ブログ・プチパラ

未来のゴースト達のために

ブログ始めて1年未満。KY(空気読めてない)的なテーマの混淆され具合をお楽しみください。

『下流志向』を読む⑥-吉田兼好の「遅く負ける」方法

2009年11月24日 | 内田樹
リスク・ヘッジという用語を、この本で内田樹はかなり拡大解釈して使っているように思う。

ビジネス・タームでものを考えるから日本人はおかしくなったという話の流れの中で、
内田樹氏自身が「リスク・ヘッジを忘れたから」という言い方を多用するので、こんぐらかって話の趣旨が取りにくくなる。

しかし、リスク・ヘッジという言葉で内田氏が想起させようとしているのは、過去にあったと想像される繊細な日本人の共同体的な感覚や、「リスク」や「デインジャー」への独特な感受性のことなのだ。

大岡越前の「三方一両損」や「丸く納める」話から、果ては阿佐田哲也の『麻雀放浪記』の博打打ちの心得みたいな話までが持ち出され、長い時間をかけて共同体の中で培われた独特の知恵や工夫への想起を読者に促している。

『「間違ったら死ぬ」という条件が与えられたときには、人間は「正解を当てるためにはどうするか」ではなく、「間違わないためにはどうするか」ということを優先的に考えるものです。』(内田樹)

三回くらいこの本を読んでも、私には何が言いたいのかわからなくなることも多いのだが、それでも、不利益を最小限にするということ、勝ち負けの微妙な関係、破産・破滅にならないようにする工夫、ということについて「思い出してみろよ」と促しているということだけはわかるので、自分もひとつ、気になるエピソードを引っ張り出しておきたい。

連想して思い出しただけなので、内田樹氏の話とどれくらい関連性があるかどうかはわからないが、日本のブロガ-の元祖とでも言うべき吉田兼好が書いた『徒然草』に「遅く負ける」という話がある。

『徒然草』110段
双六の上手といひし人に、そのてだてを問ひ侍りしかば、「勝たむと打つべからず。負けじと打つべきなり。いづれの手かとく負けぬべきと案じて、その手をつかはずして、一めなりとも、おそく負くべき手につくべし」といふ。道を知れる教、身を治め、国を保たむ道も、またしかなり。


訳:「双六の上手と言われる人に、その秘訣を尋ねてみると、「勝とうとして打ってはいけない。負けまいとして打つべきである。何が早く負けてしまう手なのかをよく考えて、その手を使わないようにして、一目でもよいから、遅く負けることのできる手につくべきである」と言う。道に通じた教えだと思う。身を修め、国を保つ道も、その通りだと思う。」

『下流志向』で紹介されていた、阿佐田哲也の『麻雀放浪記』のエピソードにも、「ねばりこんで負けが来るのを長引かせる」という麻雀打ちの言葉がある。この両者にある「遅く負ける」という考え方が、「時間」や「リスク」というものを、単純な「勝ち負け」以外の領域で扱っているように私には見えて、面白い。