このブログは「中年おじさんの散策」3の継続版です
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三田春日神社
天徳二年(958年)武蔵国国司藤原正房卿任国の折、藤原氏ならびに皇室外戚の氏神なる大和国春日社第三殿に祀る天児屋根命の御神霊を勧請鎮座。
当時、武蔵国荏原三田邑にあって土地の人びとより大いに崇敬され、その後建仁三年(1203年)仏教の隆盛に伴い、当社にも十一面観音(弘法大師作)の尊像を安置、神仏相まって繁栄し神徳四辺に輝き渡ったと伝える。天文年間(1533-55年)荏原目黒三田より、港区三田高台の今の地に遷座する。上野の寛永寺が建立されてより、東叡山末妙禅院が別当となり、三笠山神宮司と称し僧侶がこれを司ることになった。代々天台宗を継承し、神仏ともにますます繁栄し、ことに江戸府内唯一の春日社として、代々徳川将軍の尊崇厚く、江戸城登城の諸大名も崇敬深く、九月九日の例祭は重陽の節句として、たいせつな儀式として春日社も大いに賑わい、大名等も白木の三宝に熨斗と菊花一枝を添えて奉献、終えて直会に菊酒を汲む神事が執行され、老若男女の参拝の多く、江戸名物の一つとして、徳川末期まで盛んであったという。当代、戦前の建物はすべて欅造りで、彫刻のみごとなことはその道の範といわれていたが、惜しくも戦禍により焼失。昭和三十四年九月、本殿・幣殿・拝殿を建築、末社稲荷社・鳥居・社務所増築を完了して戦後復興事業を成し終える。平成五年三田通り拡幅にともない社務所を新築、平成七年境内整備を終え平成十四年十一月狛犬を建立、現在に至る。(公式サイトより)
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