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上野彦馬と内田九一の写真でめぐる幕末明治の日本

2010-05-16 | ヒストリ:近代MTS

先日書いていた分です。尼崎市総合文化センターで開催中の展覧会に行ってきました。
 
 
 
メインは「第10回上野彦馬賞九州産業大学フォトコンテスト受賞作品展」で、「幕末明治の日本」は同時開催の特別企画展です。

 幕末~明治一桁代の肖像写真と風景写真、約150点が展示されていました。
撮影者は上野彦馬、そして内田九一。
ぱっと見た感じでは上野彦馬の写真の方が点数が多かったかな、と。
幕末の名も無い人々の写真と長崎の風景写真が多かったのですが、坂本龍馬の写真が来てました。 
 
  上段右写真が坂本龍馬(慶応3年1月頃撮影?) 

 龍馬から三吉慎蔵に送られたと言われているものだそうです。 
三吉は寺田屋事件の時に龍馬と一緒にいた長府藩士。
四境戦争の時には高杉晋作と一緒に戦っていたような…
龍馬暗殺後はお龍さんを高知まで送り届けていました。 

下段は内田九一撮影。
左:木戸孝允 明治初年  右:後藤象二郎 明治初年 

 一方の内田九一さんですが、この方、結構有名な写真をたくさん撮っていたようです。
上野彦馬と同じく長崎出身で、松本良順を介して外国人より写真を習い、写真技術を研鑽し…
明治初年より神戸、大阪、横浜を転々として写真館を開業。
明治2年に浅草に落ち着いたそうです。

 明治天皇、明治5年

腕を見込まれて明治5年4月に明治天皇の小直衣姿を撮影し、翌年10月8日に洋装軍服姿を撮影(上写真)
こちら、両方ともウィキペディアの明治天皇の項目に写真が出ていましたので、興味がある方はそちらをご覧ください。
また同年10月14日に昭憲皇太后(明治天皇皇后)の撮影もしています。 

この洋装軍服姿、御真影として使われた写真。
撮影時に姿勢を正そうと内田が明治天皇の頭を触ったそうで、それ見た側近が突然「無礼者!」
明治天皇が「写真を撮る間はわが身といえども彼の手中にある。咎めるな」と取り成した(?)ため、無事に撮影が終了した、というエピソードがある写真だとか。

内田が撮影した近代政治に関わった人々の肖像写真は…
・後藤象二郎(M1撮影)
・三条実美(M1撮影)    
・勝海舟(M3撮影)       
・大久保一扇(M1撮影)
・徳川家達(M1撮影)
・島津忠義(M1撮影)
・島津の若君と家臣たち(M1撮影)
・井上馨(M5~7撮影)
・広沢真臣(M2~4撮影)
・木戸孝允(M1撮影)

どれもこれも小さいです。名刺サイズ。

また先日エントリで書いた新発見岩倉具視の写真原版も、パネルでしたが来ていました。
 
 

2008年に岩倉家旧葉山邸で見つかった湿板写真のガラス原板12枚。
その内の2枚のパネル(上写真)と2枚の紙焼き写真が展示されていました。
内田九一の撮影で、明治3年、場所は東京の岩倉邸かと思われる。 

 説明を読むとかなり珍しいもののようです。
ガラス原板は印画紙に焼きつける事を前提としているので、ガラスの表面を洗い流して原画像を消し、再利用する事が多かったとか。
そのため、こうした状態で現存する事が殆ど無いそうです。
それにこの時代、写真撮影はスタジオで行われることが多く、自邸でというのも珍しかったそうで。
写真を良く見ると、どうも庭に席を誂えて背後に御簾を下している状態です。
この時代の写真、露出に時間がかかる筈。
屋外での写真撮影は大変だったのでは?とも思いますが、天気良かったらスタジオよりもいいのかな?

 明治天皇は明治5年5月より西国と九州に巡幸されていますが(伊勢、大阪、京都、下関、長崎、熊本、鹿児島)、内田はこれに随行して数百枚の写真を残している。
個人的には京都、大阪の当時の写真が面白かったです。
今の状態を知っているだけに。大阪なんて、もう全っ然当時の面影がありませんね(^^ゞ
造幣局の辺りや大阪城から見た大阪のまち、高麗橋の様子。こういう状態だったんだな~…と。

 会場には上野と内田の個人年表が出ていたので見ていたのですが、内田は明治8年に32歳で亡くなったそうです。若い…  

こじんまりした展覧会でしたが結構楽しめました。 

上野彦馬と内田九一の写真でめぐる 幕末明治の日本

■尼崎市総合文化センター 美術ホール(5階・4階)
 ■2010年5月15日(土)~6月6日(日) 10:00~17:00(入館は16:30まで)
  ※金・土曜のみ18:00まで(入館は17:30まで)
  ※火曜日休館(5/18、25、6/1)

☆講演会「上野彦馬と内田九一~幕末明治・肖像写真の系譜~」
  ・5月29日(土) 14:00~15:30
  ・尼崎市総合文化センター7F 第2会議室
  ・講師:倉持基氏 
  ・定員70名
  ・事前申し込み不要、聴講無料

全然関係ないですが、ショーケンって岩倉具視と似てると思いません…?(笑) 
  
***

なんか龍馬伝の喜勢さん…(笑)
明治に入ってからはなお大変やで~…と思わずにはおれません…^^ゞ
そう言えばこのドラマの岩崎弥太郎、あまりに汚すぎて三菱で結構文句が出ているというのを以前ネットニュースでちらっと見ました。うーん…
創業者だし、気持ちは分かるけど。
藩の公金横領して長崎で女落籍させたり、大久保利通が三菱と縁切ろうとしたのは西南戦争での稼ぎ方が余りに悪辣だったからですよね(内偵中に大久保が暗殺された)。
維新後は7・8人のお妾さん同居させて、奥さんとお母さん相当大変だったようです。
その辺りは龍馬暗殺後ですので描かれることはないでしょうが、身なりが汚い位がなんだよ、とつい思ってしまう。

そう言えば龍馬伝繋がりで、通りすがりのブログだったと思うのですが…
 ドラマでは、「汗血千里駒」の坂崎紫瀾が岩崎にインタビューするという形式を取っていますが、これはおかしいよと。
なんで?と思ったのですが、坂崎紫瀾、自由民権運動家
あーそうだった。そうだった。そりゃヘンだよね。笑。カタキじゃん。



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