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移転しました(2014/1/1)

#10 旅順総攻撃

2011-12-10 | ヒストリ:近代MTS

「坂の上の雲?あんたもう見ないんじゃなかったの?」
というのが家族の第一声。
そうだね。もう広瀬武夫出て来ないもんね。
ハイ。広瀬が出て来ないだけでもう普通に見ないと思われてます。笑。
 
ぶっちゃけると私も「もう見なくても…」チックな雰囲気にはなっているんですが(おい)、そもそもドラマを見ていた主旨が広瀬どうこうではなくて(でも広瀬は予想外に良かった)当時の風俗、戦闘場面、軍隊の様子、軍艦の中の様子>内容だったので。一応各種の戦闘場面は見ておきたいなーと。
でも続投した所で正直言うと私は戦略戦術とかには興味がなく調べた事もないので、去年までのようにあれこれ書ける訳でもありません。
●●はなかったとか、××の作戦は愚劣だったいや正しかったとか言われてもふーんそうなの?という程度の意識の低さですので宜しくお願いします。 
えっとな、まあ、ほんまに感想になりますねん^^A
1時間半かじり付いてテレビを見ると言う事が大変稀なので滅茶苦茶疲れました。
  
*****
  
今回の全体印象は、あー…なんていうか…中弛み回なの?ドラマ的には見せ場の筈なのになんかパッとしないなあという。
その上陸戦の全体像が大変分かりにくい。あれはわざとなの?
ドラマを作っている人は分かっているのだろうけど、ドラマだけを見て、あの内容でどういう流れで陸戦が繋がっていくのか、的確に理解できる人はそう多くはないと思う。
弾薬もない兵員もないと怒鳴る陸軍さんの場面に目を取られて、日本軍大変、でもなんとか勝ってるって言う事は分かっても。
あ?それが分かればいいのか…?
でも折角の映像化なのだから、もっと分かりやすく奉天から遼陽、旅順の位置関係を出すとか、視覚的に訴えればいいのに。
満州軍の司令部が最終的にどう戦いを持って行こうとしているのか、どういうビジョンを持っているのか、とか。
当然のように北上したいという言葉を出してたけどさ…
 
あとこれは去年も思ったのですが、見ていて気になるなーと思ったのは、海軍の失敗は映像ではなくナレーションで終わらせてるよね。
「失敗した」って。あれは何かあるの?
良い悪いではないのだけれど、何となく番組全体が海軍に偏っているというか、今回のもなんか陸軍ヒールなの?という感じがほんのりと…
私だけでしょうか…
 
●高橋是清と外債募集に回っていたのは深井英五
エーゴキター(笑)
ドラマでは一度だけ「深井」と高橋に名前を呼ばれていました。当時高橋の秘書だったのかな。
この人も面白い人で、明治ってこういう時代だったのだなという事を彷彿とさせる。
徳富蘇峰の国民新聞社に入り、松方正義蔵相の秘書官になり、その後に日銀に入っている。昭和初期に高橋是清の後押しで日銀総裁になり、昭和恐慌時にかなり活躍しているんですが、一般的にはあまり名前が知られていないです。もっと知られていい人。
先週訪れた徳富蘇峰記念館で蘇峰と一緒に写っているトルコで撮られた写真を見てきました。
  
●児玉>大山
児玉源太郎が色々と存在感あり過ぎ!(笑)弥助ちゃんより大きい児玉!吹いた!座ると座高が歴然!誰がこんなことを予想していただろう(笑)
140cm代後半か150cm強でしょ?確か

●とげとげツンツン
してましたな…秋山真之…^^; しゃーないとは言え…
いないと寂しいけどあそこまでして出番増やさなくてもいいんじゃないかとも思う。てか投げ飛ばされててワロタ。
というか、8月下旬の旅順総攻撃(第1回目)に連合艦隊側はあそこまで難色を示してたんですか?
あの日程で第3軍と連合艦隊と一応合意済みだと思ってたんですが…描いていたのはそれまでの過程だったの?
 
●連絡将校 岩村団次郎(第三艦隊参謀)の軍服
この軍服考証誰がやってんの?すっげえ
…と思ってみてたら柳生悦子さんじゃん(『日本海軍軍装図鑑』の著者)。そりゃ確かだわ…
ていうか山口馬木也!大治郎!(笑)剣客から参謀へ!
 
●旅順総攻撃1
まーこの辺りはサイトの史跡紹介(史跡>近代>旅順・大連)や陸大1期の話で触れたのでもういいかと。



203高地は西の方、第3軍が正面突破しようとした二龍山-東鶏冠山は東北方面になります。

●第3軍の幕僚たち 
第3軍の参謀長伊地知幸介を村田さんという事で…orz(村田さん好きなんです…
大庭二郎、津野田是重、白井二郎といった幕僚連中の名前が出てました。
 
ドラマ中、児玉源太郎が旅順なんて竹矢来でも組んでおけば云々という台詞を吐いてましたが、本当にその通りで、攻略準備もなければ人的な準備もしていなかった。
何もかもが相当急場拵えな感が否めません。
 
参謀長に選ばれた伊地知は当時でも既にロートル視されていたようですが、それでも選ばれたのは大山巌の兄の娘婿である事、薩摩人である事、そうした薩長のバランスによる点が大きいのかもしれません。
幕僚は第3軍を編成するために欧州から呼び戻された連中(つまり当時最先端の軍事技術に触れていた連中)が多く、なんつーか、生意気なんですよ^^;
伊地知では中々…
(※伊地知を大山の娘婿と記していましたが、読者様のご指摘により書き変えました)
 
実際に彼らを纏めていたのは満州軍総司令部入りしている田中義一のライバル、大庭二郎であったようです。
その大庭にしても、旅順攻撃に際し「要塞戦なんて不快で面白くない」。
…やる気あるの?
この人達で大丈夫なのか。結果を知っているから余計にそう思ってしまう。
 
個人的には乃木は好き嫌いを考えた事をある人ではないのですが、何と言うか…
運がないというか、気の毒な人だなといつも思う。西南戦争にしても、何にしても。
 
第3軍は北方にいる満州軍司令部と東京にいる大本営に挟まれ、その上連合艦隊とも連携が必要になるので、あっちこっちそっちと板挟みになっている。
見えている風景が全部違っていて、その上でそれぞれがそれぞれの要望を第3軍に押し付けるという点もあるので、ほんと気の毒だとしか言いようがない所もあると思うんです…
 
流石にそこまではドラマでは触れられてませんが(流石にそこまでは求めない)、原作司馬さんでしかもエンディングクレジットに『殉死』が入っている辺り、第3軍「全く悪い最悪」という書かれ方するのかな、とも思ったのですが、そこまででもなかったなー…という…

●旅順総攻撃2
機関銃掃射とか…
ああいう中でも命令されたら進まないといけないのが兵隊なんですね…(涙)
日露戦争では自傷者がすごく増えていて、実はこれは上層部ではかなり大きな問題になっていました。
自分で指落としたり耳削いだりして、後送、つまり戦場から離脱しようとするのね。
戦闘があまりに猛烈過ぎて、戦場に出るのが怖くて。
そりゃ怖いよあんなの…人間がいていい場所じゃないよ…
問題にされてはいたけど、でも士気に関わるとかそういう理由であまり大っぴらにされていなかった記憶がある。
 
●騎兵!
兄ィの他では、ドラマでは出て永沼挺身隊の名前くらいじゃないですかねえ…
この裏で西南戦争の勇将辺見十郎太のひとり息子、勇彦(ゆうひこ)が馬賊を率いて諜報活動してます。
 

 
この活動区域が秋山支隊と被るんですよ…
顔を合わせるような事はなかったような感じかな~…?という感触ですが、随分協力はしていたようです。
名前も知られない多くの日本人が御国のためという事で随分裏方で働いている。

●満州軍総司令部の参謀
幕僚出てきましたね~井口省吾と松川敏胤!井口君!(笑)
 

 
このふたり、先輩後輩でそんなに仲悪い間柄ではないのですが、日露戦争中は担当する分野の考え方から意見衝突しまくる…
井口は兵站担当、松川は作戦参謀で、まっちの方がどうしても考え方がアグレッシブになる。
ロシア軍を叩くのは今しかない!でも井口がストップをかける!ちょっと待て!弾薬がない!
ハイ。ドラマでは児玉がそれを具現しておりました…
そしてちょっと待って。情報参謀福島さんが空気…orz
若い頃に江藤新平に拾われてその書生になった福島さんが空気です息してません(笑)
私も腸炎になった時江藤先生に看病されたかった。

●長岡外史。
外 史 www
参謀次長にもかかわらず山縣有朋(当時参謀総長)から大事な話してもらえなかった外史www(※金子堅太郎がルーズベルトの所に出掛けていたことを戦後20年経ってから知った)
先週のブログ閲覧数の跳ねあがりの原因はお前かwww 
てか日露戦争時の外史の髯はあそこまで長くないよ。→Gの肖像
  
●気球
外史が浜離宮で気球上げてましたね!あー!これかー!!と思った。
この話題、以前と取り上げた事があるのですが、皆さん覚えてらっしゃいますでしょうか…?
と言ってもあれは海軍の方だったのですが^^;
曰く、当時海軍には軽気球隊という部隊があった。
「極秘明治三十七八年海戦史」にその記述があり、明治37年6月末から7月初旬に試験、7月末に旅順に配備されたが失敗、9月に解散(…)。
これもサイトに掲載してますのでよかったらそちらをどうぞ(近代>明治期>中後期>東京、100年前)

●海軍ェ…
え?マカロフ?主力艦沈没?黄海海戦?蔚山沖海戦?…え?えええ?
 
なんというか、今迄の時間配分のミスが全てこれからに皺寄せられると思うと…
第一幼少期とか旅順閉塞作戦で時間取り過ぎなんだよ(※広瀬ファンです)
全体から見て無意味な所で相当時間取ってるよね。
黒溝台とか言葉だけで終わったりして!
 
あー!黒板甲板に叩きつける上村さまが見たかった!
見たかったのに!!!

**
 
まあこんな感じでいいですか。なんかもう少しメモには書いてあるのですが、打つのも疲れて来た(笑)
去年も録画しても一度も見直さなかったので今年はもう録画しないことにしました。録画しなくても見ながら書いたメモでこれだけ書けるならまあいいだろう。多分。



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