もう騙されないぞ(Won't Get Fooled Again)

旅、音楽、日常・・・まったり雑談します

ビザ代行

2007年07月31日 | 2007シリア
昨日、三宮にある旅行代理店でシリアビザの代行をお願いしました。他の国へ行って再度シリアに戻る必要がないため、シングルビザで申請。ビザ代、代行料、手数料を合わせて1万5000円。

高いよ。

ビザ代は2600円だし、旅行代理店の手数料は2000円なのはまだいいとして、残りの「代行業者仲介料」が1万円もするのが納得いかん。まぁ、自力で東京のシリア大使館で申請して再び取りに行く手間を考えると、地方に住む者としては他に選択肢がないのが痛いところではあるけど、もうちょっと安くならんかねぇ・・・

てなことを、9月にカンボジアへ行く同僚に話したところ、同僚もカンボジアビザを代行業者に頼み、1万円近くかかったとのこと。そうだよなぁ、せめて1万円以下で済ませたいよなぁ。

あと、ビザ申請に必要なものとして、パスポート(当然)、顔写真2枚(4×3)、申請書2枚の他に「在職証明書」なるものを提出しなければいけなかった。在職証明書、とは言うけど、旅行代理店よりもらったサンプルを見る限りでは、「この人物はマトモな奴なのでおたくの国のビザを出しておくんなまし」的な会社からの推薦状みたいなもん。

サンプルを参考に英文で用紙を作成したはいいが、会社のヘッダーがついた用紙で提出しなければいけない(会社のレターヘッド付用紙がない場合は、自分で打ち込み、かつ会社のゴム印が必要)。それに加え、会社の代表者またはそれなりの地位にいる上司のサインが必要。

ビザが必要な国に行くのはロシア以来5年ぶりである。ビザを国境や空港ですぐに発給してくれる国よりも、きちんと申請しなければいけない国を旅行するのは経験上、割とタフであった(ロシアとかイランとかインドとか)。シリアもタフな旅行になるのだろうか?


選挙

2007年07月29日 | 日常生活
買い物の帰りに投票をしてきました。

投票後、投票所の前で奇抜な髪型をしたおっさんが
「俺はぁー、投票なんかぁー、ぜったいにぃー、しないぞぉー!」
と叫んでいました。

選挙に行かなくていいから
その代わり鉄格子の付いた病院へ行ってください。


イタリアのおっさん

2007年07月28日 | 日常生活
新しい案件でイタリア・ベニス郊外の弁護士と電話で話をしていたときのこと。

向こうはいかにも的なおっさんの声を持つ、イタリアなまり全開の弁護士ではあるが、話す英語はなぜかわかりやすく、こちらの伝えたい内容もすんなりと相手に伝えることが出来た。国によっては相手が何を言っているのかさっぱりわからん(本当にこれが英語なのか?)と感じるときがあるけど、向こうにしたら「あの日本人の話す英語はようわからん」と思っているのかもしれない。

さて、イタリアのおっさん弁護士に用件を伝え電話を切ろうとしたとき、おっさんは「チャオチャオ」と言って電話を切った。イタリアでは別れるときにこの言葉を使うことは理解しているけど、女性が使う(これがまた似合うんだな)イメージが非常に強かったので、ちょっとびっくりした。

おっさんが「チャオチャオ」って、なんか可愛いな。


朝食

2007年07月24日 | 日常生活
久しぶりにマクドナルドで朝マックをした。
ソーセージエッグマフィンセットを注文後、席で食べながらふと思った。

このセットって410円もしたっけ?
380円じゃなかったっけ?

レシートを見ると
ソーセージエッグマフィンセット 410(1コ) \410
とある。
レジの打ち間違いではない。
マクドナルドでは、地域によって商品の値段を多少上下させるという方針を聞いたことがあるが、ひょっとして神戸のマクドナルドも値上げしたのだろうか?

気のせいかなぁ。

*ちなみに画像はタイのドナルド。合掌。


2007年CD紹介:その13

2007年07月23日 | CD紹介
午前中会社の前でAnnual Reportに載せる支部紹介用写真を撮影しました。普通の集合写真なのであまり出来について云々する必要はないけど、一人だけ全ての写真で顔が半分隠れてしまっている。もう一度集まって集合写真を撮ることは別に構わないけど、そのためにわざわざ上着をはおってネクタイを締めるのが面倒だなぁ。

さて、CD紹介13回目。
・801 - 801 Live
→ロキシー・ミュージックのギタリスト、フィル・マンザネラとブライアン・イーノによるプロジェクトが発表したライブ盤。ひねくれた、とまではいかないまでも、けっこう引っかかりを感じるロックです。トーキング・ヘッズに近いものがあるような気もするが、かといってテクノやニューウェーブとまで形容できないし。妙にクセのある音ですが珍味のようにたまに聞きたくなる。


・Rick Derringer - Derringer Live
→正直、ロックンロール・フーチー・クーだけのアイドルギタリストと思っていました。すみません。ジャケットに写る姿以上にかっこいいギターです。うーむ、しびれる。


・Jethro Tull - Stand Up
→通算2作目。初代ギタリストがブルース一辺倒だったせいか、デビュー盤は重たいブルース臭しか感じられなかったが、2代目ギタリスト(マーティン・バレ)はブルース以外の教養もあるようで、ボーカル&フルートのイアン・アンダーソンは自分のコンセプトをより表現しやすくなったんでしょうか、これ以降はアンダーソンの志向が強くなっていきます。目玉は何といっても大ヒットしたインストゥルメンタル曲の「ブーレ」。ちなみに紙ジャケ化されてオリジナルジャケットを忠実に再現しています。ジャケットを開くとメンバー4人が立ち上がります。



・Patrick Moraz - The Story of I
→リック・ウェイクマンが一時的に脱退した頃のイエスでエレピを引きまくったキーボード奏者のソロアルバム。キーボードの波にブラジル風リズムやコーラスをブレンドし、独特の雰囲気を醸し出しています。ブラジルといってもボサノバではありませんし、南国の香りもしません。このアルバムが意外と高い評価を受けたため、結局イエスにはアルバム1枚に参加したのみで脱退し、ソロの道に進んでいきます。あと1枚イエスのアルバム製作に参加してほしかったなぁ。


今年はこの国に行ってきます

2007年07月22日 | 2007シリア
9月中旬から10日間ほどシリアに行ってきます。画像の英語ガイドブックにはレバノンも載っていますが、レバノンには行きません。

ダマスカスへの往復航空券は3月の時点ですでに予約を入れており、前金として2万円を支払っていたのだけれど、ここ数ヶ月、イスラム諸国で発生した案件処理でイスラム的対応に非常に苦労し(現在でも苦労していますが)、「あ~、もうアラブ・中東なんかに行ってやるもんか!」と憤り、東南アジアのビーチで1週間何も考えずにまったりするプランを急遽考えた。前金2万円がもったいないが、東南アジアだったら航空券も安く抑えられる。

ということで、マレーシア東岸のビーチに目星をつけ、旅行代理店に飛行機代の見積りをお願いしたところ、関空~クアラルンプール間のチケットが予約で一杯であり、現在キャンセル待ちの状態だという。もちろん、数万円を上乗せすれば希望する日にちのチケットを購入することが出来るのだが、態度をいったん保留し、旅行先について再度考え直すことにした。

多少お金を上積みして東南アジアのビーチでまったりすることはじゅうぶん可能だ。しかし、そんなことは10年後でもできるわけで、体力や気力が続く限りは多少面倒な国に早めに行っておいた方が良いという結論に達し、結局シリアを旅行することにした。

ドバイ経由ダマスカス往復エミレーツ航空。空港税やサーチャージ込みで約16万円。本来であればこれより2~3万円安いチケットがあるのだが、関空~ドバイ線は旅行代理店が大量に座席を押さえてしまうため、キャンセルが発生する出発日直前になるまでチケットの確保が確定しないという心理的なデメリットを嫌い、また、チケットが取れなかった場合の代替案をその場で考えるというのも嫌だったので、半年前に上記の値段で購入を決めた。

さて、あとはシリアビザを取得する仕事が待っている。シリアビザを国内で取得するには、東京のシリア大使館に直接パスポートと関連書類を提出するのだが、郵送では受け付けていないため、地方に住むひとは必然的に代行業者を経由しなければならない。とある旅行代理店に確認したところ、代行料として1万数千円かかるとのこと。旅行保険よりも高いなぁ。でも背を腹にかえられないし。

川口、ちょっと来てくれ

2007年07月21日 | 日常生活
サッカー・アジアカップ準々決勝で日本はPK戦の末オーストラリアを下しました。
おめでとうございます。
会社の会議室のテレビで一人応援していました。

さて、僕はこれからアルジェリアと戦わなければ。
向こうはお昼だがこっちは深夜だ。

何度も繰り返すけど、イスラム諸国は嫌いだ。

無臭ドリアン

2007年07月18日 | 日常生活
タイの研究者、無臭ドリアンの開発にチャレンジ

[バンコク 17日 ロイター] タイ農業研究当局の研究者は、強いにおいで有名な果物「ドリアン」の無臭化に取り組んでいる。アジア各地のホテルや航空会社、公共輸送機関の多くで持ち込みが禁止されているドリアンだが、無臭化に成功すれば新たに多くの消費者を獲得できるとの見方が背景にある。

同研究者はロイターの取材に対し「ドリアン農園で生まれた自分にこの果物は特別なもの。ただ、においで敬遠されている。より多くの人にドリアンの味を楽しんで欲しい」と語った。

カンボジアとの国境付近の農園での過去30年にわたる交配や試験を経て、においが極めてマイルドな「チャンタブリ1号」というドリアンの品種がこれまでに開発されている。来年の商業生産を目指し、現在は農家に配布するために同品種の苗木を育てている最中だという。

一方、ドリアン愛好家らは、強烈なにおいもドリアンを食べる喜びの一部だと指摘。ベトナム・ハノイの女性(34)は「においがなければドリアンに興味はないし、加工食品を食べるのと同じようなもの。強いにおいで他の人が食べられないものを食べることに誇りを持っている」と述べた。


大学4年の夏、ネパールを旅行した帰りにバンコクに寄り、空港そばの市場でドリアンを購入して、日本に持ち帰ったことがある。ドリアンはとにかく臭う、ということは知っていたので、あらかじめ用意しておいたサランラップでドリアンをぐるぐる巻きにし、さらに新聞紙でコーティングして臭いの放出を抑えることに(その時点では)成功し、意気揚々と空港のチェックインカウンターに並んだ。

搭乗手続きも無事終わり、緊張がとれたのか、思わずドリアンの上に腰掛けてしまった。「パキッ」という小さな音が聞こえたような気がしたが、気のせいだろうと平静を装って機内に入り、誰も荷物を入れていないブースにドリアンを入れる。成田到着後、ほとんどの乗客が機内から出た後、おもむろにドリアンを取り出すべく席上の荷物入れを開ける。すると、長時間狭い空間でこもりまくったドリアンの臭いが顔面を襲う。一瞬気を失いそうになるが、すぐにドリアンを取り出しさっさと機内を出る。

成田空港から当時住んでいた横浜まではけっこうあるため、成田エキスプレスを使って帰ることにした。ところが、途中車内でババァ連中、いや、ご夫人方が「あら、何この臭い、くさいわぁ」と言い始めた。しかし、僕はただひたすら無関心を装い車窓を眺めていた。

帰宅後、その日の夕方にバイト先のレストランに向かい、厨房でさっそくドリアンをみんな(というかごく一部の人たち)で食べてみた。思った以上にまろやかで美味しい部類に属する味だな、と感じた。やみつきになる味ではなかったけど。その後、誰も残ったドリアンを食べようとはしなかったが、ただ一人、料理長が残ったドリアン半分を嬉しそうに自分の調理場に持って行ったのを覚えている。

ドリアンは強烈な臭いとネットリとした味を同時に体験してこそ評価されるものだと思う。ドライフルーツにしてもたいして美味しくないし、ドリアンようかん(若しくはういろう)なんて単なる罰ゲームのネタじゃねーか、としか思えない。皆さん、ドリアンは臭いと味を堪能しましょう。

P.S.
そういえば、アメリカ在住時にバナナ牛乳にドリアンを入れて「ドリアンバナナ牛乳」を作って飲んでみたけど、これがけっこう美味しかった。まぁ、後で胸焼けがものすごかったけど。

2007年CD紹介:その12

2007年07月17日 | CD紹介
あぁ、今日は火曜日か
生ゴミ出すの忘れてた
てっきり月曜日だと思ってた
金曜日まで保管しておくと臭いが気になる

さて、CD紹介12回目。
・Leon Russell - Leon Live
→スワンプ・ロックの大御所、レオン・ラッセルのゴスペル色溢れる2枚組ライブ盤。もう1曲目の"Mighty Quinn Medley"スワンプのうねりに引きずり込まれる。個人的には南部色が強いロックが醸し出す粘り気というか引っかかりというものが好きではないのだが、このライブ盤は四の五の言わせない圧倒的な勢いとパワーで文句など出てこない。"A Song for You"のようなしっとりとした感じを期待して聞いたら間違いなくやられる。


・Steely Dan - Can't Buy a Thrill
→スティーリー・ダンのデビュー盤。1972年なのに、すでにAOR的要素が出ているのはさすが。当初はバンドの様相を呈していたけど、メイン・ボーカリストは2曲でしか歌っていない。もうこの頃から外部のミュージシャンを起用して満足のいく音作りを始めていたんでしょうね。全体的に軽快な曲もあり、僕が最も好きな"Dirty Works"も収録されている。


・Weather Report - Live and Unreleased
→70年代中盤から83年までのウェザー・リポートの未発表ライブ音源が収められた2枚組。ジャコ・パストリアスの前のベース奏者アルフォンソ・ジョンソン在席時の音源もあるが、これがけっこういい。ジャコとは異なるグルーブ感で疾走する。ライブとしての統一性・迫力は名盤「8:30」に敵わないけど、なかなか楽しめます。


・Jethro Tull - This Was
片足でフルートを吹くイアン・アンダーソン率いるジェスロ・タルのデビュー盤。重いブルースにジャズの要素を加えたような出来。全体的にずっしりとしたリズムで重いです。比重がブルースよりなため、食指が動かなくてもまぁいいかな、っていう感じ。


懐かしの味

2007年07月16日 | 日常生活
週末は実家の福岡に戻ってのんびりしていました。まぁ、台風4号が接近していたので、家でのんびりせざるを得なかったんですが。とはいえ、台風は鹿児島に上陸したため、福岡はそれほど大きな被害も出ず、風雨も思ったより強くはなかったです。

金曜日の夜に三ノ宮からバスに乗って向かい、土曜日の朝7時過ぎに博多駅前に到着。JRでけやき台に行き、そこから歩いて10分ほど国道3号線を歩いたところにある丸幸ラーメンセンターへ。福岡で生まれた僕が生まれて初めて食べたとんこつラーメンが丸幸のラーメン。小さい頃は実家に戻るたびに爺ちゃんにお願いして車で丸幸まで行って満腹ラーメン(大盛)を苦労して食べたものだ。


外観を見てびっくり。えらい奇麗になっているではないか。内装もこぎれいになっており、清潔感が「ちょっと」出ているように見える。とはいえ、厨房から出てくるスープの匂いは昔と変わらないなぁ。車中泊明けながら満腹ラーメン(460円)を注文。ん・・・味はちょっとあっさりになったな。チャーシューは相変わらずモサモサして美味しくない。昔は単なるトラック野郎のためのラーメン屋という感じだったけど、今では支店もあるし国内配送もやっており、ずいぶんと成長したんですねぇ。今度まとめて配送をお願いしようか考え中だけど、賞味期限ってどれくらいなんだろう?

連休期間中はラーメンを食い尽くす予定であったが、折からの台風のため土曜日は丸幸のみ。日曜日は多くのラーメン屋が休み。月曜日は昨日の山笠の影響からか博多・天神界隈のラーメン屋はほとんど臨時定休日になっていた。おいおい、1回しかラーメン食っとらんよ。仕方がない、キャナルシティのラーメンスタジアムで何か食べるか・・・と思ったが、余りの行列のため断念。ラーメンなんて並んで食べるもんじゃねーよ。ファストフードだろ、あれは。


結局今回の帰省ではラーメンは1回しか食べませんでしたが、日曜日に原鶴温泉近くのうなぎ専門店千年家でうなぎのせいろ蒸しを食べてきました。うむ、美味しかった。

上々颱風

2007年07月13日 | 日常生活
今日から実家の福岡で週末を過ごしてきます。
三ノ宮を23時に出る夜行バスに乗り、博多駅には翌朝7時到着予定。
福岡では久しぶりにラーメンを食べ歩こうかと思っているけど
生憎台風が接近しているため、実際にラーメン屋までたどり着けるかどうか。
それでも、基山の丸幸と天神の赤のれんには行こうと考えています。
ではでは。

2003年8月20日:パタヤ→バンコク→

2007年07月10日 | 2003スリランカ
9時過ぎ起床。昨晩は睡眠薬を余計に飲んだせいか比較的ぐっすりと眠ることができた。ホテルの朝食は無料らしいが、どうせパンとジュースとバナナ程度なので取らない。その上、薄汚れた白人のおっさんと売れ残りタイ人女性のベタベタする光景を見ながらの食事なんて反吐が出る。

11時過ぎにホテルをチェックアウトし、通りに出てソンテウを捕まえる。バスターミナルまでの値段はどれもまちまちだったが、40バーツや50バーツ、中には60バーツと言ってくる奴もいる。結局、40バーツで手を打つ。ソンテウに乗り、窓に貼ってある料金表を見ると、5人までの目的地別料金は最低でも1人40バーツらしい。ということは、40バーツが適正料金ということか。でも、バスターミナルからビーチへは20バーツだったような・・・

12時発、バンコク・アカマイバスターミナル行きエアコンバスに乗り込む。1時間半でバンコク到着。511番バスに乗り、カオサンに向かうが、さっそく渋滞に巻き込まれる。バスターミナルからイセタンまで1時間もかかった。さすがバンコクの渋滞。16時前にカオサン到着。バンコク最後の料理を竹亭でとる。タイ最後の晩餐が日本料理とは、我ながらやる気がない。っていうか、できるだけ長居できる場所にいたかった。福岡への便は夜中に出るのだから。竹亭の料理はどれも美味しいけど、味が整いすぎているせいか、いまいちインパクトに欠ける。海外で食べるバックパッカー向け日本食料理屋の中では間違いなくトップレベルに位置するんだけどね。多分、自分の中に「レックさんラーメン」やカトマンズの旧「味のシルクロード」のようなチープさを求めているのかもしれない。

竹亭でじゅうぶん時間を潰し、59番バスに乗って、またしても渋滞に巻き込まれながらもバンコク・ドンムアン空港に到着。余ったバーツをお土産やカフェに使い、福岡行きタイ航空に乗り込む。

スリランカは仏教遺跡・丘陵地帯・ビーチがバランス良く揃っており、1ヶ月かけて観光するにはうってつけの国だと思う。さすがに1週間程度では駆け足になるけど、2~3週間あればスリランカのおもな見どころは制覇できるだろう。僕のように移動しては泊まり、移動しては泊まり、だと、人によってはダラダラして嫌だと感じるかもしれないが、一日一事(ワン・デイ・ワン・シング)な性格なので、こういう旅行しかできない。最初と最後のバンコクは、まぁオマケのようなものだった。期待するものなんてないし、実際何もなかった。でも、それがバンコクが好きな理由でもあったりして。(終)

おまけ:竹亭のウェブサイト
http://www.taketei.com/

2003年8月18・19日:パタヤ

2007年07月09日 | 2003スリランカ
バンコク、というか、カオサンではもはややることはなくなった(まぁ、何もしないのはいつものことなんだけど)ので、バンコクから手軽にいけるビーチ、ということでパタヤに向かった。

東バスステーションからバスで2時間。パタヤのバスターミナルからタクシーでビーチへ向かい、適当なホテルを探す。Sawadee Sea Viewというホテルに決める。エアコン・テレビ付きで1部屋370バーツ。名前に偽りありで海なんか見えるわけがない。この界隈の宿はほとんどが連れ込み宿である。街のバーで働くタイ人女性を引っ掛け、自分の部屋に連れ込んでる白人旅行者が多かった。しかもそのほとんどが白人のおっさん。パタヤには若さというものがまったく感じることがなかった。

ダルイ海、ダルイ料理にダルイ踊り子。何ひとつバンコクに勝るものがない。夜、バーに出かけてチップだのペイバーだの言い寄ってくる踊り子を泥のような目で眺め続けた。どいつもこいつも若々しさがない。終わった連中が集う終わった街。パタヤはそんな印象を持った。
(注:写真はカオサンのお寺裏の路地)


2003年8月17日:バンコク

2007年07月07日 | 2003スリランカ
9時起床。バンコクでは毎晩夜遅くまで起きているにもかかわらず、この時間帯にきっちり起きれる、というか、蒸し暑くて絶対に目が覚める。シャワーを浴び、今日分の宿代を支払い(この宿では1日単位での支払いを求められた)、10バーツバミーの屋台でバミー(タイ風ラーメン)を2杯食べる。同じテーブルに座ってきた日本人旅行者から、東南アジアやインドの情報について聞かれたので、自分の知る範囲で教えたところ、どうも自分の期待するものが得られなかったらしく、「なーんだ。ちぇっ」と不満そうな顔で席を立った。ラオスやインドでは、タイのようにエアコンバスで楽に移動できるわけではない(あることはあるが)と言っただけなんだがな。自分でいきなり目の前に座ってきて一方的に質問して挨拶もせず帰るなよ。失礼な奴だ。

カオサンの店でお土産等を購入し、新聞紙にくるんで郵便局に持って行き、当時住んでいたカリフォルニアのアパートメントまで郵送手続きを行なう。郵便局のテーブルに、バンコクから各地域への料金表が載っていたが、アメリカまでの料金が一番高い。なんか1つだけ飛びぬけているいう印象。高いなぁ、でも、これらを日本に持ち帰って再びアメリカへ持っていくのも面倒だなぁ。・・・と悩んでいると、カウンターの係員(カオサンの隣の通りの郵便局のせいか、英語が上手)が「今ならEMS(約3~4日で目的地へ届く)で送るともれなくコレがついてきます」と言って、Thailand Post Officeと書かれた壁掛け時計を見せてきた。おぉ、余計荷物になるではないか・・・。だけど、郵便局のアメニティに惹かれ、EMSで送ることを指定。さすがタイ。郵便局までサービス精神が溢れている。ちなみにタイ郵便局の壁掛け時計は成田に住む友人へタイのお土産としてあげたが、いまでも使われているのだろうか?

さて、今日の仕事も終了、ということで、どこかでご飯を食べようと思い通りにでると、日本語で書かれた看板を発見。近づいてみると、そこはレックさんラーメンのお店だった。レックさんラーメンは、自分が2000年にバンコクに立ち寄った際、味のレベルが高くて良く利用させてもらった日本食屋だ。その後別の場所に移転したことに加え、カオサン通りに竹亭という、これまたレベルの高い日本食屋ができたためにその存在をすっかり忘れていた。スタッフに聞くと、どういう理由かはわからないが、再びカオサン付近で営業することになったのだそうだ。さっそく中に入りラーメンを注文。うむ、懐かしい味だが昔の方が「ちょっと」美味しかったな。

その後は写真を現像してカフェでまったりしてインターネットをして・・・と堕落した時間を費やす。明日はどこか別の場所に行くこととするか。

2003年8月16日:コロンボ→バンコク

2007年07月06日 | 2003スリランカ
チェックインは23時過ぎと言っていたが、案の定延長された。そのため、もうしばらくレストランで時間つぶし。ようやく搭乗手続きが始まり、機内に入るや否や毛布にくるまり横になる。今回は大騒ぎするスリランカ人団体はいない模様。余計な機内アナウンスもBGMもなく、午前2時前にコロンボ空港を静かに離陸。

3時間程でバンコク・ドンムアン空港到着。成田空港よりも利用頻度が高いこの空港、まるで我が家に帰ってきたかのような気分。エアポートバスA2に乗ってカオサンに向かう。バンコク名物・朝の交通渋滞に巻き込まれることなく、1時間ちょっとでカオサンに到着。宿はお寺の裏にあるMerry V Guest House。シングル120バーツ。安いけど狭い。

シャワーを浴び、バスに乗ってイセタンに行き、紀伊ノ国屋で本を数冊購入する。3年ぶりにイセタン内の紀伊ノ国屋に寄ってみたが、ガードマンが周囲を巡回しているのに気がついた。本を盗む輩が増えてきたのだろう。3年前にも、フレンドリー・ゲストハウスの前で「これ、紀伊ノ国屋でパクってきた(笑)」と大声で騒ぐ馬鹿バックパッカーがいたが、そんな野郎はデング熱にでもかかるか野犬に噛まれて狂犬病にビクビクしながら旅を続ければいいんだ。

基本的にバンコクですることは何もない。飯食ってカフェでフルーツシェイク飲みながら日記書いてインターネットして欧州サッカー中継を見ながら晩飯食ってゴーゴーバーで100バーツのドリンクを飲みながら蛍光色のビキニのお姉ちゃん(たまに「元」お兄ちゃん)と談笑してトゥクトゥクで宿に戻ってフロントで瓶コーラを買って部屋で本を読みながらコーラ飲んで眠くなったら寝る。カオサンにいると時間を追うごとに自分がダメ人間になっていくのが良くわかる。