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電車は宮城、岩手、宮城、岩手と走ります

2023-09-27 01:04:57 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 電車は伊豆沼の畔を過ぎて迫川(はさまがわ)を渡りました。

 

 迫川流域は宮城県の全水田面積の1/4を占める穀倉地帯ですが、中下流域が低平地の為に水害の常襲地帯だそうです。

 

 前日に台風17号の雨を集めて、この日も川は溢れる程の水を湛えていました。

 

 

 迫川を渡ると数分で電車は石越駅に停まりました。

 

 この駅の周囲に豊かな稲穂の波が広がります。

 

 でも何で石越なのでしょう?

 

 周囲に道を塞ぐ岩山など見当たりません。石を背負って超える丘とは無縁の景色が広がっていました。

 

 暇に任せて検索すると、この辺りから礫を含む岩を産し、その岩から小石が生まれるので(石から小石)⇁(石小石)⇁(石越)が地名の由来と説明されていました。

 

 

 石越駅を出た電車は2km弱も走ると県境を越えて、宮城から岩手県に入りました。

 

 電車が岩手に入って最初に停車した駅が油島(ゆしま)です。

 

 石油が採れた場所かもしれないと思いましたが、調べてみると、この地区は昔、上油田、下油田、蝦島という三つの村があり、それが一つになった時、「油田」と「蝦島」で「油島」の名にしたそうです。

 

 この場合の油は、中尊寺に納めた菜の花油の産地を意味し、蝦島は蝦夷人の住居があったことに由来するそうで、石油とは無関係でした。

 

 

 次に電車は花泉駅に停車しました。

 

 花泉とは随分とおしゃれな地名ですが、その名の由来は、二本の桜の木が花を咲かせる場所から清水が湧き出ていたので花立泉(かりゅうせん)と呼ばれるようになり、それが花泉の由来となったそうです。

 

 

 一ノ関市花泉町には「花と泉の公園」という市立植物園があります。

 

 この植物園にはハス池があり、私は2009年の夏に、そのハスを見に訪ねたことがあります。

 

花と泉の公園」 2009年撮影

 

 花泉駅を出た電車は、清水原駅に停発車しました。

 

 そして宮城県の石越から岩手県の油島に入ったばかりの電車は、再び県境を越えて宮城県に入りました。

 

 ジグソーパズルのように入り組んだ県境地帯を、線路が縫うように走っているのです。

 

 県境を越えると電車は、東北本線における宮城県最北の有壁駅に停車しました。

 

 有壁は奥州街道の宿場町の一つで、一ノ関へ向かう峠の手前という地理上の要所であることから、本陣以外に70軒を超える旅籠があったそうです。

 

 現在は主要な交通網から外れ、往時の活気はないそうですが、江戸時代中期に改築された本陣や脇本陣だった酒造会社の土蔵などが残り、宿場町としての雰囲気が味わえるそうです。

 

 

 有壁駅を発車した電車は直ぐにトンネルに入りました。

 

 そして再び県境を越えて岩手県に入り、14時33分に一ノ関駅に到着しました。

 

 

 

 

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小牛田駅の駅舎は文化財級

2023-09-26 00:29:22 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 電車は鹿島台駅に続いて、周囲を田に包まれた松山駅に停車しました。

 

 
 そして見えてきたのが、巨大なカントリーエレベーターです。


 前回の青春18きっぷの旅でも、新潟県の五日町でも大きなカントリーエレベーターを目にしましたが、この地のそれも見事な規模です。

 300トン貯蔵できるサイロが5本ありますので、総量は1500トンです。

 

 ササニシキ10キロの市販価格が3500円とすれば、約3憶8千万円分の米が収まる計算です。

 

 
 そして電車は目的地の小牛田(こごた)駅に到着しました。

 

 
 小牛田駅で次の一ノ関行きの普通電車に乗り継ぎました。


 到着したホームから跨線橋を越えて隣のホームへ移動します。


 アメリカのカーネギー製鋼社が110年前の1912年に製造した古いレールを使った無造作な屋根と、その屋根に灯る蛍光灯、小さな窓と壁に貼られたポスター、跨線橋をゆっくりと歩く人々。

 

 そんな懐かしさを感じさせる昭和レトロの跨線橋が心に沁みます。


 この駅舎は資材に110年前のレールが使われているなど、もしかして文化財級の価値を持つ建造物かと思うのですが、如何でしょうか?

 

 
 この駅は、私が学生だった50年程前に何度も通過している筈ですが、駅名は全く記憶がありません。


 そこで地名の由来を調べてみました。


 【以前この地域は小田郡に属し「小さな田」を意味する「小小田(こおだ)」と呼ばれていたが、藩制時代になって隣村・牛飼村の頭文字を入れて小牛田と読ませるようになった。】だそうです。


 ところで小牛田は牛をゴと読みますが、牛蒡(ゴボウ)のゴですから、決して無理筋ではありません。


 小牛田駅を発車した一ノ関行きの電車はワンマンカーでした。

 

 
 乗客が電車に乗る時、乗客は自分でドア横に設置された開閉ボタンを押してドアを開き乗車します。


 下車する時は、運転席の後に示された運賃表を確認して、

 

 
 運転席の横に設置された運賃箱に運賃を収めます。

 

 

   
小牛田駅を出発した電車は、真北へ向かう線路を走り始めました。

 

 
 車窓に、見事な穀倉地帯の景色が広がっていました。


 進行方向右側の奥に、霊峰箟岳山(ののだけやま)の姿が見えていました。

 


 電車は、田尻、瀬峰、梅ヶ沢、神田の各駅を順調にこなして進みます。


 神田駅を出る時、意識して見ていた伊豆沼の姿を一瞬視野に捉えたのですが、残念ながら、シャッターを押すことに失敗しました。


 私は今から17年前の2006年の夏季休暇に、東北フリー切符を使って伊豆沼のハスを訪ねましたが、あの時目にした見事な光景が今でも思い出されます。

 

 

 

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松島や ああ松島や 松島や

2023-09-25 01:02:30 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 原ノ町からの普通電車は仙台駅へ12時18分に到着しました。

 

 

 次に乗り継ぐ小牟田行き普通列車は12時45分の発車予定です。


 仙台で27分の待ち時間を得たので、改札口を出ました。


 仙台駅に降り立つのは、もしかすると12年ぶりかもしれません。


 12年前の2011年3月10日、私は仙台支店の会議に出席する為、朝の新幹線で東京から仙台に来て、夕方の新幹線で東京に戻りました。


 通常であれば、会議が終わった後は仙台に泊まり、支店の方達の相談に応じ、情報交換を兼ねる懇親が常なのですが、翌日私は定年退職の手続きがあるので、帰京することにしたのです。


 そして翌日の2011年3月11日に、あの東日本大震災が起きました。


 地震は午後に発生したので、仙台に宿泊しても午前中には帰京した筈で、難は逃れたとは思いますが、際どいタイミングだったことは確かです。

 


 時刻通りに小牟田行きの普通電車が仙台駅を発車しました。


 今更ですが、日本の鉄道の時刻表通りの運用は驚くばかりです。


 私は今回の旅で35回の乗り継ぎを重ねましたが、その全てが時刻表通りでした。


 何処か一ヶ所で列車が遅れたら、私の青春18きっぷの旅は完結しなかったのです。

 


 電車は七北田川を渡り、仙台市に別れを告げ、みちのくの奥を目指します。

 

 
 電車が仙台駅を出て15分も走ると、右手車窓に海が見えてきました。


 松島湾です。


 ところで、私は今まで「松島や ああ松島や 松島や」を松尾芭蕉の句と思い込んでいました。

 

 ところが今回、記事を書く為にネット検索で確認すると、数多くの記事に、この句は江戸後期の狂歌師、田原坊が詠んだものと書かれています。

 

 え~ 何よそれ! 俺の青春を返してくれって叫びたい気分です。


 それにしても旅の醍醐味とは、こんな予想外の事実を知らされることかもしれません。

 


  電車は品井沼駅に停車しました。

 

 昔はここに、品井沼という東西6.5km、南北3kmの巨大な遊水池があり、沼は頻繁に水害を起こし、江戸時代から明治、大正、昭和にかけて干拓治水事業が行われました。

 

 そして1977年に干拓終了宣言が出され、沼は完全に消滅したそうです。

 

 日本人は昔から、水の恵みを得て稲作を営み、水害には悩まされてきました。


 先に記した那珂川の氾濫など、現在もその苦労は続きます。


 主食を稲作に依存する限り、治水への取り組みは必要不可欠です。

 

 
 次に電車は鹿島台駅に停まりましたが、周囲に見渡す限りの田が広がっていました。


 北上川と阿武隈川の下流域に位置する、仙台平野の豊饒を実感しました。

 

 

 

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津波で列車ごと流された乗客が全員無事だった奇跡

2023-09-24 00:42:33 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 仙台行きの普通電車に乗り換えて、10時51分に原ノ町駅を出発しました。

 

 
 原ノ町駅を出てから二つ目の日立木(にったき)駅に電車が停まると、

 


 駅の外に「日立木牧場」の看板を掲げた廃屋が見えました。


 壁に「馬具注文お受けします」の看板が掲げられています。


 電車は既に、野馬追で有名な相馬地方に入ったようです。

 


 電車が次の相馬駅へと進む車窓に稲穂が広がり、遠くに福島と宮城の県境に連なる峰々が見えていました。

 

 
 電車は相馬駅、駒ケ根駅を経て、福島県最北の駅となる新地駅に停車しました。


 2011年3月11日の東北大震災発生時、新地駅には上り普通列車が停車中でした。

 

 そして大津波が駅と列車を襲い、駅はホームと跨線橋を残して壊滅、列車は約40人の乗客もろとも数十メートルも流されて大破しました。

 

 幸いなことに、乗客は高台へ避難し、全員が無事だったそうです。


 俄かには信じがたい話です。
 

 

 福島と宮城の県境を越え、電車は黄金色に色付き始めた稲穂を眺めながら走り続けました。

 


  そして常磐線で宮城県最南端の、坂元駅に停車しました。


 坂元駅は現在、高架橋上に設けられていますが、被災前は現在地より1kmほど海寄りの場所にあったそうです。


 ネット検索で、津波の被害を受けた坂元駅の写真を見つけました。


 津波の威力を実感します。

 

 

 
 電車は、山下駅、浜吉田駅を経て亘理駅(わたりえき)に停車しました。


 亘理という町に想い出があります。


 私は東北大震災が起きた前年の2010年夏に、東北でハスの名所を巡る旅をしました。


 その時に亘理町を訪ね、全国のハスの名所を紹介するホームページで亘理町の称名寺を紹介しています。


 今日現在その元ページは、何者かによって損傷を受けたままですが、暇な時にでも修復を図りたい思います。

 

 
 そして電車は阿武隈川を渡り、

 

 
 常磐線の終着駅となる、岩沼駅に到着しました。

 

 
 電車が到着した2番線ホームは常磐線ですが、その反対側の3番線は東北本線と記されています。

 

 そして私が乗る電車はこの先、当駅から仙台駅まで東北本線を走ることになります。


 ところで、東北本線は本線なのに、これ程に長い常磐線が本線ではないことに疑問を持ったので調べてみました。


 その理由を一言で説明すると、常磐線は国鉄時代に、東北本線の支線扱いだったからだそうです。

 

 

 

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都民も他人事ではない

2023-09-23 00:03:08 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 富岡駅を出た電車は、数分後に夜の森駅に停車しました。


 夜の森駅は、私が「ツツジの名所」にリストした花の名所で、訪問したいと思っていた矢先に東北大地震と原発事故に見舞われました。


 あれから12年の最月が流れ、どうなったかと、ずっと気になっていました。

 

 
 心配していたツツジですが、車窓から、ホーム両側の土手に再生されたツツジを確認することができました。

 

 
 それ以外にも、富岡町には数多くの桜が花を咲かせましたが、富岡町観光協会のホームページで確認すると、桜は今も花を咲かせるようです。


 電車は程なく、帰宅困難区域に指定される場所に入りました。


 電車が大野駅に着いた頃から、意識して地域の状況を観察しましたが、そんな目で見た為なのか、駅を包む草の密度が濃いように思います。

 

 
 電車が双葉町に入ると、前田川の畔に建つ民家は屋根の高さ程の木々に埋もれ、田畑があった筈の場所は灌木や雑草が生い茂っていました。

 


 川を越えた先で見た民家は、完全に木立に埋もれていました。

 


 双葉駅へ向かう車窓に同様の景色が続きました。

 

 
 帰宅困難区域を、名も知れぬ草木が覆っていました。

 

 
 そして電車は双葉駅に停車しました。


 双葉駅周辺は、大震災から11年後の2022年8月30日に、町の面積の約1割に当たる555ヘクタールが特定復興再生拠点区域に指定されて、定住できるようになりました。


 しかし住民が震災前と同じ生活を取り戻す為には、多くの困難が待ち受けています。

 

 
 電車が双葉駅を離れると程なく、先ほどの大野-双葉駅間の景色と異り、田に稲が育つ風景が車窓から確認できました。

 

 
 そして次に、普通電車は浪江駅に停車しました。

 

 

 浪江町も震災後の7年間、全町避難を強いられました


 27人の行方不明者の捜索が今も続けられています。


 駅周辺の様子を見ると、今も駅前に空き地が広がっていました。
 

 

 私は現在、東京都内に居を構えますが、誰もが、東京は必ず直下型大地震に見舞われると案じています。


 私は既に70歳を越えましたが、子や孫や、将来ある人々の為に、何かできることはないかと常に考えます。

 

 近隣住民との絆や避難先確保も含め、せめて、あの日の記憶を語り継ぐことだけは続けたいと思います。

 

 常磐線普通電車はその後も北上を続け、緑に包まれた桃内駅、小高駅に停発車し

 

 
長閑な磐城太田駅の侘しい駅舎を確認しながら、

 

 
時刻表通り、10時44分に原ノ町駅に終着しました。

 

 

 

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東日本大震災から今年で12年

2023-09-22 00:14:33 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 原ノ町行きの普通電車が広野駅に停まると、津波の被害を受けた駅の東側に、新しいテナントビルとホテルが見えます。


 駅西側の高台には、新しい県立中高一貫校が2019年に開校しています。


 2011年の大震災からの復興は確実に進んでいるようです。

 

 
 広野駅から数分程も進むと、右手に高圧線が見えてきました。


 私はこれが東海原子力発電所かと思ったのですが、一般的な広野発電所という火力発電所だそうです。

 

 
 程なく電車は J ヴィレッジという駅に停車しました。


 初めて目にする駅名ですが、この駅に隣接する、日本初のサッカー向けナショナルトレーニングセンターの利便性向上を目指し、2019年4月に開設されたそうです。

 

 
 J ヴィレッジ駅を出て、田んぼが広がる光景を眺めていると、電車は木戸という駅に停まりましたが、

 

 
 その駅の横にお城のようなものが見えました。


 座っている席から遠く、かろうじてシャッターを押しました。

 

 検索すると、以下のページがヒットしました。


 JR木戸駅上りホームにお城のオブジェがあるのをご存じですか?

 【こころ、つなぐ、ならは (ameblo.jp)】


 昭和42年に当時の木戸駅長が建立したものだそうです。


 駅長という仕事に私利私欲なく働き、「郷土の為になることを」と汗を流した駅長さんにエールを送りたい。

 


 電車が木戸駅を出ると木戸川を渡りました。


 河原は濃い緑の草で覆われ、瀬を流れる水が細波を輝かせます。


 兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川・・・


 の歌詞を思い出しました。

 

 この作詞者の高野辰之の故郷は長野県中野市ですが、私が子供の頃は、日本中の何処へ行っても目にした光景です。

 


 
 電車はその先で竜田駅に停車しました。


 竜田駅は福島県楢葉町役場に最も近い駅です。

 

 この辺りの人々は、2011年の大震災後に4年間も全町避難を余儀なくされました。


 現在の駅舎は2020年12月に共用が開始されたそうです。

 


 次の富岡駅は津波によって駅舎が流失し、福島第一原発の事故で2017年10月に運行が再開されるまで、鉄道駅としての機能を失いました。


 そして現在も、富岡駅の海側は更地状態です。

 

 
 しかし、電車が動き始めると、駅東口の空き地に、何か耕作地のようなものが見えました。


 この場所をグーグルマップで確認すると、「とみおかワインドメーヌ駅東圃場」と記されています。


 「とみおかワインドメーヌ」は原発事故で被災した富岡町で、ワインを核とした新しいまちつくりを目指す人達の取り組みです。


 とみおかワイン葡萄栽培クラブは、苗植え、除草作業などへのボランティア、企業CSR活動を募集しているそうです

 

 

 

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常磐線は単線区間に入りました

2023-09-21 01:25:49 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 いわき駅の北口でエリアマップを眺めた後、今度は駅の南口へ足を向けました。


 連絡橋を抜けた南口に、ペデストリアンデッキと称する、高架型の遊歩道が広がり、デッキの下から駅前大通りが南へ伸びます。


 右手に「ラトブ」と名付けられた複合商業施設が見えます。下層階が商業施設、4階は図書館、その上に商工会議所やオフィスだそうです。

 

 
 デッキ上から西を望むと、それほど遠くない場所に阿武隈高地の連なりが見えます。
 

 

 地上に降りて、「ラトブ」の裏手を散策すると、やき鳥屋などの飲食店が石畳の路地に軒を連ねていました。

 


  駅の周囲にコンビニやホテルが建ちますが、平日朝の通勤時間帯なのに、交通量は以外な程に少なく、いわき市の人口が32万で、福島県内最大であるにしては、郡山や福島に比べ、駅周辺の規模が小さい気がします。

 

 震災後に道路網が充実し、街は郊外型に変化したかもしれません。

 

 

 


  いわき駅を出た原ノ町行き普通電車は、緑の田を眺めながら北へ向かいました。

 

 
 5分後に、電車は草野という駅に停まりました。


 私は海が見たくて右側の席に座りましたが、左側の線路に懐かしい感じの電車が見えたので、急いで左窓に移動してシャッターを押しました。


 ひと昔前、新潟や長野を走っていた特急電車によく似ています。草野駅には留置線があるので、車両を何処かへ輸送する途中かもしれません。

 

 

 電車は草野の次に四ツ倉に停車しました。


 常磐線はここから先、広野駅-木戸駅間を除いて、単線区間となります。

 


 四ツ倉駅を出て間もなく、電車は海を見る景色の中を走り始めました。


 海に突き出た丘の先に、小さな岩礁の弁天島が見えます。


 弁財天を祀る島に朱塗りの橋が架かり、神秘的な朝日が昇るサンライズスポットとして名が知られます。

 

 
 次の久ノ浜駅を出た電車は末続(すえつぎ)駅に停まりました。


 駅の周囲に数軒の民家、その奥に白い波の騒ぐ海岸が見えます。


 末続地区には小学校がなく、子供達は隣の久ノ浜駅へ列車通学していますが、2011年の大震災で、駅周囲の民家が被害にあい、常磐線は半年以上も不通となりました。

 


 末続駅を出ると電車は夕筋海岸沿いを走りました。


 白い波の帯が青い海の彼方へ続いています。


 この辺りの海底地形は、傾斜が均一なのかもしれません。

 


  線路は海岸線を蛇行しながら北へ向かいます。


 川が海に注ぐ場所では、屋根の高さ程に築かれた防波堤が田と海を隔てていました。

 

 

 

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いわき市の印象

2023-09-20 02:13:30 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 電車は勿来駅を出発した後、

 

 
 鮫川を渡って、旧勿来市の玄関口であった植田駅に停車しました。

 

 
 そして次に停車した泉駅は、良く名が知られたアクアマリンふくしまの最寄り駅です。

 

 
 次の湯本駅は、常磐炭田の拠点となった常磐市の中心地で、フラガールで有名な常磐ハワイセンターの最寄り駅です。

 

 
 更に次の内郷駅は、いわき市と合併する前は、旧内郷市への拠点となる駅でした。

 

 
 電車は等々の駅で停車と発車を繰り返し、水戸駅を出てから1時間33分後の8時35分にいわき駅に終着しました。

 

 
 私が乗り継ぐ、常磐線原ノ町行き電車の発車時間は9時22分です。


 50分弱の待ち時間を利用して、駅の周囲を散策しました。


 駅舎は、駅の南北の市街を繋ぐ連絡橋上に設けられていました。


 広々とした通路が、明るく爽やかな印象を旅人にもたらします。

 

 

 最初に駅の北側に足を運びました。


 この日は台風が去ったばかりで、日本全国に猛暑日の予報が出ていました。


 朝の8時半を過ぎたばかりですが、駅の庇を抜けると肌を刺すような陽射しに晒されました。

 

 駅の北口に掲げられていた大小のエリアマップを確認すると、


 目の前の、緑の木々に包まれた小高い丘は、磐城平城の城跡らしいのですが、今日は坂を上る気になりません。

 


 大きなマップを丁寧に見ると、常磐ハワイアンズやアクアマリンふくしま、などと共に草野心平の生家などが目に付きました。


 常磐線が南北に走り、南は水戸へ、北は仙台へ、常磐東線が北西方向に走り、郡山や福島へと通じます。


 高速道路の常磐道が南北に伸びて東京と仙台を繋ぎ、磐越道が北西方向の郡山へ伸びて、その先の新潟市に通じています。


 いわき市は交通の要所であることが分かります。

 

 
 前前回の久慈川関連の記事で、久慈川流域のヒガンバナを訪ねた旅を紹介しましたが、あの時私は、久慈川沿いの矢祭町から国道349号で阿武隈高地を越えて、いわき市内のヒガンバナも訪ねています


 あの日私はヒガンバナを見て、いわき市に長閑な田舎町のイメージを持ちました。


 その時以来のいわき市訪問ですが、今回、旅の目的や手段によって、訪問地の印象が大きく変わることを再認識しました。

 

 まさに「群盲象を評す」の如しです。

 

 心すべきと思います。 

 

 

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「勿来」の意味

2023-09-19 00:42:13 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 電車は軽快な音をたてて日立駅へ向かっています。私はこのとき、車窓の景色を楽しむ為に、先頭車両の運転席の後ろに座っていました。

 

 
 そして程なく、電車は日立駅に停車しました。

 

 私は旅を終えた後、写真を何処で撮影したかが分かるように、可能な限り駅名を示す掲示物を撮影しましたが、電車が日立駅に停車する時、撮影できたのは以下の画像だけでした。

 

 
 旅の途中で、先頭車両が停まる位置に駅名を示す掲示物が少ないことを学びましたが、先頭車両の景色には、何物にも代えがたい魅力があります。


 旅を記録する作業よりも、旅を楽しむことが優先するのです。

 


 さて、この辺りまで来ると、単調な走行音が響く車内に、長閑な雰囲気が漂いました。

 


 
 ベンチシートに足を組み、車外に視線を向けたガラス窓に、セセリチョウが羽を休めていました。


 どこで乗り込んできたのでしょう。


 何処まで行くつもりなのでしょう。


 こやつも私と同じ、かなりの気紛れ者のようです。

 

 
 電車は日立駅を出た後、次の小木津駅辺りから海岸線を離れ丘陵地帯に入りました。

 

 しかし、丘と丘の切れ間から、海が覗き見えていました。

 

 
 電車が高萩駅に着いたとき、「高萩駅」を示す物がないかと、電車のドアから身を乗り出しましたが、それらしき物は皆無でした。


 先頭車両に乗る限り、駅名を記録する術は車内表示しかなさそうです。

 

 
 地図を見ると、高萩を過ぎた辺りで線路は海岸に近づき、磯原や大津港といった海を感じる駅名が続きますが、家並が邪魔して海の写真を撮ることができません。

 

  

   
 電車はその間に茨城から福島県に入りました。


 車内に「次は勿来」と示された頃、電車は波打ち際を走り始めました。

 

 
 そして程なく、電車は勿来(なこそ)駅に到着しました。

 

 
 駅のホームに「勿来の関跡」のディスプレーを見ました。


 ところで、「勿来」という字を初めて見て、直ぐに「なこそ」と読める人は多くない筈です。


 今回ウィキペディアで認識しましたが、なこそは「な来(こ)そ=来るな」を意味し、蝦夷の南下を阻止する地の意味があると説明されています。


 昔はこの勿来以北を陸奥国(むつのくに)と区分したそうです。

 私は先ほどまで、陸奥は現在の青森県と認識していましたが、それは明治元年の戊辰戦争後のことだそうです。

 

 それ以前は、鎌倉時代から江戸時代末期まで、東海道最北の常陸と境を接する、現在の福島、宮城、岩手、青森と秋田県の一部を陸奥国と称したそうです。


 陸奥が意味する地域は時代とともに変化したようです。


 そして私は今、それを知ることができ、今回も本当にいい旅だったなと、自己満足に浸っています。

 

 

 

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特急列車と普通列車の旅は同質ではない

2023-09-18 01:16:35 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 水戸発の電車は久慈川を渡りました。

 

 
 久慈川は福島と茨城の県境にある八溝山(1021m)に源を発する清流で、アユ釣りの川として名が知られます。

 

 そして支流の滝川に、日本三大名瀑の一つである袋田の滝があります。

 


 2013年4月 撮影

 

 久慈川に沿って、水戸と郡山を結ぶ水郡線がはしり、この辺りにヒガンバナの群落が点在するので、私は2018年の秋、寝袋を積んだ車で久慈川流域のヒガンバナを訪ねています

 そして、久慈川を渡って2-3分もすると、電車は大甕(おおみか)という駅に停車しました。

 


 初めて目にする名前ですが、私がこの駅を通る常磐線を利用するのは今回が初めてではありません。

 

 横浜出身の私は、北海道のひろやかな帯広という街で学生生活を過ごしました。

 

 夏休みや冬休みに青函連絡船と当時の国鉄を使い、帯広と横浜を往復しましたが、その時に幾度か、常磐線経由の特急列車を利用しています。

 

 夜中の0時ごろ函館から青函連絡船に乗り、朝の4時頃に青森へ着くと、駅のホームに待つジーゼル特急に乗り換え、上野駅に13時ごろ着く旅を幾度も繰り返しました。


 なので、大甕駅を通るのは初めてではないのです。


 そしてこの経験からも、特急列車と普通列車の旅が同質ではないことがよく分かります。

 


 さて、大甕の甕という字は、普通に読めば「カメ」です。

 

 しかしネットで検索すると、甕は訓では「かめ、みか、もたい」とも読み、大甕をおおみかと読むのもアリだそうです。

 

 更に、甕を「みか」と読むときは、神事における、酒を入れる器の意味を含むそうです。

 

 そして興味深いことに、大甕駅のある、日立市大みか町の町名は、駅名由来だそうです。

 

 駅名が町名となる例もあるのですね!!

 もしかすると、全国でここだけの話しかもしれません。

 


 電車は大甕駅の次に常陸多賀駅に停まりました。

 

 
 「常陸」はひたちと読みますが、今回この記事を書くに当たり、「常陸」を調べると、ウィキペディアに「常陸国は旧国名の一つ。東海道に属し、現在の茨城県の南西部を除いた地域」と記されています。

 

 え!「常陸]は東海道の一つなの!

 

 私は東海道が今の東京以南から滋賀県辺りまでと思い込んでいたので、ちょっとびっくりです。


 そしてウィキペディアに、東海道は、伊賀・伊勢・志摩・尾張・三河・遠江(とおとうみ)・駿河・甲斐・伊豆・相模・武蔵・安房(あわ)・上総(かずさ)・下総(しもうさ)・常陸の15か国と記されていました。

 

 70歳を過ぎても知らないことばかりです。


 でもしかし、そんなことには関係なく、常陸多賀駅を過ぎた辺りから電車の窓に海の景色が見えてきました。

 

 

 

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茨城県はレンコン生産量が日本一

2023-09-17 01:46:50 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 電車が土浦駅を出ると、右側の窓にレンコン畑が広がりました。


 茨城県はレンコン生産量が全国の50%程を占め、その殆どが霞ヶ浦周辺で生産されます。

 

 レンコンはハスの地下茎が肥大したものですが、時々ハスとスイレンを混同する方が居られます。

 

 ハスは泥田の中から1m以上も花茎を伸ばして花を咲かせ、スイレンは水面より少し高い位置に花を咲かせます。


 ハス(レンコン)の花は7月中旬~8月中旬頃の午前中に花を咲かせるので、その時間帯にここを通れば、ハスの花咲くレンコン畑を眺めることができる筈です。

 

 
 土浦を出て10分程で恋瀬川を渡りました。


 恋瀬川とはずいぶん粋な名前ですが「鯉が遊泳する瀬の見える川」の鯉瀬川が名の由来と説明されます。


 こんな名の川を演歌歌手がほっておくはずもなく、矢代亜紀さんが1997年に「恋瀬川」をリリースしています。興味のある方は是非検索してみて下さい。

 

 
 電車は関東平野の北東に位置する茨城県県庁所在地の水戸を目指し、高浜、石岡などの駅で停発車を繰り返しました。

 

 

   
 そして日暮里駅を発車してから1時間44分後の6時58分に、普通電車は水戸駅に到着しました。

 

 乗ってきた電車は次の勝田まで行きますが、私は乗り継ぐ電車が水戸始発なので、水戸駅で乗り換えました。

 

 
 日暮里から乗ってきた普通電車が出発した3分後に、いわき行きの電車が発車しました。

 


  電車は直ぐに那珂川を渡ります。


 那珂川は栃木県の那須岳山麓を源とする一級河川で、天然アユの遡上日本一を誇る清流です。

 

 もうニ十年以上前のことですが、郡山の三春桜を訪ねた帰路に、車で那珂川沿いの国道234号線をはしりました。

 

 古い家並が続く街を、名ばかりの国道が縫うようにはしり、時々目にしたヤナの記憶が蘇ります。

 

三春滝桜 天然記念物 2001年4月


 しかしその一方、那珂川で思い起こすのが、令和元年(2019年)の台風19号による堤防決壊です。

 

 テレビニュースで報じられた画面では、雨が止んだ翌日、上流域の水を集めた那珂川が下流域の堤防を破ったのです。

 

 多くの人々が、二階の窓や屋根の上からヘリコプターで救助された光景は忘れられません。

 

 
 水戸駅を出た電車は勝田、佐和、東海と順調に距離を伸ばしてゆきます。


 窓の外に長閑な田園風景が広がりました。

 

 

 

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牛久沼は「ウナ丼発祥の地」

2023-09-16 00:58:40 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 電車は藤代駅を過ぎると小買川を渡りました。

 

 小貝川は関東平野の中をゆったり流れる川で、那須烏山市小貝ヶ池付近を源としますが、写真で見ても分かる通り、その流域の86%が平地です。


 この川が流れる、筑波山山麓の下妻市堀篭に200万本のコスモスが咲き乱れる広大な「小貝川ふれあい公園」があります。


 筆者は、花を眺める日々を余生のテーマと定めましたので、「小貝川ふれあい公園」を一度は訪ねてみたいと願っています。

 

 

   
 電車は龍ケ崎市駅や牛久駅で停発車を繰り返しながら終着駅の勝田を目指しました。


 あまり知られていない話ですが、龍ケ崎市の牛久沼は「ウナ丼発祥の地」なのです。


 江戸時代後期にウナギ好きな大久保今助という人が、牛久沼の茶屋で渡し船を待つ間にウナギを食べたくなって、蒲焼とドンブリ飯を注文しました。

 

 しかし出来上がったタイミングが船の出発時間と重なったので、今助はドンブリ飯に蒲焼をかぶせて船に乗り込みました。

 彼が対岸に着いてからそれを食べると、蒲焼が飯の温度で蒸されて柔らかくなり、タレがしみて、より一層美味しくなったのです。

 

 そしてその話が広まり、いつしか水戸街道の名物となったそうです。

 

 そして今でも、牛久沼の畔には、数件のウナギ専門店が店を構えています。

 

 

   
 私はこのような発祥の地とか、元祖、老舗とかいう言葉にめっぽう弱いので、「いつか必ず、牛久沼でウナ丼を食べてやるぞ」と心に決めています。

 

 

 電車は荒川沖に停まりました。

 
 上り線のホームに白い色の車体のスマートな電車が停まっていました。


 土浦発品川行きの特急電車「ときわ」です。


 荒川沖から上野までは56分、品川までは71分ですから、ずいぶんと便利になったものです。


 ところで、荒川沖駅は関東平野の陸地の中に位置しますので、荒川の沖という名に違和感を覚えます。

 しかし「沖」という漢字を調べてみると「岸から遠く離れた場所」という意味以外に「広々とした田畑や野原の遠い所」という意味があるようです。

 

 

  
 荒川沖を出た電車は、霞ヶ浦に注ぐ桜川を渡り終えて土浦駅に停車しました。


 電車が川を渡るたびに、少しずつ日常から遠ざかる気分になります。
 
 そんな時車内に、「ドアは、自動で開きません。乗降時にはドア横のボタンを押して、お開き下さい。」とアナウンスが流れました。


 え!と思いました。乗客が乗降時にボタンを押して電車のドアを開け閉めするシステムは知っていましたが、常磐線の土浦からそれが始まるとは思わなかったのです。


 土浦辺りでは、冬の停車時にドアを開けておくと、寒くてたまらないのでしょうか。

 

 

 

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旅人の心を刺激するもの

2023-09-15 06:40:05 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 日暮里駅を出発して16分後、電車は千葉県に入って最初の松戸駅に停車しました。


 松戸市は、千葉県内では千葉市、船橋市に次いで3番目に人口の多い街ですが、多くの人々が東京都区部に通勤する千葉都民だそうです。

 

 日暮里から電車で16分の距離ならば、そうなるのは当然かもしれません。

 

 
 松戸駅を出てしばらく走ると、見覚えのある電車が並走しました。


 この電車を見た時以降、これは何だろうと気になっていました。

 

 今回記事を書くに当たって調べてみると、この辺りの常磐線は複々線化されており、茨城県の取手以北に直通する「常磐快速線」と北千住・取手間の各駅に停車する「常磐緩行線」が並走します。

 

 その「常磐緩行線」に地下鉄千代田線が、乗り入れていることが分かったのです。

 

 つまり、御茶ノ水と三鷹間で中央線に並走する中央・総武線に地下鉄東西線が乗り入れているようなものです。


 ということが分かり、私は今回、宿便が解消されたような、すっきり気分を味わうことができました。

 

 
 そして電車は千葉県内を19分で走り抜け、日暮里を出発してからほぼ30分後、利根川を渡って茨城県に入りました。
 

 

 茨城県に入るとすぐ、電車は取手駅に停車しました。


 その取手駅の、ホームの柱の駅名写真はピンボケですが、隣のホームに停車しているのは、あの「常磐緩行線」の電車です。


 この写真を見て、私は改めて、「常磐緩行線」の存在を知ったことで、ちょっと嬉しくなっています。


 旅とはそんなものです。


 見知らぬ土地の未知なるもの、初めて目にする異国や異郷の些細な光景が旅人の心を刺激するのです。
 


 取手駅を出ると電車は緑の中を走り始めました。


 今までの景色と異なる、目に優しい景色が車窓に広がりました。

 

 
 前回の18きっぷの旅も、埼玉県の上尾を過ぎた辺りから電車の周囲に緑が広がった記憶があります。


 取手も上尾も、どちらも上野駅から普通電車で40分ほどの距離にあります。


 こんなふうに平凡な田園風景の中にも、人々の営みに関わる法則が潜んでいます。


 それにつけても、本当に心休まる風景です。

 

 

 

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青春18きっぷで日本最東端の街へ

2023-09-14 14:58:06 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 日暮里駅の4番線ホームに、常磐線の上野発勝田行き普通電車が、ヘッドライトを輝かせながら滑り込んできました。


 私はこの電車に乗って普通列車を乗り継ぎ、日本最東端の街、北海道の根室を目指します。


 財布の中には青春18きっぷ、背にした小さなザックに一人用のテントと数枚の着替え、今朝自宅近所のコンビニで購なったコッペパンとコーヒー牛乳が収まっています。

 


 私にとって、今回が二度目の青春18きっぷの旅となります。

 

 前回の旅は、2019年夏に18きっぷで東京と稚内を往復しました。

 

 本音を言えば、今回は九州最南端の駅、鹿児島県の大山駅を目指したかったのですが、何度シミュレートしても、一枚の青春18切符で東京と大山駅を往復するルートが見つかりませんでした。

 

 4、5年前に試みた時は普通列車だけで時刻表がうまく繋がったのですが、多分九州新幹線が鹿児島駅まで伸びたことが影響しているのでしょう。


 普通電車は5時14分に日暮里駅を出るとすぐに、東北本線や京浜東北線と進路を別ち、ビルの狭間を東へ向かいます。

 

 

  そして律儀なことに、普通電車は2分も走ると直ぐに、次の三河島駅に停車しました。


 三河島駅のホーム先の空には、かすかな陽の光受ける雲が浮かんでいました。

 

 電車はそっけない素振りで三河島駅を出て、光がまだ十分に届かぬ東京の家並の中をはしり過ぎて行きます。

 

 

 南千住駅を過ぎて、電車は隅田川を渡りました。

 

 
 次の北千住駅は、一日の乗降客数が160万人という世界第6位の乗降者数を誇るターミナル駅ですが、普通電車のそっけなさは相変わらずでした。

 

 私がこの先600を超える駅に着発する旅をスタートしたことなど、全くもってお構いなしです。

 

 
 電車は北千住を出ると直ぐに荒川を渡りました。


 東の空に登る朝日が川面を照らしますが、両岸に広がる家々の中で、人々はまだ夢の中かもしれません。

 

 
 電車が荒川を渡った車窓に、あの「こちら亀有公園前派出所(通称・こち亀)」の連載40年間に活躍した、不真面目でいい加減な警察官 両津勘吉が暮らす町が見えていました。

 

 きっと今は彼も、私と同様に年金生活のはずです。

 

 
 そして電車は中川を渡り

 


 
 江戸川を越えて千葉県に入りました。
 

 

 

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