9.11から、もう9年になるなんて。
リアルタイムでNYからの映像を見た、あのときのショックは忘れていない。
その40日後に最後の花を咲かせた、切花のカスミ草が教えてくれたことも。
朝、日付に気付いてはっとしたものの、
予定を曜日だけを考えて入れて出かけ、深く思いを致すことができなかった今日。
そういう自分に少しおちこんだ。
だからといって今を生きる自分の人生の時間を充実させることをおろそかにすることは、
また違うと思うし。
目の前にあるものを感じる、心に触れるものを味わう、それは感性を養う上でまず大切なこと。
(そういえば自分の感性くらい自分で守ればかものよ、と書いたのは
茨木のり子さんだったかな。あ、彼女のは感受性か。)
でも。
事件も、戦争も、こういうふうにして風化してゆくの…?
追記:時差の関係で深夜から直接の報道が増え、新たに考える時間をいただきました。
報道の役割はこういうところにもあるのですね。
追記2:いただいたコメントで、自分にもできることがあると改めて気付かせていただきました。
しろぶんちょうさん、ありがとうございます。
リアルタイムでNYからの映像を見た、あのときのショックは忘れていない。
その40日後に最後の花を咲かせた、切花のカスミ草が教えてくれたことも。
朝、日付に気付いてはっとしたものの、
予定を曜日だけを考えて入れて出かけ、深く思いを致すことができなかった今日。
そういう自分に少しおちこんだ。
だからといって今を生きる自分の人生の時間を充実させることをおろそかにすることは、
また違うと思うし。
目の前にあるものを感じる、心に触れるものを味わう、それは感性を養う上でまず大切なこと。
(そういえば自分の感性くらい自分で守ればかものよ、と書いたのは
茨木のり子さんだったかな。あ、彼女のは感受性か。)
でも。
事件も、戦争も、こういうふうにして風化してゆくの…?
追記:時差の関係で深夜から直接の報道が増え、新たに考える時間をいただきました。
報道の役割はこういうところにもあるのですね。
追記2:いただいたコメントで、自分にもできることがあると改めて気付かせていただきました。
しろぶんちょうさん、ありがとうございます。
9.11の衝撃は忘れられないものです。自分の見ているものが信じられませんでした。あれからもはや9年も経つのですね。
カスミ草のお話は以前拝見しました。このエピソードがとても好きです。目の前のいのちを大切にする、ということは、それが小さないのちであっても、大量に無差別に、そして実に無造作に行われた殺人行為に対抗する行いなのだと感じます。
ただネットワークのほうは日増しに悪くなってきて。これはパーツの不具合のようなので、修理に出さないとだめかもしれません。
憶えていてくださって、お好きと言ってくださってありがとうございます。私もこのエピソードで救われたので、ここを初めて訪れる方にもお読みいただきたく古い記事にリンクを張ることに致しました。
お言葉のおかげでひとつ気付かせていただいたことが。
インドの独立運動で、武器を持たない人々が整然と列を組み立ちふさがるのを官憲が警棒で端から頭を殴りつけ、最前列の人が倒れると次の列の人が前に進み、官憲は同じ事を繰り返すというドキュメンタリー映像を見たことがあります。(ガンジーは無抵抗は推奨していたわけではないそうなので、彼の指導ではないと思いますが)
これでは打ち所が悪ければ死んでしまいます。人口の多いインドで、また功を奏したからよいものの…良心が薄い官憲であれば何も感じないで最後のひとりまで繰り返したであろうこのやり方に対し、私は疑問を感じていました。生きている人の命を危険にさらしてまで表現する非暴力とはなんだろうと。まして大量殺人の前に人はなす術もないと思っていました。
けれど暴力に非暴力で対抗するとは、カスミ草のエピソードのようなものも含むのかと。私はただ花に救われた、自然が教えてくれることがある、そう思って行為の質を考えたことがありませんでしたが、暴力に対して私にも何かができるのかもしれないと今回初めて(!…遅い;笑)気付かせていただきました。ありがとうございます。
忘れてはいけないのは、直接その暴力の場にいない者、大切な人を失ってはいない者だから簡単にできることなのだろうとも思いつつ。