もう騙されないぞ(Won't Get Fooled Again)

旅、音楽、日常・・・まったり雑談します

California Zephyr その2

2004年11月29日 | Amtrakと東海岸(2004)
夜明けと同時に目が覚めた。
夜中は2人がけの座席に横になって眠ったのだが、意外と寝づらくはなかった。
それよりも寒さで2度ほど目が覚めた。

チケットを電話で予約した際、オペレーターから
「毛布を1枚持っていくように。夜中は冷えるから」と言われたので、
アシアナ航空から無言でいただいた - ようするにパクった - 
機内ブランケットをかけて眠ったが、薄手の毛布だとちょっと寒かった。
これからアムトラックに乗車する方はもうちょっと厚手の毛布を持ち込むと良い。
カフェでもアムトラックのロゴ入り毛布を$10で販売しているんだけど、
はっきり言って薄いし小さい。見てくれも格好悪い。粗悪なバスタオルにしか見えない。

時計を見ると朝の7時半をさしている。
時刻表を見ると、夜中に中部時間帯から山岳部時間帯に入ったので時計の針を1時間戻す。
6時からオープンしているカフェに行ってマフィンとミネストローネとホットコーヒーを買い
2階の展望ラウンジで中部の広大な平原と朝日を眺めながら朝食をとる。

コロラド州デンバーには1時間遅れて9時前に到着した。
デンバーでは30分間停車するので、ホームに下りて軽い運動をする。
デンバーを出発してしばらくすると、この路線のハイライトのひとつでもあるロッキー山脈越えが始まる。
ゆっくりとした速度で列車は山の中に入り、雄大な山々を眺めながら徐々に高度を上げていく。
1時間ほどするとところどころに雪が積もっているのがわかる。
窓にもたれると外気を感じてひんやりする。

デンバーを出て2時間くらいたったところで列車は突然停車した。
駅もなにもない、ただの山中。
山中では単線になる箇所が増えるので、
反対からやってくる列車や貨物車を通すために一時停止することはしょっちゅうあるが、
いつまでたっても反対側から列車はやってこない。しかもここは単線。

30分ほど経過したところで、
前の車両から荷物を持った乗客がゾロゾロと僕の乗っている車両の後部の座席車に向かって歩いてきた。
しばらくするとアナウンスが入った。
どうやら電気系統の不具合で、寝台車と座席車それぞれ1両ずつ切り離すらしい。
そのため、その車両に乗っていた乗客たちは別の車両に移らざるを得なかった。
後部車両に移った乗客の中には、奇麗な格好をした老夫婦がいたが、
彼らはおそらく寝台車の乗客だろう。
仮に彼らが西海岸に向かうのでれば、残り1泊を寝台ではなく座席で過ごさなくてはならないのか。
そう思うと少し不憫に感じた。果たして料金はいくらか返還されるのだろうか?

そうこうしていると列車はバックし始め、
複線になっている箇所で2両の故障した車両の切り離しを時間をかけて行なった。
デンバーで出るまでは、
←進行方向 凸[荷][ス][寝][寝][食][ラ][座][座][座][荷]
こうだった編成が、故障後は
←進行方向 凸[荷][ス][寝][食][ラ][座][座][荷]-[*寝][*座]  *・・・故障車
こんなふうになった。

その後は列車は順調に走り続けた。
GranbyからGlenwood Springsにかけての風景は見事で、
列車は峡谷の下を流れるコロラド川に沿うように走り続けた。

ロッキー山中での故障で本来ならば13時に着く予定の
グレンウッド・スプリングスに到着したときには夕方の5時を過ぎていた。
グレンウッド・スプリングスは山に囲まれた小さな町なので、太陽はほとんど沈んでいる状態だった。
座席に24時間以上座っていた僕は温泉に行くのをあきらめ、歩いてユースホステルに向かった。


California Zephyr その1

2004年11月28日 | Amtrakと東海岸(2004)
シカゴのシアーズタワーに上ったあと、駅で昼食をとり
車内で食べるサンドイッチを購入したあと列車に乗り込んだ。
シカゴ発エミリービル(オークランド)行き長距離列車"California Zephyr"
"Zephyr"とは「そよ風」の意味。なかなかおしゃれな列車名だ。
これでひとまずコロラド州グレンウッドスプリングスまで行く。
1泊2日の旅だ。

カリフォルニア・ゼファー号は車体すべてが2階建てだ。
1階は乗降口を真ん中に一方はトイレが5つ、もう一方に2人がけ座席が12席ほど。
2階にあがると、全てが2人がけの座席になっている。
ラウンジも2階がメインで、1階には軽食を販売するカフェがあり、
食堂車も1階がキッチンで2階は食べるスペースになっている。
僕が購入したのは座席なので、残念ながら寝台車に行くことはできなかった。

編成はこんな感じ
←Emeryville  凸[荷][ス][寝][寝][食][ラ][座][座][座][荷]  Chicago→
*荷・・・荷物車
*ス・・・スタッフ用
*寝・・・寝台車
*食・・・食堂車
*ラ・・・ラウンジ・カフェ
*座・・・座席車

座席はシカゴまで乗ったのと基本的には変わりはなかったが、
若干カリフォルニア・ゼファーのほうがゆったりしているように感じた。
さすがアムトラックいちおしの列車なだけある。

車内は思ったほど客がいなかった。
みな2人がけの席を1人で使っているようだ。
途中下車するグレンウッド・スプリングスには翌日の午後2時に到着する。
予定通りにいけば、の話だけど、結局この列車も遅れることになった。

*英和辞典で"zephyr"をひいたら「西風、そよ風」と出てきたが、
 英英辞典では"(poetical) a soft gentle wind"の意らしい。

シカゴで時間つぶし

2004年11月27日 | Amtrakと東海岸(2004)
シカゴには10時前に到着した。
次の列車が出るまで5時間ほどあったので、
構内のロッカールームに荷物を預けて
駅から歩いてすぐのところにあるシアーズ・タワーに上ることにした。

この日のシカゴは快晴で、冷たいビル風が吹き抜けた。
ウィンディ・シティと呼ばれるだけあって風がよく吹く街だ。
土曜日ということもあり、展望台行きエレベーターには多くの家族連れが列をつくっていた。
それでも1時間並んだだけでエレベーターに乗ることができた。

展望台から眺める快晴のシカゴの風景はとてもよかった。
ミシガン湖や遠くの山々とダウンタウンのビル群のコントラストが印象的だ。
僕はニューヨークでもエンパイア・ステート・ビルにも上ったけど、
展望台からの眺めはシカゴのほうが好きだ。

Lakeshore Limited

2004年11月26日 | Amtrakと東海岸(2004)
東海岸からはアムトラックでゆっくり帰ってくることに決めていた。
ニューヨークからシカゴ。シカゴからベイエリアまで。
途中コロラド州のグレンウッド・スプリングスという場所で温泉に入る。

ニューヨーク・ペンステーションからシカゴまでは"Lakeshore Limited"という夜行列車に乗った。
途中の駅でボストン発の車両と合流し、翌朝8時にシカゴに到着する。
名前の通り、NYから北上し、五大湖のひとつエリー湖畔を沿うように進み、
シカゴに向かうのだが、あいにく湖畔を通るのは夜中なので、湖など見れない。

座席は航空機のエコノミーと比べて座席間の距離がやや広くとってあり、
リクライニングもきくうえ足をのせる場所も高さが調節できる。
そういう点ではアムトラックのほうが乗り心地は良い。
新宿~博多間を走行するJR夜行バスよりやや上と思っていただければいい。

NYを定刻通りに出発したものの、
ノロノロ運転が続いたと思ったら数分間何もない場所で停車の繰り返しで、
時刻表を読み返すと予定時刻よりも1時間遅れて走行していた。

列車は出発直後にすでに1時間遅れで走行していたが、
結局シカゴには1時間半遅れで到着した。
アムトラックはよく遅れることで有名だが、
この程度(?)の遅れならば許容範囲である。
それを思うと、シベリア鉄道はすごいもんだ。
5日間走り続けて1時間程度の遅れですむのだから。

仕事早すぎ

2004年11月25日 | 日常生活
夕方アパートに戻り、郵便受けの中を見ると郵便局からの不在通知が入っていた。
送り主を見ると、アマゾンドットコムからだ。

はて、いったい何の通知だ?
昨日アマゾンから「サインフェルドのDVDボックスを郵送したよ。29日に着くからね」
というメールを受け取ったのだが、もう届いたのか?
アパートのレセプション横にある荷物受取所に行って小さめの小包を受け取る。
部屋に戻って開けてみると、やはりDVDボックスセットだった。

公式には23日発売ということで、24日到着というのは別に問題ないんだけど、
29日に送るね、というあのメールはいったい何だったのか?
アマゾンのシステムってよくわからない。

中身はDVDが8枚に、台本が一冊とトランプ、
それにケチャップ・マスタード入れを模した塩コショウ入れのセット。
DVDに収録されているエピソードのほとんどはTVの再放送で見たことがあるので
さほど目新しいものではない(映像は処理されていて奇麗になった)のだが、
オマケで収録されているインタビューとかNG集などは見ていて楽しい。

今日から少しずつだけどDVDを見て楽しむとするか。

SHOGUNという名のレストラン

2004年11月24日 | Amtrakと東海岸(2004)
午前中にイェール大学内を見学したあと、
友人と待ち合わせて街の日本食レストランで昼食をとる。
僕と友人のほかに、友人の同郷でもあるロシア人女性、
それに建築関係の仕事をしながらイェール大の授業もとっている日本人のNさんの4人。
日本人・ロシア人それぞれ2人の組み合わせだ。

ニューヘブンには日本食レストランは少なく、
この日我々が行ったのは、ロシア人曰く「美味しい」とされている方であった。
店内に入った瞬間感じられる胡散臭い内装・・・
そう、ここは「韓国人が経営する」日本食レストラン。
Nさんもメニューを見た瞬間気が付いたようで、
何ともいえないランチセットの内容にしばらく自分の食欲が飛んでしまった。

とりあえずいちばん無難そうなセットを注文する。
最初に味噌汁が出てきた。レンゲ付きで。
なんだよここは。味噌汁はチゲじゃねーんだぞ、と思うも
ロシアの2人は「フクースナ(美味しい)」と言ってレンゲで味噌汁をすすっている。

しばらくしてお膳に入ったランチセットが登場。
幕の内弁当みたいに、ご飯もお膳にのっているのはまぁいいのだが、
明らかに小さなボウルに入れ、それをひっくり返してお膳に入れたため
ご飯は円墳のように半球状に盛り上がっている。
俺たちゃ死人か?

アメリカでは、その国・地域からやって来た人が
その地方の料理店を経営しているかと言えば、必ずしもそうではない。
韓国人が経営する日本食レストランしかり
パキスタン人が経営するインド料理屋しかり
マレーシア人が経営するタイ料理屋しかり。
他の文化圏から来た人間からすれば、ぱっと見では違いがわからない。
しかし、その地域から来た人ならば違いを明確に当てることができる。

まぁ、美味しければ別にどうだっていいことなのかもしれないけど
自分の国・文化を重要視する人からすればそれは許しがたい光景だったりする。
へたしたらその人のプライドっていうか愛国心をもズタズタに引き裂いてしまうだろう。
アメリカだけではなく、他文化圏に来て「本物」を追求するのは困難だ。
文化・人種だけでなく、気候・風土・価値観のほとんどが異なるためだ。

経営者も努力しているのだから、多少は大目に見てやってもいいのに、と思うが
自分の育った国の料理を他国の人が「それっぽく」作っているのはやはり抵抗感を覚える。
それが美味しくなかったりすると怒りまで沸き起こってくる。
ニューヘブンで食べた日本食はとてもじゃないけど「大目に見てやれる」レベルのものではなかった。

NYの国連本部で

2004年11月23日 | Amtrakと東海岸(2004)
どうでもいいことなんだけど、大きな街を訪問すると
その街で権威のありそうな場所や建物に出向き、そこのトイレを使用するのが密かな楽しみだ。

権威と言っても、国会議事堂や大統領官邸にノコノコ入ることはできないので、
もっぱら一流ホテルや世界的に有名な美術館などがターゲットになる。

インドのデリーでは、名前は忘れたけど応接室付きトイレがあるホテルに入ったり、
サンクトペテルブルグのエルミタージュにうんこするために国際学生証を見せてただで入ったりした。
毎回便意や尿意がその場所近くでもよおされるわけではないので、
こればかりは自分のカラダと相談して目標を定める必要もあったりする。

もちろんニューヨークでもそれなりの場所でトイレを使うつもりで観光していた。
NYで権威のありそうな場所といったらどこになるだろう・・・
そんな感じで地図を眺めていると、ある場所が目についた。

国連本部

まさしく権威にふさわしい場所ではないか。
もちろん国連内部も見てみたかったのだけど。

国連本部前では、コートジボアール系の人々が
先日フランス軍がコートジボアールを空爆したことに対して抗議集会を開いていた。
国連内部は比較的ゆったりとしており、展示物も子供達の写真やら絵画など様々なものが展示されていた。

さて、本題の国連トイレなのであるが、これがまったくフツー。
都庁のトイレよりも雑なつくりで、これじゃ市役所と変わんねーよ、と心の中でぼやいた。
まぁ、国連職員や観光客が利用するものだから、それほど豪勢には作らなかったのだろう。
ひょっとしてどこかに要人用トイレというものがあり、
TOTOもびっくりの最先端機能を備えた洋式便器が存在するのかもしれん。

そういえばシリコンバレーではトイレを借りたことなんてなかったなぁ。
シリコンバレーといえばIT関連企業。アップル社が近くにあったな。
今度近くを通った際にお邪魔してみるとするか。

Jaywalking at Yale Univ.

2004年11月22日 | Amtrakと東海岸(2004)
東海岸では知人の滞在するホテルに3日間お世話になった。
滞在したコネチカット州ニューヘブンは
全米でも有数のエリート大学のひとつでもあるイェール大学がある街だ。

イェール大学は1701年に創立され、
アイビー・リーグに所属する由緒正しき8つの大学のうちの1校である。
創立当初はコネチカット州オールド・セイブルックという場所にあったが、
1716年に東海岸部にあるニュー・ヘヴンに移る。
卒業生にはブッシュ親子にケリー候補、クリントン元大統領及びヒラリー夫人、
それにノーベル賞受賞者を含め各分野に多数の著名人を輩出している「超」名門校なのだ。

街には多くのイェール生が闊歩し、僕も彼らに混ざってキャンパス内を歩いてみたりしたのだが、
なんか学生達が無意識に醸し出すエリートなオーラというものが僕からは出ていないので、
ここでは大人しく観光客の一人としてデジカメ片手にブラブラと歩き回った。

キャンパス周辺を歩いていて目についたことは、イェール生は赤信号でもかまわず道路を横切ること。
たとえ歩行者用信号が赤であろうと、
そこが横断歩道であれば車の往来をなど関係ないようにスタスタと渡りはじめる。
運転手たちも半ばあきらめているのか、青でも数人のイェール生が渡り終えるまで待つ。
もし彼らを撥ねてしまったら、エリート候補生の両親から莫大な慰謝料を請求されてしまう、
だったら大人しく渡り終えるのを待ってるか、ということなのだろうか?

まぁ、将来のノーベル賞受賞者や大統領を消してしまったら国家的損失はでかいかもしれん。
でも、信号無視はいかんよ。

翌日のおでん

2004年11月21日 | 日常生活
昨晩はみんなでおでんを食べた。
おでんを作ったのなんていつ以来だろう?
たぶん3年前の年末に実家に帰った時以来なんじゃないかな。
まぁ、おでんはカレーやお鍋同様煮込み料理だから
適当にやってもある程度の味になるのはめんどくさがり屋にとっては大変ありがたい。
で、今日の朝食もおでんなのだが、
一晩寝かした大根の美味しいこと美味しいこと。

僕は大根さえ入っていれば他のタネはどうでもいいくらいおでんの大根が好きだ。
それじゃあただのふろふき大根じゃないか、と言われるかもしれない。
ふろふき大根は薄茶色で多少歯ごたえもあって奇麗なかたちをしているけど、
僕が好むおでん大根は型崩れしまくりではんぺんのようにやわらかくなったどす茶色のモノだ。
これをご飯の上にのっけて食う。
うーむ、幸せ。

WTC跡地に行く

2004年11月20日 | Amtrakと東海岸(2004)
ワールドトレードセンター跡地には大勢の観光客が柵越しに
かつて2つの巨大なビルが存在していた空白地を眺めていた。

事件当時を写したパネルを見ながら涙を流す女性の後ろで
小さな子供が楽しそうに走り回っていた。
僕にはこの場所では子供達がはしゃぐ姿のほうが合っているように感じた。
どうしてかはわからないけど、
過去の悲しい出来事として心に刻むよりも
未来への礎として希望を持って見続けたほうが
まだ救われると思ったからかもしれない。

ふと上空を見上げると
遠くに旅客機の姿が見えた。
おそらくラガーディア空港に到着するのだろう。

超高層ビル
上から見るか下から見るか
はたまた真正面から最期に見たか

NYの印象

2004年11月19日 | Amtrakと東海岸(2004)
サンフランシスコを夜10時に飛び立ったアメリカン航空機は
翌日の6時半にニューヨークJFK空港に着いた。
バスでNYグランドセントラル駅へ向かい、そこで友人と待ち合わせる。

初めてのニューヨークの印象は 「東京みたいだ」

それは人の多さやビルの乱立具合からきたのではなく、
街を行き交う人々の歩くスピードからであった。

小さなスーツケースを引きずりながらグランドセントラル駅コンコースに向かう途中、
数え切れないほどのニューヨーカーに追い抜かれた。
秋から冬に変わる季節のせいか、人々はみな黒のコートに身を包み
気難しそうな顔をしながら片手にUSAトゥデイを握り締めて歩いていた。
僕は歩くのはそれほど遅いわけではないのだが、
ここでは明らかに「流れに乗れていない田舎者」のような存在でしかなかった。

西海岸に住むようになって3年。
アメリカにおける生活スピードの違いをまざまざと見せ付けられた瞬間。


食あたり

2004年11月19日 | 日常生活
ルームメイトが日系スーパーの売れ残り惣菜弁当をもらってきた。
そのうちの1つを昨日の朝飯に食べたのだが、これがどうもいけなかったらしく
激しい下痢と嘔吐に一日中悩まされた。

当初は食中毒を疑ってみたけど、
前日の晩にルームメイトの一人が同じものを食べて何ともなかったので、ただの食あたりだろう。

夕方になってようやく立って歩けるようになったので、
目の前にあるスーパーでスポーツ飲料を買う。
下痢と嘔吐で脱水症状になりかけていた。

一週間サンドイッチとハンバーガーで過ごしていたので、
久しぶりに食べた酢飯に胃が拒絶反応でも起こしたのだろうか?

東海岸から

2004年11月17日 | 日常生活
先程帰ってまいりました。

機内で1泊
友人宅で3泊
ユースで1泊
車内で3泊
の、合計8泊9日の旅だったのだが、
半分が座席で就寝というのもなかなかのものだ。

スーツケイサーとしでデビューしたとはいえ、
車内泊がこれだけの割合を占めればバックパッカーの面目躍如だろう。

さすがに今日は疲れたので、詳しい話はまた明日以降に。

NYとアムトラック

2004年11月09日 | 日常生活
今日(月曜日)からアメリカ東海岸に行ってくる。
語学学校に行ってたときに仲良くなったロシアの友人が現在東海岸の大学に行っており、
メールで「東海岸はまだ行ったことないんだよねぇ」と書いたら
「ぜひ来てよ」と言われたので、それではと思い旅行を決めたのだ。

とは言っても、向こうには3日しか滞在しない。
友人宅にタダで泊まらせてはもらえる予定なんだけど、
正直言って見たいと思っている場所はニューヨークしかない。
友人宅もコネチカット州にあるので、NYまでは列車で1時間半かかる。
平塚から毎回東京に出るようなもんだ。

その代わりといっては何だが、
東海岸からはアムトラックに乗ってベイエリアに帰ってくるつもりだ。
シベリアにつぐ、列車で大陸横断第2弾である。
じつはアムトラックのほうがNYよりか楽しみなんだけど。

今回の旅は今までとは違う点が2つある。
1つはスーツケースを引きずっての旅行ということ。
スーツケースと言っても中学生一人が入れるようなデカイやつではなく、
スチュワーデスさんがよく引いているような縦長のケースだ。
ついに僕もスーツケイサーとしてデビューするわけだ。
もしバックパッカーの世界が連合赤軍みたいだったら、
「お前は堕落した」と糾弾されてどこかの山奥に埋められるんだろうな。

もう1つはデジタルカメラを持っていくこと。
コンパクトカメラの調子がいまいちだったので、
家電店に行って買ってきたのだが、いまだに使い方がよくわかっていない。
タイマーももちろん付いており、リモコンもあるんだけど、いくら押しても動こうとしない。
まぁ、僕は他人との写真を撮るほうじゃないんで別段問題にはならない。
僕の周辺にもデジタル化の波が押し寄せている。

月曜日の夜の便でNYに向かい、東海岸で3泊したのち4泊かけて西海岸に戻ってくる。
列車に乗っているほうが長いな。
ベイエリアに戻ってくるのは来週の火曜日。

というわけでブログは1週間お休みいたします。
それではまた来週。

佐世保な街 ウラジオストク(完)

2004年11月08日 | 2002シベリア横断
ウラジオストクには予定通り8時すぎに到着した。
ホームに蒸気機関車やシベリア鉄道の記念プレートがあったので写真に撮る。
駅西側にあるHotel Mayakに行くも、満室だと言われる。

地球の歩き方に載っていた「民宿紹介所」に行ってみる。
受付にいたおばあさんに民宿の斡旋をしてもらおうとしたのだが、言葉が全く通じない。
それどころか、紹介所の中にある部屋に泊まれみたいなことを言ってくる。
面倒臭くなったので、シングルの部屋に泊まることにした。
部屋は縦長でテーブルと白黒テレビがある。シャワーは別。

シャワーを浴びたあと水族館や潜水艦の中に入れる軍事博物館に行き、
あまった時間でお土産を買ったりインターネットカフェでメールチェック。
ウラジオストクは坂道が多く、歴史ある軍港のため、港には様々な種類の巡洋艦が停泊していた。
これらの全てが今なお現役なのかはわからないけど、見た目は古臭さを感じなかった。

ウラジオストクに3日滞在した。
ウラジオストクからはフェリーで日本に帰ろうと思っていたのだが、
イルクーツクのインツーリストで聞いたところ、
僕が乗ろうとしていたフェリーはすでに満席でチケットが取れないと言われた。
それならば、と新潟・富山行きの飛行機を買おうとしたが、それも満席だと言われる。
理由を尋ねると、この時期は日本からの団体旅行者がロシアを多く訪れるため、
早い時期から予約が埋まってしまっているとのこと。
うーむ、このままではウラジオストクで数日間余計に過ごさなければいけないのか・・・

そう思った瞬間、あることをひらめいた。
僕の実家は九州にある。
ウラジオストクから韓国に飛び、釜山からフェリーで博多に行けばいい。
僕はインツーリストの係員に韓国へ行く飛行機を尋ねてみた。
ソウルと釜山にそれぞれウラジオストク航空が飛ばしている。
大韓航空もソウルに週2で運航しているという。
僕はロシアでの滞在日数を逆算し、
ウラジオストク滞在3日目にソウルに向かうウラジオストク航空をその場で予約した。

ウラジオストク空港は街の中心地からけっこう離れた位置にある。
多くの旅行者はタクシーで空港に向かうらしいのだが、
残りのルーブルのほとんどをお土産に使ってしまったため、
列車とバスを乗り継いで空港に向かうことにした。

ウラジオストク駅から各駅停車で3つ目のフタラヤ・レーチカ駅まで行き(25分)、
駅を降りて右手にあるバスターミナルから出る空港行きバス205番で空港に向かう(45分)。
僕が乗ったバスは列車とうまい具合に接続していたので、スムーズに空港まで行けた。

ウラジオストク空港はこぢんまりとしていて、出国審査もアメリカよりも簡単なものだった。
余ったルーブルで空港のお土産屋に飾ってあったキャビアを買ってみようかな、と思ったが
どう見てもゼロが2つ足りなかった。

こうして約3週間に渡るロシア旅行は終わった。
ソウルでは語学学校時代の友人宅に1泊だけお邪魔し、
釜山で1泊したあと夜行フェリーで博多に向かった。

ロシア国内での英語の通じなさには驚いた。
日本は学校で長期間の勉強こそあれ、ある程度の英語を話せる物は少ない。
中国でもイランでも英語のつうじなさに苦労したものだが、
ロシアでのそれは想像以上だった。

でもまぁ、苦労したぶん思い出も多かった。
でも、今度シベリア鉄道に乗るときは高くても1等寝台で優雅に旅行したいものだ。


*ウラジオストク情報(情報は全て2002年8月のもの。出発時刻・曜日・時期は要確認)

<ウラジオストック>
民宿紹介所の部屋 500ルーブル
「歩き方」に載っているところです。民宿は紹介してもらえませんでした。
英語がほとんど通じませんがお婆ちゃんはとってもいい人です。

<ウラジオストック駅から空港への行き方>
1:ウラジオ駅からローカル列車で3つ目のフタラヤレーチカ(Вторая Речка)駅で下車。
橋を渡って右手奥にバスターミナルがあります。
午前中は7:26、9:05、9:15、9:54、12:05出発。
5ルーブル。所要時間25分。

2:205番バスで空港へ。
8:25、9:55、11:35、14:25、16:00出発。所要時間45分。
バスによって料金が異なるそうですが、確認していないためよくわかりません。
ちなみに私が乗ったバスは9:55発で料金は27ルーブル。

#ウラジオストック発の国際線
<ウラジオストック航空>
新潟:木日(14:50) 富山:水土(10:30) 大阪:火金(12:30)
ソウル:水金(14:20)、日(12:30) 釜山:月土(13:00)
ハルビン:火金(11:00) 天津《7/29-8/26》月(12:10)
<大韓航空>
ソウル:火土(16:20)
<上海航空公司>
上海:月(17:30)、金(16:00)