やっと気持ちが落ち着いたので・・・
フジのエキシビションの放送を見ていたら、演技が終わって涙ぐむ織田くん。
「日本で滑る最後の演技だから感極まって泣いているのかな?」と思っていたら、
エンディングでまさかの引退発表。
30分くらい涙が止まりませんでした。
今季で引退するのは分かっていたけれど、
全日本のフリーの演技は本当に素晴らしかったし、四大陸への派遣も決まったので
引退の日がこんなに急にやってくるとは・・・悲しくて寂しくて仕方がありません。
(しかも生放送じゃないのに・・・あっこちゃんのコメント、何で途中で終わるの)
私は、織田くんはソチは無理でも、世界選手権には派遣されると思っていました。
だから男子フリーが終わった日に、世界選手権男子フリーの日のホテルを予約して
織田くんの最後の演技を楽しみにしていました。
四大陸の派遣が発表されても、世界選手権直前まで何が起こるかわからないから
とりあえずホテルはそのままにしていたのに・・・引退では無理ですね。
今度の世界選手権が日本じゃなかったら、もしかしたら織田くんと小塚くんは世界選手権に派遣されていたのでは?
会場がさいたまスーパーアリーナじゃなくて、もっと小さな会場なら・・・
集客力や来年の枠取りのためには、オリンピックメンバーで行くのが正しい選択なんでしょうが、
織田くんの今年の頑張りなら十分貢献できると思うのですが・・・。
Nobunari Oda - 2013 Medalist on Ice EX
フィナーレ・織田信成現役引退挨拶 - 2013 Medalist on Ice Finale & Nobunari Oda announced his retirement.
織田信成、号泣で引退表明「泣かぬなら泣きに泣きますホトトギス」
デイリースポーツ 12月24日(火)20時57分配信
フィギュアスケートの14年ソチ五輪代表らによる全日本選手権のエキシビションが24日、さいたまスーパー行われた。終了後、全日本4位に終わり、五輪代表入りを逃した織田信成(26)=関大大学院=が現役引退を表明した。
号泣しながら登場した織田は「今日を持ちまして、現役生活を退く決意をしました。四大陸の代表に選ばれていましたが、若い選手に頑張ってもらいたい」と、絞り出した。その後、五輪代表の真央、高橋ら同じ時代を戦った仲間たちがリンクに現れ、みんな涙流しながら、抱擁を交わした。
「五輪、世界選手権の代表になれなかったことで思いが強くなった。若い選手も強くなっている。今が引き際かなと思い、決断しました。幸せなスケート人生でした」。
戦国武将・織田信長の末裔。一部からは『殿』の愛称で親しまれた。先祖の存在が重荷になったこともある。それでも「最初は抵抗がありました。でも、そのおかげでフィギュアを知ってくれて、僕のスケートを見てくれる人もいた。自分の名前も得だったのかなと思う」と、いつしか感謝することが多くなっていった。この日、現役最後に滑ったプログラムは『ラストサムライ』。渾身の演技を先祖に捧げた。
世界大会ではあと一歩頂点には届かなかった。加えて05年トリノ五輪の選考会では採点ミスにより順位が入れ替わり五輪行きを逃した。ジャンプの回数ミスや、バンクーバー五輪で靴ひもが切れたこと。不運などで涙を流すことも多く、信長同様に天下統一はならなかった。ただ、それでもこの日、自身のスケート人生を「『泣かぬなら泣きに泣きますホトトギス』かな。涙が印象的なスケーターだったと思う」と、総括。ライバルとして常に比較された高橋大輔の存在にも「大ちゃんがいてくれたから、自分も頑張れた。ライバルとしても人としても尊敬できる。一緒に同じ時代にスケートができてよかった」と、感謝した。
今後はまず大学院の卒業が目標。将来的にはコーチとして後進の指導にあたる予定だ。私生活では2児の父。自身が母憲子さんとともに歩んできただけに、“将来”の期待も高まる。「五輪で金メダルを取れる選手を育てたい。自分が届かなかった分、力を入れて頑張りたい。2人の息子たちが、もし選択してくれるなら、自分の成績を超えて欲しい」と、楽しそうに笑った。
コミカルな演技と、愛くるしいキャラクターで日本男子をけん引してきた26歳。織田らしい“涙”と“笑顔”で、競技生活に別れを告げた。
長年わたり苦楽を共にしてきた鈴木明子は「ノブの我先に泣いてくれる優しい気持ちが大好きでした」と、涙で言葉を詰まらせた。
「悔いはないです」
――引退を最終的に決意したのはいつですか?
昨日です。代表発表があって、五輪と世界選手権の代表から漏れてしまったので、自分の実力の至らなさなんですけど、仕方ないなということで、今日という日に決めました。
――代表がダメだったら引退しようと思ったのはいつ?
今シーズンで現役を引退しようと決めていたんですけど、少し早くなっただけというか、いつ辞めてもいいようにというのは変ですけど、それぐらい悔いなく日々を過ごせていたので、悔いはないです。
――思い出に残っている演技は?
今回の全日本でのフリーの演技ですね。ショートは失敗してしまったんですけど、全日本という舞台で戦えたという実感があったので、それが一番良かったかなと。
――五輪(10年バンクーバー五輪)にも出場しました。今、振り返ってみてどうですか?
本当に良いことも悪いこともいろいろな経験をさせてもらった舞台だと思います。これからソチ五輪がありますが、みんなに頑張ってほしいなという気持ちです。
――五輪では演技中に靴ひもが切れるというアクシデントもありましたが、振り返ってみてどうですか?
その悔いを晴らすべく今季頑張っていたんですけど、それもかなわなかったので、そこが自分の実力の至らなさかなと思います。これからもっと頑張っていこうという決断もあったと思うんですけど、本当に若い選手もたくさん育ってきていますし、そのなかで戦っていくのは厳しいのかなと思いました。
信長の子孫としても注目 「鳴かぬなら……」
最初は名前ばかり注目されるのに抵抗はあったんですけど、本当にそういうきっかけでスケートを見てくださる方がいたり、そこから自分だけじゃなくフィギュアスケートというものも知ってもらえて、そういう面では自分の名前は得だったのかなと。
――名前に関連して、スケート人生は「鳴かぬなら……」?
少々お時間いただいてもよろしいでしょうか(笑)。難しいです。今日もそうなんですけど、トップの選手から花束をいただけたりするとは思わなかったので、泣き泣きの一日だったんですね。「鳴かぬなら、泣きに泣きますホトトギス」とかです(笑)。涙が印象的なスケート人生だったと思うので、それで締めくくりたいと思います(笑)。
――これまでのスケート人生で一番印象に残っている試合、一番悔しかった試合、うれしかった試合は何ですか?
一番印象に残っている試合は、初めて出場した世界選手権(2006年)ですね。本当に緊張していて何も覚えていなかったんですけど、初めて世界のトップ選手たちのなかで滑ることができて、自分のなかで印象に残っています。悔しかったのはやはりバンクーバー五輪です。うれしかったのは、自分の力を出せた大会ですね。
――引退の意思を最初に伝えた方はどなたですか?
まずは母に伝えました。やめる決意をしたなら、それは否定はしないという感じでした。それから周りの人に伝えました。自分のなかできちんと決めてから、言おうと思っていたので、家族や友人に伝えました。
――どんな言葉を言われた?
今まで頑張ってくれてありがとうとか、温かい言葉をいただきました。
指導の道に興味「目指すところは五輪の金」
――今後やりたいことは?
コーチングにも興味ありますし、大学院生なので、修論を書いたりしないといけない。ただスケートに携わっていければいいなと思います。
――指導の道に進まれるとのことですが、どんな選手を育てたいですか?
目指すところは五輪の金メダルだと思うので、自分が届かなかったぶん、若い選手には力を入れて頑張っていきたいと思いますし、自分の力をどこで発揮できるかは分からないので、いろいろなことに挑戦していきたいし、やってみたいと思います。
――昨日、四大陸選手権の代表に選ばれていますが、その時点で続けていこうとは思ったのか?
正直、五輪と世界選手権のどちらかの代表に選ばれなかったら、もう引退しようと思っていました。
――発表したあと、多くの選手に囲まれていましたが、どんな言葉を掛けられ、どういう気持ちになりましたか?
「本当にいままでありがとう」という言葉を掛けてもらって、ただただうれしかったです(涙で少し言葉を詰まらせる)。
――今日、ファンの皆さんの前で滑るときは引退を決めていたと思いますが、どんな気持ちでどんなことを伝えたくて滑っていましたか?
演技する前はまったく緊張していなくて、これが最後なんだと。自分の全部を出し切って終わりたいと思ったので、失敗してもしなくても、全部を出し切りたいと思っていました。その気持ちひとつだけでした。
――終わったあとは思わず号泣していましたが、どんな気持ちが沸き上がっての涙だったのでしょうか?
本当にこれで現役として滑るのが最後だと思うと、ちょっと悲しくなりました。
高橋の存在「同じ時代にスケートができて良かった」
――高橋大輔選手と比較されることも多かったと思うんですけど、高橋選手の存在は織田選手にとってどういうものでしたか?
大ちゃんがいてくれたから僕も頑張れたと思うし、ライバルとしても人としてもすごく尊敬しているので、同じ時代にスケートができて良かったです。
――直接伝えたときはどういうやりとりがあった?
大ちゃんも泣いて抱きしめてくれました。みんなが泣いてくれて、泣いているのが自分だけじゃなくてうれしい気持ちになりました。
――今後、アイスショーなどに出演される予定は?
せっかくここまで磨いた技術なので、そのレベルは若さが保てるかぎりは、保ち続けたいと思っていますし、アイスショーでもどんなオファーでも全力でやりたいと思うので、皆さんよろしくお願いします(笑)。
――ご自身もお母様がコーチでしたが、2人の息子さんにもスケートを教えたいと思いますか?
やっぱり自分は満足できる成績で終わらせることができなかったので、それを超えてほしいなとは思うんですけど、自分の子どもに教える大変さを僕自身痛感しているので、やってほしいとは思うんですけど、それは子どもたちの選択に託したいと思います。
――最後にさまざまな方への感謝の気持ちを話してもらえますか?
今まで応援してくれたファンの方々、連盟やアイスショーの関係者の方々、こうやってインタビューをしてくれる記者の方、メディアの方に感謝の気持ちでいっぱいです。自分も恩返しができるように頑張っていきたいと思います。
織田くん、お疲れさまでした。
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