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音の四季~風の彩

作曲家、しの笛・龍笛奏者、ジャズピアニスト、城山如水の徒然日記。
オカリナ、フルートの事も・・・・

国家神道 信教の自由の破壊

2012年08月13日 | 日常雑感


自分は、災害被災地に赴いて国民を激励される、慈愛に満ちた天皇・皇后が大好きだ。

国民の象徴として、また世界に類を見ない歴史を持った天皇・皇室は世界遺産に匹敵するものではなかろうかとも思っている。

そして、神社は古事記に記される神話や歴史を留める場所として、日本の歴史を知る文化遺産だと思っている。

一方で、太平洋戦争における国家神道は軍国主義の精神的支柱となり、日本を敗戦という国の滅亡に導いた。

天皇を現人神とする国家神道は、日本人の精神的支柱として、軍部が利用しやすいものであった。

ナチスにおけるアーリア人種を最優秀民族とする、狂気の民族主義に似たものともいえる。

神国日本、天皇現人神・・・こうした国家神道教育は太平洋戦争以前は小さな子供のころからの、当然の教育であった。

日本兵は天皇陛下万歳を叫びながら玉砕し、学徒達も天皇陛下とお国の為に神風特攻隊となって自殺攻撃に出撃していった。
死んで、軍神となって靖国でまた まみえようと別れの杯を酌み交わして出撃していった。

戦時下では治安維持法のもと、軍部を批判するもの、国家神道に異を唱えるものは徹底的に弾圧された。

まさに思想・信教の自由、表現の自由を冒涜し破壊するものだった。

これが子供時代から学校で教え込まれていたのだから、何か変だと思っても口に出すことさえできなかった。

軍国主義の精神的支柱となったのは、まさに現人神天皇を頂点とする国家神道であった。

ナチスの民族純潔主義教育、日本における軍国主義と国家神道教育をながめてみた時、独裁主義体制とその洗脳教育がいかに国民を悲惨に導き、国家を破滅させたかがわかる。

日本は太平洋戦争に敗れて初めて、神国などではなく、天皇・神も現人神ではなく、同じ人間であり、国民の象徴であることに気づいた。

そして国家神道が、キリスト教、仏教、その他の思想・宗教を徹底的に弾圧し、思想・信教・表現の自由など、基本的人権をすべて奪ってきたことに気づいた。

いまだに戦没者を神社に合祀することは、明らかに信教の自由の冒涜であり破壊であろうと思われる。

なぜなら、戦没遺族には多種多様な思想・宗教の人々がいるからだ。

いまだに国家神道の名残りの中に家族が合祀されている遺族の無念は、いかほどであろうかと思われる。

ともあれ、日本の敗戦から学ぶべきことは多いが、要点は二つであるように思える。

軍部による独裁と、国家神道による皇国史観教育であろうと思う。

これらは、戦争に対する無関心と無知により、いつでも復活する可能性がある。

結論として自分が思うことは、思想・信教の自由・表現の自由、そして平和の重要性を伝え続ける教育の重要性だ。

そして、一党独裁、独裁体制の萌芽には神経質なくらい監視の目を怠らないことだろうと思う。

おそらく戦争と虐殺は、人権と平和に対する無知と無関心から起こってくるものだろうと思う。

また、日本国憲法第20条、思想・信教の自由は、国家神道の悪夢を教訓とし、二度とこれを繰り返さない為の条文でもあるのだ。



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