続き。
『明治への視点』だけを読んでいたら、山田美妙はなんて酷い男だという話で終わるのだけど、そこでちょっと興味が湧いた。
しかしながらいざ探してみると、全集物ばかりで手軽に読める美妙に関する本が全然ない。
で、調べて出てきたのがこの題である。
もうやめてー美妙のライフはゼロよー(棒)
嵐山光三郎の美妙を描いた本は2冊あり、それが『美妙、消えた。』と『美妙 書斎は戦場なり』。
後者は前者の改訂版で、私はこちらを読んだのだけれど結構面白かったです。
というか美妙、自業自得のきらいは強いにしても、スキャンダルについては不運というか、結構気の毒だと感じる面が大きかった。
嵐山光三郎は美妙に好意的で、それに本書は小説なので書かれている事をそのままそっくりは受け取れない。
でも『明治への視点』とは全然違う視点で、喧嘩は両方から言い分を聞かないと分からないという事を再認識致候…
要するに美妙には美妙の言い分があるなーということと、美妙が坪内逍遥にあんなにボロカスに叩かれる程、酷いことをしているとは、ちょっと思えないなーと。
妖艶の巣窟たる浅草公園にても殊に腕前の凄しといわれし石井おとめ、
その人の人となりは初めより知りて之を種にせんと思えばこそ近づきたれ、
前回引用したこの文章、これだけ読めば山田美妙は婦女子の敵である。笑。
ただ、これは遊びなのかと思いきや、美妙はこの石井おとめさんを落籍してたみたいなんだ。
お手当出して養ってるんだよ。
いやー…
そうだったらこれ、他人からとやかく言われるようなことじゃない気がするんだが。
この当時美妙は結婚してないから妾ってわけでもない気がするけど、よしんばお妾だったとしても、有名人の蓄妾なんて掃いて捨てる程例があった訳で、こういう事をしていたのは美妙だけでもないし。
それに美妙を攻撃した坪内逍遥だって遊廓の娼妓を東大生時代に通い詰めて落籍していた(後結婚)。
真実捨て置いたなら非道だけれど、ちゃんと面倒を見ているなら文壇の隅に追いやられるまでの指弾を受ける様な事じゃなかったと思う。
ただね、何でそう言うことを声を大にして言わないの!
美妙の何が悪かったって、開き直ってそういうことを言えなかった事だと思う…
本当に「などてたゆとう事やある」(何を躊躇うことがある)、ですよ。
かなりややこしく難しい家庭環境や性格の問題もあってか女性関係は優柔不断だったみたいで、確かに何股とか、決して褒められたことはしてない。
してないけど、萬朝報だけじゃなく後にも起った名誉棄損の誤報誤解にも大反駁しなかったというのは致命的だったんじゃないかなあ。
黙ってたら「本人が認めた」って事になっちゃうよね。
うーん。
まあ、意外だなーと思ったんです。
今までこのブログでも軍歌の件で山田美妙の名前を出したことがあります。
『敵は幾万』の作詞者なんですな。私は好きだ、この歌。
元は『新体詩選』所収「戦景大和魂」という8編の詩歌から3編を選び出したもので、明治19年の作だそうで。
という事は19才の時に作った詩歌になる。曲がついたのが明治24年。
こういう詩を書く人がこういう人だったとは思っていなくて、それが個人的には一番意外でした。
『明治への視点』の文章は、多分随分古い。30年くらい前のじゃないかと思う。
『美妙 書斎は戦場なり』の後書きには参考文献とその簡易な説明があるのだけれど、嵐山光三郎はかなりの資料に当たったようで、そこから得た美妙観を記しています。
美妙は才人というよりも死ぬ直前まで努力の人であった。
魯庵が指摘するような、ちゃらんぽらんの人ではない。美妙の小説を読めば、美妙は「才を鼻にかけた軽薄漢」ではなく、ぎりぎりまで自己を追いこむ一途の文人であったことがわかる。
軽薄な才子というネガティブイメージが一般的な美妙評で、それが尾崎紅葉だったり内田魯庵だったり実際に付き合いのあった同時代人の回想(嘘や悪意のある)によるところが多いとのこと。
『明治への視点』の文章はそれがそのまま出てるんだろうなー。
自業自得気味な所はあるにせよ、美妙が実際以上に悪く思われているというのはあるのだろうと思いました…
新しい感覚での見直しというのも必要なんだろう。
で、上の後書きの続き。
美妙を文壇から葬った逍遥は、のち文部省から奨励金を貰ったなかから、金二百円を美妙の遺族に贈った。
美妙を消したひとりである逍遥は、その責任を感じていたようである。
(これを見てそれならどうして生前助けてやらなかったと思うのは私だけか…)