獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

池田“世界宗教”の内在的論理(その1)

2023-12-03 01:53:08 | 創価学会・公明党

池田氏の逝去後、週刊文春では池田氏と創価学会に関する特集を組みましたが、d-マガジンでは、そういう目玉の記事は載せないようです。
しょうがないのでコンビニで立ち読みしました。
特集のあとに、こんな貴重な対談が載っていました。
せっかくなので、記録に残したいと思います。


週刊文春 11月30日号
緊急対談:

池上彰×佐藤優 
池田“世界宗教”の内在的論理

国内会員世帯数827万、海外会員数280万(公称)を誇る創価学会を率いたカリスマとは何者だったのか。公明党議員への厳しい質問で知られる池上彰氏と『池田大作研究』などの著作がある佐藤優氏の最強コンビが徹底解剖する。

池上 11月18日、創価学会池田大作名誉会長が15日に亡くなったことが発表されました。池田氏は、近年、公衆の面前に姿を現すこともなかったので、既に亡くなっているのでは、と疑う声もありました。私は、戦国時代でもあるまいし、そんなことはさすがにないだろうと思っていましたが、佐藤さんはいかがですか。

佐藤 おっしゃる通りですね。学会は池田氏に宗教的権威を集中させてきました。つまり、池田氏の代弁が許される立場の強い人間がいない。その身に不幸があれば事実はすみやかに公表されるだろうと。

池上 18日15時に創価学会はSOKAnet で、池田氏の訃報に関する動画を配信しました。創価学会主任副会長で池田氏の長男の池田博正氏(70)と原田稔会長(82)が並び、一報を伝えました。

佐藤 実に興味深い動画でした。まず、池田氏の妻である香峯子夫人のことばを博正氏が読み上げているところがポイントです。「30歳まで生きられるかどうかと言われていた主人が、信心と戸田(城聖)先生の薫陶のおかげで、ここまで長寿を重ね、使命を全うすることができました」と。

池上 「幸いすべてを託してバトンタッチできましたので、安祥としていました」と続きますが、このバトンタッチの意味は大きい。池田氏の“後継者”に関わる問題だからです。

佐藤 まさにその通りです。博正氏が、香峯子夫人を“母”と呼び、池田氏を“父”と呼んで語る。まず、名誉会長ではなく、池田家の人として語ることで、池田家が特別な地位にあることを示したとみるべきでしょう。
さらに注目すべきは「学園」(創価大学や創価高校など)について触れたことです。
〈本日まで、このことの公表を控えておりましたが、(創価学会の)創立記念日の諸行事、なかんずく学園の行事を予定通り行ってもらいたいとの、家族の意向からです。父も、きっと、その通りだと言ってくれていると思います〉
私は、この中の“なかんずく”という言葉に注目しています。

池上 とりわけという意味ですよね。

佐藤 宗教法人の指導者としては、創価学園とは本来そこまで深い関係はないはずです。たとえば、池田氏が創設した公明党も同様ですが、こちらは動画では一切触れていません。では、なぜここで「学園」を持ち出したのかといえば、創価の教育体系で、創価の価値観を体現した人たちを今後も大切にしてほしいという期待の表明に他ならないと私は解釈しました。池田氏は、晩年に至るまでこうした“創価教育重視”を語っていたと考えられるのです。

池上 なるほど。佐藤さんは、『池田大作研究』など池田氏や創価学会の本を多く出しておられますよね。キリスト教徒である佐藤さんが、なぜそこまで、仏教系の創価学会に“入れ込む” のですか。

佐藤 私は同志社大学で神学を学んでおり、宗教専門家の視点から、かねてより池田氏の思想に注目してきました。キリスト教や仏教など世界中の宗教の多くが、勢いを失っている中 で、これだけ活動的な宗教は珍しい。他にはイスラム教や南米のカトリックくらいでしょうか。その源はどこにあるのかと興味を持ったのがきっかけです。教団の動静をウォッチしてみると、どうも池田大作という人物にその源泉があるとわかってきた。

池上 池田氏の宗教的カリスマ性などは、これまでも多くの作家やライターが分析してきましたよね。

佐藤 組織を率いる卓越した指導力に注目が集まりがちですが、実は分かりやすく魅力的な思想と弁舌で大衆を引きつける理論家であることが重要ではないかと気がつきました。そういう意味では、ソ連を作ったレーニンに近いところがある。

池上 レーニンですか。対極に位置する共産党の大物と似ているという指摘が面白いですね。池田氏は、レーニンの58年後、1928年に東京で生まれました。

佐藤 東京の没落した海苔屋の息子で、少年時代は体の弱い軍国少年だった。19歳の時に戸田城聖二代会長(当時理事長)と出会い入信しています。

池上 長兄が戦死したこともあり、平和への思いは強いとよく言われます。

佐藤 その通りです。


祖母が折伏を受けた

池上 創価学会がこれだけ急激に拡大したのは、高度経済成長という時代背景を抜きには語れません。中学卒業後に田舎から集団就職で都会に出てきた人々は、親元を離れ、知り合いもおらず、本当に孤独だった。今と違って休日に遊びに行くところもスマホもなく、給料も安い。そんな中、色んな悩みを語り合える座談会(創価学会の集まり)は救いになるわけです。当時の共産党も同じような役割を持っていました。実際、そのような若者を創価学会と 共産党で奪い合い、対立が生まれてくる。

佐藤 10年程前に森喜朗元総理と話した時にこうおっしゃっていましたよ。創価学会は共産党の影響力を削ぐのにはものすごく重要な勢力だった、と。

池上 池田氏は、1960年に32歳で戸田城聖二代会長の跡を継ぎます。オルガナイザーとしての能力があり、何百万世帯の支持を集めるカリスマでした。
一方で、池田氏や創価学会に対する国民の違和感も生まれた。1960年代には信者をとにかく増やそうとかなり強引な「折伏」をしていたイメージがあるからでしょう。嫌だといっている人でも、家に上がり込み、引っ張って教団組織に連れて行こうとした。そうなると警察が呼ばれる騒動にもなってしまう。毎日信者が家に来て、ずっと居座ったりするのを隣近所が見ているわけです。「創価学会は怖い」と考えるようになるのは、当然のことではないでしょうか。なんでこんなことを知っているかと言うと、私が小学生の時、同居していた祖母がやられていたからです。

佐藤 え? 折伏をですか。

池上 はい。毎日来るもんだから困ってしまって。祖母は最後に根尽きて「入りますよ」となった。その途端、騒ぎがなくなるわけです。

佐藤 そうすると、お祖母さんは、学会員だったわけですか。

池上 そうですね。学会員は家族で祖母だけでしたが。毎日、聖教新聞が届くので、新聞大好き少年の私は、朝日新聞と聖教新聞を毎日読んでいたんですよ。聖教新聞を読むと、立正佼成会の人の悪口ばかり書いてありました。立正佼成会の信者が、仏壇を運んでいたら交通事故にあったとか。仏教団体が他の団体の悪口を書くってどういうことなんだ? と子供ながらに思っていました。

佐藤 聖教新聞で1950年代に連載された戸田城聖氏の『小説 人間革命』にも、学会を弾圧した人がいかに不幸で、入った人がいかに幸せになるかが描かれています。60年代も同じような記事が多かった。

池上 その頃の自分には創価学会に池田氏のイメージは全くありません。創価学会って不思議な宗教だなと思っていた。うちは代々、日蓮宗だったので、祖母が学会に入った後も、子供の頃に聞いていた南無妙法蓮華経は変わりませんでした。

佐藤 折伏とは間違った教えを持って固執している人の見解を正すこと。もっと言えば、糾弾することです。一方で、摂受(しょうじゅ)というのは、仏教の真実の教えを全く知らない人に、その人の考え方を尊重しながら教えることです。ただ現在、仏教に関する知識が全くない人はいないので、布教は相手の仏教観を問いただす折伏になります。

池上 うちは日蓮宗だったから折伏になりますね。

佐藤 創価学会にとって間違った教えだったから、徹底的にやられたのでしょう。創価学会にとって一番怖いのは、同じ仏教を信じているのに、この相手こそが最も間違っていると考えてしまうこと。これは、キリスト教でもよくある発想です。

池上 イスラム教におけるスンニ派とシーア派の対立も同じですね。

佐藤 池田氏の作り上げた創価学会の教えの根幹は、非常に単純なんです。誰もが創価学会のドクトリン(教理)を体得すれば仏になれるということ。教義的には、池田氏が仏ではないことになっていますが、会員の中では仏です。そして、池田氏と同じような考え方や行動をすれば誰もが仏になれるとみな考えている。そこに、経済力や学力は関係ない。

(つづく)

 


解説
池上 ……1960年代には信者をとにかく増やそうとかなり強引な「折伏」をしていたイメージがあるからでしょう。嫌だといっている人でも、家に上がり込み、引っ張って教団組織に連れて行こうとした。そうなると警察が呼ばれる騒動にもなってしまう。毎日信者が家に来て、ずっと居座ったりするのを隣近所が見ているわけです。「創価学会は怖い」と考えるようになるのは、当然のことではないでしょうか。なんでこんなことを知っているかと言うと、私が小学生の時、同居していた祖母がやられていたからです。

池上さんが、創価学会と公明党との関係に鋭く斬りこめたのも、そういう実体験があったからだったのですね。


佐藤 ……創価学会にとって一番怖いのは、同じ仏教を信じているのに、この相手こそが最も間違っていると考えてしまうこと。これは、キリスト教でもよくある発想です。

文章的におかしいところがありますね。
佐藤氏は、創価学会の独善的な面を批判しているはずなのですが、その印象をうすめるために、あたかも創価学会が被害者かのように「創価学会にとって一番怖いのは」という表現を無理やりしたのではないでしょうか。
正しくは、この文章は、「創価学会が一番怖いのは」でしょう。
その方が、意味がよく通じます。

今や佐藤氏は、創価学会員がもっとも頼りにする外部の評論家ですから、創価学会員が対談を読むことを慮って、言葉の細かいところにも気をつかうのでしょう。


獅子風蓮



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