森の詞

元ゲームシナリオライター篠森京夜の小説、企画書、制作日記、コラム等

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2008年09月22日 | レポート

 数週間後、私は男とベッドにいた。
 男の体は汗に濡れ、しなやかな感触が心地良い。
 人間の体には寄せ合ってピッタリと来る場所がある。緊張も不快感もなく、互いの身体を寄せ合っても違和感のない部分。
 セックスにおいてフィーリングが合うというのは、行為が終わった後にどれだけ心地良く体を寄せ合い眠ることができるかだと私は思う。行為自体はある程度の経験を積めばスポーツのように楽しむことができる。しかし、行為を終えた後の無意識の動きは、経験や知識の及ばない領域だ。
 お互いが絶頂に到達し、緊張が解け、熱く火照った体を寄せ合う瞬間が好きだ。頭の中が真っ白になり、全身で相手の存在を受け止める。男の手が私の髪を梳く。大きく上下する胸。やがてお互いの手が合わされる。
 私はこの時、自分の曲線と相手の曲線が完全に一致していると思う。
 行為自体は巧いが、終わった途端に余所余所しくなってしまう男がいた。別の男は、技術は稚拙ながらも心地良い眠りへと誘ってくれた。そして今日の男は、行為自体も、終わってからの感覚も悪くなかった。いわゆる上玉というやつだ。
 私は男の脇腹の辺りにピッタリとくる場所を見つけ出し、体を寄せた。そして自分が何かと結びついている感覚を味わいながら眠りにつこうとした。
 しかしその時、男が起き上がって声をかけてきた。
 ……ずっと黙って動かずにいてくれれば良かったのに。
 私は不機嫌な声で返事をした。
 私と人間の曲線は、再び離れようとしているらしい。

 男の名はタカハラという。科学系雑誌の記者を務める、まだ若い男だ。
 カジワラの論文が世に出て以来、ホムンクルスの研究は頻繁に取材を受けることとなった。人工生命という言葉が関心を引くのか、取材の申込みは一般の新聞・雑誌からも相次ぎ、生物学やコンピューターに関する知識を全く持ち合わせていない記者を相手に一から研究内容を説明しなければならないこともあった。
 タカハラが研究室を訪れたのは、取材騒ぎが落ち着いてきた頃のことだ。
 最初のうちは張り切っていたカジワラも連日連夜理解のない連中を相手に同じことを説明するのには飽きたらしく、その頃になると記者の応対は私の役目になっていた。
「では連結したコンピューターの中に……数値的な『生命』が存在しているのですね?」
「その通りです」
 タカハラは雑誌記者というよりも音楽関係者に見えた。物腰は穏やかで、知性的な話し方をするが、この雰囲気は生まれ持ったものなのだろう。タカハラは鉛筆を唇に当てながら私に訊ねた。
「しかし、数値のみの存在を生命と呼んでもいいのでしょうか? 生命というのは……」
「生命とは物質的に存在するものだと、そうお考えなのですね?」
「ええ、仰る通りです」
 私は言葉を選びながら説明を進めた。
「実在する生命……貴方や私も含めて……この地球上のどのような存在も、情報の集合体と考えることができます。DNAやRNA、それらの情報によって生物は構成され、例え肉体は失われようとも、情報は生殖や分裂で次の世代へと受け継がれていきます。生物の本質は情報であり、その存在目的は、自らの情報をできる限り保持することにあります」
「利己的遺伝子というやつですね」
「よくご存知です」
 私は少し頭を整理すると、再び話し始めた。
「確かにホムンクルスは、私達が知るところの従来の生命とはかけ離れた存在です。しかしその本質の部分……自己を構成する情報を守り、存続させようとする点では同じなのです。原子で肉体を構成する生物から本質の情報部分を抜き出し、数値としてモデル化したもの、ということになるでしょうか。ホムンクルスは地球環境ではなく、コンピューターの環境の中で生まれ、育ち、滅びてゆく生命……ここに並ぶコンピューターは一つの地球、箱庭なんです」
 タカハラは肯くと次の質問に移った。
「では、この実験は科学に対してどのような貢献をすると思われますか?」
「研究に実用的な意義を求めるのは一般の方の悪い癖です」
 私は営業用の微笑みを浮かべて即答した。記者はこういった質問をするものだ。
「アインシュタインが相対性理論を導き出したのは原子爆弾を作る為ではありません。メンデルは遺伝子組み換え食品の為に教会の豆を観察したのでしょうか? ただの純粋な科学的興味……ではいけないものなのでしょうか?」
「それを言われると弱いですね。こちらも仕事なものでして……お気を悪くさせてしまったのなら謝ります。申し訳ありません」
 タカハラが素直に謝罪する。立場上やむを得ない質問、ということなのだろう。私はもう少しこの男と話を続ける気になった。
「今はまだホムンクルスは幼稚な段階でしかありませんし、実際の生命が有する情報量とは比べものになりません。しかし、この研究の最終目標は生物進化のシミュレートだと私は考えています」
「シミュレート?」
「そうです。今までの進化の研究は現存する生物の形態や化石などの物的証拠からその道筋を予想するものでした。しかし、それで進化というものの本質がつかめたとは思いません。おそらく、これからもそうでしょう。進化の道筋を追い、生物が海から陸に進出した事実を突き止めても、それが何故、どのようにして起こったのかは謎のままです。その時、いかに生物の情報は組み変わったのか……それは、どの程度の割合で、どのようなものが生き残ったのか……どのような環境要因が働いたのか?」
「それをホムンクルスが解明できると?」
 タカハラの声に熱がこもる。
「当初、ホムンクルスには単純な数値の『モノ』という生命……こちらの世界で言えば単細胞生物のようなものしかいませんでした。しかし数万世代を経た現在、ホムンクルスは大幅な成長を遂げています。現段階で最大勢力の『6』は当初の『モノ』を基準にすると六倍の正四面体構造を有しています。おわかりいただけますか? ここでは現実に進化が起きているのです」
 タカハラが短く感嘆の声を上げる。やはり話のわかる人間と話した方が面白い。
「勿論、進化の全てを解明することは不可能でしょう。私の研究もまだ初期段階です。しかし、現在のホムンクルスのシステムを利用した次世代、更に高度な世代となれば、その精度は限りなく実在の生物に近づいていくと私は考えています。実際の生物のDNAデータを組み込むことができれば、その進化の過程を一本のフィルムを見るように再現できるかもしれません」
 タカハラは大きく肯いた。
「更に、先程仰った『実用的な効果』ですが」
 私は畳みかけるように話を続けた。
「現在数社の企業と協力して、ホムンクルスのランダムなシステムを利用したシミュレーションソフトを開発しています。経済や気象予測などの分野でもかなりの成果が期待できそうです。他にも様々な局面への柔軟な対応が不可欠となるセキュリティプログラムや人工知能など、今後の活用が期待される分野は多岐に渡ります」
「なるほど……素晴らしい研究です。まるでSFみたいだ」
 タカハラが熱心にメモを取る。
「花村君。そろそろ時間ではないのかね。それに記念パーティーだってある」
 それまで無言で隣に座っていたカジワラが退屈そうな声を上げる。よほど話し疲れたらしい。最初の頃は記者の都合さえ無視して延々話し続けていたくせに。
「いやあ、失礼しました。あまりにこちらの方……花村さんでしたっけ? のお話が面白かったので」
 微笑むタカハラの視線が、タイトスカートから伸びた私の脚に向けられる。
「それに、知的な美人と話ができるなんて私の仕事では滅多にないものですから。科学者と言ったらほとんどが偏屈なおっさんですしね」
「まあ、ありがとうございます」
 言うまでもなく私とカジワラの年齢が若い事に対する世辞だが、単純なカジワラはあっさり機嫌を直したようだ。自分はパーティーに行くから、君はこの人を研究室に案内してあげたらどうだと言い残し、上機嫌で部屋を出て行った。
 私達は部屋に二人きりになった。タカハラは暫く部屋の様子を眺めていたが、ふと思い出したように話しかけてきた。
「えっと、君はパーティーには行かなくていいのかい?」
「教授はお祭り騒ぎが好きですからね」
 私は軽く肩をすくめた。
「実はここに来る前に一つ聞いたことがありまして。この研究に関してね」
 唐突にタカハラは切り出した。
「どんなことですか?」
「この研究の指揮は教授のカジワラが行っているのではなく、実際には研究室の一人の学生が進めていると……」
 ペンをこめかみに当て、何気ない口調を装って呟く。私の反応を探っている。意外と油断のならない男だ。
「まあ。何処からそのようなお話を?」
 私は少し驚いたような表情で訊き返した。
「それは仕事上の秘密ってやつです」
「記者の皆さんは楽な商売をしてらっしゃいますね。私達なら資料の確実性を示さなければ相手にもされませんのに」
 タカハラは私の答えに苦笑した。
「では、もう一つ確実性のない話を」
 タカハラは私から視線を動かす事なく話し続けた。
「しかもその学生というのは、これがまた凄い美人で、教授の愛人だとか」
「話がワイドショー的になってきましたね。科学雑誌の記者というのは、そのようなことまで取材しなければならないんですか?」
「いいえ、あくまで個人的な興味ですよ。仮に事実でも記事にはしません」
 私はタカハラの視線を正面から見据えた。
「それで……私がその学生だと?」
 タカハラは大袈裟に手を振り、とんでもない、と答えた。
「ですが、少なくとも『物凄い美人』でしょう?」
「……お上手ですね」
 私は少し馬鹿らしくなって答えた。
「貴方はそのような馬鹿げた話をなさる方ではないと思っていましたのに」
「確かに、馬鹿げた話ですね。決して表舞台には立たない天才……しかも美人の学生だなんて。私も正直、ここに来るまでは嘘だと思ってましたよ。しかし、貴女にお会いして考えを改めました」
「何か根拠でも?」
「先程の話の中で『私の研究』と仰いましたよ? えらく自信たっぷりにね。あとは記者の勘です」
 即座に記憶を検索し、思い当たる部分を探る。
 ……見つけた。
 確かに話が弾んだ時に、口を滑らせたような気がする。
 まったく油断のならない男だ。私は苦笑した。
「貴方は記者よりも探偵に向いていそうですね」
 タカハラは満足気に微笑んだ。
「小説家にはなろうと思ってますがね」


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