素振りブログ。

一般でスピーチできる話の素振りのはずなのに、無理な話がほとんどのブログ。

平安ガロその他

2015年12月12日 10時10分11秒 | 日記
今週の平安ガロの配信ですけど。

星明の法師としての師匠、先代の蘆屋道満ですか。
今は暗黒の法師だけど、昔はそうじゃなかったのですかね?

さすがにさ、暗黒に堕ちた法師が真人間育てるとか、無いと思うんで。
(あ、なんか初登場時にそんなこと言ってた人、居たような?昔はフツーの法師だった、みたいな)

堕ちたの結構最近?(10年前を最近と言い切るようなレベルの、最近、ですが)

今回の話でも、何だか闇に堕ち切ってないのかな?と思える台詞ありましたし。
闇の中に光を求める、みたいな。
元から悪の魔戒法師ではなかったことの残滓、みたいな。
筋金入りだとこれは無さそうな。

我が身を危険に晒して雷吼を救うも良し、土壇場で我が身可愛さで見捨てるも良し。
そういう心境なのかな。先代。
後者であれば「何も救う手立てが無く、見殺しにするしかなかった」って場合より、罪悪感ハンパ無いし。
その場合の闇落ちは、手立てが無くて見殺しにした場合よりもより深くなりそうですし。
そして前者だったら、先代的には嬉しいのかもしれないですね。
何があったのか知らないけど、そういうことを信じられなくなったから、今の状態になってるのかもしれませんし。
自分が信じられなくなったものが、見えるところで知った人間により成されるなら、救いのようなものになるのかもしれない。

でも、現役の蘆屋道満はそれすらも否定しているようですので、暗黒レベルは師匠以上ですかね。

これは後々、師匠を殺す展開来るかもですな。
方向性の違い、とかいう理由で。(バンドかよ)



ここ最近の東京喰種ですが。

夢はもういいってさ。

勝手に他人が自分に抱いたイメージだとか。
託した夢だとか。
それに応えなきゃ、と思い行動する自分だとか。

目覚めて全部思い出して、嫌になってしまったんですかね?


何か見てて辛い;
自分を殺して他人のために。
それが美徳だと信じてたんでしょ。
母親がそうだったみたいですし。
(まぁ、その母親も、カネキ君を虐待してたみたいですが。自分が耐えた分を幼いカネキ君に当たってたのか)

それがもう限界だ、ってことか。

エトに対して「何でお前みたいな奴を救わなきゃいけないんだ?」なんてことも言ってましたな。

やめてー、と読んでて思いましたわ。
いやま、そういう「やめてー」と思うような読者の期待のようなものをカネキ君は「もういい」って言って背負うの拒否してるわけですが。

カネキ君はどこに向かうのやら。


で、ウリエ。
改心しないならなるべく悲惨に死ねとか言われてたらしいですけどね。彼。

私も同じ思いでしたが。

自己中→求道者→仲間へと流れていきましたね。
他人から評価されたい、そのためになら他人は利用できるだけ利用する、って精神性から、自分の潜在能力を引き出すことに喜びを求める求道者の精神にシフト。
あれか。評価されるために自分を鍛え上げているうちに、自分のことを客観的に見れるようになってきて、周りの人間のことも意識できるようになったんですかね。

このシフトに関しては違和感無く読めました。

でも、そうなった途端、ともに戦ってきたシラズを失ってしまう。

で、あんだけ出世と評価を気にしてたヤツだったのに。
シラズの死を何の気にもしていない和修政に食って掛かる。

ここは良かった。泣けるくらい良かった。
良かったけど。

後が気になりますね。
兵士を無駄に死なせまくった和修政が何のお咎めも受けず、上司に反発したウリエが処分されるとか。

胸糞悪くなるからできれば見たくないんですが;