7月に余市町のフゴッペ洞窟を訪ねました。イシカミの遺跡の一つです。
ソラからの伝言より「フゴッペ洞窟、シリパ岬」についてご紹介します。
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近くはフゴッペ洞窟 (岩絵)、フゴッペ川などの名前がありますが、
『フゴッペとは、 フゴ (=物を運搬するために用いる竹や藁 (わら) で編んだかご) にイッパイ (=イッペイ) に採れる肥沃な土地』 と言う意味だそうです。
行く前に、シリパ岬が本当に切り取ったような岬なのが気になっていました。
http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20040813194807 http://www3.ocn.ne.jp/~yoiti/fugoppe.html
「シリパ岬の先が、フゴッペ洞窟のあるイシカミなのです。
イシカミの兄弟は連なって降りてきましたが、長男のフゴッペ洞窟のイシカミは、
海にいたのでは人間のためにならないとあそこまで歩いて行きました。 (シリパ岬とフゴッペ洞窟は6km弱)
そして人間にビジョンを見せて (線刻画を) 描かせたのです」
シリパ岬に行った時、
「お兄さんがお世話になりありがとうございました」と言ってきてフゴッペ洞窟は長男で、シリパ岬は弟であることがわかりました。http://www.spacedome.co.jp/yoichi/bunka/fugo.html
フゴッペ洞窟は円山の裾にある洞窟で、線刻画で有名です。
“船” という名の線刻画は、丁度、船に人が立っているように縦線が描かれており、兄弟で連なって降りて来たことを描いた模様だそうです。
フゴッペ洞窟の周りだけ砂岩で、その上は固い岩で不思議だと思っていましたが、ナゾが解けました。
その砂岩を巨人が掘り出したものが、洞窟の回りにある砂岩の巨石です。
ソラ画像 フゴッペ洞窟の岩山 http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20040524183505
周りは普通の岩のようですが、岩絵が描いてある部分は砂岩です。
洞窟の外側です。
岩絵が描かれている部分は、まるで洞窟の一部を砂で壁塗りしたように砂岩でした。
その壁塗りしたような部位の軟らかい内に描いたので、簡単に岩絵が描けたと思いました。
手前に砂岩の大きな岩が、5,6個置いてあり、丁度ウエーブロックの頂上の岩と同じと思いました。
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白い建物が洞窟の所。
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2005年5月24日のお知らせ
#) 洞窟岩絵
アルタミラやグラスコーなどの岩絵は洞窟の中にありますが、明かりを灯して描いた形跡が無いと言われています。
http://tenplusone.inax.co.jp/ の西ヨーロッパの洞窟http://tenplusone.inax.co.jp/archives/fieldwork/photoarchives/0407/020.html http://tenplusone.inax.co.jp/archives/fieldwork/photoarchives/0407/021.html
このようないろいろな洞窟に絵が描かれているのは、ナスカの地上絵などと同じで、宇宙の原子にこのような動物になって地上に現れるようにと、小さな人間にビジョンを見せて壁画を描かせたそうです。
余市のフゴッペ洞窟も真っ暗で電気が無いと見えなく、地面のすぐ上にも線刻画があるのは、かがんで描いたのか、どうして地面すれすれに描いたのかな、と思っていました。
それはまず、イシカミの固まりかけた遺体に大きなひさしのある窪みを作ります。
そしてそこにまず人間に絵を描かせ、絵が描けたら上から洞窟になるようにイシカミの遺体の一部で蓋をして、いわばカンズメのようにして岩絵を保存したそうです。
イシカミの軟らかい身体で蓋をしたのですが、その時に柔らかいのでこぼれおちて埋まっていき、土台が高くなってしまったと思うと、地面すれすれに刻画が描かれていても不思議ではありません。
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真夜中、涙が出て、目がゴロゴロして目が覚める。
「イシカミです。
私がフゴッペ洞窟を作りました。
http://www3.ocn.ne.jp/~yoiti/fugoppe.html
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私は今に隠れる(死ぬ)と言う時に、イシジンに絵を描かせました。
それがフゴッペ洞窟の絵です。
その絵の意味を知らせます。
色々な人の姿はイシジンです。
つばさのあるのは、魚を干すことを教えているのです。
船に乗っているというのは、イシジンがつながっていたことをあらわします。
(鼻にサインあり)
小さなイシジンが何人もつながっているのは仕事をするためです。
それは悪者から逃れるためのまじないです。
イシカミから離れて丸くなってストーンサークルを作るためです。
悪者がイシカミを固めることがわかったからです。
それで小さなストーンサークルで急いでたくさんのイシジンが創られました。
イシジンの原子は形になってそれを覚えてから分解し、今の人間と同じ仕組みの人間になったのです。
イシジンは小さなストーンサークルで原子が集まることができました。
けれども人間の肉体ができるには、多くのイシジンの力が必要だったので、大きなストーンサークルがあったのです」
船に乗っている岩絵を知られていますが、以前から船ではないと伝えてきていました。
http://www.alta.museum.no/Publisering.asp?Id=11 http://www.h3.dion.ne.jp/~pekochan/isanfile/TANUMU.HTM http://www.tcat.ne.jp/~norway/myhomepage/finnmark2.htm http://members.jcom.home.ne.jp/tks.k2/Travel/Norway/801/Aug01_2.html
ソラの検索でフゴッペの意味などこれまで知らされています。
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2006年10月撮影 フゴッペ洞窟の岩山と砂岩
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#)↓はフゴッペ洞窟について詳しく書かれていますが、小さなイシジンらしき伝説が、アイヌに伝わっていたようです。 http://www.swan2001.jp/oa022.html さんから
〈往古「鍋を持たない土人がいて生物(なまもの)ばかり食べていた」
イカシはいう「お前はコロボックルというが、それはそうじゃないKurupun,unkurというんだ」「クルは岩だ。水かぶり岩だ。ナニ水の底にあるごろんだ(粒々の)石のことだ」「ナンデモ石に親しんだもので恰も石の下にでもいるような人種だからアイヌはこれを形容してクルプンウンクルとよんだもんだ」との意見であった〉(昭和二年七月三日)
水の岩の下に住むというのは、肺呼吸をしないイシジンなら住めます。
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フゴッペ洞窟のイシカミはシリパ岬から人間のためにと今の所へ移動したそうです。イシカミが離れた場所は遠くからでもスパッと切れたような感じで目立っていました。
洞窟の内部には壁画の模型があり、さわることができます。また洞窟周辺の模型もありました。縄文人の生活がわかるようになっています。イシカミが人間のために果物などが取れる豊かな土地になり、近くの海にも魚を呼んできたのではないかと思いました。魚も人間の食べ物として作られたそうです。
余市がフルーツ街道などがある豊かな土地であるのは、余市岳のイシカミがよい果物がなるように話しかけているからだそうです。確かに余市産のさくらんぼはつややかでおいしそうな感じがしました。