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移転しました(2014/1/1)

などてたゆとう

2013-07-29 | ヒストリ:近代MTS

司馬遼太郎繋がりで。

その男の書く(※英語の)スピードは子規が書く日本語よりも早かった。 (『坂の上の雲』)

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/15/29ad554970441ca11103c13fb564843b.jpg?random=dc1483bef87a07f6f106c2bf3e938bd7

その男というのは山田美妙のこと。
いやー私ここの描写大好きなんだ。
初めて読んだ時爆笑した覚えがある(笑)司馬遼太郎センスあり過ぎ(笑)
そして私の中ではこの場面がもっさりしたのぼさんと、なぜかキラッキラした『はいからさんが通る』の青江編集長で再現される(笑)
  
山田美妙は正岡子規、秋山真之らと大学予備門で一緒だったけれど、19年に退学してます。
秋山と南方熊楠も同じ年に予備門退学しとるな。
尾崎紅葉(明治30年代の流行小説『金色夜叉』の著者)も予備門だったそうで、ついでに美妙とは幼馴染だったみたい。
この人はちゃんと東大に入った(けど中退)。
官立学校を中途退学したに有名人が多いと言うのは面白いですね。
官僚の型に嵌らなかった人たちが歴史に名前を残している。
ついでに調べたら山田も明治元(慶応4)年生まれでした。広瀬武夫や秋山と同じ年。

 
先月『明治への視点』という国文系の本を借りていた。
以前会田雄次さんの文章があったと言う事でこのブログでも紹介しました。
明治文学全集の月報をひとつに纏めた本で、著者は多士済々。
そこから好きな所を適当にピックアップしてページを捲っていたんだけど、その中に「醜聞に葬られた美妙斎」という文章があった。

おー山田美妙。
人気があったのに文壇から早々に姿を消したという事だけは知っていたので、醜聞と聞いて何があったと思って。

で、読んでみたのだけれど、何でもシモの素行が大変良ろしくなかったようで。
内容をサラッと読んでこいつサイテーだなとナチュラルに思うほどには女癖が悪かったらしい。
男女関係のあれやこれやを実地体験して小説を書こうと、婦女子を籠絡すること1・2にとどまらず、だったとのこと。

浅草公園の茶屋の女(公園芸者だと思われる)と馴染みになり子供を産ませ、その一方で日本橋の芸者にも子供を産ませる。
ふたりとも妻女とはせず。
更に他2・3人とも同時交渉してた様子(スキャンダルの後自分の弟子と結婚。数ヶ月で破局、彼女は実家に帰って自殺未遂(その後病死))。
一体何股だったのか…

当時人気作家であった美妙、こんなことが世間にばれない筈が無く、萬朝報にすっぱ抜かれた。
萬朝報は大雑把に言うと当時のゴシップ新聞です。
スキャンダルを売っている新聞。
そんなのにどんな書かれようしたんだと気の毒な気がしないでもないけれど、それを受けて発表した美妙の言い訳があまりにもあんまりだった。


妖艶の巣窟たる浅草公園にても殊に腕前の凄しといわれし石井おとめ、
その人の人となりは初めより知りて之を種にせんと思えばこそ近づきたれ、
顧れば茲に三五年其の間の研究にて…<略>
イザヤ久し振りの筆を染めんかと心窃かに期せし際、料らざりき御社新聞の記事に由して早く之を紹介され、
端なくも御社新聞は奇妙の前触太鼓ならんとは、<略>

 
要するに「小説のネタにしようと思って近づいた。5年位になる」。

それは言い訳じゃない。正直に書いてどうする^^; 

その上書こうと思っていた話の広告をしてくれてありがとうって。
ちょwおまww
それは思ってても言っちゃだめー!^^;
   
この方、こう書いたら世間がどう思うかというのを、イマイチよく分かってなかったんじゃないかなーと(ちなみに当時27・8才)。
文章だけを見ていたら、斜に構えているような印象を受ける。
弁明の場でこういうことを書いてしまうって、内実がどうあれヘラヘラしてんじゃねー!的な、不謹慎のそしりを免れないような気がするんだが。
 
美妙が文壇から早く消えたのは20才前後という若い時期に大成功して天狗になり過ぎたという仲間の一評があり、飛ぶ鳥を落とす勢いだったからこの位平気とか、そういう感じだったのか。
それに人の批判をしては敵を作ってあちらこちらで反感を買っていたり、尾崎紅葉、石橋思案らと立ち上げた硯友社に相談もなく他誌に関わって離れて行くことになったり…
なんというか、人付き合いがあまり上手く出来ない人だったみたい。
孤立していて、こういうことがあっても庇ってくれる仲間がいない…
性格なのか攻撃されても上手く反駁が出来ない人であったようだし。物書きなのにな。

しかも当時美妙は女性雑誌を主宰し、編集していた。
常識的に考えれば、世間的にはこれはちょっと…という感じ。
美妙の性格とか、人からの妬みとかそういうのもあり、とにかく出る杭は打たれます。

そしてこの美妙の言い訳を読んだ坪内逍遥が激怒。

 
小説化は其の材料を得んが為に、非義醜徳に接触するの権利ありや。
―――所謂実験とは如何。
非義醜徳を観察するの謂か、自ら之を行ふの謂か。
もし後者なりとせば、<略>悪虐を描かんとしては自ら悪虐し、殺人を伏せんとしては自らまづ殺人すべきか。
若し果たしてかくの如き理ありとせば、非義醜徳を主題として小説を作する者は、最も恐るべき世間法の賊なり。
彼は文壇に於ては如何なる功あらんも、吾人が一日も共に歯することを屑とせざる者なり。
吾人はかかる小説家に向かつては、特に警察の厳重ならんことを願わざるを得ず。<略>

 
わわわわわ…
滅茶苦茶すごい罵倒…(まだ続きがあるけど)
現在ではあまり使う表現ではないですが、「歯(し)する」は「並び立つ」「仲間と付き合う」とか、そんな意味。
要するに「こんなクズと付き合えるか」と。
当時坪内逍遥は睨まれたら文壇では生きていけないくらいの大御所です。
実際、逍遥からの批判、この後も続いた醜聞(誤報)で美妙は文壇からほぼ姿を消した。
 
つづく! (ごめん!笑)
  
(青字は『明治への視点』より引用)



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