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2013/12/31 ヒジハラ

在りし日の

2013-12-21 | ヒストリ:近代MTS

寝る準備しようとテレビをかけて(何故だ)、ザッピングしてたら突如始まった

今よみがえる時代のヒーローたち 明治~昭和

動いている乃木希典が画面に映って目がばちこーんと覚めました!
私寝るつもりだったのに!(笑)
残念な事にこれ、ローカルのケーブルテレビの番組なので、多分阪神間でしか見られません。
それで明日でこの回の放送終わり!もっと早く気付けばブログで案内出来たのに…!!
(ベイコムの『映像タイムトラベルセレクション』の「今よみがえる時代のヒーローたち」)
明日もう1回朝に放送があるよ!今日の回はお昼だった。
 
明治から昭和なので、映像と言うか活動写真?トピックは6つで、以下。
 1:日露戦争と乃木将軍
 2:在りし日の東郷元帥
 3:大隈重信邸の園遊会
 4:犬養毅内閣
 5:満州皇帝陛下来日
 6:シンガポール陥落

上のふたつは日露戦争関連色が濃い。
乃木希典の方は、旅順総攻撃のあの、よく見る映像が流れていました(分かります?^^;)
28サンチ砲の砲撃の様子とか、第9師団の様子も流れていた。
テロップに司令部と書かれていて、大島師団長と思しき人が写ってたのかな?よく分からない。
会見の為に水師営に集まるステッセルと乃木希典の様子が出ていました。おお…
どちらかと言うと後ろに写る幕僚の方々が気になります。

東郷の方は、東郷が死去した際に作られた記録映画からというナレーションが流れていた。
日露戦争凱旋パレード時の映像(明治38年10月23日)と岩崎邸で開かれた東郷元帥の凱旋パーティ(同10月29日)の様子が出てました。
前者の連なる馬車が東京市内を走る映像は見た事があったのだけれど、後者は初めて?多分。
いやー!ちょっと待って!誰か知ってる人いるんじゃないの!?っていうか多分知ってる人だらけだと思うんだけど…!
って思ってたら動く三笠の映像(!)(※煙出てただけ)が出て、
 
井上良馨がいたー!

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/cf/1abb0b4d089befda9369633ddb825303.jpg?random=c5da3e54a8fcdc587f21479f06735513
 
東郷元帥と一緒に写ってたー!動いてたー!(※察して)
もしかして今更?めっちゃ今更?^^;
でもこんな映像あったんだ…の驚きが… 後は昭和4年、7年、8年の映像でした。
もう少し綺麗な映像で見たいorz

3は白瀬探検隊の映像が中心、4は犬養内閣時や犬養の葬儀の様子、5はラストエンペラー溥儀が来日した際のもの、6は山下奉文の映像。
そんな感じ。

乃木希典の映像は、映倫マークが付いていたので、まさしく活動写真、映画だったと思います。
それで、ネット上に映像がないかと思って検索してみたら以下を見つけた。



これ、『映像の世紀』ですね。懐かしい。
年末年始に何度か再放送してたけど、最近はもうしないのかな。
これはすごかった。
最後の特集が明治~昭和の日本で、近代史好きとしてはこれだけでも見る価値がある。
加古隆「パリは燃えているか」のサントラも持ってるよ…時々引っ張り出してる(笑)
NHKは民放みたいな番組じゃなくてこういうのを作って欲しい。


連想

2013-12-15 | ヒストリ:近代MTS

なんか比率がおかしくなってきた…
 
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/b8/074cb3502d2a8e023a7fd3dbb3780e87.jpg?random=9fe5b1928e546d71479d0e6685da5c95
 
いやー懐かしい名前があるぞう…
幣原喜重郎と若槻礼次郎が偶に区別つかなくなるんですけど、私だけ?^^;
同一の内閣にいたり、どっちも首相になってたり、どっちも軍縮会議に出てたり。
 ※幣原…ワシントン海軍軍縮会議
 ※若槻…ロンドン海軍軍縮会議
なんか似てない?パッと受ける印象が…(※顔は全然違います)
思わず考えるんだよね。で、とある画像が浮かぶ。
 
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/23/a7698bb4ce07841ed5abb4fcd7f837e7.jpg?random=8f66322c570dbc73c18a5add6a14d939
 
教科書とか史料集に載っているこれ。秘かに財部彪も写ってるのよー。てゆーか若槻かっpp(自重)
この写真を思い出して、あーそうだったそうだったと思う。
ここまで出てきたら芋づる式にあれこれと思い出す。
 
若槻は爪を噛む癖があるとか軍縮の全権に抜擢された時は海軍のド素人だったのに、ロンドンにつく頃にはシヴィル・アドミラル(文官提督)と言われるまでになるとか。
酒をどれだけ飲んでも飲み崩れるなんて事が無く、飲めば飲む程頭が冴える。そんな感じの人だったみたいよ。
伝記には酒豪じゃない的な事が書かれているけれど、世間一般ではそれは酒豪というと思うよ!(笑)
そしてこの人も滅茶苦茶頭が良かったらしい。
浜口雄幸が若槻はすごいということを言っていて、そこでああ、二八会だわと。

浜口と幣原喜重郎は東京大学の同期です。
明治28年の政治学科の卒業生で、それで二八会。
同期には小野塚喜平次、勝田主計、矢作栄蔵、市来乙彦なんかがいます。
小野塚は桂内閣に日露開戦を要求した七博士のひとりで(七博士意見書)、浜口とは首席争いをした大親友、その優秀さから伊藤博文や山縣有朋からスカウトされた(断った)。
昭和初期に東大総長になっていますが、それは浜口首相に要請されてでした。
 
で、この方、友人の矢作から広瀬武夫を紹介されていまして、広瀬とは随分仲良しだったんだよね。
広瀬の死後に発表された追想があるのだけれど、あれはいいよ…
この人のお陰で長岡で広瀬の書簡を見る事が出来ます。小野塚は新潟県長岡出身(山本五十六と同郷)。
山本五十六の展示目的で長岡市郷土資料館に行ったのに、広瀬の書簡を見つけた時の驚きを察して下さい。
おかげで山本のは何があったか全然覚えてません。笑。
 
 
図書館で借りて来た。
 
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/56/556e80aba8179f8f187267d86e1f190e.jpg?random=fda6732aab0d6ae0e8cfff73a5237618


2013-11-25 | ヒストリ:近代MTS

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/d0/80fd44e60e77a0a1f95833d605968f28.jpg?random="26a06ae653cd22b1f1cfd1852ef138a7"

そろそろ片付けた方がいい気がしてきた。
山が崩れそう。
 
上から上村将軍言行録、財部彪日記、小林躋造覚書、海軍経営者山本権兵衛、今村均回顧録、山本権兵衛、水交社記事(山本権兵衛の追悼号)、薔薇のつぼみ、一族再会、海軍の父山本権兵衛、ふだん着の原敬、岡田啓介回顧録、古風庵回顧録、歴代海軍大将全覧、佐藤鉄太郎海軍中将伝。

『上村将軍言行録』、偶に本棚から出してペラペラ捲るんだけど結構面白いよー。
でもこの本見る度に思い出すのは買った値段だ(笑)高かった…
横浜の古本屋で上村さんと佐藤鉄太郎の伝記とが隣あって並べられているのを見つけて一緒に買ってしまった。つい。
どちらかというと追悼文集というか、思い出文集みたいな感じなのだけど、書いている人たちが広瀬武夫と期の近い方々ばかり。
竹下勇とか森山慶三郎とか鈴木貫太郎とか佐藤鉄太郎とか山本英輔とか、知っている人の名前ばかりなんである…!いやあ良いよねこういうの!

小林躋造が加藤友三郎の甥だという事を最近知った。
地味に驚いた。思わず覚書を出したのだけれど、略歴にも解説にもそんなこと一言も触れられてない。おい。
『歴代海軍大将全覧』は何でこの本買ったんだろうと今となってはそう思う。あ、そういう人いたわねーという事を思い出すには便利だけど。
先入観というか、ちょっと偏ってるよね、人物の見方が。まあ、あの人たちなんでさもありなんというかんじだけど。

『薔薇のつぼみ』は副題「宰相山本権兵衛の孫娘」、山本の長男清の長女満喜子の話。
この父子が大ゲンカして娘が海外に行ってしまうのだけれど、その原因が掛軸2幅。
ひとつが西郷隆盛の讃があるもの、もうひとつが乃木希典の讃があるもの。
あれ、と思ってさ。要するに読んでて引っ掛った。
何故かというと見た事があるような気がしたんだよ、この掛け軸。
水交社記事に写真載ってる^^;
しかも山本本人が認めた来歴まで載っている。
家に来た乃木が西郷の讃のある富士の絵を見て感銘を受け、その後に富士の絵に自分の讃を入れた軸を山本に送ってきた。
これが発送日が自刃前日で到着したのが自刃した当日っていうのがね…
 
両者の命日が9月であることから、9月にかける軸はこのふたつだったそうです。
大事にしてたんだろうな、と思うんだけど。
山本没後この2軸は満喜子の手に渡っていたのですが、それを戦後、清が「見たいという人がいるから貸してくれ」と借り上げて売却してしまった。
満喜子曰く、父は自分が贅沢がしたいために色んな物を売った。彼女は祖父の形見などはひとつも持って無い。

山本満喜子は山本に滅茶苦茶かわいがられた孫娘で、孫娘の方も滅茶苦茶じいちゃんが好きだった。いつも一緒にいたい(笑)
そのじいちゃんが西郷と乃木を偲ぶためにかける軸をそんな風にするなんてという怒りも多分にあったんだろうなあ…
山本清が驚くほどの放蕩者で、そういう父の姿も嫌いだったようだし。
お金の不始末とか財部彪にツケが回ってくんのよね。
財部の日記には「清君」って君付けで書かれてるんだけど、不始末の尻拭いで多分めちゃくちゃ腹が立ったんだろう、「清」って呼び捨てで書かれているところがあった。
一ヶ所かな?定かでない。

とにかく、『薔薇のつぼみ』を読むたびに山本清の印象が悪くなっていく…orz


神戸と伊藤博文像

2013-10-08 | ヒストリ:近代MTS

神戸に大倉山公園という公園があります。
楠正成を祀る湊川神社のすぐ北側。
明治の初めの時期に陸軍の鎮台分営が置かれていたのですが、後年その土地の大部分を大倉喜八郎が買い取って別荘を立てている。
大倉喜八郎は大倉財閥の大倉ね。帝国ホテルとか、オークラホテルとかの大倉。

とは言えこの別荘、大倉よりも懇意にしていた伊藤博文がよく使っていたそうです。
伊藤博文は明治42年に暗殺されましたが、その後伊藤顕彰の場として公園にして市民に解放するという条件で、大倉は土地と別荘を神戸市に寄付した。大倉山の名称はここから来ています。
戦前には伊藤の記念館もあったらしいのだけど、残念ながら今はなし。
銅像も建っていたのだけれど、戦時中に供出されて今は台座だけが残っている状態。
   
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/00/af1823d552ef3b3fbae5bbf72675399f.jpg?random="d8e469a5bfa98ab1849b48428b837359"

実は伊藤博文像は2体作られていて、こちらは2代目、明治44年建立の方。
1体目は日露戦争前の37年で、湊川神社の境内に置かれていた。

44年の方はね、銅像が作られた理由は分かるんですよ。
公園自体が伊藤の顕彰のためなので銅像位あってもおかしくない。

 44年の
 
よく分からなかったのは37年の方で、これ、まだ本人生きてるし…
流石に本人に無断で制作するという事もないだろうと思い、でも伊藤あんまりそういうの好きじゃなさそうなのになーと秘かに思っていた。
しかも37年て2月から日露戦争じゃん。時勢的にもちょっとねえ。
 
暫く前に『郷土百人の先覚者』という郷土史関係の本を見る機会があって、それにその話載ってたんだよね。
ちなみに伊藤博文は我が兵庫県の初代県知事です。えへ。伊藤大好きなので嬉しい。
その本には伊藤の項目は無かったのだけれど、関わりのあった人の話がいくつか載っていて、そこで見つけた。
 
詳細はうろ覚えだけど(……)、桂太郎とか大倉喜八郎といった周辺の人々が話を進めて、話が殆ど固まった段階で伊藤に話したらしい。
多分銅像作りたいけどいい?じゃなくて、銅像作ってるんで宜しく、的な。
勿論伊藤は良い顔をしなくて(やっぱり)、いや嫌だって言われてももう銅像制作頼んでるし、んじゃしゃーねーなーどうせなら湊川神社に置いてよ俺楠正成のファンなんだ、的な。
こらそこ適当とか言わない。本当にこんな感じだった。
あの時代の人、大抵楠公好きだよなー。

ちなみに湊川神社は明治になってから作られた神社です。神社としての歴史は新しい。
境内には伊藤博文、江藤新平、大木喬任が寄進した石灯篭があったり(神社にお願いしないと見られない)、宝物館には明治天皇や徳川慶喜、東郷平八郎の奉納品があったりと、数は少ないけど阪神地域では珍しく貴顕・高官の名前を見る事が出来る場所でもある。

ただ37年に作られたこの銅像、翌38年のポーツマス条約の講和条件を不満に思う神戸市民によって引き倒されてます。
神戸でも日比谷焼き打ち事件みたいな暴動が起ってたんだね。
どーやら紐か何かを掛けられて、これまた伊藤博文が県知事をしていた時に認可した福原遊廓の辺りまで引き摺られて、あわや海へドボン!というところで警察に回収された。
当時の兵庫県知事が長州藩出身の元志士だったというのが大きいようで、長いことこの方の別荘に保管されたのち、山口県萩市に送られています。
で、萩の伊藤博文実家の前に据えられたのだけれど、これも戦争中に供出の憂き目に遭っている。
ただそれの後、萩焼の陶像で作りなおされまして、現在も伊藤博文旧宅の前に建っています。

 これ。
 
伊藤の身長そのままで作られている。
159センチ。ちなみに体重は49.5キロである。

流石に神戸から萩に行ったとは思わなかったので、知った時はかなり驚いた。


なんだかな

2013-09-23 | ヒストリ:近代MTS

テレビかけたら丁度『八重の桜』が西南戦争だった。
明日が西南戦争終結した日だし(つまり西郷隆盛の命日)、タイムリーだなあと思いつつ見ていたのだけれど。
私が見たのは8時15分位からだったのだけど、

(;´Д`) ドン引き

あんなにも堂々と嘘を放送するのはどうかと思います…
抜刀隊の編制にゴーサインを出した山縣有朋を大山巌に変えるのはまだしも、鬼官は田原坂の戦いに参加してないし、そもそも抜刀隊に参加してない。戦死したのだって阿蘇だ。
抜刀隊だって中心になっていたのは旧会津藩士じゃなくて旧薩摩藩士だし。

田原坂で済ませば話が一遍に済むから楽だとか、悲劇強調できるとか、おおよそそんな所だったのだろうけど、元々誤解されやすかった史実がNHKのせいで更に誤解を拡大させる方向に向かいそうで、なんだかなあ。
見るに耐えなくて、結局三上さん(as桐野利秋)の顔見た時点でテレビ消した。
会津視点だからある程度は仕方ないのだろうけど、あまりの雑さに首を傾げてしまう。
うーん、もしかしてこのドラマ、今までもずっと会津と対する勢力をこう扱っていたのだろうか。
前ちらっと見た小野組転籍事件の辺りも「えー…」という感じだったし。
ドラマだから全部史実通りにする必要はないけど、押さえるべき所は妄想を交えずきちんと押さえておいて貰いたいなあ

>MVさん
メール、メッセージありがとうございました。ご心配かけてスイマセン。重病ではないですがちょっと色々重なって…というパターンです^^;
8月中旬以降本当にあれこれ重なり過ぎて疲れましたorz 目下幾ら寝ても寝足りないのが悩みです(笑)