アベノミクスの成功(にみえる)景気動向に気を良くしてか、政府閣僚の靖国神社参拝が堂々と行われている。
これは「日本の国の為に命を捧げた英霊への参拝は当然」という論理によっているようだが、また危険なナショナリズムであるともいえる。
靖国神社参拝が危険なナショナリズムを刺激するのは、将来、太平洋戦争時のような「国家神道」を復活させる可能性があるからだ。
万歳突撃、万歳玉砕でサイパン、硫黄島 、沖縄戦、・・・で累々と浜辺に横たわった日本兵の記録映像を見る時。
あるいは「神風特別攻撃隊」で出撃しアメリカ艦隊の対空砲火で次々に撃墜されて墜落していく映像を見た時。
大日本帝国兵士と若者・臣民、数百万人を死に追いやったのは時の軍部政権と軍国主義全体主義であり、その精神的支柱は「天皇現人神」とする「国家神道」であったことを忘れてはならない。
そういった「国家権力」と「神道」の一致による「神道の国教化」のような「政教一致」の悲劇が二度と起こらないように規定したのが、現憲法の「政教分離」の原則である。
現在、閣僚が平然と行う「靖国神社参拝」は「政教一致」の違憲疑いがある。
この状況を、「国の為に戦った英霊に敬意を表する」というのは、当然のように見えて妙な論理である。
数百万の日本人兵士を、万歳突撃、万歳玉砕に導いたのは「国家神道」と軍部政権権力者である。
そのA級戦犯が祀られている所へ政権閣僚達が参拝するというのは、非常に妙な論理なのだ。
日本人は、再び「国家神道」と軍国主義ナショナリズムに進もうとしているのだろうか。
ヒトラー・ナチス第三帝国と軍国主義大日本帝国・東条英機の面影が現政権にちらついて見えるのは自分だけだろうか。
国民は政治をしっかりと監視しなくてはならないと思う。
将来の日本を再び戦争に導くのか、それとも平和文化国家に導くのか、その選択は国民しだいである。
「国家神道」と「軍国主義ナショナリズム」を復活させるか、阻止するかは、これも国民の選択しだいである。
いずれにせよ、戦場に赴いて命を投げ出すのは権力者ではなく、国民であり若者達である。