労働法の歴史を描いた濱口桂一郎『労働法政策』(2004年)から、自分がいま興味を持てそうなところを、適当にピックアップしておく。
私が気になっているのは、たとえば「生活保護」と「雇用保険」のあいだにポッカリと開いた大きな穴、のことだ。
それと関係して、ハローワークと福祉事務所がもっとうまく連携できないかということ。
このことは濱口氏の『新しい労働社会』で、「雇用保険と生活保護の間の断層」(166p)ということばで表現されている。この問題にたいし『新しい労働社会』は「生活保護の部分的第二失業給付化」というアイディアを提案している。ここらへんの話に関係している。
>この断層を埋めるには、生活保護制度自体を抜本的に見直し、少なくとも就労可能者に対しては、補足性要件を緩和してある程度の資産を有したままでも受給を幅広く認める代わりに、失業給付と同様の求職活動を義務づけることが必要でしょう。いわば、生活保護の部分的第二失業給付化です。(『新しい労働社会』167p-168p)
「内部労働市場」重視か、「外部労働市場」重視か
「断層」を埋めていくことが必要だ。
なぜ必要なのか。
このことはたぶん、現在の日本の経済の変化とも関係している。
終身雇用が維持できなくなり、失業者がボロボロ出るような世の中になってきて、セーフティネットの張り替えの必要が出てきた。
したがって終身雇用の維持-「内部労働市場」に期待するのではなく、「外部」労働市場の整備が必要になってくる。
1990年代以降、労働法政策の分野でも、「内部労働市場」重視の政策から「外部労働市場」重視への、政策の転換の流れがあったらしい。
もっと長いタイムスパンで見ると、日本でも1973年のオイルショック以前と、オイルショック以後とで、労働法政策の考え方が変わっている。
おもしろいのは、1980年代になると日本は「内部労働市場」重視になったけど、1973年のオイルショック以前は、むしろ「外部労働市場」重視の考え方がけっこう強かったということだ。考え方はぐるぐると回っている。「外部労働市場」→「内部労働市場」→「外部労働市場」というふうに。
この本で、1967年3月に策定された「雇用対策基本計画」について述べている箇所があり、そこでまるで「現代」のような不安定雇用の問題につき、「外部労働市場」の観点から考えている部分があるらしい。そのあたりを著者は「当時の労働行政は70年代以後と違って雇用問題を内部労働市場から見るのではなく、もっぱら外部労働市場の観点から考えており…今日の問題意識からは逆に新鮮に見える面もある。」と述べている。
>なお、計画で1項目割いて臨時雇用、社外工、季節出稼ぎ労働者等の不安定雇用の改善に触れており、今後10年程度の政策目標として、不安定雇用がかなり減っていることとともに、常用雇用形態の労働者に比べて賃金等の処遇で差別がなく、その就職経路が正常化している状態の達成を目標としている。当時の労働行政は70年代以後と違って雇用問題を内部労働市場から見るのではなく、もっぱら外部労働市場の観点から考えており、それゆえにこういった政策スタンスが自然にとられたのであろう。このスタンスはその後、雇用政策が内部労働市場中心になっていくにつれて次第に薄れていくことになるが、今日の問題意識からは逆に新鮮に見える面もある。(『労働法政策』132p-133p)
ハローワークと福祉事務所の連携の可能性
2003年ごろの日本の話になって、「長期失業者への対応策と公的扶助との関係」(110p-113p)という節で、モラルハザードを防ぎつつ、どうやって失業者を助けつつ、「働くことが得になる社会」を作る制度設計をしていくか、またハローワークと福祉事務所がどうやって連携していくか、という話になっていく。「ウェルフェア・トゥ・ワーク」。「就労促進」を進めつつ、雇用保険を管轄するハローワークと生活保護を管轄する福祉事務所をどう一体化させていくか、というイメージ。
>近年の失業動向の特徴は単に失業率が高水準で推移しているだけでなく、失業期間1年以上の長期失業者が激増していることにある。2003年第4半期でみると、…
>長期失業者の増大という現象はヨーロッパ型労働市場に近づいてきたということもできるが、ヨーロッパ諸国では従来から失業保険の受給期間がかなり長く設定されていたことに加え、保険原理に基づく失業保険制度とは別に、国庫負担による補足的な失業扶助制度を有してきたため、日本のように3ヶ月-1年弱で失業給付が切れたら直ちに収入がなくなるということはあまりない。しかしながら、逆に雇用政策の観点からは、そのような過度に寛大な失業保険・失業扶助制度がかえって就労意欲を低め、給付に依存する形で人為的に長期失業者を増大させてきたのではないかとの批判が高まり、受給者の就労促進に向けた制度の見直しが進みつつある。
>さらに、先進国は労働法政策の外部にほぼ共通に公的扶助制度を有しているが、近年ヨーロッパ諸国では失業保険・失業扶助の受給者も公的扶助の受給者も、働けるのに働かないのであれば社会経済的に損失であるという考え方が有力となり、労働政策と福祉政策の枠を超えて、公的扶助受給者の就労促進が重要な政策課題として浮かび上がってきている。いわゆる「ウェルフェア・トゥ・ワーク」の政策である。そして、これら各種制度を就労促進の観点から再編成しようという動きも進んでいる。例えばドイツでは、公共職業安定所と福祉事務所を統合してジョブセンターを創設するとともに、失業扶助と公的扶助を整理統合し、これによって100万人に上る就労可能な公的扶助受給者を連邦雇用庁の所管に移すことが予定されている。
>こういった流れの中で見ると、日本の雇用保険制度は所定給付日数がかなり短く設定されているために、従来のヨーロッパのように制度的要因による長期失業者を生み出すという悪弊は免れていたが、逆に労働市場の状況が給付日数を超えた長期失業者を大量に生み出すようになっても、制度のセーフティネットが及ばないという事態を招いているといえる。しかしながら、ここで単純に従来のヨーロッパ諸国を見習って失業給付の所定給付日数を延長したり、あるいは国庫負担による失業扶助制度を導入するという政策対応をとるならば、ヨーロッパ諸国が脱却しようとしている長期失業の罠に陥ってしまうことになる。
>むしろ、近年のヨーロッパ諸国の動きの中で見習うべきは、労働法政策の外部にあった公的扶助制度についてもその受給者の就労促進を図ろうとする政策であろう。近年日本においても生活保護受給者は増加しているが、2002年度末に被保護者129万人、保護率も10パーミルに止まっており、多くの長期失業者が雇用保険制度と生活保護制度のはざまで無収入状態に陥っていることを考えると、生活保護制度についても労働法政策上に明確に位置づけ、失業給付受給終了後の失業者に対する所得保障として積極的に活用するとともに、従来からの生活保護受給者も含めて、その就労促進を制度の中核的要素として組み込んでいくことが考えられる。(『労働法政策』110p-111p)
そもそも「ハローワーク」って必要なの? 公務員の「IQ指数」ならぬ「愛嬌指数」の低さ? ー別に低くてもいいじゃん。
また、「公共職業安定機関の将来と課題」(95p-96p)という節でも、ハローワークと福祉行政との連携の可能性について以上のようなことと、似たようなことが書いてある。話は2003年の「総合規制改革会議」からはじまる。小泉首相の時代の「官から民へ」の流れの中で、著者はハローワークの機能強化を唱える。そもそもハローワークなんて要らないという人がいる。また、仮に公的にまかなうとしても、「国」がやるのか「地方」の裁量に任すのかで、また意見が分かれてくるだろう。
私としては、これまでの経験上、労働市場も「市場」の問題だから民間の職業紹介事業がありさえすればよい、という考え方にはちょっと反対で、やっぱり公的サービスであるハローワークがあったほうがいいと思っている。
なぜかと考えてみると、もしかすると、これは好みの問題も入ってるかもしれない。印象として、民間の職業紹介会社はバリバリとやってて元気があっていいけど時々私をイライラさせることが多く、公的機関のあの愛想のない「冴えない」感じが懐かしく思えることがあるのだ。ちょっとくらい待たされたり、職員に愛嬌がないことくらい、我慢したまえよ。やつらのビジネス・スマイルはほとんど異常。と思えることだってあるのだから。
(うまくまとめ切れてないけど、これで私の文章は終わり)(以下、全部引用)
>総合規制改革会議は2003年7月、「規制改革推進のためのアクション・プラン、12の重点検討事項に関する答申」を公表し、その中で「職業紹介事業の地方公共団体・民間事業者への開放促進」という項目が挙げられた。そこでは「民間委託のさらなる拡大に加え、公設民営方式などの導入、独立行政法人化、地方公共団体への業務移管など、その組織・業務の抜本的な見直しについて、検討を進める必要がある」とされている。
>しかし、公開されている議事録からすると、この表現は内部の過激な意見を相当に抑えた表現であり、委員の中には「国が公共安定所をもつこと自体がもう不必要」という意見もあり、それを「民間の職業紹介への規制緩和を進めるためにも、無料の公的職業紹介はセーフティネットとして不可欠」という良識的な意見が何とか抑えている状況のようである。
>一方、国際的な動向からすれば、公共職業安定機関の現下の課題は職業紹介と失業給付をより密接に連携させていくことにある。前述のように 1970年代から1980年代にかけて、イギリスでも日本でも両者の機能を分離する方向に走ったが、1990年代のOECDの雇用戦略で両者の連携が打ち出され、世界的にその方向に進んでいる。公的職業紹介を廃止して給付行政のみを残すような発想が政府の中心部で「改革」の名の下に論じられている現状は、日本の特異性を示している。
>しかしながら、公的職業紹介の将来の課題は単に失業給付との連携にとどまらず、むしろ福祉行政との連携にあると思われる。これは雇用保険制度の将来の課題として長期失業者への対応策と公的扶助との関係が問題となってきているのと揆を一にしているが、今や先進諸国では雇用政策の対象が狭義の失業者のみから福祉給付などで生活している非就業者に拡大しつつあり、彼らを労働市場に引き出してくること(「福祉から雇用へ」)が雇用政策の大きな目標となるにいたっている。EUの雇用戦略では2000年から就業率を雇用政策の指標として挙げている。
>このような流れの中で、これまで(障害者対策など一部を除けば)比較的没交渉であった公的職業安定機関と福祉行政との連携が重要な課題となってくる。そして、この点では地方公共団体との関係について、再度制度設計の根幹から検討し直してみる必要があるかもしれない。いうまでもなく、福祉行政は地方公共団体の所管であり、その行政水準もさまざまである。生活保護と職業紹介を連携させるといっても、現行組織のままでは容易ではない。現在の福祉事務所に職業紹介を行わせて成果が期待できるわけではないし、生活保護受給者に公共職業安定所への出頭を義務づけてみても形式だけに終わる可能性が高い。ここは恐らくかつての地方事務官制度に匹敵するような組織的イノベーションが必要な領域であろう。
>今後国レベルの雇用政策と地域レベルの福祉ニーズとをリンクさせるような日本型「福祉から雇用へ」政策を、どういう組織メカニズムで実行していくのか、これからの最大の課題であることは間違いがない。(『労働法政策』95p-96p)
関連記事:「雇用問題」への読者の間口が広くなる!-大久保幸夫『日本の雇用』はオススメです。2010年02月10日
(→濱口氏の本がチョイと難しすぎるという人は、講談社現代新書の大久保幸夫『日本の雇用』がオススメです! これを読めば、日本の雇用問題のことが大体つかめます。)
私が気になっているのは、たとえば「生活保護」と「雇用保険」のあいだにポッカリと開いた大きな穴、のことだ。
それと関係して、ハローワークと福祉事務所がもっとうまく連携できないかということ。
このことは濱口氏の『新しい労働社会』で、「雇用保険と生活保護の間の断層」(166p)ということばで表現されている。この問題にたいし『新しい労働社会』は「生活保護の部分的第二失業給付化」というアイディアを提案している。ここらへんの話に関係している。
>この断層を埋めるには、生活保護制度自体を抜本的に見直し、少なくとも就労可能者に対しては、補足性要件を緩和してある程度の資産を有したままでも受給を幅広く認める代わりに、失業給付と同様の求職活動を義務づけることが必要でしょう。いわば、生活保護の部分的第二失業給付化です。(『新しい労働社会』167p-168p)
「内部労働市場」重視か、「外部労働市場」重視か
「断層」を埋めていくことが必要だ。
なぜ必要なのか。
このことはたぶん、現在の日本の経済の変化とも関係している。
終身雇用が維持できなくなり、失業者がボロボロ出るような世の中になってきて、セーフティネットの張り替えの必要が出てきた。
したがって終身雇用の維持-「内部労働市場」に期待するのではなく、「外部」労働市場の整備が必要になってくる。
1990年代以降、労働法政策の分野でも、「内部労働市場」重視の政策から「外部労働市場」重視への、政策の転換の流れがあったらしい。
もっと長いタイムスパンで見ると、日本でも1973年のオイルショック以前と、オイルショック以後とで、労働法政策の考え方が変わっている。
おもしろいのは、1980年代になると日本は「内部労働市場」重視になったけど、1973年のオイルショック以前は、むしろ「外部労働市場」重視の考え方がけっこう強かったということだ。考え方はぐるぐると回っている。「外部労働市場」→「内部労働市場」→「外部労働市場」というふうに。
この本で、1967年3月に策定された「雇用対策基本計画」について述べている箇所があり、そこでまるで「現代」のような不安定雇用の問題につき、「外部労働市場」の観点から考えている部分があるらしい。そのあたりを著者は「当時の労働行政は70年代以後と違って雇用問題を内部労働市場から見るのではなく、もっぱら外部労働市場の観点から考えており…今日の問題意識からは逆に新鮮に見える面もある。」と述べている。
>なお、計画で1項目割いて臨時雇用、社外工、季節出稼ぎ労働者等の不安定雇用の改善に触れており、今後10年程度の政策目標として、不安定雇用がかなり減っていることとともに、常用雇用形態の労働者に比べて賃金等の処遇で差別がなく、その就職経路が正常化している状態の達成を目標としている。当時の労働行政は70年代以後と違って雇用問題を内部労働市場から見るのではなく、もっぱら外部労働市場の観点から考えており、それゆえにこういった政策スタンスが自然にとられたのであろう。このスタンスはその後、雇用政策が内部労働市場中心になっていくにつれて次第に薄れていくことになるが、今日の問題意識からは逆に新鮮に見える面もある。(『労働法政策』132p-133p)
ハローワークと福祉事務所の連携の可能性
2003年ごろの日本の話になって、「長期失業者への対応策と公的扶助との関係」(110p-113p)という節で、モラルハザードを防ぎつつ、どうやって失業者を助けつつ、「働くことが得になる社会」を作る制度設計をしていくか、またハローワークと福祉事務所がどうやって連携していくか、という話になっていく。「ウェルフェア・トゥ・ワーク」。「就労促進」を進めつつ、雇用保険を管轄するハローワークと生活保護を管轄する福祉事務所をどう一体化させていくか、というイメージ。
>近年の失業動向の特徴は単に失業率が高水準で推移しているだけでなく、失業期間1年以上の長期失業者が激増していることにある。2003年第4半期でみると、…
>長期失業者の増大という現象はヨーロッパ型労働市場に近づいてきたということもできるが、ヨーロッパ諸国では従来から失業保険の受給期間がかなり長く設定されていたことに加え、保険原理に基づく失業保険制度とは別に、国庫負担による補足的な失業扶助制度を有してきたため、日本のように3ヶ月-1年弱で失業給付が切れたら直ちに収入がなくなるということはあまりない。しかしながら、逆に雇用政策の観点からは、そのような過度に寛大な失業保険・失業扶助制度がかえって就労意欲を低め、給付に依存する形で人為的に長期失業者を増大させてきたのではないかとの批判が高まり、受給者の就労促進に向けた制度の見直しが進みつつある。
>さらに、先進国は労働法政策の外部にほぼ共通に公的扶助制度を有しているが、近年ヨーロッパ諸国では失業保険・失業扶助の受給者も公的扶助の受給者も、働けるのに働かないのであれば社会経済的に損失であるという考え方が有力となり、労働政策と福祉政策の枠を超えて、公的扶助受給者の就労促進が重要な政策課題として浮かび上がってきている。いわゆる「ウェルフェア・トゥ・ワーク」の政策である。そして、これら各種制度を就労促進の観点から再編成しようという動きも進んでいる。例えばドイツでは、公共職業安定所と福祉事務所を統合してジョブセンターを創設するとともに、失業扶助と公的扶助を整理統合し、これによって100万人に上る就労可能な公的扶助受給者を連邦雇用庁の所管に移すことが予定されている。
>こういった流れの中で見ると、日本の雇用保険制度は所定給付日数がかなり短く設定されているために、従来のヨーロッパのように制度的要因による長期失業者を生み出すという悪弊は免れていたが、逆に労働市場の状況が給付日数を超えた長期失業者を大量に生み出すようになっても、制度のセーフティネットが及ばないという事態を招いているといえる。しかしながら、ここで単純に従来のヨーロッパ諸国を見習って失業給付の所定給付日数を延長したり、あるいは国庫負担による失業扶助制度を導入するという政策対応をとるならば、ヨーロッパ諸国が脱却しようとしている長期失業の罠に陥ってしまうことになる。
>むしろ、近年のヨーロッパ諸国の動きの中で見習うべきは、労働法政策の外部にあった公的扶助制度についてもその受給者の就労促進を図ろうとする政策であろう。近年日本においても生活保護受給者は増加しているが、2002年度末に被保護者129万人、保護率も10パーミルに止まっており、多くの長期失業者が雇用保険制度と生活保護制度のはざまで無収入状態に陥っていることを考えると、生活保護制度についても労働法政策上に明確に位置づけ、失業給付受給終了後の失業者に対する所得保障として積極的に活用するとともに、従来からの生活保護受給者も含めて、その就労促進を制度の中核的要素として組み込んでいくことが考えられる。(『労働法政策』110p-111p)
そもそも「ハローワーク」って必要なの? 公務員の「IQ指数」ならぬ「愛嬌指数」の低さ? ー別に低くてもいいじゃん。
また、「公共職業安定機関の将来と課題」(95p-96p)という節でも、ハローワークと福祉行政との連携の可能性について以上のようなことと、似たようなことが書いてある。話は2003年の「総合規制改革会議」からはじまる。小泉首相の時代の「官から民へ」の流れの中で、著者はハローワークの機能強化を唱える。そもそもハローワークなんて要らないという人がいる。また、仮に公的にまかなうとしても、「国」がやるのか「地方」の裁量に任すのかで、また意見が分かれてくるだろう。
私としては、これまでの経験上、労働市場も「市場」の問題だから民間の職業紹介事業がありさえすればよい、という考え方にはちょっと反対で、やっぱり公的サービスであるハローワークがあったほうがいいと思っている。
なぜかと考えてみると、もしかすると、これは好みの問題も入ってるかもしれない。印象として、民間の職業紹介会社はバリバリとやってて元気があっていいけど時々私をイライラさせることが多く、公的機関のあの愛想のない「冴えない」感じが懐かしく思えることがあるのだ。ちょっとくらい待たされたり、職員に愛嬌がないことくらい、我慢したまえよ。やつらのビジネス・スマイルはほとんど異常。と思えることだってあるのだから。
(うまくまとめ切れてないけど、これで私の文章は終わり)(以下、全部引用)
>総合規制改革会議は2003年7月、「規制改革推進のためのアクション・プラン、12の重点検討事項に関する答申」を公表し、その中で「職業紹介事業の地方公共団体・民間事業者への開放促進」という項目が挙げられた。そこでは「民間委託のさらなる拡大に加え、公設民営方式などの導入、独立行政法人化、地方公共団体への業務移管など、その組織・業務の抜本的な見直しについて、検討を進める必要がある」とされている。
>しかし、公開されている議事録からすると、この表現は内部の過激な意見を相当に抑えた表現であり、委員の中には「国が公共安定所をもつこと自体がもう不必要」という意見もあり、それを「民間の職業紹介への規制緩和を進めるためにも、無料の公的職業紹介はセーフティネットとして不可欠」という良識的な意見が何とか抑えている状況のようである。
>一方、国際的な動向からすれば、公共職業安定機関の現下の課題は職業紹介と失業給付をより密接に連携させていくことにある。前述のように 1970年代から1980年代にかけて、イギリスでも日本でも両者の機能を分離する方向に走ったが、1990年代のOECDの雇用戦略で両者の連携が打ち出され、世界的にその方向に進んでいる。公的職業紹介を廃止して給付行政のみを残すような発想が政府の中心部で「改革」の名の下に論じられている現状は、日本の特異性を示している。
>しかしながら、公的職業紹介の将来の課題は単に失業給付との連携にとどまらず、むしろ福祉行政との連携にあると思われる。これは雇用保険制度の将来の課題として長期失業者への対応策と公的扶助との関係が問題となってきているのと揆を一にしているが、今や先進諸国では雇用政策の対象が狭義の失業者のみから福祉給付などで生活している非就業者に拡大しつつあり、彼らを労働市場に引き出してくること(「福祉から雇用へ」)が雇用政策の大きな目標となるにいたっている。EUの雇用戦略では2000年から就業率を雇用政策の指標として挙げている。
>このような流れの中で、これまで(障害者対策など一部を除けば)比較的没交渉であった公的職業安定機関と福祉行政との連携が重要な課題となってくる。そして、この点では地方公共団体との関係について、再度制度設計の根幹から検討し直してみる必要があるかもしれない。いうまでもなく、福祉行政は地方公共団体の所管であり、その行政水準もさまざまである。生活保護と職業紹介を連携させるといっても、現行組織のままでは容易ではない。現在の福祉事務所に職業紹介を行わせて成果が期待できるわけではないし、生活保護受給者に公共職業安定所への出頭を義務づけてみても形式だけに終わる可能性が高い。ここは恐らくかつての地方事務官制度に匹敵するような組織的イノベーションが必要な領域であろう。
>今後国レベルの雇用政策と地域レベルの福祉ニーズとをリンクさせるような日本型「福祉から雇用へ」政策を、どういう組織メカニズムで実行していくのか、これからの最大の課題であることは間違いがない。(『労働法政策』95p-96p)
関連記事:「雇用問題」への読者の間口が広くなる!-大久保幸夫『日本の雇用』はオススメです。2010年02月10日
(→濱口氏の本がチョイと難しすぎるという人は、講談社現代新書の大久保幸夫『日本の雇用』がオススメです! これを読めば、日本の雇用問題のことが大体つかめます。)