音の四季~風の彩

作曲家、しの笛・龍笛奏者、ジャズピアニスト、城山如水の徒然日記。
オカリナ、フルートの事も・・・・

情報化社会  マスコミの問題と責任

2009年06月30日 | 日常雑感
ここんとこ、とくに鬱とうしいのが、解散総選挙と総理批判。

情報化社会は、流した、あるいは発信した情報に対してフィードバックがある場合、コミュニケーションがなりたつ。

そして、情報の吟味や、発信した情報の誤りに気づくことができる。

しかし、現代のマスコミは情報発信において、フィードバックを受けない。

そのぶん、発信した情報の吟味も、正確さも検討されない可能性もある。

あるいは、「ある意図を持った発信者」によって、意図的にねじ曲げられた情報が流されることも考えられる。

これは、場合によってはマスメディアによる大衆操作ともなりうる。

ここに、マスコミ、マスメディアの問題と責任が浮かび上がってくる。

情報操作による大衆操作となると、ナチやファッショの手法と同じと言える。

デマゴーグも垂れ流し放題ということになる。

日本のマスコミが、デマゴーグを流しているとは言えないが、ある部分では、マスコミが大衆操作に係わっていると見えなくもない。

報道は中立の立場で、事実のみを流すのが妥当と思われる。

そこに、有識者だの専門家だのの、評論が加わると、事実は色眼鏡で見たように変質する。

現代のマスコミの問題は、この「有識者」「専門家」と呼ばれる輩の私見が入った報道を垂れ流しているところにあるように思う。

情報を判断する事は国民にゆだねて欲しいと思う。

情報を判断した報道を国民に押しつけないでほしいと思う。

くれぐれも、マスコミ、マスメディアは、双方向の情報提供ではなく、一方的な情報提供である、ことを忘れないでほしい。

マスコミ、マスメディアは、自分ではそれとは意識せずに、大衆操作をやっているのだ、ということを忘れないで欲しい。


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