祈りというものは
どんな時でも
人の心を
きよめるんです
きよめずにはおかない
神様の
光を
あびるんですからね
けれども
とにかく
これだけ
光を送っているんだから
元気にならなきゃ
駄目だ
なんていうことは
いわない
守護霊も
守護神も
神様も
じっとみてるんです
想いを
浄め
業を
払いながら
見守っている
やさしい眼をしてるんですよ
その時にね
我々は
何で
救われてゆくかと
いうと
こうした
限りない
思いやり
愛念でもって
救われてゆくんですよね
それで
世界人類が平和でありますように
って祈ると
何かこう
一人じゃない
という気持ちになるんです
あたたかい
あたたかい
愛に
くるまれている
心持ちが
する
それは
そうなんですよ
そのとおりなんです
みてるんですものね
今まで
淋しくて淋しくて
仕方がなかったのに
世界人類が平和でありますように
とやっているうちに
その淋しさが
消えてしまう
それは
守護霊
守護神のね
神様の
愛念に
奥のからだ
本心が
気付いて
すっぽり
そのなかに
入ったからです
何がすべてを
浄めるか
とかすかって
いえば
それは
愛なんですよ
愛
愛以外の何物でもない
祈りは光っていいますよね
その光は何かというと愛なんです
祈りは愛なんです
ですから
世界平和の祈りを
唱えるってことは
愛の本尊を唱えるってことですからね
きよまってゆかなきゃおかしい
すべてをきよめてゆくんです
じゃ
愛ってのは
何だ、どういうもんだと
いうとですね
もう何にも
おもわないんですよ
空っぽなんです
自分というものがない
自分というものを
忘れている
自分というものはどっか行っちゃってね
ただ明るい
ただ朗らかな
ただ無邪気な
そういう世界なんです
自分というものがないから
人のことで心がいっぱいになる
けれど
業想念に支配されていないから
とにかく
一人一人を
おもっては
光を送る
それだけです
私だってそうなんですよ
五井先生
五井先生
何とかして下さいって
みんな来るけどね
私はとにかく
柏手を打って
光をおくって
元の元をきよめるんですよ
その人の
本心の光と
神様の愛の光を
ぱっと結んでね
迷子にならないようにするんです
その愛がふりそそがれてるのが
世界平和の祈りなんです
自分を忘れちゃって
ただ人のことで
心がいっぱいになって
それでただ光を
送る
これは
神様の愛ですよ
ね、そうでしょう、
それを
本当だ本当だと
私達が
おもえるのは
私達が
神様から
分かれてきた
いのち
だから
分生命(わけいのち)
分霊(わけみたま)
だからです
世界平和の祈りってのは
そういう愛をね
一人一人の
心のなかに
よびおこして
そのおもい
愛ですよね
それを
となりの誰とかさん
だけじゃなく
となりの誰とかさんを
含んだ
世界人類にまで
うんと
拡げてですね
この地球の
浄化をして
それから
宇宙の限りない
進化の行進の
なかに
加わってゆこう
という
大きな
大きな
祈りなんですよ
自分のおもいに
とらわれてる時じゃ
もうないんです
からを脱いで
どんどん
光のシャワーをあびて
自分を新しくして
寛やかになって
いのちを
生きてゆくことが
これからは
大事なんです
あなた方は
みんな
愛を植えてゆく
人なんだ
その愛というのは
無私も
無我も超えた
宇宙神のみこころ
神様のみこころ
おおらかなみこころ
なんです
我々は
いいことにも
悪いことにも
とらわれないで
この神様のみこころを
みこころとして
やさしく生きてゆく
そういう存在なんです
そのために
世界平和の祈り言を下さったんです
明るく
明るく
すべての人を愛しんで
己れ自身をいとおしんで
世界平和の祈りを唱え
毎日
明るく生きて参りましょう
昭和62年3月8日 朝
どんな時でも
人の心を
きよめるんです
きよめずにはおかない
神様の
光を
あびるんですからね
けれども
とにかく
これだけ
光を送っているんだから
元気にならなきゃ
駄目だ
なんていうことは
いわない
守護霊も
守護神も
神様も
じっとみてるんです
想いを
浄め
業を
払いながら
見守っている
やさしい眼をしてるんですよ
その時にね
我々は
何で
救われてゆくかと
いうと
こうした
限りない
思いやり
愛念でもって
救われてゆくんですよね
それで
世界人類が平和でありますように
って祈ると
何かこう
一人じゃない
という気持ちになるんです
あたたかい
あたたかい
愛に
くるまれている
心持ちが
する
それは
そうなんですよ
そのとおりなんです
みてるんですものね
今まで
淋しくて淋しくて
仕方がなかったのに
世界人類が平和でありますように
とやっているうちに
その淋しさが
消えてしまう
それは
守護霊
守護神のね
神様の
愛念に
奥のからだ
本心が
気付いて
すっぽり
そのなかに
入ったからです
何がすべてを
浄めるか
とかすかって
いえば
それは
愛なんですよ
愛
愛以外の何物でもない
祈りは光っていいますよね
その光は何かというと愛なんです
祈りは愛なんです
ですから
世界平和の祈りを
唱えるってことは
愛の本尊を唱えるってことですからね
きよまってゆかなきゃおかしい
すべてをきよめてゆくんです
じゃ
愛ってのは
何だ、どういうもんだと
いうとですね
もう何にも
おもわないんですよ
空っぽなんです
自分というものがない
自分というものを
忘れている
自分というものはどっか行っちゃってね
ただ明るい
ただ朗らかな
ただ無邪気な
そういう世界なんです
自分というものがないから
人のことで心がいっぱいになる
けれど
業想念に支配されていないから
とにかく
一人一人を
おもっては
光を送る
それだけです
私だってそうなんですよ
五井先生
五井先生
何とかして下さいって
みんな来るけどね
私はとにかく
柏手を打って
光をおくって
元の元をきよめるんですよ
その人の
本心の光と
神様の愛の光を
ぱっと結んでね
迷子にならないようにするんです
その愛がふりそそがれてるのが
世界平和の祈りなんです
自分を忘れちゃって
ただ人のことで
心がいっぱいになって
それでただ光を
送る
これは
神様の愛ですよ
ね、そうでしょう、
それを
本当だ本当だと
私達が
おもえるのは
私達が
神様から
分かれてきた
いのち
だから
分生命(わけいのち)
分霊(わけみたま)
だからです
世界平和の祈りってのは
そういう愛をね
一人一人の
心のなかに
よびおこして
そのおもい
愛ですよね
それを
となりの誰とかさん
だけじゃなく
となりの誰とかさんを
含んだ
世界人類にまで
うんと
拡げてですね
この地球の
浄化をして
それから
宇宙の限りない
進化の行進の
なかに
加わってゆこう
という
大きな
大きな
祈りなんですよ
自分のおもいに
とらわれてる時じゃ
もうないんです
からを脱いで
どんどん
光のシャワーをあびて
自分を新しくして
寛やかになって
いのちを
生きてゆくことが
これからは
大事なんです
あなた方は
みんな
愛を植えてゆく
人なんだ
その愛というのは
無私も
無我も超えた
宇宙神のみこころ
神様のみこころ
おおらかなみこころ
なんです
我々は
いいことにも
悪いことにも
とらわれないで
この神様のみこころを
みこころとして
やさしく生きてゆく
そういう存在なんです
そのために
世界平和の祈り言を下さったんです
明るく
明るく
すべての人を愛しんで
己れ自身をいとおしんで
世界平和の祈りを唱え
毎日
明るく生きて参りましょう
昭和62年3月8日 朝