2006-2015 ひねくれた日常

資本主義の欲望にまみれた日常生活はとても楽しい。いつまで楽しく暮らせるのだろう?いつまでも楽しく暮らすために考えよう。

26 黒い社会科  危ないもの

2007年05月25日 | Weblog
今の世のなかは、ずいぶんきれいになりました。

危ないものは排除されて、規則がいっぱいできて、人々は安心して暮らせるようになっています。

ちょっと昔は、子どもが遊びにいく近所にも危ないものはたくさんありました。

池に落ちておぼれたり、工事現場で遊んで怪我をしたり、木から落ちたり、穴におちたりはしょっちゅうでした。

今は柵で囲われたり、看板が立ったり、環境は整備されて安全度は高まりました。

その代わり、昔は変な人はいませんでした。

子どもは暗くなるまで遊んでもよかったのです。

危ないものは、どんな時代にもあるということでしょうか。

人間も地球の生き物の端くれなら、危険を回避して生きる知恵があるはずなのです。

危ないものの質は時代とともに変わっていきますが、変化に対応して危険を回避するのが大事です。

悪いもの、汚いもの、危ないものをどんどん排除してきたのが今までだと思うのです。

特に子どもにはよいものだけを与える教育をしてきたと思うのです。

それでいいと思う人は思っていればいいのです。

いいことも、悪いことも自分で判断する力が必要です。

それには悪いものをたくさん見たほうがよいのです。

悪いものは面白いし、魅力があります。

たまには毒にあたってちょっと痛い目にあったほうがもっといいのかも。

悪いことも、学習しないと回避できないのです。


だから、「金貸しの機械」とか、お客になる立場にいる私は言っていいのです。

サラ金業者は、もっと周到にソフトにカモフラージュして庶民に金を貸せばいいのです。

そういう勝負をしているのが世の中なのだと思うので。



でも、サラ金さんは、すごく正々堂々と世の中で頑張っていると思います。

悪役を引き受けている感じです。

世の中には、普通の顔をして、全然いらないものや、役に立たないものや、異常に高いものを売りつける商売がいっぱいあります。

「何か買ってくれ」とかかってくる電話はたいがいそうだと思う。

振り込め詐欺は詐欺そのものだし。

人をだます目的で悪意を持って電話をしてくるわけですから恐いです。

そういう不利な勝負にも勝たなきゃいけないんです。

危ないものを見極める目を育てましょう。

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