宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

祈りをかさねてゆくと 自分にも人にもやさしい心持ちが生まれてくる

2014-11-26 07:21:06 | 祈り
祈るというのは
どういうことかというと
やさしさでいっぱいにする
ということです
どこまでもどこまでも
やさしくなる
やさしくならなければ
それは
おかしいですよ

祈りってのは
神様に対する
感謝ですからね
ありがとうございます
神様ありがとうございます
といって
神様にすなおに
よびかける心ですよ
そうやって
毎日
新しいいのちを
我々は
いただいて
生きてゆくわけですよね

その神様というのは
とにかく
無限にやさしい
大愛の方なんです
愛とゆるしの方でしょ
その神様と
一つになるために
祈っていて
本当に
やさしくなってかなかったら
人の痛み
人のこころが
本当に抱いてゆけなかったら
それは
おかしいですよ

私は何も
完全になれって
言ってるんじゃないんですよ
祈ってゆくと
祈りをかさねてゆくと
自分に対しても
人に対しても
やさしい心持ちが
生まれてくる
それは自然に
生まれてくるんだと
いってるんです

それが
中々あらわれて
こない人が
いますよね
祈りの時は
一生懸命だけども
祈りがおわったら
統一会がおわったら
何だか元のままの
おこりっぽい人だ
って人がいますよね
そういう人は
どうなってるかというとね
何かこう
祈りというものを
特別なもののように考えてるんです
神聖ニシテ侵スベカラズ
みたいに思っちゃってる
だから
祈りの会だ
というと
もうその前から
やたらつつしんじゃってね
みそぎでもしかねないような感じになって
それで
世界人類が平和でありますように
ってやるもんですから
おわると
くたびれちゃうのね
そいで
努める前の自分に
もどっちゃう
笑い話みたいだけれど
結構こういう人がいるんですよ

勿論、祈りってのは、厳しいもんです
うちの会のお祈りなんか
言葉がやさしいからね
もったいぶっていないから
みんな
これなら出来るって始めるんですけどね
けれど
四六時中
何があっても
ああこれは消えてく姿だ
守護霊様、守護神様
五井先生
ありがとうございます
世界人類が平和でありますように
って祈るというのは
これは、大変なことなんです
絶え間なく感謝なさい
ということですからね
もうずっと永遠の
感謝行ですよ
ところが
大変なんだけれど
その大変が
いつの間にか
やれる
やれるってのは
自分がやるんじゃ
ないからです

世界人類が平和でありますように
って祈ってる内に
自分が消えてしまう
自分が自分がって
おもいが消えてしまう
それは
守護霊さん
守護神さんがたすけて
消してくれるんです

歩くにしても
なんにしても
毎日生活していて
私達は
かならず
何のなにがしって
いう気持ちがありますよね
それが消えるんですよ
個性がなくなるって
いうんじゃなくてですね
自分が自分がっていう
我が消えるんです
それは何故かというと
神様に預けちゃうから

世界平和の祈りというのは
その人が
意識するしないにかかわらず
とにかくお任せのこころにまで
持ってゆく

この世の中に生きていて
みんな何で苦労するかと
いえば
私が私が
俺が俺が
の心で苦労するんですよ
折角
ここまで俺がしてやったのにとか
あれだけ
私がいったのに私のいうことをきかないで
あの人は
とかね
これはみんな
我慾です

財産がありすぎて
アップアップしている人もあれば
貧乏で苦しいおもいをしている人も
ある
その人の
その生きる環境も
立場立場によって
あたえられる苦しみも
さまざまですけれどね

何が一番大変だといって
自分がというおもいを
消す程大変なことはないんです
とても
人間の力だけで
できることじゃない
それが消せるのは
祈りだけなんです

世界平和の祈りを
私はいつも
光へのエレベーターだと
言ってますけど
本当にそうなんです
自分もなく
人もない
ただ神様の光ばかり
愛ばかりが感じられる
世界平和の祈りを
つづけてゆくと
みんなそうなるんですよ

この祈りの中には
肉体を動かしている
そして
人間の心を動かしている
真実の自己
神の分生命(わけいのち)
分霊(わけみたま)としての
人間の本来の相(すがた)が
こめられているんです
ですから
この祈りを唱えると
とっても気持ちがおちつく
っていうのは
それは
自分のふるさとに
帰るから
真実の自分に出会うから
なんですよ

祈りは
神様への直線道路
世界平和の祈りは
人間が
本来
愛とゆるしにみちた
存在であることを
私達に
悩みなく
やさしくなれるか
ということを
知らせてくれる
身をもって教えてくれる
祈りなのです
人間が
どれほど
やさしくなれるか
ということを
知らせてくれる
祈りなのです

どうぞやさしい人になって下さい
自分を労わり
他人を労わる
愛深い人であって下さい
          昭和62年3月7日