三酔人の独り言

ルポライター・星徹のブログです。歴史認識と国内政治に関わる問題を中心に。他のテーマについても。

マイルドヤンキー? 未成熟なる日本人

2015-01-10 19:13:40 | 歴史認識・社会論
 「朝日新聞」2015.1.10(朝刊)「【安倍政治 その先に】有権者を考える 何となく肯定 変わらない日本」(精神科医・斎藤環さんインタビュー)は、先の衆院選(2014年12月)を通して日本の国民(有権者)のあり方を考察している。プロフィール欄に「安倍首相について『ヤンキーに憧れたが、ひ弱でなれなかった』と分析」とある。賛成できる部分が多くあった。特に印象に残った箇所を、以下に紹介する。
 *<   >内は、斎藤氏の発言引用。「・・・」は略。[   ]内は引用者(星徹)が補った。

■「無意識に自民党を支持する層の人々が多くいる」(要旨)との自身の発言に続けて、

<・・・いわゆるヤンキーと呼ばれる層です。最近はマイルドヤンキーとも呼ばれますが、うっすらと不良性をまとい、地元と仲間の『絆』が大好き。[マイルドヤンキーと呼ばれる人たちは]学歴や階層とは無関係に、物事を深く考えない反知性主義が強く気合や勢いを大事にするため、なんとなく現状肯定的。といったところが特徴です>─①

<彼らは、よくも悪くも『今』しか考えない。現政権を強く支持する理由もないけど、現状が『そこそこ』なら、このままでいいんじゃね、みたいな感じで乗っかっちゃう。・・・>─②

<・・・日本人の政治意識は、依然として成熟していない。空気で動いているだけです>─③

<マイルドヤンキーのいいところは、バランス感覚です。知性的ではないが、人情に厚い人情型、情実型保守です。極端な排外主義や好戦性はない。・・・[今衆院選では]現状維持がなんとなく支持されたにすぎません>─④

【記者質問】マイルドヤンキーが日本社会で一定のクラスター(集合体)を構成している限り、変わりようがないのですか。

<日本社会を近代市民社会に変えることは、とてつもない難事業と言わざるを得ません。この社会の異様なまでの柔構造ゆえです。表面だけ追随しても深層は一切、変えないための柔軟さを日本人は持っているのです>─⑤

<市民社会への成熟など望むべくもないという絶望というか、脱力感は私にもあります。しかし困ったことに脱力感は安心感でもある。そうめちゃくちゃな方向にはいかないだろうという。・・・>─⑥

               ≪「朝日新聞」斎藤環氏のインタビュー記事紹介終わり≫

【①~③についての考察】
 マイルドヤンキーとは要するに、「未成熟な子どもの精神年齢のまま年齢を重ねた人々」ということではないか。そういった人々が社会に「一定程度いる」ということは、いつの時代に於いても言えることだ。問題なのは、そういった人々のことを「かっこいい」かのようにはやし立てることだ。私などは、「何だ、年ばかり重ねて、人間的にぜんぜん成長していないじゃないか。情けない」と思うのだが。

 敗戦後の日本を統轄した連合国軍最高司令官ダグラス=マッカーサーは、離任後の1951年、「日本は12歳の少年」などと発言した。「米国だって多くの問題を抱えているじゃないか」と言いたいところだが、このマッカーサー発言はある面では当たっていた、と私は思う。

 あれから60年以上。日本は戦後復興を遂げ、高度経済成長を経て、経済大国になった。果たして、日本人の精神年齢は成長したのか? 一部の人は「民主主義と近代立憲主義を追求する」という問題意識を持ち、大いに成長した、と思う。しかし大多数の人々は、そういった問題意識すらあまり持たずに、日々の生活を送ってきたのではないか。だから、「平均すれば14歳の少年(少女)くらい」というのが、私の主観的見解だ。

 青少年期の子どもたちは、周りの影響を受けやすく、「良く」も「悪く」もなる可能性を秘めている。だから、悪意または策略を持つ人々からすれば、「手玉に取りやすい」のだ。

 (政治)権力者、又はこれから(政治)権力を握ろうとする人たちは、一定の民主制度の整った社会に於いては、自分たちを支持して(選挙で投票して)もらおうと必死になる。だから、自分たちに都合の悪いことはなるべく隠し、又は合理化したり屁理屈を弄して誤魔化そうとする。そして、自らに都合の良い「事実」と「理屈」をうまく駆使しようとする。

 こういった彼らの「都合の良い屁理屈とゴマカシ」の可能性を常に想定し、「民主主義と近代立憲主義を追求する」という問題意識を忘れずに、価値判断をする(「投票する」など)。そのことこそが、社会を成熟させるために必要なのだ。

【④~⑥についての考察】
 マイルドヤンキーらの「バランス感覚」に関しては、それなりに当たっている、と思う。しかし問題は、そんな軟(やわ)な事を言っている場合ではない、ということだ。「バランスを取ろうと思ったら、もう遅すぎた」ということに、なりかねないのだ。

 政治権力の側にとって最も手玉に取りやすいのは、マイルドヤンキー層の人々だ。知性を重んぜず、人情型であり、それ故に無防備なのだ。政治権力が擁する宣伝・心理操作のプロにとっては、「無防備な子羊」であり、「最良のお客さん」になり得るのだ。
 

 「騙(だま)される側の責任」なることを、戦後すぐに語った人がいた(*伊丹万作「戦争責任者の問題」(1946年))。特に、戦後日本のように「選挙民主主義」の制度が整った国に於いては、「投票した側」「騙された側」にも大いに責任があるはずだ。私たちは、この事を忘れてはならない。

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