ブログ・プチパラ

未来のゴースト達のために

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『思想地図 vol.3』の特集名と装丁について

2009年06月13日 | 思想地図vol.3
『思想地図 vol.3 特集アーキテクチャ』を読む。

題の「アーキテクチャ」という言葉で、私は、高校時代、architecture という単語を覚えたての頃の「語呂合わせ」を思い出した。
私はあまり利用しなかったのだが、当時巷には「語呂合わせで覚える英単語」みたいな本があって、私も手にとってパラパラと見たことがある。中には印象深い駄洒落もあり、今でもよく覚えているのがこのアーキテクチャという英単語だ。
 
 architecture : 建築

そこには挿し絵として、「怪獣が都市を破壊する場面」がマンガチックに描かれてあって、

「怪獣が来て、あー!来てクチャ-!と建築がつぶされる…」

と覚えよ、と指南されていた。

高校時代の私は、メチャクチャに建築が破壊されるところを想像して初めて、この冷たいイメージを持つ「建築」という言葉をスルスルと呑み込むように覚えることができた。
もしかすると、建築や都市というと、すぐにゴジラが破壊しに来てくれることを想像してしまうのは私だけではなく、むしろ日本人的と言っていいような想像力なのかもしれない。

しかし私のこのような連想もまったく役に立たないわけではなく、『地図』中の磯崎新氏、浅田彰氏、藤村龍至氏らの話に興味を持つ「取っ掛かり」くらいにはなった。

次に表紙の色だが、
ブルーの装丁、これは素晴らしい。
発売が決定されて、この青色の表紙をネットで見たときから、すごくいいと思っていた。
何かすごく憧れの気持ちを掻きたてる色だった。(結果的に私の財布からお金も引き出した)
アマゾンで注文して家に届くまで、文字通り「早く来ないかな」と首を長くして待った。
雑誌の発売をこんなにもわくわくして待ったのは、中学1年の時、『週刊少年ジャンプ』の発売を毎週楽しみに待っていた時以来のことかもしれない。

青は空や海の色であり、沈思黙考の色でもある。

青とは憧れの色だ、とゲーテやシュタイナーの色彩論は述べている。

確かにゲーテが言うように、木々の緑色も、遠くにあれば、不思議なことに、人間の憧れを掻きたてるような「青色」に変わる。

古臭い例で恐縮だが、戦後の日本でヒットした『青い山脈』という歌謡曲も、古いものとの訣別と共に、そうした遠くへの憧れ、を歌って人気が出たのだろう。

「若くあかるい 歌声に 雪崩は消える 花も咲く 青い山脈 雪割桜」
「古い上衣よ さようなら さみしい夢よ さようなら」
「父も夢見た 母も見た 旅路のはての その涯の 青い山脈 みどりの谷へ 旅をゆく 若いわれらに 鐘が鳴る ...」

既に平成時代に入った現在、『思想地図』は、そこまで楽天的に「若者の未来への希望」に寄り添っているわけではないけれども、執筆者達の意図とは関係なく、時には真剣に未来のことを考えたい人たちに向けて、ちょっとした希望を与えることもあるだろう。少なくとも私は、そういう期待を持って購入した。

しかし例えば、『地図vol.3』中の"鼎談-「東京から考える」再考-"では、北田暁大氏が、「アーキテクチャの分析は過去に向かうのが普通」と指摘している。つまりアーキテクチャだ未来の都市だ新しい人間だワーイ!といっても、まずは過去の分析に向かうしかないので、すぐに現在や未来と関りを持つような話ではない、とフワフワした期待に釘をさすようなことも言っている。

まあそうなんだろうけどさ。

『思想地図』次号の特集は、「想像力の未来」だそうで、こっちのほうがもしかすると、ゲーテ=シュタイナー的な「青色」に近い主題、遠くのほうからやってくるイメージに胸ときめかせる、未来憧憬的な雑誌になるのかもしれない。
が、今回はアーキテクチャ・建築というのは、私にとってはかなり「お固い」話題なので、自分の好きな色である「身に沁みるようなブルー」で程よく中和された、といった感じだ。