黒助~想い煩う~

 悪性リンパ腫の闘病生活と気まぐれ日記

回顧4

2010-10-30 12:29:25 | 健康・病気

平成21年2月のPET-CT及びCT検査で

再発が確認され、4月8日に名古屋医療センターに

入院をする。

R-CHOP 8コースにて完全寛解したが再発し

びまん性大細胞型B細胞リンパ腫の標準治療は

自己末梢血幹細胞移植兼用大量化学療法(自家移植)

を行うというのが一般的のようだ。

自家移植の治療関連の死亡率は5%

治療関連の2次発癌(白血病)は5%と説明を受け

自家移植の前に救援化学療法を行うこと

それは、病変のあるリンパ腫を消す事

化学療法の有効性を確かめる事で

3コース予定で2コース終わったところで病変のチェック(CT)

3コース後に自己末梢血幹細胞の採取をすることになる。

救援化学療法にはESHAP,CHASE,DOVIC,EPOCH等

があるが、今回はCHASEでやりますとの事。(R-CHASE)

これら全ての化学療法には骨髄抑制があり

R-CHOPより少しキツイかもと言われる。

R-CHOPを8コース(半年間)して左手の血管は

ほとんど出なくなってしまい採血する事も難しい状況

血管痛がやっと治まってきたのに~と思いながら

今回の抗癌剤はどうなるのだろうと心配していたら

中心静脈から入れるとの事、4月13日にIVH入れる。

かなり痛かった研修Drが4人見学しており

私も主治医(部長先生)2人とも緊張状態だった。

14日、リツキサンの点滴をして翌日(15日)から

エンドキサン、ベプシド、デキサートの点滴(4時間かけて)

16日と17日はキロサイド、ベプシド、デキサートの

点滴(5時間)フルメトロン点眼を一日5~6回行う。

また、尿量の測定も行うことになる。

R-CHASEはこの後、5/7~10と5/28~31の3回行った。

初回CHASE後、1週間で白血球400、血小板5.2となり

4月24日人生初の血小板輸血15単位行う。

6月7日には白血球200、血小板で輸血する。

3回のCHASEが終わり予定通り6月10日には

幹細胞採取を行った。朝9時30分から両腕に穿刺し

機械に血液が回り出し順調かと思いきや

Vプレッシャーが上昇してしまい1時間ほどうまく

採取できなく、10時30分位から正常に動き出し

4時間かけて午後3時に終了。予定の細胞数が

採取できたようで翌日はやらなくても良くなった。

4時間両腕に針を刺されて身動きできないのは

やはり辛かった。透析患者さんは片腕だけれども

4~5時間の時間は苦痛なのが良く分かった。

6月18日には次の大量化学療法及び自家移植に

向けて1週間の退院をする。4月8日から6月18日までの

入院は長かった。でも最大の試練が残されている。


回顧3

2010-10-28 17:18:57 | 健康・病気

昨日、友人から仕事(ホウレン草の出荷)を

一日休むから海釣りに行かないかと誘いの

電話  しかし寒さと天候が崩れる事が分かっていながら

行くのは勇気がいる行きたいのをグッと堪えて次回に

持ち越すこととした。

今日、その友人が昼前に自宅を訪れてくれた。

コーヒーを淹れ、釣りの話や釣り番組のビデオをみて

アオリイカの釣り話を2時間近くした。

早く釣りに行きたいと話しながら友人と別れた。

平成19年12月21日

CHOP(第1回)始まる。リツキサンは初回のため

後日モニターを着けてアレルギー反応が出る事も

あるため別の日にする事となる。

12月27日リツキサンの点滴はじめる。

開始から30分は時間20mlで点滴。

特に変わりが無かったので時間100mlに上げた所

血圧が下がり気分不快、顔色不良続くため

リツキサン中止となる。残念ながら25万程の薬剤は破棄となる。

第1回目のR-CHOPはリツキサンがほとんど入らない状態で

中止となってしまったため、2クール目のR-CHOPは

1月の10日にRを、11日にCHOPを行った。

10日のRは血圧も下がることなく順調に終了し

翌日のCHOPも終了する

R-CHOPはその後は外来にて1月30日、2月20日

3月12日、4月2日、4月23日、5月14日までの

計8クールをこなす。

その後は9月まで月一の外来診察、10月からは

2ヶ月に一度の診察をしていたが、平成21年2月

R-CHOP終了から9ヶ月経過しているので

一度PET-CTを撮ってみましょうということとなり

撮ってみたところ、右頸部リンパ節に集積を認め

CTを行い再発を確認する。

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回顧2

2010-10-26 17:19:18 | 健康・病気

私の住んでいる街には

総合病院が2箇所(日赤と厚生連)

だが、医師が沢山居るかと言えば

どんどん少なくなっている。

日赤には血液内科の先生は居ない(常勤には)

厚生連には居たのだが知らなかった(後に知る)。

日赤の耳鼻科にかかったので、当然日赤の内科に

回され、週に一度診えるDrの診察日まで待ち

いろいろ考えた。このままこの日赤で治療を受けても

専門医は常勤では居ない訳だし、専門医を求めて

岐阜や富山に通う患者も沢山居ると聞いていたし

自分も不安のある以上この場所での治療には躊躇していた。

母がお世話になった先生を頼りに日赤の先生に紹介状を

書いてもらい、厚生連系列の病院の院長(血液内科の先生)を訪ねた。

すると厚生連の病院に血液内科の先生が常勤でいるから

「僕の部下だったし優秀な先生だから紹介状を書くよ」と。

それで、その日に厚生連の内科を受診した。

ところが、その先生の診察を受けて掛けられた言葉が

「なんでここに来たの」と言われたので経緯を説明したが

「ここでは無菌室もないし、まともな治療もできないよ」

と、まるで来た事が悪いような言われ方をしたため

少し喧嘩腰になってしまい外来婦長が止めに入ってくれた。

折角紹介して下さった先生には悪いが、あの先生には

診てもらいたくないと連絡し、名古屋医療センターを

紹介して頂いた。

そして、平成19年12月に最初の入院となる。

12月18日に病状説明と治療方針の説明をうけた。

入院する事は初めてで、しかもクリスマスも年越しも

入院中に経験してしまった。結果27日間の入院となる。

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回顧

2010-10-24 18:47:02 | 出産・育児

悪性リンパ腫と分かったのは

平成19年11月のことだった。

その前に、10年近く前になるがその当時

岐阜各務原市に家を建て13年住んでいたのだが

母が悪性リンパ腫になり治療を始めた為に

実家に帰ることにしたのが10年前となる。

まさか自分も母と同じ病気になるとは夢にも思わなかった。

平成19年の夏頃からか、はっきりとは覚えがないのだが

食事の時に妙に咽こむようになった。

当初は早食いがいけないのだろうと考えていたのだが

ゆっくり食べても状況は変わらない。

10月に入り、歯磨き終わりに何気なく鏡で咽喉の奥を見てみた

すると扁桃腺が異常に腫れているのをみつけ耳鼻咽喉科を

受診する。微熱が続いていたのだが気にもせず仕事が

忙しかった事もあり倦怠感は常時感じていたから

本当に体調の変化には無頓着だった。

個人医院の耳鼻科からすぐに日赤にいって受診しなさいと

言われ紹介状を渡され、これは手術を必要とするほど

扁桃腺が腫れているのだな位にしか思わなかったのだが

日赤の先生からの説明では組織を採ってみて

調べてみないと分からないのだが、悪性腫瘍の可能性が高いと

聞き訳がわからなっかった。

後日組織を採り、結果が出るまで2週間前後

11月18日に悪性リンパ腫でしたので内科を予約しました

と、日赤の耳鼻科の先生から職場に電話が入った。

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今日の散歩

2010-10-24 12:07:01 | 健康・病気

昨日の様に、朝からお日様が出ていると

気持ち良いのだが、今日は曇り空で少し寒い。

昨日は冬眠の為かカメムシや蜂がベランダや屋根の

日の当たる場所で見かけたが、さすがに今日は

見かけなかったが、散歩途中で余り見かけない

蜂の姿を見つけた。

Sany0002_2

早く冬眠場所を見つけないと

凍えちゃいますよ

ススキも風になびいています。

Sany0007

果樹園のリンゴもおいしそうSany0010

蜜がいっぱい入ってそうです。

取れそうですが・・・我慢です

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