川駅を起点とする根室本線は現在、実質的に東鹿越が列車の終着駅となっています。


 2016(平成28)年8月31日に台風10号が北海道に甚大な被害を及ぼし、十勝地方は一時孤立状態に陥りました。

 

 特に根室本線の幾寅-新得間の被害が大きく、10月17日に東鹿越-落合間で代行バスの運行が開始されましたが、東鹿越から先の鉄路が復旧することがないまま、2023年3月31日にJR北海道は富良野-新得間の鉄道事業廃止届を提出し、2024(令和6年)4月1日に当区間を廃止することが決まりました。

 


 そんな訳で、富良野からの列車を東鹿越で降り、駅舎の後ろに待つ、新得行きの代行バスに乗り換えます。


 代行バスの運用はふらのバス㈱に委託されています。

 


 バスに乗る前に、駅のホームを振り返えると、乗ってきた気動車が発車を準備した雰囲気で佇んでいました。

 


 この列車は東鹿越駅を程なく折り返すはずです。


 そして、函館本線が長万部で興味深い運行を行うことを思い出し、東鹿越の列車とバスの運行状況を確認しました。


 すると東鹿越駅も、長万部と同様に上下線の列車とバスの運行本数が非対称だったのです。


 しかし、東鹿越での非対称の理由は明らかです。


 私の記憶では、この地区で通学可能な高校は富良野と幾寅に限られます。


 朝6時36分発の滝川行きは高校生の通学用に違いありません。


 最終列車が2両編成で来て、東鹿越に1両置いて、1両で帰ってゆくと推測します。


 そして、東鹿越には運転手さんの宿泊施設があるハズです


 あるいは、かなやま湖畔の宿泊施設と契約しているかもしれません。

 

 どちらにしても、JRの運転手さんが、雪に閉ざされた辺境の地で家族と離れた一夜を、定期的に過ごす生活を強いられています。

 

 

 

 

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芦別岳・夕張岳の想い出

2023-10-26 00:47:48 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 列車が山部駅を出ると、右手に芦別岳の山裾が見えました。


 雲の合間に、山稜の中へ切れ込む谷が見えます。


 あの谷がユーフレ川で、その奥に避難小屋のユーフレ小屋があります。


 私が所属した山岳会はユーフレ小屋をベースに、その裏手の夫婦岩や芦別岳に直登する本谷周辺の岩壁でロッククライミングに勤しみました。


 今本棚を確認すると、1978年の12月30日からの正月を夫婦岩の岩峰で過ごした記録が出てきました。

 

 
 山部駅を出た列車は、空知川に沿って南下し、

 


 下金山駅に停車しました。


 この駅が開業したのは1913年ですが、1921年から1954年にかけて、西達布の東大演習林からこの駅の貯木場まで、馬車軌道の森林鉄道が木材を運搬していました。


 しかし来年の2024(令和6)年4月、富良野駅-新得駅間の根室本線の廃止にともなって下金山駅も廃駅となる予定です。

 


 下金山駅周囲で数件の民家が、セイタカアワダチソウやオオイタドリが繁茂する草藪に飲み込まれそうな風情で立ちすくんでいました。

 


 根室本線と並行する国道237号に「くみあい配合飼料」と記されたトラックが占冠村方面へ向かいます。


 この辺りから占冠までは27km程の距離です。


 占冠には特急列車が走る石勝線と千歳空港や札幌へ伸びる高速道路のICがありますので、来年4月に根室本線の富良野-新得間が廃止になれば、国道237号の役割が増すことでしょう。

 


 列車は程なく金山駅に停車しました。


 素朴で鄙びた雰囲気の駅舎が見えます。


 金山駅は1900(明治33)年の開業です。

 

 この辺りは西に位置する夕張岳山稜から流れるトナシベツ川からトナシベツの地名でしたが、周囲の川から砂金が採れることから金山の地名になったそうです。


 私が帯広で学生生活を過ごしていた頃、サークルの仲間が、帯広駅を22時頃に発車する札幌行き普通夜行列車に乗って、夜明け前の3時頃に金山駅で降り、夜明けと共にトナシベツ川沿いの林道を7km程歩き、その後尾根に取り付いて夕張岳に登った話を聞かされました。


 私もそれを聞いて、夕張岳固有種であるユウバリコザクラなどが咲く季節に登りたいと思いましたが、願いは叶えられませんでした。


 しかし65歳になった2016年、サークルの後輩で札幌在住の森幸二さんが付き合ってくれて、念願の夕張岳に登ることができたのです。嬉しかったな~


 森さん、あの時はお世話になりました、本当に有難う。

 

 
 列車は7時49分に金山駅を発車しました。

 


 車内に目を向けると、ベンチシートに女子高生らしき姿が見えます。

 


 通学途中のようです。

 

 

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芦別岳が見たくて

2023-10-25 00:02:47 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

  列車は中富良野駅に停まりました。


 しかし列車が中富良野駅に停まる前に、ラベンダー畑という駅を通過しました。(写真は撮れませんでした)


 私はこの駅を知りません。


 ネットで検索すると、1999年に開業した、夏のラベンダー観光客用の臨時駅だそうです。
 

 

 中富良野駅を出た列車は、玉ねぎ畑が広がる中を走り、

 


 鹿討(しかうち)駅に次いで学田駅に停まりました。


 鹿討の名は当地に鹿討(ししうち)豊太郎が開設した「鹿討農場」に由来します。


 次の学田駅の名は、1896(明治29)年ごろに、付近一帯が札幌農学校(現北海道大学)の演習田畑だったことに由来します。

 


 この辺りまで来ると、列車の進行方向に、富良野スキー場のゲレンデと、その裾に建つ新富良野プリンスホテルの白い影が見えてきました。

 

 富良野スキー場は、1977(昭和52)年にワールドカップが開催され、その後幾度も国際大会が開催されています。

 

 私も数え切れぬ程このスキー場に足を運びました。


 1980年に、知人の紹介で新プリンスホテル直下の山林を購入し、つい最近まで所有していたのですが、定年後に山小屋を建てようとすると、周囲が市街地調整区域に変わっていて、道路を整備しないと建築許可が下りなかったのです。


 しかし道路用の資金が足りず、手は尽くしましたが、最終的に手放すことにしました。

 

 若い頃に見た夢なんて、所詮そんなものですよね。

 


 山仲間や大学サークルの後輩達を呼んで暖炉を囲み、酒を酌み交わしたかったのですが、残念です。


 そして列車は富良野駅に到着しました。

 

 
 駅のホームから富良野スキー場の北の峰ゲレンデが見えました。


 あの斜面の起伏や雪の感覚が足に甦りますが、再びこのスキー場でスキーを履くことはないかもしれません。

 


 富良野で、滝川発の根室本線の列車に乗り換えました。


 富良野線では十勝連峰が見たくて、車両の左側に座りましたが、今度は夕張山地の芦別岳が見たくて、右側に座りました。

 



 しかしです、空は晴れているのに、標高200m付近から2000m辺りまでが雲に隠れています。


 富良野スキー場のゲレンデ斜面も雲に隠れていました。

 


 そして案の定、列車が進む先に見える筈の芦別岳を厚い雲が覆っていました。

 


 富良野駅を出た列車は次の布部駅に停まりました。


 私の記憶にある布部駅は板張りの茶色っぽいイメージですが、それより綺麗になっています。


 そしてこの駅が、ドラマ「北の国から」の舞台となった麓郷への玄関口です。

 


 列車は根室本線を進んで空知川を渡りました。

 


 そして程なく山部駅に到着しました。


 この駅を降りて、西へ4kmほど歩くと芦別岳の登山口に至ります。


 金曜日の夕方に仕事を終え、最終列車を乗り継いで山部駅で降り、雪道を歩いて芦別岳の登山口で夜を明かし、夜明けを待って山に登ったこともありました。

 

 

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高山植物を話題に酒を酌み交わす

2023-10-24 00:18:15 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 富良野行きの列車は美瑛駅を出ると、美瑛川と空知川の分水嶺となる丘を上り、美馬牛(びばうし)駅に停まりました。

 

 もしかすると、この駅のプラットホームに育つのはアカマツかもしれません。

 

 しかし、アカマツに良く似たヨーロッパアカマツという木があります。

 

 その木は耐寒性があって、シベリアなどにも分布しますので、一目見ただけの判断は控えるべきです。

 

 

 ところで、この美馬牛駅で旭川行きの列車とすれ違いました。

 

 それで気付いたのですが、富良野線のほぼ中間点がこの辺りなのです。

 

 富良野線は旭川と富良野を結ぶ全長54.8kmの単線で、美瑛-旭川が23.8km、美馬牛駅-旭川が30.6kmですから、美馬牛駅で上下線の列車がすれ違うのは、さもありなんです。

 

 

 美馬牛駅は周囲を防雪林に囲まれますので、景色は良くありませんが、この辺りを車で走ると、北の方角に、麦畑や馬鈴薯畑の先に大雪山系の旭岳、

 

 

 そのまま視線を右へ移すと十勝連山の峰々

 

 

 そして、清々しい富良野岳の姿を堪能することができます。

 

 

 美馬牛駅の横の踏切を渡って、丘の上に続く道を進むと、丘の斜面を花で飾る「四季彩の丘」や、先に紹介した風景写真家の前田真三さんの作品が展示される拓真館が貴方を待ちます。

 

 列車が美馬牛駅を出て、5~6分後に、丘の斜面の下に上富良野の街が見えてきました。

 

 

 上富良野町は富良野盆地の北端に位置しており、冬はマイナス25℃を下回ることがあります。

 

 私が旭川に住み始めた最初の頃は、この駅で列車を降りて、バスで十勝岳温泉まで行き、そこから富良野岳を目指しました。

 

 当時のバスは、トトロの森に出てくるようなボンネットバスだった記憶があります。

 

 

 山から下りて十勝岳温泉の露天風呂に入り、一風呂浴びた後で呑むビールの味は格別でした。

 

 そして思い出すのは、旭川から北へ50km程の場所に士別という街があり、その街で開業するお医者さんが、自宅で高山植物を育てるのが趣味なので、私は何度か、高山植物を目的に、富良野岳をご案内したことがあります。

 

 その頃私は独身でしたから、金曜日の夕方に士別の医院を訪ねると、「今日は泊まってゆきませんか」と誘われ、夕食後に美酒を振る舞われながら、仕事の話しなどは一切せずに、山や高山植物の話に花を咲かせることが度々でした。

 

 

 

 上富良野駅を出ると、列車は5分後に西中駅に停まりました。

 

 今回駅名の由来を調べると、中富良野町の西部にあるからの命名だそうです。

 

 

 列車1両程の長さのホームだけの駅がニンジンや玉ねぎの畑の中にポツンと佇んでいます。

 

 そして私が座る席のすぐ横で、北海道に来たことを感じさせるオオイタドリが、白い花を咲かせていました。

 

 

 

 

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車窓に十勝連峰の山々

2023-10-23 00:18:48 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 美瑛を出発した列車は直ぐに美瑛川を渡りました。

 

 この美瑛川は十勝連峰北端のオプタテシケ山と大雪山南部のトムラウシ山を結ぶ稜線鞍部から流れ出る一級河川です。


 そもそも美瑛という地名は、アイヌ語のピイェ(脂きっている)が語源で、この川が十勝岳の硫黄を含んで乳白色に脂ぎったことに由来します。

 


 そして美瑛川の上流には、常に観光地の上位にランクされる「青い池」があります。


 この池は、美瑛川本流に、アルミニウムを含む支流の水が混ざって青くなるそうで、風のない青空が広がる日に見る幻想的な光景は、世界中からの観光客を魅了します。

 


 美瑛川を渡った列車は、上川盆地と富良野盆地の分水嶺の丘へ上り始めました。


 ほどなく車窓左手に、十勝連峰の山々が姿を見せ始めました。


 私が今回富良野線に乗るルートを選択したのは、この光景が見たかったからです。


 十勝連峰の北端に位置し、美瑛川の源流となるオプタテシケ山からトムラウシ山へと続く稜線は見えませんが、若かりし頃に私は、これらの山に幾度も足を運びました。


 層雲峡の黒岳から登り、忠別岳、トムラウシ山、コスマヌプリ鞍部、の3泊4日で大雪・十勝連峰縦走をこなしたことも、その逆ルートを歩いたこともあります。


 縦走を終えて下山しながら、今度は2泊3日でチャレンジしよう、と思ったことを懐かしく思い出します。


 そのオプタテシケ山ですが、アイヌ語の「鉾がそれた」を意味し、妻である雄阿寒岳が怒って鉾を投げつけ、途中で然別の山が伸びあがって鉾を阻止して難を逃れた、という伝説に因るそうです。

 

 アイヌ人も和人の妻も、あ~恐ろしか!

 

 

 今日は大気中に水蒸気が多く、スッキリした写真は撮れませんでした。


 しかし、今は霞んで見える峰々も、雪の季節に、朝日が昇り始めた瞬間、別世界に迷い込んだかと思う光景に変わります。


 下の写真の稜線の奥で、御来光を浴びて聳えるのが富良野岳です。


 遠くに日高山脈が横たわります。

 

 
 夜明けとともに神秘の世界が広がる瞬間の喜びを、私は今も忘れません。


 そしてほぼ同じ場所で振り返えると、十勝岳が深い眠りから目を覚まし始めました。

 


 旭川で医薬品プロモーションの仕事をしながら、私はこの頃、休日のほぼ全てを山で過ごしました。


 5月の連休が過ぎて、雪が解け始めると、高山植物が花を咲かせます。


 尾根を彷徨い、湿原のぬかるみに足を取られながら、花を求め、山の景色をフィルムに収め続けていた日々を思い出します。

 

 

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美瑛駅 なかなかにおしゃれな工夫です

2023-10-22 00:52:17 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 西神楽を出た列車は数分で西聖和駅に停車しました。


 私は十勝連峰が見たくて、進行方向左側の席に座りましたが、西聖和駅は右側に1面のホームがあるだけなので、停車中に見える景色は旭川空港がある丘陵地の森だけです。

 

 

 次に停車した千代ヶ丘駅の名が北海道らしくないので、名の由来を調べました。


 明治の頃、この辺りに「上川離宮」を設置する計画があり、今の旭川空港を含む一帯を「御料地」と定めたそうです。しかし計画はうやむやになり、その後民間に払い下げられました。


 その時この付近を【千代に八千代に栄える】ことを願って千代ヶ岡と名付けたそうです。


 そういえば、富良野線の周囲の西御料とか西神楽とかの地名も、そんなことに関わるかもしれません。

 


 列車が千代ヶ丘駅を過ぎると、周囲に稲穂が広がりました。


 今はこのような光景に少しの違和感もありませんが、北海道で稲作が成功したのは1873(明治6)年で、それ以前は、北海道は寒すぎて稲作は不可能とされてきました。


 私が帯広で暮らし始めた1971年頃は「北海道の米は不味い」と評されましたが、2011年になり、品種「ななつぼし」が初めて食味ランキングで特Aを獲得しています。

 

 

 列車は次に、北美瑛駅に停まりました。


 私が旭川で働いていた頃、この駅の横の踏切を渡って、国道237号と並行する裏道を抜けて美瑛の町に入りました。


 その方が、早く目的地に着くことができたのです。


 仕事の効率を高め、夜はナイタースキー、休日は山登りに集中したいと考えました。

 


 そして列車は、ケンとメリーの木や

 


 マイルドセブンの丘などへと通じる

 


 丘陵地を下り、美瑛市街に入りました。


 美瑛という町が世に知られるようになったのは、1987年に風景写真家の前田真三が美瑛の丘陵地を撮影した、欧州風の美しい景色がテレビで紹介されて以降のことです。


 そして美瑛駅の駅舎は、1952年に美瑛軟石を使って新築された、駅舎としては珍しい石造りの建物です。

 


 列車が美瑛駅に10分停車する間に私はホームに降り、懐かしい町並みを眺めました。


 昔は木造住宅が並ぶ、ありふれた田舎街でしたが、今は建物の高さを制限し、屋根の勾配を揃え、統一感のある街並みとなっています。

 

 駅のホームを歩いて列車に戻る時、列車の乗降口の1899という数字に気付きました。


 ワンマンかーの運転手さんに「これって何ですか?」と聞くと、運転手さんが駅員に問い合わせてくれた答えは、「これは美瑛駅が設置された年です」とのことでした。

 

 

 気付かない人も居るかと思いますが、ん~ なかなかにおしゃれな工夫です。


 グッドジョブ(good job)です!

 

 

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失敗談でブログを面白く

2023-10-21 00:05:44 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 旭川の駅に近い河原のテントで目を覚ましました。


 近くの森で小鳥達の囀りが聞こえます。


 そして私はもう一度ブランケットを被り、二度寝の夢に戻りました。


 旭川から先は、5時41分の富良野行きに乗って富良野から根室を目指します。


 しかし今日は、旭川で安息日の予定です。


 2019年の青春18きっぷの旅で、無理目のスケジュールをこなし、喘息を発症したので、今回は体を休めることにしました。


 なにしろ、昨晩は青函フェリーで4時間程の睡眠しかとれていないのです。


 古稀を過ぎたら無理は禁物です。


 しかしその翌日、私は旭川駅の改札口で狼狽えました。


 富良野行き列車の発車時間が6時41分と表示されていたのです。


 改札口で駅員に確認すると5時41分発の富良野行きは休日運休だそうです。


 そうか!今日は日曜日なのか!

 

 この十数年間、毎日が日曜日だったので、曜日の感覚がマヒしています。

 

 ということで、今日も安息日です。


 という失敗談でブログを面白くして(負け惜しみです)、旭川で十二分に体を休めた私は、月曜日の富良野線の始発列車に乗り込みました。

 


 列車が列車が発車すると、旭川駅の南側に作られた公園とその奥に幌内山地の山々が見えました。


 私はこの景色を初めて見ます。

 

 と言うのも、私が旭川で暮らした40数年前に、函館本線や富良野線は地上を走っていたので、旭川駅から、西の方角に山は見えなかったのです。

 


 そして程なく、列車は神楽岡(かぐらおか)駅に停車しました。


 この駅の近くに、精神科医の田上先生がお住まいでした。


 先生は、私が山で高山植物の写真を撮ることを知り、それが切っ掛けで、山へ一緒に登って高山植物の写真を撮り歩いた日々を思い出します。


 何度かご自宅に招かれ、クラシックレコードを聴きながらワインを頂いたこともありました。

 

 
 その次が緑ヶ丘駅です。


 この駅は住民の請願によって、1996(平成8)年に開業しました。


 駅の周囲に住宅が立ち並んでいます。


 旭川の社会人山岳会で一緒だったTさんが、この辺にお住まいの筈ですが、ご健勝にお過ごしでしょうか。

 


 列車が次の西御料駅を出た頃から、周囲に田が広がりました。

 


 西瑞穂駅付近で、左手に旭川空港を載せる丘陵地が見えてきました。

 

 
 そして西神楽駅。


 私は、ほぼこの辺りまでが旭川市内のイメージを持ちます。

 


 ところで、あまりにも慣れ親しんできた旭川なので、何でアサヒカワなのを考えたことはありませんでした。


 そこでググってみると、


 「市内を流れる忠別川をアイヌが「チュクペツ」と呼ぶのを和人が聞いて、「チュプペツ(太陽川=日が昇る川)」と解釈して、1890(明治23)年に命名された」だそうです。

 

 

 

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命短し、旅せよおじさん

2023-10-20 00:19:36 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 銀山駅を15時42分に発車した列車は、10分後の15時52分に然別駅に到着しました。
 


 すると、反対側の倶知安方面のホームに一両の気動車が見えました。

 

 あ、これだと思いました。ETさんが銀山駅で待つ列車です。


 時刻表を確認すると、倶知安行き列車の発車時刻は、私が乗る列車が着いた1分後の15時53分でした。


 この駅での乗り換えは不可能です。


 なので現状では、青春18きっぷを使って、函館から一日で往復できる、函館本線で最も遠い駅は銀山駅ということになります。


 ちなみに、函館から銀山までの距離は213.4km、運賃は4510円です。


 そして、函館と旭川を結ぶ函館本線の距離は423.1kmですから、その半分は211.55kmです。


 つまり銀山駅の2km程手前が函館本線の中間地点となります。


 私は函館本線の普通列車を乗り通しましたが、ETさんはこの日、ほぼ同距離を普通列車で移動したことになります。


 しかしま~ 一銭にもならず、誰かに褒められる訳でもなく、お互いにおバカですよね~!


 ですが、ドイツの詩人ゲーテはこんなことを語っています。


 「旅は、到着するためでなく、楽しいから」


 
 そうですよ皆さん、人生を楽しんでますか?

 

 命短し、恋せよ乙女。


 命短し、旅せよおじさん、なのです。

 

 さて、列車が然別駅を出た頃から周囲の景色が変わりました。

 

 

 沿線にブドウ畑が広がり、空と大地を隔てる稜線が穏やかな曲線を描きます。


 そして列車は仁木駅に停まりました。


 仁木の名は、1879(明治12)年に徳島県から仁木竹吉らが集団入植したことに因ります。


 仁木町では早くからリンゴ栽培が始まり、今はサクランボやブドウの栽培も盛んです。
 

 

 そして列車は5分後に余市駅に停車しました。


 余市は2年前に北限のツバキを訪ねて以来です。


 この辺りでリンゴが育つ気象条件が、ツバキの生育と合致するのかもしれません。

 

 
 その後、列車は蘭越、塩屋を経て小樽駅に終着しました。

 

 小樽も数え切れぬ程の想い出があります。


 私は車で北海道を訪ねる場合、東京から新潟に走り、そこから小樽行きのフェリーを愛用しました

 

 フェリーの運航時間や、大洗からよりもフェリー料金が安いことなどが主な理由です。

 


 私は小樽で千歳空港行きの快速電車に乗り換え、札幌駅に17時過ぎに到着しました。

 


 札幌から旭川へ向かう普通列車は19時36分発です。


 2時間以上の待ち時間がありますが、私は電機屋でカメラのメモリーを買い足し、ゆったりと食事を摂って寛ぎの時を過ごしました。

 

 そして私は、長い旅の一日を終え、22時34分に旭川駅に降り立ちました。

 

 

 

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青春18きっぷの魔力

2023-10-19 00:13:23 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 

 

 皆さん、トニーザイラーの「白銀は招くよ」という映画をご存知ですか?


 あるいは「白い恋人たち」という映画をご存知でしょうか?


 「白い恋人たち」は1968年にフランスのグルノーブルで開催された第10回冬季オリンピック競技とグルノーブルの風景を記録した映画で、その主題歌が「白い恋人たち」です。


 私は、1975年から北海道の旭川で社会人生活を始めましたが、土日は山に登り、平日の夜は市民スキー場の「白い恋人たち」のメロディーが流れるゲレンデでナイタースキーに熱中しました。


 富良野やニセコなどへも数多足を運びました。


 そんなことを思い出す景色を眺めていると、列車は比羅夫駅に到着しました。


 比羅夫の名は、飛鳥時代に安倍比羅夫という将軍が当地に政所を置いたことに由来するそうです。


 2019年の青春18きっぷの旅でも紹介しましたが、この駅舎は宿泊できます。


 4年前より宿泊料が上がり、二人で泊まると6000円/人程度のようです。

(2023年10月10日現在)


 
 比羅夫駅を出た列車から振り返ると、晴れた日には、以下のような羊蹄山の姿が見えます。

 

 しかし残念ながら、この日、羊蹄山は姿を見せてくれませんでした。

 


 そして列車は倶知安駅に終着し、私達は小樽行きの列車に乗り換えました。

 


 朝からご一緒したETさんは、この駅で小樽行きの列車に乗り換えて銀山駅まで行き、銀山駅で倶知安へ戻る列車に乗って、再び長万部へ戻り、そこで函館行きの列車で同じ鉄路を帰るそうです。


 もし銀山駅で倶知安行きに乗れなければ、長万部辺りの何処かで宿を探すことになります。

 

 次の仕事に影響を与えるかもしれません。


 でもしかし、銀山駅でミスったら、函館か青森から新幹線を使えば十分に対応はきます。


 ETさんはスマホで、列車の時刻表を入念に確認していました。


 私ならば、倶知安で長万部行きを待つ安全策を選んだと思いますが、ETさんの気持ちも良く分かります。


 可能な限り遠くまで行きたくなるのが、青春18きっぷの魔力なのです。

 

 

 小樽行きの列車が倶知安駅を発車しても、私は何だか落ち着きません。


 私には、これから先の状況が全く読めません。


 スマホや時刻表持たぬ私には、ETさんの判断を確認する術がないのです。


 倶知安駅を発車すると列車は倶知安峠を越え、11分後に小沢という駅に停車しました。

 


 そして次が銀山駅らしいのです。


 列車が銀山駅に近づくと、ETさんはポケットからコンビニのレシートを取り出し、氏名とメールアドレスを書いて私に手渡しました。


 私も慌ててポケットを探って、レシートらしき紙の裏に名前とメールアドレスを書いてETさんにお渡ししました。


 そして私達は握手を交わし、ETさんは足早に銀山駅のホームへ去ってゆきました。

 

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ニセコアンヌプリの斜面が好き

2023-10-18 00:03:51 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 

 

 前回の旅で、長万部から二つ目の黒松内の「北限のブナ林」を紹介しましたが、あの時から、この地名はきっとマツに関わるに違いないと考えました。


 今回の旅のテーマの一つが「松生育の北限地探し」ですから、「黒松内」の名の由来をググってみると、


 「町名は、アイヌ語の「クル・マツ・ナイ(和人の女の居る沢)」で、昔、出稼ぎの漁夫を慕ってきた妻たちが、この地でシケに遭い、そのまま滞留したと伝わる」 でした、ん~ 残念。


 そして、黒松内町のホームページに「町は日本海と太平洋の双方からの影響を受け、春から夏は、噴火湾で発生する濃霧が流れ込んで低音となり、冬は日本海からの北風が大量の雪をもたらす多雪地帯」と記されていました。


 アカマツやクロマツの生育には適さないかもしれません。

 


 黒松内の次に熱郛(ねつぷ)駅に停車しました。


 熱郛という地名はアイヌ語の「クンネ・ネッ・ペッ(黒い標木[目印となる木]の川)が詰まった言葉に由来するそうです。


 ところで、この旅の主旨は植物観察ですから、車窓に時々ヌルデらしき花を見かけますが、走り進む列車から撮影するのは無理です。

 

 

 熱郛駅を過ぎた列車は、急こう配を上り始めました。


 目名峠を越えて蘭越町に入り、列車は15.4kmを7分かけて目名(めな)駅に停車しました。


 メナの意味ははっきりしませんが、目名川と呼ばれる小川が道南に多く存在し、それらはどれも、支流・細流・溜水の類だそうです。

 


 目名峠で分水嶺を越えた列車は軽やかに走り続けて蘭越駅に停車しました。


 蘭越という地名は「ラウン・ウシ(桂の木の多い所)」が由来ですが、カツラは豊かな清流の畔に育つ印象があります。

 

 そして、ニセコ連峰の裾を廻る尻別川は清流日本一に認定されたことがあります。


 森の中には、大きな葉を茂らせたホウノキを見かけますが、普通列車程のスピードでも、気づいた瞬間にシャッターを押すことはできません。

 

 

 列車は蘭越駅を過ぎて東へ向かい、左手に尻別川を見ながら上流へ進みます。

 

 2018年の旅では、下の写真のように、この辺りから羊蹄山が見えてきました。
 
 

 

 そして程なく昆布駅に到着しました

 

 周囲が山ばかりの駅に「昆布」の名を見ると、誰もが何故なの?と思います。

 

 アイヌ語の「トコンヌプリ(ちいさなコブ山)」が由来と説明されますが、詳細は不明だそうです。

 


 列車は蛇行する尻別川の岸辺に沿って進み、時に鉄橋を越えてニセコ駅に至りました。

 


 この日のニセコアンヌプリは雲に覆われて姿を見せませんが、晴れていれば以下のような山容を見ることができます。

 

 

 私はニセコアンヌプリの斜面が好きで、昔々の頃、頂上直下の斜面で雪まみれになって遊んだことを思い出します。
 

 

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函館本線の運行状況が興味深い

2023-10-17 00:30:39 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 私はETさんと一緒に長万部駅の跨線橋を渡って4番線ホームで列車を待ちます。


 目の前の待避線に一両の気動車が停まっていました。


 この車両が我々を倶知安まで連れて行ってくれるようです。

 


 目の前に倶知安行きが待機していますが、今日現在、函館本線の長万部と蘭越の間は普通列車がたった4本運行されるのみです。

 

 蘭越から先は列車の本数が増えますが、長万部から先の函館本線はローカル線並みです。

 

 

 

 ところで、最初の写真の気動車を囲む景色が非常にスッキリしています。


 架線がありまあせん。


 今更ですが、函館本線は新函館北斗と小樽の間が電化されていないのです。


 しかも、長万部・小樽間は全て単線です。


 普通列車が一日4本なら無理もない話です。


 そんな函館本線の運行状況を確認する為にJRの時刻標を調べて、面白いことに気付きました。

 

 下が函館本線の時刻標ですが、何か違和感を覚えませんか?

 


 私は、函館本線の上下線の運行本数が非対称であることに気付きました。


 長万部から蘭越方面へ1日4本の列車が走り、蘭越から長万部へ1日5本の列車が走ります。


 こんなことを続けていたら、長万部に車両と運転手さんが積み上がってしまうのではと心配します。

 

 そのイメージを絵にすれば、こんな状況です。

 


 勿論、こんなことにならない対策が施されている筈ですが、長万部と蘭越間の列車運用本数が非対称なのは、どんな理由があるのでしょうか。

 

 どなたかご存知の方はいらっしゃいますか?


 それにつけても、興味深い話しです。

 

 私はETさんと、列車に揺られながら長万部での経験を語り合いました。


 とは言っても、ETさんは50歳、私は72歳で、壮年と高齢男性二人の会話は姦しくはなりませんが、ETさんは長万部でカニ飯を食べてきたそうです。


 そういえば、長万部はカニ飯弁当が名物でしたよね。


 そして、前回の旅で出会った「まんべくん」を思い出しました。

 私は歳とるとともに、お腹が空かなくなったので、お昼は菓子パン一個で済ませました。


 長万部駅を出た列車は緑に包まれた線路を北へ向かいます。

 


 そして写万部山らしき山が見えてきました。


 この辺りが二股駅の筈ですが、駅のホームは私達が座った席の反対側なので、写真はありません。


 二股という地名は、この辺りで二股川と知来川が合流することに由来します。


 二股川の上流には、全国の秘湯ファンが一度は訪ねたいと願う「二股らぢうむ温泉」があります。


 私もかなり前から意識していますが、二年前の夏も、この辺りに来る時は何時も、何処かを目指して走り抜けるばかりで、ゆったり湯に浸かって、という気分になりません。 

 

 

 非常に勿体ない話です。

 

 

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長万部 町民センター

2023-10-16 01:59:09 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 

 先程は、国道5号線の交差点を右折しましたが、今度はその交差点を突っ切って真っすぐ進み、踏切を渡って温泉街の方へ向かいました。


 道なりに進んで行くと、町民センターと表示された建物が見えました。


 長万部町の博物資料館のようです。


 中を覗くと誰もいません。


 入園料の表示もないので、「おじゃまします」と呟きながら中に入りました。


 一階のホールに軌道自転車が置かれていました。

 

 

 南極の石が展示されていました。


 「南極の昭和基地周辺の露岩地帯は2億年前のゴンドアナ大陸の一部です。

 

 また強い風の作用で、硬い岩石がえぐられ、奇妙な形の蜂の巣岩(風蝕岩)などは日本では見られない貴重な岩石」だそうです。

 

 

 

 館内は二つに分かれ右が歴史資料室、左は鉄道関係の資料室のようです。


 右の部屋に入ると、3憶5千年前から始まる、長万部の年表が壁一面に掲げられ、それに関連する資料が展示されていました。


 6000年前ごろ、今の長万部辺りに人が住むようになったと言われ、

 

 
 当時の人達は石器を使い、

 

 

 縄文土器を作っていたそうです。


 世界遺産となった「北海道・北東北の縄文遺跡群」と重ね合わせて考えると興味深いものがあります。

 

 

 そして鎌倉時代、源頼朝に敗れた奥州藤原氏の残党が松前から木古内にかけて住むようになります。


 奥州藤原氏の名で、秋田で見た後三年駅を思い出しました。


 1670年頃、長万部は国縫を中心に交通の要所として栄えました。

 

 そして、あの新鮮組が京都で池田屋事件を起こした1864年に長万部村が設置されます。

 


 長万部という村、町に限らず、北海道入植が160年程の歴史(赤い枠内)でしかないことを再認識しました。

 


 6000年前から続く長万部を始めとする北海道での人々の暮らし。


 そして僅か120年前に長万部に鉄道が通り、その鉄道が今変革の波に晒されています。


 それらを踏まえ、今から50年後の日本にどんな変化が待っているかを考えさせられます。

 

 客観的で柔軟な発想が求められる気がしました。

 

 更に興味深かったのが、鉄道関係の資料室です。


 函館本線を走っていた蒸気機関車の貴重なプレートが揃い、昔北海道で活躍した「すずらん」「狩勝」「大雪」「利尻」等の懐かしい急行列車の行先表示などは他では見ることができない資料です。

 

 

  

 青春18きっぷで北海道を旅する程の鉄道マニアであるなら、長万部の町民センターを絶対に訪ねるべきでしょう。

 


 私は町民センターで結構な時間を費やしました。


 しかしまだ時間に余裕はありますが、早めに駅に戻ることにしました。


 駅に戻ると、ETさんが先に戻っていました。


 長万部温泉の丸金旅館で一風呂浴びてきたそうです。

 

 熱くて、記憶に残るお風呂だったそうです。


 観光センターで得たパンプレットを見ると、青春18きっぷの旅の待ち時間内で、3施設が利用可能のようです。

 

 

 

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長万部 あやめ公園

2023-10-15 00:11:29 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 長万部(おしゃまんべ)で乗り継ぐ倶知安(くっちゃん)行き普通列車の発車時刻は13時29分なので、長万部で2時間17分の待ち時間があります。


 私は長万部でレンタサイクルを借りることにしました。


 長万部でのサイクリングの前に長万部町市街の概念図を示したいと思います。


 今回私は、ABCDの順(矢印 参照)に自転車で市街を巡りました。

 


 前回同様、普段なかなか目にすることがない海浜植物を見たいと思いました。


 Bの場所で海岸に降りるとハマニガナが黄色い花を咲かせていました。


 ハマニガナは日本全国の海岸の砂地に生える多年草で5~10月に花を咲かせます。

 

 

  しかし今回、海岸で目にした花はこれだけでした。


 本州で秋に咲く花を見たいと思いましたが、今年は北海道も夏が暑かったそうで、その影響かもしれません。


 海岸を離れて、あやめ公園へ行くことにしました。


 私のホームページの項目に、「全国の花菖蒲・あやめ園」があります。


 今はあやめが咲く季節ではありませんが、長万部あやめ公園を確認したいと思いました。


 長万部訪問は三度目なので、凡その位置が頭の中にあります。


 国道5号を北へ進み、線路を渡りました。

 

 
 そのまま500mも進んだ交差点に、「右があやめ公園」の表示がありました。


 橋を渡った先で、左へ曲がる表示があり、100m程も進むと、あやめ公園に到着しました。

 

 パークゴルフ場が併設されているようです。

 


 管理棟の横に自転車を止め、公園の様子を確認しました。

 

 

 川の対岸でパークゴルフに興ずる人の姿が見えます。


 長万部のあやめ公園は、パークゴルフ場の中にアヤメが分散植栽されていました。


 一般的には、アヤメ、ハナショウブ、カキツバタをアヤメと称します。


 アヤメは乾いた場所に育ち、外側の花弁に網目模様があります。

 ハナショウブはハナアヤメの別名を持ち、アヤメの名で呼ばれることがありますがアヤメとは別の植物です。

 

 「長万部あやめ公園」で検索すると、植栽された花はハナショウブでした。


 長万部のあやめ公園に植えられているアヤメはハナアヤメです。
 

 

 今回は、長万部で「あやめ公園」を確認することができました。


 花の季節は6月中旬のようです。


 その季節に、再び訪ね来たいものです。


 6月中旬に北海道を訪ね、シバザクラやチューリップ、菜の花を絡め、道内を廻るアイデアが浮かびます。


 あやめ公園を見終え、自転車で元来た道を戻りました。


 戻る途中の路傍に、民家の庭に咲くナツズイセンを見かけました。


 ナツズイセンは通常8月に花を咲かせますが、今日は9月18日です。


 北海道も今年は通年とは異なる異常気象だったようです。

 

 

 

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日本で唯一 太平洋と日本海に接する町

2023-10-14 00:11:16 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 八雲駅を出た列車は7分後に山崎駅に停車しました。


 進行方向左側の駅の周囲に数件の民家が見えます。


 民家の横で、屋根の高さを超える針葉樹が気になりますが、木の種類が分かりません。


 以前の記事にも書きましたが、今回の旅のテーマの一つが「マツの北限地」なので、針葉樹を見るとレンズを向けたくなります。

 

  
 反対側に噴火湾の海原が広がっていました。


 この辺りの噴火湾は、視界の先が湾口なので、海がひろやかです。

 


 次の黒岩駅名はアイヌ語の「クンネ・スマ(黒い・石)」に由来し、付近の海岸に黒い柱状節理の岩礁があるそうです。


 そして、黒岩駅の所在地は北海道二海郡八雲町黒岩です。


 二海郡八雲町は日本の市町村で唯一、同一行政区内で太平洋と日本海に接しています。

 

 2005(平成17)年に山越郡八雲町と爾志郡熊石町が合併し、二海郡八雲町が発足しました。

 

 その時初めて、日本で太平洋と日本海に接する町が誕生しました。


 同時に新設された二海郡(ふたみぐん)は、太平洋と日本海に面するという意味が名の由来で、二海郡は八雲町だけで構成されます。

 

 
 列車は長万部町に入り、国縫(くんぬい)駅に停まりました。


 クンヌイはアイヌ語の「クンネヌイ(黒い・野火)」や「クンネナイ(黒い・川)」が名の由来と説明されます。これを「くんぬい」と読める人は相当の北海道通だと思います。

 

 例えば、私の周囲の人達はみな、後志(しりべし)を「あとし」と読みますが、それが普通なのだと思います。


 1987(昭和62)年3月16日までは、この駅から日本海側の瀬棚町まで、瀬棚線が渡島半島を横断していました。


 瀬棚線には、函館から直通の急行「せたな」が運行されていました。


 瀬棚線廃止後は瀬棚町から長万部まで1日7本の代替バスが運行されていますが、その代替バスも近年利用率が低下しているようです。

 


 次の中ノ沢駅は、来年春のダイヤ改正に併せて廃止される予定で、1904(明治37)年から120年間の歴史に幕を下ろすことになります。

 

 開業当初は紋別駅と名付けられましたが、北海道内に同名の駅が多いことから、1914(大正3)年に中ノ沢駅に改称されました。

 

 中ノ沢の名は、この場所が二つの川の中間にあって、沢を成すことによります。

 


 中ノ沢駅を出ると程なく、車窓右手に並走する国道5号線が見えてきました。

 

 この国道も、高速道路の道央道が函館付近まで伸びた今は、昔程の交通量ではない気がします。

 


 列車が森駅を出た頃から私は、駅名などの撮影をせずに、のんびりと窓の景色を眺めながらETさんと旅の話しを続けてきました。


 この時ETさんから、ネットカフェに泊まることを教わりましたが、それが後で役立つことになります。


 そして列車は11時12分、2時間56分の運行を終えて、長万部(おしゃまんべ)駅に到着しました。

 

 

 

 

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旅は3つのステージで構成されます

2023-10-13 00:24:34 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 前回の 石谷駅と本石倉駅には本当に驚かされました。


 そして列車は石倉駅に停まり、続いて落部(おとしべ)駅に停車しました。


 これも2018年の写真ですが、緑色のスレート屋根を被った木造駅舎が雪国ならではの北海道らしさを感じさせます。


 駅名は、アイヌ語の「オテㇱウンペ (川尻・ヤナ・ある・処) 」に由来すると説明されます。アイヌがサケを捕る為のヤナ場があったようです。

 


 函館本線は落部駅の前後で海から少し離れましたが、トンネルを出ると再び海岸に戻りました。


 線路のすぐ傍が波打ち際です。


 この海は内浦湾で噴火湾とも呼ばれています。


 内浦湾(噴火湾)は室蘭の地球岬と渡島半島の砂原町砂埼を結ぶ線の内側で、ほぼ円形を成す海域で、イギリス人の船長が18世紀末に、湾を囲む駒ヶ岳、有珠山、樽前山の噴煙を見て、volcano bayと記して以来、噴火湾と呼ばれるようになりました。


 噴火湾の地図を見て、この湾全体がカルデラと思う人がいるようですが(私もその一人でした)、そのような証拠は一切ないそうです。

 


 そして普通列車は、特急列車の客が気付きもしない野田生(のだおい)駅に停ました。


 ノダオイは、アイヌ語の「ヌプタイ(野・林)」あるいは「ノット、アオ、イ(岬のある所)」に由来すると説明されます。


 集落に寄添う駅舎が微笑ましく見えます。

 


 次は山越駅です。

 

 
 しかしここは、海のすぐ傍。


 何で山を越えるのかと思いますが、こんな不思議な駅名も、アイヌ語の「ヤム・クシ・ナイ(クリを捕る為に通る川)が名の由来だそうです。

 

 
 列車は山越駅を出た6分後に八雲駅に停車しました。


 八雲町に到着するまでは、ほぼすべての駅名がアイヌ語由来ですが、突然純和風な駅名に接し、バラ園でキクを見るような違和感を覚えました。


 八雲町は明治10年に旧尾張藩主徳川慶勝が八雲町開拓の為に3名の調査団を送ったことに始まります。


 そして徳川慶勝は入植地の名を、日本書記の「や雲たつ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」の冒頭から「や雲」を採って村名にしたと八雲町史に記されています。


 八雲駅は特急列車の停車駅で、函館から特急列車で1時間程度ですが、私が乗る普通列車はその倍以上の2時間18分をかけて八雲に到着しました。

 

 

 私は、旅は3つのステージで構成されると思います。


 一つ目は「構想のステージ」です。

 何処へ、どんな手段で、何を見聞きするかをシミュレートします。


 二つ目は「実行のステージ」です。

 旅に出ると、必ず予想は裏切られ、危機や想定外の果実が得られます。


 三つ目は「検証のステージ」です。

 旅の行程を振り返り、見聞きした経験の背景を探ることで、旅を昇華させます。


 そして今回の旅も、このブログを書く作業を通し、数十年前に北海道で過ごした頃に気になった、幾つかのクエスチョンを解き明かすことができました。

 

 

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