Forth!

移転しました(2014/1/1)

原敬の話

2012-11-06 | ヒストリ:近代MTS

イエス!生きてます!
週末に出てくるつもりだったけど、つもりで終わったー。
法事があった後の一気に5人様ご宿泊はしんどい!え?何?犬の世話も私?私しかいませんよねそうですよねすいません。犬は犬でわんわんわんわん(散歩連れてけーごはん忘れてないー?)。清盛?まだ見てないわー(;;)
今日は起きたら6時過ぎていた。2時間寝過ごした。夜は夜で起きてられないわ風呂では寝てしまうわ散々でござる。
   


武士の食卓。
こういう本を随分前に借りた。中味は文章ではなくてレシピ。や、文章もちょっとあるけどレシピ本。



幕末に関係するところを抜粋するとこういう感じ。
写真とレシピが載っているのだけれど、「○○が食べた食事を再現する」とかそういうのではまったくない。


 
そういうのではまったくない(2回言う)。
無理に新選組とか維新とか慶喜とか付けんでも。
沖田総司の好物が鯖だったのでメインが鯖というのは別に新選組メシという訳でもなかろうよ…
著者のご先祖が加賀藩に料理で仕えた武士だそうで、レシピ云々よりもそういう話を世に出した方が面白かったんじゃないかなー^^;
食に対する考え方なんかは面白かったので…
載っていたご飯は美味しそうでした。本はそのまま返したけど。

 
原敬は盛岡の人です。
そういう事もあってか好物は蕎麦。
岩手名物のひとつにわんこそばがありますが、あの容器は蕎麦好きはらけーのために奥さんが考えた容器が元になっている(薬味を乗せる中蓋がある器)。
  
「白河以北一山百文」という言葉があります。
これは戊辰戦争時に新政府軍と敵対した藩が多かった東北諸国を称しての言葉ですが、原の生まれた盛岡藩も例外ではなかった。
例外どころか盛岡藩は奥羽越列藩同盟に参加していて”朝敵”になっている。
原敬としてはかなり厳しい所からの出発になります。
10代半ばに東京に出て勉強するのですが、幼い頃に父が亡くなっていて大黒柱がいなかったこと、兄も進学のために上京していたこと、実家が火事に遭ったことなどが重なり経済的に苦しく、一度入った学校を辞めて学費のかからない神学校に入っている。
 
神学校に入った理由は秋山好古真之兄弟が師範学校や海軍兵学校に進んだ理由と同じで、特にキリスト教に興味があってという感じではなかったようです。タダだから。
ただ、そこでの教えに感銘を受けたようで、キリスト教の洗礼を受けています。
洗礼名はダビデ。ダビデ・ハラ。
 

 
キリスト教が解禁されてすぐの頃で、当時としてはかなり思い切った決断だったでしょう。
しかしそのまま宗教の道に入ったかと言うと周知の通りさにあらず、2年半ほどで結局はそこから抜け出ている。
洗礼を受けたと言っても、後年の原からすれば「洗礼を受けたこともあったなー」という程度だったのではないか。
見てても「キリスト教?え?マジ?」と言う程度の感じしかなく、特にキリスト教に染まったような印象もないし、第一キリスト教徒でもない。

そうした感じなのですが、原はここでフランス語を学んでいる。
恐らく後のことを考えるとこれが一番大きかった。
神学校を辞めた後、原は外交官の養成学校と海軍兵学校を受験して落ち、次いで司法省の法学校を受験。こちらは受かっている。
法学校は江藤新平からの伝統を汲んでいるのだと思うのですが、当時はフランス法が中心で、フランスの教本で更にフランス語会話の授業もあり、フランス人教師がいた。
後に新聞社に入った時もフランス語の翻訳本を出しているし、井上馨に外務省に引っ張られたのも原がフランス語ができたからだった。

ちなみに原が海兵に受かっていたら、恐らく海兵の8期になったと思います。
アジ歴を見たのだけれどちょっと良く分からない。不確かな事しか書けなくて申し訳ない。大きな図書館に行った時にでも確認しときます。
8期であってるなら八代六郎と同期になっていただろう。
 
ところで、原はこの司法省法学校を賄い征伐で途中退学することになります。
この話は『坂の上の雲』にも載っていたのでご存じの方も多いかと思います。
法学校の寄宿舎の食事で一部生徒と寄宿舎側が揉め、その結果何名かが退学になった。
そのメンバーの中に原敬、加藤恒忠、陸羯南がいます。


 
加藤恒忠は正岡子規の叔父になります。
この叔父のお陰で子規は上京、そして陸羯南に預けられることになった。
 
加藤と原は生涯に渡って仲が良く、加藤が外交官になったのは原の斡旋があったため。
原には進学のために上京していた甥がいたのですが、彼は加藤の甥・子規の門下生で子規のお気に入りでした。
原は俳句を詠んでいましたが、それは甥が30歳という若さで亡くなったのが切欠であったようです。
不思議な縁ですな。

更に加藤恒忠は松山出身で、秋山好古とは同年代。
子供の頃からの知り合いで、後年に至っても家族ぐるみで付き合いがあった。



秋山兄、加藤から絶対原敬の話を聞いていたと思う。
というか、実は3人、同時期に同じ所に赴任している。
 
 原  … 明治18~21年までパリ公使館書記官としてパリ赴任。
 加藤… 明治16年~パリ留学で、20年に原の斡旋で外務省入り。24年まで滞在。
 秋山… 明治20年~24年まで旧藩のお殿さまについてパリ留学(?)。
 
何だよみんな知り合いかよ。笑。
 
加藤は賄い征伐で退校した後、フランス語とフランス法の関係からだと思いますが中江兆民の塾に入っていて、そこからパリに留学している。
フランス語は原にとっても加藤にとってももの凄く重要なツールになった事が分かります。
原なんて初めは英語を勉強するつもりだったのにな…人間万事塞翁が馬。
 


更に言えば原と秋山兄は御命日が一緒です。
11月4日。



原が暗殺されたのはこの前リニューアルオープンしたばかりの東京駅、丸の内の改札口。
これは古い写真ですけど、暗殺された場所はタイルの色が変えられています。
そうです、このエントリは11月4日にあげたかったんです…orz

はい、続きます。

***

新選組で思い出した。
戦国鍋の後番組だと思うんだけど、『TV局中法度』というのをやっていた。
もう寝ないと辛いと思いながらその時は終わりまで見てしまったのだけど。ああいうノリは大好きだ^^;
石ちゃんが近藤勇で、佐藤さんが土方歳三。何故その人選。
私石ちゃん見た時普通に芹沢鴨かと思ったよ。



最新の画像もっと見る