Forth!

移転しました(2014/1/1)

移転のご案内

ご訪問ありがとうございます
このブログは2013年末にて更新を終了し、現在は新ブログで更新しています

移転先:Para Bellum(パラべラム)

また下記サイトも運営しておりますのでぜひ遊びに来て下さい。

サイト:月に叢雲花に風

これからも【Forth!】改め【Para Bellum】を宜しくお願い致します。

2013/12/31 ヒジハラ

旅の名残を(大分)

2012-05-29 | たび

2日目竹田、目的は広瀬神社大祭。
熊本から竹田だとバスを使っても電車を使っても結構時間が掛ります。
2時間半位。そして滅茶苦茶便が悪い…
10時頃までに竹田に到着しようと思うと朝の5時頃の便か7時頃の便かの2本!
というかこれしか便ない(笑) 不便すぎるよ!

で、式典10時半なのに竹田到着10時ですよ!ひい!
あまりぎりぎりは好きではないのですが、まあしゃあない。 
とにかくものすっごいいい天気でした。前日が曇り空だったのでどうかな~という感じだったのですが。
広瀬武夫は晴れ男かも(笑)
  

 
やはりというか何と言うか地の方が多いです。
制服を着た海自の方がおふたりおられたのですが、既に夏服!(白)目立ってました(^^
おひとりの靴が白で、もうおひとりの靴が黒でした。決まりはないのかな?
「坂の上の雲」(ドラマ)で他の海軍さんがみんな夏服+白靴の中、広瀬だけ夏服+黒靴っちゅう場面がありましたが、それを思い出した。
当日は午後から地元のイベントがあちこちで開催されていたこともあり直会まで残った人数は少なかったですが、ご親族様、宮司さん、前回も色々お話して頂いた方とお話させて頂きました。
 
 結局行って来た…
 
行っといでと言われて宮司さんの車に乗せて頂いた^^;
ただやっぱり時間がなくて、30分ほどで引き返したんですが。
そこで広瀬の祖母智満子さんの教えの手拭が販売されてました。おー…
確かに子供の教育にはよさそう。1部が終わる頃には売り切れてました。大人気。

歴史資料館前の広瀬武夫像。 



歴史資料館を見学してちょっと質問してーそしたら学芸員さんに顔覚えられていた^^; 
前回も困らせるようなことを言い今回もまた同じくって感じで、申し訳ありませんでした…面倒な客だな!
毎度毎度お世話になります。
ただ疑問というか、展示が遠くて読めない書簡があったのですがそれが今回スッキリ解決したので本当にありがたかったです。
 
そして瀧廉太郎記念館。前通っただけ!
 


こういう関係でした…
広瀬家と瀧家が借りていた官舎が近いと言うのは聞いていたのですが、まさか真向かいとは。
これには驚きました(旧広瀬邸は地元の方が住んでおられるようですので騒ぐのは厳禁)。
そりゃ竹田に滞在した時期が合えば顔見知りに位なるだろうさ!

あとはぶらぶら歩きながら広瀬神社に戻り、資料館を見学してたらあっと言う間に時間が経ち。
埼玉から来られたと言う女性とお話させて頂いたりと、いい時間を過ごすことができました^^
帰りも相当ギリギリな所を車で送って頂いたりと、本当に良くして頂いて感謝感謝です。



今回の戦利品。上は竹田、下は熊本。
古写真アルバムは5年ほど前の発行になっている。今まで気が付かなかったなー
上の写真は「田原坂だな」と思ったのですが、調査研究で田原坂ではなく熊本城内の古京町であることが判明したそうです。
へー…

田原坂のある植木町は数年前に熊本市と合併しまして、同市の教育委員会が発掘調査等をされている。
現在進行形かな?
今回は田原坂には行かなかったので様子が分かりませんが、政府軍や薩軍の遺品が出て来ているというニュースが2年ほど前にありました。 
以前私が作っている史跡ページを御覧になった担当者の方がメールを下さったのですが、きちんと整備して観光しやすい所にしたいと考えられているようです。
ゆくゆくは国指定の史跡にしたいそうで。
きちんと整備されたらいいなーと思うけど、昔の様子も残しておいてほしい…
平泉のようにがちがちにコンクリになってしまうとちょっと悲しい。
…スイマセン地元の事情を知らない旅行者の勝手な言い分です…
  
熊本駅から田原坂駅まではすぐなのですが、こちらは無人駅で大きな看板はあるものの史跡迄の道案内がないに近い状態なんですよ。
駅から車道に出るといきなり道が分からなくなる^^;
そしてタクシーが常駐している訳でもないし、駅降りたら歩くしかない。
あれは正直怖いし、道中ほぼ人気がないので色んな意味で危ないです。
電車利用の方は夕方は田原坂に行っちゃだめです。本当に。
朝か昼、とにかく日の高い内に行かないとダメです。
私もそれはお伝えし、他にも問題提起されている方がおられたようですので、流石に今はもう少し良くなっている可能性が高いですが。
でも今回熊本の交通センターで「熊本城と田原坂」というバスツアーの宣伝がされていたのをみましたので、歩くのも迷うのも嫌という方はそういうのを利用されたらいいかもしれません。
  
田原坂の史跡ページは割とよく御覧頂いているページです。
ちなみに断トツで多いのは検索サイトで1番にヒットする浜口雄幸遭難地。
本当は遭難現場なのですが間違って書いてるのねorz
追加できる写真もあるので、このページも改訂しないといけない。

田原坂の方は佐々友房とか吉次峠辺りで見に来られる方が多いのですが、夏が近付くととりあえず「田原坂×電話ボックス」です。
美少年像が乗ってたアレね。
ここに出るそうで、夜に見に行く猛者も結構いると聞いた事があります。
まあ田原坂自体が有名なスポットですが。
私、そういうのを全然感じないタチなのでめっちゃ平気で写真撮ってます^^;
でも先年、この電話ボックスも撤去されたそうで。
あちこち少しずつ変わっていきますな。

史跡のページもそろそろ動かしたい所ですなあ。
去年秋ごろに平泉のページを2枚ほど作って止まっている状態です。
そっちも頑張らんと。
  
とにかく盛りだくさんの旅行でした!
楽しかった^^



西宮歴史ブログの大御所さんからTB頂いていて、こちらからもTBしたいんですができない…!
コメントしたくてもあちらはSNSでコミュニティに入らないとコメントすらできない…!
不便すぎる西宮スタイルorz


旅の名残を(熊本)

2012-05-28 | たび

今回は初っ端から味噌が付きまして。
 
味噌第3位 エア枕バスで破れる
味噌第2位 旅行3日前に車と接触事故
味噌第1位 ホテルの予約日を間違う(当日に気付く)

旅行前日にホテルの場所確認してて予約日が今日だった時の衝撃!(笑)
いやあ焦りました。流石に。
いつもはこんなポカせんのです。ホンマです^^ゞ
確認して良かった。そして当日キャンセルにも関わらずキャンセル料もいりませんよ~とホテル側には言って頂いてほんと助かりました…
良いホテルに泊る予定だったんです。75%引きで!楽しみにしていただけに残念だった。
民宿が取れたので良かったものの危うく野宿だったよ!(笑)
そんな感じで始まった旅行でした。これだけ重なると何かあるんじゃないの?っちゅう…

***

1日目熊本という事で。
今回はレンタサイクルで回ってきました。
熊本は見たい所が沢山あるのですが、沢山あり過ぎてどうも回り辛いんですよね。
タクシーはお財布に優しくないし、小回りが利かない。ゆっくり見られない。
なので国際交流会館で荷物置いてー自転車借りてー。
こちら、実は超お勧めで1日自転車借りて500円。夜9時半迄に返せばよし!
コインロッカーは実質無料だし、場所は交通センター側、熊本城の目の前という立地の良さ。

ぼちぼち自転車こぎながら第一目的地の石光真清記念館へ。
JR熊本駅から自転車で5分位。歩いて10~15分位。
 

 
分かりやすい所にあるのですが、一見普通の古民家でここが記念館だとは正直言って分かりません。
道路に看板も出ていないんですよね。まっきーの生誕地という碑が建っているだけで。
前来た時も相当苦労した…
内部はほぼすべてパネルになっていました。
遺品は国会図書館に寄託されている事は知っていたので、前以上にモノはないだろうとは思っていましたが想像以上だった^^A



本当にね、もう相当危ない状態だったんです。前来た時よりも全体的にかなり落剝している。
正直言ってもう今回でここに来られるのは最後だなと思いました。
安全上の問題から言っても取り壊される日は近いだろうなーと。
しかしながら内部に張り出されていた新聞を読んで安心した。
 
こちら、土地が個人所有だったんですね。
それを地元の有志の方々が借り受けて管理している状態だった。
ただ今年に入って土地の売却話が持ち上がり、売却されたらすぐに取り壊される可能性があったため、それを知った地元のご婦人が御自分の土地とこちらの生家跡の土地を交換されたのだそうです。
で、近く熊本市に寄贈されるとのこと。(すごい。中々できることじゃない)

管理が市に移る…!

ホッとしました…(;;
これなら余程の事がない限り大丈夫でしょう。本当にホッとした。良かった。
今後どういった形での管理や公開展示になるかは分かりませんが、今よりはいい形になりそうかな?
そうなったら暫く生家に入れないことになるかと思いますが、その前に見学に行きたいという方、いきなり行っても見られません^^;
要注意です。

そもそも駅の観光案内所で聞いても「石み…え?」という感じですので(観光案内所のくせに勉強不足すぎ)、行く前に場所確認必須。
そして閉館日、開館時間共に不明です。笑。
恐らく鍵の管理をされているホームセキュリティ熊本の休日、就業時間に準じていると思いますので、絶対に行きたいという方はそちらに確認を入れた方がいいです。
で、家についたらそこで再度開けてコール。
ちなみに物販なんかはありません。

私も石光真清の記念館があるのは知りませんでした。
5年くらい前に初めて訪れた夏目漱石坪井旧居で知った。
確か入り口付近に案内かなにかが出てたのかな?
声を上げてびっくりしたら、学芸員の方が出て来て話を聞いてくれたんだ… 
実はすごく好き、興味あるぜひ行きたいという話をしたら、こんなの 



あるよと。石光真清記念館のブックレット…
めっちゃ欲しくてどこに行ったら買えますかと聞くもどこにも在庫がなかったようで旧居の保存用だったのを御厚意で譲って頂いた^^;
 

 
しかし本当に良かったです。今回の熊本はこれが一番うれしかった。
得難い郷土の先人だと思うので、大事にしてあげて下さい…
ついでに言えば、石光真清の妹は亡くなった橋本龍太郎元首相のお祖母さんなんです。
石光は大叔父になるのか。会ったこともあるそうですよ。
 
あとは自転車漕ぎ漕ぎ、北岡神社?なんか聞いたことあるなー?神風連?
と思いきや薩軍の本陣があった所だったり、えーそれなら二本木神社も行こうぜ!(本陣があった)となり、その途中で黒亭でラーメンを食べ(笑)
本陣跡巡りをした後は段山(だにやま)の方へ。


 
いつも思うけど、気になるわーこの地名…蔚山沖海戦と何か関係があるんだろうか。
 

 
ここを探すのにあちこちで道を聞きました…自転車屋さんのおじさんが教えてくれた。
興味があるから俺は結構詳しいよといって、地の話を聞かせてくれた。
暫し盛りあがる。笑
子供の頃には良く松明を持ってトンネルをくぐり(今は塞がれてる)城の方に遊びに行ってたんですって!
よく古い銃弾なんかを見つけたそうで。
西南戦争の戦場になった場所はどこに行ってもそういう話があるな… 竹田もそうだし。

お城の周辺をうろうろしながら小泉八雲旧居に行き、そこから夏目漱石の坪井旧居に。
そこに立っていた看板で井上毅の生誕地があることを知りました。
そーいや熊本出身だったな、毅。 
そーせき先生の家から自転車で10分か15分ほど~
 

  
とある学校の敷地内にありました。

あとは適当に余った時間でお城を見学といういつものルート^^
城前に城彩苑という施設ができていて驚いた。お土産買うにはいい場所ですなあ…


「ゴヤ-光と影」展

2011-12-17 | たび

東京行きの続き。
憲政記念館の特別展を見学した後は上野へ。
昼?マクドだったよ!誰か上野駅の近くで安くておいしい所教えて!(笑)
森鴎外が通ってた蓮玉庵は1回行ったのでそこ以外!(行ったということしか覚えてない)
 
 お約束。
 
西郷さん場所変わりましたか?前はもう少し真ん中にあった気がする。
彰義隊の方にもお参りに行ったんですが、他の見学者が大変饒舌なおじさんに捕まっていて(説明されてた)、私あれに捕まったら目的果たせないと思ってとっとと退散。
 
そのまま一直線に東国博のミュージアムショップに行った。(※ショップに行きたいと伝えたら無料で入れてくれる)
初夏に国立歴史民俗博物館で開催されていた「侯爵家のアルバム」展(孝允~幸一に至る写真資料)の図録が欲しかった。
あのショップの他館図録の取り揃え、結構いいじゃないですか。
同じ国立だし、ないかなーと思って行ったのですが取り扱い無いと言われましたorz
というか、開催前に知っていたら佐倉まで行ってたよ。好きなんだよあの博物館…(前九年合戦絵詞を所蔵しているのはここ)

で。上野での目的はこちらでした。
 
 国立西洋美術館 「ゴヤ 光と影」

プラド美術館からゴヤの「着衣のマハ」が来ていると聞いて、これはみたいなーと。
いや…スペインで見た…んですけど…   



「着衣のマハ」しか来ていなかったのが残念でした。むしろ「裸のマハ」の方が見たかった。
あーこれ、プラド美術館で見たなーときちんと記憶に残っているものがちらほらありました。右写真の左の男の子のとか…
「スペイン王子フランシスコ・デ・パウラ・アントニオの肖像」
ゴヤは下積みからカルロス4世の宮廷画家にまでのし上がった画家ですが(右写真右は「カルロス4世の家族」)、スペインでの画家の頂点に立った暫く後に聴力を失っている。
またナポレオンによるスペイン侵攻があったり、スペイン独立戦争があったりと、身辺にはかなりの変転があったようです。
マハやハイクラスの人々の肖像画にはまだ明るさがあるように思うのですが(集団の肖像には?と思う描かれ方をしている人もいるけど)、独立戦争に関係する絵画は怖い。暗い。
「戦争の惨禍」という版画のシリーズがありますが、何点かプラド美術館から来ていました。
展示品目録を見ると、結構国立西洋美がコレクションしているようで、このシリーズはそちらからの出品が多かった。

ゴヤには「黒い絵」という一連のシリーズがあります。
色彩が黒ばっかりの暗い絵。(ウィキ→黒い絵
ゴヤは晩年、マドリードの郊外に別荘「聾者の家」(ゴヤは耳が聞こえないからそう呼ばれた)を買うのですが、その家の壁を飾る為に描かれた一連の絵たち。
一番強烈なのが「我が子を食らうサトゥルヌス」。
うん。これは見てて時間止まった。

 

おぞましい。これ食堂の壁に描かれていたんだぜ…
この絵を前に食事を摂る精神状態を疑う(10年以上前に京都で見た「ムンク展」も、あれも相当病的だったけど、こっちだって相当だと思う)。
美しい絵もあったけど、ゴヤで一番印象に残っているのはやっぱりサトゥルヌスだった。
というか、実はこれとアルハンブラ宮殿が見たくてスペインに行ったんだ…
光と影か。
そう言われると、私はゴヤの他にアルフォンス・ミュシャも思い出します。
明るいパステルの、美しいポスター画で有名なミュシャですが、私は晩年の「スラブ叙事詩」の方が好きだ。



見学し終わった後は精養軒の近くを通って! ※上野精養軒=政友会の会合がよく行われていた。
不忍池を通って!

 旧岩崎邸庭園。

めっちゃ久しぶり!岩崎弥太郎の長男久弥(三菱3代目)の建てたてーたくですが!
桐野利秋の住んでた所ですね!きりー!(笑)

 樹齢400年の銀杏

そうかー君はきりーがここにいた時からいたんだな!抱きつきたい!
ちょっと天気が悪くてだな…まだ日中だったのですが相当薄暗かったです。精養軒の写真で察して下さい。
で、どうだろう。無理かなと思いながら赤坂にある高橋是清翁記念公園へ。
   


4時40分位。あまりに暗くて高橋是清が映らない。左写真。
フラッシュをたいたのが右写真。怖っ!(笑)
で、この怖い写真で東京の日程終わりでした。折角来たのに…まあ10年何年か前に1度行ってるからいいと言えばいいんだけど。
ちなみにこちらは高橋是清の邸宅があった場所ですが、現在名前の通り公園になっています。
あと銅像が建ってる。↑
建物は母屋部分が移築されていて、現在は江戸東京たてもの園にあります。
226事件で、高橋が暗殺された時の部屋が残っている。

小田原と箱根、二宮のレポはサイトでしようかなーと。大して回っていないのでそんな分量もないけど。
どうしようかな。
  


この前書き忘れたんですが、憲政記念館で見た映像で動く山本権兵衛を見て驚きました…うおう山本さん…
そうだよね。原敬も3・4年前に映像見つかってるんだよね。
原より長生きなんだから、あっても不思議じゃないんだよね。
あっても不思議じゃないと分かっていても実際見るとやっぱり驚く。どんな声で話す人だったんだろう。


東京!

2011-12-02 | たび

今朝帰ってきました。
バタバタ続きで流石に今回は疲れた。
昨日は東京にいたのですが、早朝から最早恒例の青山霊園、広瀬武夫お墓参り。
いや、東京に行く時はね…とりあえずお参りしとかんと。


 
そして 迷ってたら うろうろしてたらこういう事に気が付いた…
 
 

きゃあああああマジで!?MAJIDE!?いやなんか昔読んだ事があるような気がするけど!(笑)
こんなことで朝っぱらからテンションが上がってしまう。
このまま青山霊園から歩いて赤坂の高橋是清翁記念公園→憲政記念館に行くつもりがあいにくの雨…
比較的小雨だったのでどうしようかとも思ったのですが、昨日は流石に疲れてまして初動が遅かったんです。
うん。起きたのが遅かった。6時だった。 
諦めてそのまま地下鉄で憲政記念館まで。


 
今日まででした。行ってみてあれ?と思ったんですが…
以前こちらで書いたご案内、間違ってたみたいで。というか、秋山兄の葉書云々と書いていたんですが、去年のだったみたいです。
ご、ごめんなさい…間違いすぎる…(涙
2・3の拍手とメールでご指摘頂いていたのですが、何せ見たのがさっきでした。申し訳無い。
大正デモクラシーと言われると私は大正前期のイメージの方が強いのですが、展示は大正後期、原敬内閣~昭和初期までの期間でした。

現物初めて見た!というものが幾つかありまして、一番びっくりしたのが原敬が暗殺された時に来ていたシャツ。
あの、ピンクの縦縞の。
あれは盛岡の原敬記念館に行ってもレプリカしか見られないんだよ…(というか原敬記念館の展示はレプリカが多い)
これにはちょっとびっくりしました。レプリカのシャツ(の上に背広)を着たマネキン?しか見たことないので…
シャツが意外と大きくて驚きました。
原敬は身長体重が分かってます。
生命保険に入る際に健康診断を受けていて、それで記録が残ってるんです。
生命保険って辺りが近代って感じでしょ?身長168センチなんですが、体重は幾らだったかな。

原敬は東京駅で中野艮一という青年により刺殺されます。
小刀で右胸を一突きされ、その傷が心臓にまで達していて、ほぼ即死であったようです。
展示されていたシャツにはその刀が刺さった場所も鮮明に残ってました。
目測で3cmくらいかと思いましたが、その胸元の辺りは血だらけで、何となく斎藤実記念館にある斎藤の遺品を思い出した。
原と同じく岩手出身の斎藤も226事件時に四谷の私邸で青年将校に惨殺されている。
斎藤の死後、妻春子がその私邸にあったもの一切合財を持って斎藤の故郷に帰っています。
それが斎藤実記念館の展示資料になっていますが、その中には226事件時に斎藤が使っていた布団や枕、寝間着なんかが含まれている。
こちらもやはり血まみれで、嘔吐の跡なんかもそのまま残っていて、初めて見た時は涙が出た。

私は政治家では、明治では大久保利通と伊藤博文、大正では原敬、昭和では浜口雄幸が一番好きです。
不思議とそれぞれが非業の死を遂げていますが(雄幸は即死ではないけど)…
遭難当時に身につけていたものとか来ていた服とか、そういうものを目の前にするとやっぱり長い時間佇んでしまう。
 
続きは次回。
流石にもう疲れた。
明日明後日はブログ書く時間あるかなー…という…


神奈川!

2011-11-30 | たび

やって来ました。
今日は小田原と箱根!初めて行ったよ~。
隣接してたんですね…
つーか小田原と箱根が神奈川だと今日初めて知った(え)
どこだと思ってたのと言われたら、小田原と箱根だとしか思ってなかった。
いや、関西人はそんなもんです…
北関東とかさっぱりです。栃木と群馬と埼玉が分かりません。
日光行ったのにな!(笑) イマイチよく分かってないんだよ位置とか!(笑)
・・・関東の方(関西でも相当影のうっすい)兵庫がどこにあるか分かる?
私1回
「兵庫県?神戸県かと思ってた!」
って言われたことある^^;

今日訪れたのは

小田原 → 古稀庵、滄浪閣跡、瓜生外吉の胸像
箱根 → 早雲寺
二宮 → 徳富蘇峰記念館

よく歩いた!
というか小田原に行ったのに小田原城に行っていない・・・
…うん…まあ…じ、時間なかった・・・orz
小田原に関する知識が

・小田原提灯
・小田原評定
・二宮尊徳

これだけにも関わらずよく来たなと自分でも思わんこともない。
でも山縣の別荘があったところだしなー
小田原詣りだぜベイベー山縣が亡くなった所だ。
日曜日だったら内部の見学ができたんですが、平日ですのでアウト。残念。
掃除されていた方に「ごめんね」と謝られてしまった。
 
徳富蘇峰記念館が見応えがあって相当楽しくて、書きたいことがたくさんあるのですが、今日はここまで。
疲れた。笑。