もう騙されないぞ(Won't Get Fooled Again)

旅、音楽、日常・・・まったり雑談します

7月のCD

2006年07月31日 | CD紹介
7月のCD紹介ですがまたしても月末に紹介致します。

・Quicksilver Messenger Service - Happy Trails
→サンフランシスコ屈指のサイケデリック・ロック・バンド。とにかく1曲目の"Who Do You Love"の組曲でのギターの即興で気持ちいよくトリップできる。ボ・ディトリー調のイントロから吹っ飛ばしてくれます。グレイトフル・デッドの"Dark Star"、オールマン・ブラザーズ・バンドの"Mountain Jam"に勝るとも劣らない即興の宴。


・Patto - Hold Your Fire
→マイク・パトゥー率いるジャズ色の強いグループ。紙ジャケットではオリジナルの忠実に再現してくれるのはかまわないんですけど、扱いづらいんですよ。ジャズ色が強いとはいえ、要はひねくれたポップとでも言いましょうか。とにかくオリー・ハルソールのギターが引っかかる引っかかる。技巧派のギタリストが好きな方は一度これを聞いてみてはいかがでしょうか?


・Matching Mole - Matching Mole
→1曲目は最高。後は駄作。以上。三ノ宮のTSUTAYAにしれっと置いてあって愕然とした。欲しい人がいたらあげます。


・Pink Fairies - Never Never Land
→ジャケットをよーく見ていただきたい。妖精たちが手に持っているのはタバコではありません。まぁ、そういうことです。疾走型のハードロックと酩酊型の曲が交互に並べられているので、曲ごとのギャップが刺激的。"Snake"が最高にかっこいい。


今年はこの国に行ってきます

2006年07月30日 | バックパッカー
さて、今年の旅先が決まりました。
今年はスロベニアに行って参ります。
え?どこにあるんだそんな国?
自分で調べるように。

以前にも書いたと思うけど、当初はウズベキスタンも候補に挙がっていた。
しかしながら、現地までのフライトスケジュールがうまくいかなかったため却下。
それでもイスラム諸国に未練があったため、シリアも考えてみた。
関空からシリアへはUAEのエミレーツ航空が毎日飛んでおり、しかも夜の22時過ぎのフライトだ。
これは金曜日夜の便がつかえるわい。
職場にバックパックを持っていったる、と意気込んだはいいが、
どういうわけか9月のフライトのほとんどが埋まっていた。
キャンセル待ちの列にも登録できない状態であった。
むぅ、それならば大人しくスロベニアにするしかないのう。
というわけで、スロベニアに決定。

スロベニアまでの直行便は当然ながら存在しない。
関空発着で値段が比較的安いものはトルコ航空かルフトハンザしかなかった。
ルフトハンザはその日のうちにスロベニアに着くことができるけど
料金がトルコ航空より3万円もかかるので却下。

トルコ航空も、関空を夜の22時にでるのはいいが、毎日飛んでいるわけではない。
金曜日発がなく、土曜日夜まで日本にいなければならない上、
スロベニア到着が翌日(日曜日)の午後である。
もちろん、インタンブールでトランジットしなければいけないわけだが、
これはこれで得した気分になっている。

というのは、イスタンブール着が朝の5時で、
スロベニア行きの便が出るまで約6時間の余裕があり、
これを利用して久しぶりにイスタンブールを歩いてみようと考えている。
もちろん帰りの便もイスタンブールで時間を潰すことができる。
ロカンタで美味いトルコ料理を食べてチャイを飲めると思うと今からワクワクする。
もちろん、今回の旅の目的地はスロベニアだけど、
料理の美味しい国に立ち寄れるというのもトランジットならではの魅力。

さて、スロベニアである。
Amazon.comでロンリー・プラネット社のガイドブックを購入して今読んでるけど、
やはり「地球のなんとやら」とは明らかに情報量が違います。
ていうか、歩き方は「中欧」で一緒くたにされているので
スロベニアも首都の他は2箇所程度しか紹介されていない。
まぁ、小さな国なので目的地も少なめではあるけれども、
自然に囲まれた素敵な国であることはガイドブックを読んでいてよくわかる。

でも、宿はちょっと高いなぁ。
10ユーロ以下の宿なんてないなぁ。
ユースホステルでも20ユーロだ。
交通費もそれなりにするし。
そういう意味では物価の低いアジア諸国が恋しくなりますなぁ。


焼肉定食 (× 弱肉強食)

2006年07月30日 | 日常生活
たまたま南方熊楠に関することをネットで調べていたら
和歌山県日高郡にある妹尾国有林のページを見つけた。
で、よく読むとその土地では妹尾を「いもお」と読むらしい。

ウチの会社の取引先というかお得意先に「妹尾○○」という会社がある。
本来ならばここは僕が担当する会社なのだが、
どういうわけか他の社員が担当していたことがあった。
社名をアルファベット順に並べ、後半を僕が担当するシステムである。
僕が「妹尾さんの件は本来僕が担当なんですよね」と言うと
「え?『いもお』って読むんじゃないの?」との返答。
妹尾河童の『少年H』は知っていたのに、苗字がうまく頭の中でマッチしなかったようだ。

さて、最近の小学生は基礎学力が低下しているようで
世の大人たちは大変心配しているそうである。
漢字テストでは「子孫」を「こまご」と読んだり
掛け算を含んだ計算式では足し算を先に解いてしまったり
沖縄県が対馬の北方に位置していたり(これは地図上の問題でもあるかな)
おいおいまじかよと思ったりする実例が存在するそうだ。

僕が小学生の頃にも鳥取県を「取鳥県」と書いたりした奴がいたので
いつの時代にもヘンな間違いをする子供は大勢いるもんでしょ、と思っていたが
全国単位の調査で同じ間違いをする子供が相当数いる事実には驚いた。
ちなみに、中学生で「こうせき」を「功績」と書けない生徒が続出したようだが、
僕も多分すぐには書けないと思う。
パソコンに依存しすぎると本当に漢字が思い出せなくなりますよね。

仮に御手洗さんを「おてあらい」さんと読んだりする人がいても
今までの人生の中で「みたらい」さんと出会う機会がなかったためといえばまだ納得できるけど、
(それでも、全国の「みたらい」さんは納得しないでしょうな)
学校で習った「はず」の単語や数式を覚えていない又は活用できていないのは
やはりどこかで問題が生じているからなのでしょうか?

先生も親御さんも大変ですな。



騙されました

2006年07月29日 | CD紹介
先日Amazon.comでイギリスのManというグループのアルバムを予約した。
タイトルは"Definitive Collection"。堂々の2枚組である。

で、本日午前中にその他に注文した商品とともにやってきた。
さっそく1枚目を聴きながらインナーの文章を読む。
・・・ん、"All tracks 1969 Castle Copyrights Ltd"とあるぞ。
英語の解説文を読んでみる。
・・・ちょっと待て、こりゃただの1st及び2ndアルバムじゃねーかよ。
CDのタイトルをよー見てみると"MAN The Pye Collection"。
このバンドがPyeに在籍していた頃のアルバム2枚を再発しただけじゃねーかよ。

ふざけるなよアマゾン。
何がDefinitive Collection [Best of] [Double CD] [from US] [Import](←そのまま)だよ!
全然ベストじゃないっすよ。

なめんじゃねーよ、こんなもんさっさと売っぱらってやる。
・・・と思ったけど、2枚目はまぁまぁいいね。
1枚目の"Erotica"という曲は卑猥すぎ。
女のあえぎ声しか入ってないじゃんか。


2003年8月4日:エッラ その1

2006年07月17日 | 2003スリランカ
9時起床。
シャワーを浴び、ロビーで朝食をとる。
スリランカのホテルでとる朝食はどこも同じだなぁ。しかも高い。
身支度をすませ、11時半に宿を出る。
宿から駅までは歩いて30分ほどかかった。

駅の切符売り場で2等車の切符を買おうとしたら
次に来る列車に2等車はついていないという。
3等車のレベルがどんなものかわからなかったが、まぁインドのそれと同じだろう。
(実際はミャンマーで乗った普通車レベルだった)

エッラまでの車窓もこれまた良かった。
ただ、Bandarawelaでどういうわけか1時間も停車したのはいただけない。
本来ならもうちょっと早く到着できたはずだが、エッラについたのは14:30頃。
とりあえずLizzie Villa GHに泊まることにした。
幹線から外れてとても静かな上、裏庭がスパイス畑になっている。
最も安いRs250の部屋を勧められたが、あまり気に入らなかったので
Rs400のトイレ・シャワー付の2人部屋を選択。
部屋自体はとても奇麗だけど、なぜかアリさんが大量に列を作っている。

一休みしたあと、エッラの町をうろつくが、かなり小さな町だ。
銀行もどうやらここには無いため、隣のBandarawelaまで行かなければならない。
面倒だが明日隣町で両替をしなくては。

Pink Floyd in Concert - P.U.L.S.E (2 x DVD)

2006年07月17日 | 音楽
三ノ宮のHMVをウロウロしていたらDVDコーナーに置いてあったのですぐさま購入しました。
ピンク・フロイドの1994年のコンサートを収めた2枚組DVDセット。

70年代に活躍したバンドの90年代に出した映像というものは
ある種の懐かしさとある種のがっかり感を同時に味わえるものですが
フロイドの場合はテクニックで魅せるバンドではなく
あくまでもバンドのコンセプトを視覚または映像を加味することで
視聴者の求める「それ」にじゅうぶん応えてきたやり方を通しているなぁという印象。

同じプログレの範疇でくくられているE,L&Pなんか本当にがっかりしたもんなぁ。
彼らは体力勝負のバンドであったんですね。
50代になって以前と同じものを求めるのは酷なのはわかっていたんですけど。
がっかりといえば、ソルトレイク冬季五輪の閉会式に出てきたKISSもひどかった。
いくら往年のメイク・格好をしていても
お腹が悲しいくらいに出ていて思わず涙がこぼれました。

さて、ピンク・フロイドのライブ映像なんですが、
彼らの場合、ライブというよりも完全な「ショー」ですね。
多くのサポートメンバーを従えて大量の光とイメージを喚起させる映像群。
豚も飛ぶし戦闘機も突っ込んできて爆発する。
ヘイヘイヘイの観客みたいに馬鹿正直なノリで喜ぶ連中などおらず
ただイスに座って目の前で繰り広げられる「ショー」を観ている印象ですね。

まぁ、興味がない人にとってはただの「はったり」にしか見えないと思うけど、
50代に入ったおっさん達が老若男女のファンを喜ばせるために考え抜いたと思えば、
これは1つの時代に起きた素晴らしいショーであると考えます。

惜しむらくは、これを大画面で5.1chで観れたらなぁ、ということ。
6畳程度の洋間で見るのはやはり悲しいものがある。
でも、夜中にヘッドフォンを装着して真っ暗な中で見るとなかなか良い。

内容をここで説明するのはアレなので割愛しますが、2点ほど感じた点を。
2枚目でアルバム『狂気』を全てやってくれていますが、
"On the Run"で流れる映像を見て思わず
「安部公房の『カンガルー・ノート』じゃないか!」と笑ってしまいました。
そういえば安部公房もフロイドが好きでしたね。
もう1つ。
ギルモア・フロイドはアンコールでは"Comfortably Numb"と
"Run Like Hell"をやってくれますが、観客は盛り上がってますねぇ。


福岡、嘔吐

2006年07月15日 | 日常生活
今日から3日間実家のある福岡に戻っています。
行きの新幹線は予想外に混んでおり、
連結部分横のトイレ前でしばらく立っていなければならない程でした。

その、トイレ前で立っていると、なにやら足先に水がかかったような気が・・・
隣のガキがゲ○吐きやがりました。
すぐさまトイレに入ってティッシュペーパーを取り出しガキのお母上に献上する僕。
さぁ、これで汚れた床を拭いてくださ・・・
どうして僕のケースの横を拭いて下さっているんですか?
あぁ、ケースにもぶちまけやがったんですね・・・

幸い(なのか?)、ほんの一部しか酸性物は付着しなかったのでまぁ良かったけど、
あれって乾燥すると臭いが増すものなんですね。
新幹線が岡山に到着しなければ
通路の乗客の一部は間違いなく「もらって」いたことでしょう。

何気ない一言

2006年07月14日 | 日常生活
ジダン選手はイタリア野郎に家族を侮辱する言葉を投げつけられ我慢できずに手(頭)を出してしまったという。

イタリア野郎が「売春婦の息子」と言ったかどうかはわからない。英語にすればサノバビッチだろうか。日本語では「お前の母ちゃんデベソ」レベルだろうか。捉え方は人それぞれだろうけど、やはり我慢ならない発言というものは、ある。

さて、世間では割と怒りっぽいというカテゴリーに属する僕ですが怒っているような発言はしていても、実際に怒ることはそれほど多くはありません。

ただね、今日だけは久しぶりに怒鳴り声を上げるかと思いましたよ。誰かが小説かエッセイで、相手の一言で一気に怒りモードになる状態を「体中の血液が逆流する」だの「沸騰する」だの表現しておりましたがまさしく今日のアレは体中の血液が一瞬逆流する思いでしたよ、ええ。

しかし、だてに31年生きていませんねぇ。我慢しましたよ。っていうか、血液が逆流したかと思うや否や体に残っていた気力が一気にゼロになっていきました。そうなったらもはや怒る気さえもおきず後は生返事。

「キレそう」という状態はまさにあの状態なんだな、と今思います。最近ではちょっと気に入らない程度でもすぐに「キレる」とか言いますね。あのね、他人にアピールする余裕がある状態は「キレて」いませんよ。ワイドショーも「すぐにキレる若者」とか言う表現はいい加減やめにして「癇癪持ちのダダッ子たち」と言い換えてください。

堪忍袋の緒はそう簡単に切れるものではありません。しかしながら、ちょっとした言葉でもシチュエーションいかんではじゅうぶん緒を切ることができるナイフにはや代わりするので怖いですね。


2003年8月3日:ハプタレー その2

2006年07月09日 | 2003スリランカ
9時起床。シャワーを浴び、ついでに昨日の洗濯物の残りを洗う。
ハプタレーは高原に位置するため、昨日の午後に干した洗濯物はまだ乾いていなかった。
生乾きっていうのもバックパックの中で蒸れるので勘弁してほしいものだ。

洗濯が終わり、ハプタレーの町をブラブラと歩き回る。
最初はバスでDambattene Tea Factoryという場所に行くつもりであったが、
地元の人に聞いたところ、
今日は紅茶園は閉まっているためバスは出ていないと言う。
あぁ、そうか。今日は日曜日だからスタッフはお休みなのか。
紅茶園って毎日やっているものではないんですね。

さて、午前中の予定が吹っ飛んでしまった。何して時間を潰そうか。
それよりも、朝食をとっていないことに気がついたので
ロンリー・プラネットに書いてあるレストランに向かった。
ここも閉まってやがる。

もうどこでもいいと思った僕は線路沿いにあるHyacinth Cottageという宿に行き
フライドライスとライムジュースを注文する。
この宿には宿泊客がいないようで、「今はオフシーズンだからね」と言っていた。
フライドライスの味はなかなか良かった。
しかし、ライムジュースがいけない。どうして塩が入っているんだよ。
スタッフに、お前塩入れたのか?と聞く。
いや、入れてないよ、ライムと水だけだよ、とスタッフ。
スリランカのライムはしょっぱいのか?
イランのヨーグルト飲料以来の凄い味の飲み物だ。

午後は何もすることがないので宿に戻り、サンダルを洗う。
高原のような涼しくて湿気が多い場所ではサンダルの臭いが気になるものだ。
夕食は昨晩の経験を活かしてベジカレーのセットを注文。
ライスの3種類のベジカレー、野菜サラダにフルーツサラダもついてきた。
フルーツサラダは美味しかった。他?うん、まぁまぁ。
スリランカを旅行して2週間が経過したが、
ベジカレーはどこで食べても同じなように感じてきた。
これからはなるべくフライドライスを注文しよう。

マネーベルトの中のスリランカルピーを数えたら、
もうそろそろ両替をしなければいけない程度の紙幣しか残っていないことに気がついた。
この前両替したのっていつだったっけ?
次に向かうエッラは銀行がなさそうなので、
銀行がありそうな町で一度両替をするしかないな。

Where should I go?

2006年07月06日 | バックパッカー
今日は有給を使って三ノ宮でパスポート更新手続きをしてきました。
まぁ、更新手続きなんて1時間程度でできるもんなんですけど、
USドルのトラベラーズ・チェックとか、航空券の見積もりとかをまとめてやっておきました。

さて、夏(というか9月末)に行く予定の国なんですけど、
某旅行会社で航空券の見積もりを出してもらったら、
自分の休みの予定とうまく合致するフライトがなかった。
どれも1日早くするだの、トランジット先で最低2日(!)滞在するだの
帰りの便は水曜日になりますだの、そんなんじゃ現地に3日しかいられないではないか。

なんかその国に行く気が失せてきたので、
もう1つの候補地の見積もりを出してもらった。
ふむ、ちょうどいい塩梅のフライトがあるではないか。
しかも初めて乗る航空会社だ。料金も第1候補と大して変わらん。

ただ、関空出発が夜の23時前後というのがどうもなぁ・・・
土曜日を丸々日本で潰してしまうというのも勿体ない。
その次に安いフライトは10時出発な上3万円余計にかかるし。
むぅ、金曜日のフライトってありますか?
あ、週に3日しかないので金曜日のフライトはないですか。
もしあれば金曜日はバックパックを担いで会社にやってくる意気込みであったんだけどね。
残念。

というわけで、第2候補地のフライトをその場で予約してきた。
第1候補地と比べて物価が高いというのがネックではあるが、
まぁ居心地が良さそうなので我慢しますか。
働いているのに、いつまでも「節約旅行」は続けていられませんし。

そういえば、海外を旅するバックパッカーのことを「貧乏旅行者」とか言うなよ。
本当に貧乏だったら海外旅行どころじゃなかろうて。
カオサンの日本食レストランで200バーツのカツ丼を食いながら
「金ねーよ」とか言ってる頭に白タオル巻いたお前、お前のことだよ。
パッタイでも食ってろパッタイでも。


2003年8月2日:ハプタレー その1

2006年07月04日 | 2003スリランカ
まだ夜も明けきらないうちに起きたはいいが、
特にやることもないし外に出るにも中からドアは開かないので
結局もう一度寝てしまい、結局起きたのは9時。
シャワーを浴び、レストランで朝食を摂り、11時に宿を出る。

次の目的地はハプタレー。
最初はバスで向かう予定であったが、
やっぱり紅茶畑を眺めながら移動したくなったのでナヌ・オヤ駅までバスで向かう。
切符を買ったはいいが、やはり列車は遅れてやってきた。
ナヌ・オヤからハプタレーまでの車窓もなかなか良かった。

1時間半ほどでハプタレー到着。
さて、今日の宿はどこにしようか・・・
そう考えながら駅を歩いていると一人のおじさんが声を掛けてきた。
話をすると、宿のオーナーだという。
名刺を見せてもらうと、
候補の一つである「アマラシンゲ・ゲストハウス」のオーナーさんであった。
車で来ているから乗っていけ、と言う。これはありがたい。

アマラシンゲGHは駅から1kmほど離れた場所にあるけど
居心地の良さと景色が良いことで評判の高い宿だというのは聞かされていた。
たしかに、斜面に面した宿から眺める景色は素晴らしい。
宿も緑に囲まれている上静かで過ごしやすい。
僕はRs400の部屋に泊まることに決めた。
部屋はとても清潔でホットシャワーも出る。

ロビーで紅茶を飲みながら旅行者が書き残していった情報ノートを眺める。
「地球の歩き方」でも紹介が小さいせいか、日本人の書き込みは少ない。
ロンプラでは好意的に書かれているため、欧米人のコメントが非常に多かった。
夕食時まで少し時間があったので、数日振りに洗濯をする。

夕食はフィッシュカレーを注文した。
隣の家族はベジカレーのセットを頼んだようだ。
後で見比べて思ったことだが、単品で頼むよりもセットで頼んだ方がアイスクリームも付いてくるし紅茶もポットで出てくる(ティーバッグだったけど)。
なんか損した気分になったけど、カレー自体の味は良かった。

夜のハプタレーは虫の鳴き声しか聞こえず非常に静かだ。
星空も奇麗で部屋の前のイスに座り夜中までぼーっとしていた。

青蔵鉄道開通で想い出したこと

2006年07月02日 | バックパッカー
中国・青海省の西寧とチベット自治区のラサを結ぶ通称「青蔵鉄道」が開通し
昨日青海省のゴルムドからラサへ向けて試験列車が出発した。
走行区間の多くが富士山の標高を超える地域で、
標高5000mを超える峠を途中2箇所通過する。
数年前にウルムチからカシュガルを結ぶ路線が開通して凄いなぁと思っていたら
ついにチベットのラサまで列車が行くようになったのか、と驚いている。

ちなみに僕は1999年2月にこのルートを車で移動したことがある。
ゴルムドの招待所(安宿のようなもの)で一緒になった日本人旅行者2人と
闇タクシー屋と交渉してラサまで向かった。

乗客は僕を含めた日本人3人とチベット人が1人、それに漢民族の運転手。
ゴルムドの中心地を昼の12時に出発。
街を出ると荒涼とした大地が延々と続いていた。
陸路(車)でラサに向かう場合でも、5000mを超える峠を2箇所通過する。
出発地点のゴルムドでも一応標高2500mくらいあるのだが、
富士山より高い場所など日本人にとっては未体験ゾーンなので
高山病にかかってしまうのかが唯一の心配事であった。

ゴルムドを出発して数時間、最初の5000mを超える峠を通過。
むぅ、自分の体には別段変化は感じられない。
他の日本人旅行者もピンピンしている。
峠を越えてしばらく行ったところにあるお茶屋みたいな所で休憩をとる。
異変を感じたのは車から降りた直後だった。
ドアを開け、足を1歩出した瞬間、何かフワッとしたものが体を包み込んだような感覚に陥り、
まっすぐ、しっかりとした足取りで歩くことが出来ない。
車からお茶屋まで10m程度なのにかなり遠く感じた。
もちろん食欲など出るわけがなく、ただ出されたお茶を黙って飲むしかなかった。

車に戻り、しばらくすると今度は頭痛が襲ってきた。
高山病にかかっているのは明らかであった。
もう1人の日本人もそうであるらしく、ドアにもたれて一言も声を発しない。
中国人ドライバーに身振りで「頭が痛い」とアピールすると、
袋から生のニンニクを取り出し、「1コ食え」と言ってきた。
ニンニクが高山病に効くのか?
半信半疑のまま生ニンニクを口に入れる。
むぅ、気持ちの上で良くなった「ような」感じにはなった。
しかし、生ニンニクを直接食べていいわけがなく、
しばらくすると頭痛に加えて吐き気までもよおすようになってきた。

あぁ、眩暈・頭痛・吐き気の高山病3点セットを頂戴してしまった。
このままラサまで半日耐えられるのだろうか・・・
途中運転手が黄河だか長江の源流の横に立つモニュメントの前で停車し
「写真でも撮っておけ」とサービスしてくれたが誰も車を降りなかった。
もう窓の外の景色などどうでもいい状態になっていた。

そして2度目の5000m級の峠を通過。相変わらず3点セットを頂戴したまま。
2度目のお茶屋休憩はすでに日も落ちた夜中であった。
何とか車を降りた瞬間、我慢していた吐き気が突然襲ってきた。
胃には何も入っていないにも拘らず吐き気が容赦なく襲う。
両膝に手をやり胃液を吐き出す。
後ろでは同乗したチベット人が背中をさすってくれた。

2月のチベットの夜は恐ろしく寒く、風が強い。
風の影響で吐き出された胃液が僕のズボンに少しではあるが付いてしまう。
それを取り払うでもなく朦朧と眺めていたら、
みるみるうちに付着した胃液が凍っていった。
僕は数時間ぶりに我に返ったように感じ、両手でズボンに付いた
「凍った」胃液を取り払い、心配そうに見つめていたチベット人に感謝した。
ラサまであと4~5時間。もう少しの辛抱だ。

多少元気の出てきた僕は隣の日本人(高山病にはかからなかったようだ)と
お互いの過去の話をしながら時を過ごした。
ラサまであと2~3時間というところで、時間調整のためか、車は何も無い場所で停車した。
相変わらず頭がボーっとしていた僕は何もすることが無く、ふと夜空を見上げた。
そこには、今まで気がつかなかったが、驚くほどの星が夜空を埋め尽くしていた。
日本で見るよりも、とか、そういうレベルではないくらいの無数の星。
「満天の星空」とは、まさしくこのことを言うのだろう。

しかし、僕はこれは高山病の影響なんだろうと思っていた。
こんなに星が見えるはずがない・・・
僕は隣の高山病にかかっていない日本人に語りかけた
「高山病かなぁ。星がもの凄い数だよ・・・」
元気な日本人はこういった。「本当にもの凄い数ですね。こんな星空見たことがない・・・」
あぁ、この星空は本当なんだ・・・
ボーっとしながらも今まで見たことない程の星をずうっと眺めていた。

しばらくすると運転手は再び車を動かし、ラサまで走り始めた。
数時間後、まだ真っ暗なラサに到着。
たしか北京時間で朝の5時前だったと思う。
ラサは経度ではバングラデシュと同じ位置にあるので、本来ならばまだ3時ごろだろう。
バスターミナルで降ろされた後、僕と日本人旅行者はタクシーをつかまえて宿に向かった。
幸い僕ともう1人の高山病は大したことはなく、翌日午後にはだいたい治まった。

陸路で向かっても高山病にかかる人はかかる。
よくチベットに向かうツアー客は四川省の成都(海抜500m程度)からの飛行機で
富士山とほぼ同じ標高のラサに降り立つ。
ラサに降り立った瞬間、ちょっと空気が薄い感じはするけど大丈夫、と思うが
バスでラサ市内に移動し、ホテルに到着した瞬間バタバタと倒れるケースが多いという。
別の安宿に遊びに行った時、成都から飛行機でやってきた旅行者数人が
同様にラサ到着後倒れ、ベッドの上でぐったりしていた。

ちなみに青蔵鉄道の車両には飛行機みたいに
酸素レベルを一定に保つ装置が付けられているという。
念のため医師も同行しているとはいうけど、
飛行機移動みたいにラサ駅で倒れる人が続出するのでは、と心配する。
一般の旅行者がすぐ乗れるのかどうかちょっとわからないけど、
乗る人はラサ到着後活発に動き回らないように。すぐに倒れますよ。