今いる人間は、もう2万年位前から体の様子は変わっていないのだそうである。
2万年の間、ほとんどの時代が人間にとっては食べることに苦労した時代であったらしい。
しかし、最近になって、とうとう安楽に食べて暮らせる時代が来たのだった。
人間の体の基本は、長年の飢餓的な生活に馴染んでいるということだから、先進国の飽食状態というのは、人類の歴史始まって以来の出来事なのだと思う。
体は飢餓に備えてエネルギーはできるだけ蓄えようとしている。
そういうところに、おいしいものをどんどん食べるからどんどん蓄えてしまう。
体は過剰な栄養に対しては想定外の出来事なので対応を考えていない。
それで、食べ過ぎによる病気になってしまう。
食べ過ぎて病気になるなんて幸せなことかもしれない。
なら、食べるのをやめれば病気は治るのだと思うけど、食べることをやめられない。
飢餓に備えた体には「食べられる時はできるだけ食べろ」という命令が入力されているのだろう。
世の中にはメタボ注意報が発令されて、検診なども行われているが、注意しろと言われたって無理なのだ。
自分のことを考えれば無理なのがよくわかるではないか。
日本人はよく食べて、よく太っているが、気分よく暮らしているのだと思う。
少しぐらいの病気はよいではないか。
食べることに困らなくなったら、若者に覇気がなくなったようである。
勉強する意欲がないようなのである。
世界的な学力テストではこのところ順位を落としているらしい。
生きる目的も漠として、自分探しだとか、何となく生きにくい、などという感じらしい。
どうも人間は食べることに困らなくなり、欲しいものもなくなると生きる目的を失うらしい。
最近は若者が突然切れて、よく分からない事件を起こす。
若い女の人が殺される事件もよく聞く。
深夜に1人で帰宅するところを襲われるらしい。
若い女の人が深夜に1人で歩いたってもちろんいいのだ。
飽食で物があふれた先進国の日本に住んでいると、そういう全部がめずらしくもない当り前のことになっている。
人権や、平等がとても大切にされてほとんどの人が気分よく暮らしている。
熱湯を扱うインスタント食品や、たくさんのプラスチックの小袋にはいった調味料を開封する便利な食品には、熱いから注意してください、とか、手を切ることがあるから注意してください、とか書いてある。
熱いから注意して、というのは何かの権利を拡大理解した人が火傷をしてメーカーに文句を言ったからそういう注意がつくようになったのだと思う。
近頃は、何があってもでも自分には責任が無いのである。
危険なことに対して自分で気をつける必要なんかないのだ。
製造物責任とか言うらしいが、そんなのは当たり前である。
人間は集団で暮らしていると、無意識に周りを見て同じ感覚でくらそうとする。
そうすると安心できるのだと思う。
世の中の変化はだんだんに変化するので、それが危機的なことであっても、では、いつからが本当の危機なのかよくは分からないことになっているのかもしれない。
どんな世の中だって、みんなで同じように暮らしていれば安心なのだ。
もしかして、世の中は知らないうちにすごく変なことになってしまっていないだろうか。