2006-2015 ひねくれた日常

資本主義の欲望にまみれた日常生活はとても楽しい。いつまで楽しく暮らせるのだろう?いつまでも楽しく暮らすために考えよう。

集団で暮らす生き物の暮らし方 4

2008年12月12日 | その他のこと
どうしたらよいのか?

分からないのだけど。

でも、分かることは気が付いた人はよい方向に向かうように修正するのだと思う。

この前、テレビで、「コンビニの24時間営業を見直してはどうか。」というのをやっていた。

1975年にコンビには出来て、24時間営業が始まったのは80年ごろではなかったか? ちょっと忘れたけど。

日本人が就寝する時間の統計も出たけど、70年代は夜の11時過ぎまで起きている人の割合は24パーセントで、現在は50パーセント位だった。

24時間営業は聞いてみれば、いろいろ問題もあるようだけど、とりあえず悪いことはない様に思っていた。

でも、24時間営業でなくてもよいわけである。

寝る時間も12時過ぎるのは当たり前になっていて、昼間眠いのも当たり前だ。

気が付いたら直すことの対象であるかもしれない。

なるべく早く寝るようにしようと思う。

子供も早く寝せるようにしようと思う。

テレビを見る時間も日本の子供は他の国の子供より長いらしい。

ゲームをする時間も長いかもしれない。



思えば、自分を甘やかして好きなように暮らしているということではないか。

それはとても幸せなことなのだと思う。

便利や、快適を極めてここまで来たのだ。

企業は、よりたくさんの自社製品を売るために、細かい気配りをこれでもかと盛り込んでいる。

製品に気配りと便利な工夫を付け加えるために、専門に社員がいて、日夜頭をひねっているのだと思う。

親切で、便利で、使いやすくて、値段も安くて、怪我をしないように細かい注意書きがびっしり書いてある。

企業が消費者をエライエライと祭り上げてきたのも原因のひとつかもしれない。

便利なことはありがたいのだけど、度を越してはいけないのかも。

気が付いただけでよいのかもしれない。

当たり前と思わないだけで暮らすだけで、少しづつ世の中はよくなるのではないかと思う。




消費者という集団は、やはり政治や、企業や、時代の流れのようなものに操られている。

例えば毎年のように変わる流行というものは、企業が物を買ってもらうために仕掛けているのだと思う。

流行は服飾関係だけでなく、健康食品や、スポーツや、ありとあらゆるものにあって、人間が新しいものが好き、同じものは飽きる、みんなと違うものが欲しい、といった本能のようなものに後押しされてたくさんのいらないものを買っている。

それは楽しいことだけど、操られている、ということを心のどこかに意識していた方がよいのではないか。

国民主権で国民が政治家を選ぶのだから国民はえらいはずなのだが、政治が国民を操っているのは当たり前である。

自分は自由で、好きなように生きているのかと思っていたが、実はいろいろなものに操られているのである。

操られるというのは、悔しいことである。

操られてどこかに流れていってしまった、というのは避けたい。



さっきと言っていることが違うと思うかもしれない。

世の中に操られないということが世の中がよくなることに繋がるだろうか。

よくしようと思えば繋がると思う。


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